はてなキーワード: 脚本家とは
色んな切り口があり議論が錯綜するので自身の整理のために考えたことをまとめます。
今回の件では、本来外野であるはずのネット民が攻撃をしかけて炎上させることがなければ、原作者が追い詰められて自死を選ぶことはなかったでしょう。
にも関わらず「日テレが悪い」「小学館が悪い」「プロデューサーが悪い」と主張しているのは、自信の罪を自覚しながら、それを認めたくがないために、罪を押し付ける先を探しているようにさえ見えます。彼らは自信の振る舞いを反省する気はないのか。
誰がなんと言おうが、一番悪いのはお前らだよ。
漫画が改悪されて実写化されると「原作レイプだ!」と騒ぐ方々が現れます。
実写化により、原作に改変が加えられるのであれば「原作レイプ」という主張も分かります。
でも、原作は、原作のままなんじゃないですか。原作と実写化された作品は別物なのでは。
「自分の愛しているものが陵辱されたら許せない」という気持ちは理解できます。
更に、原作をそこまでのレベルにしたのは、原作者および出版社の努力なのでは。あなたたちは、その創作活動に対して何をしたんでしょうか。
その方たちが「自分たちの異議には正当な根拠がある」というのは無理があるでしょう。
実写化にたいする違和感を表明する権利は侵害されないので、「原作レイプだ!」と述べるのは全く問題がありませんが、その主張に正当性はないです。
ネット民が攻撃を仕掛けるのも、原作ファンが「原作レイプだ!」と叫ぶのも、感情に起因するものなので、止めようはありません。
そこに対して、理屈でさとすのも愚かなことでしょう。
《海猿》《金色のジャッシュ》の問題について、長期にわたって主張をし続けた方がどれだけいるんでしょうか。
事態を改善したいなら、一時の感情で叫ぶのではなく、問題の真因はどこにあり、どのような再発防止を打つことができるのか考えるべきでしょう。
何がおきたかを明らかにするために第三者委員会を設置して経緯を明らかにして欲しいという声があります。
それして、どうするんでしょう。
経緯を明らかにしたいというよりは「どうせテレビの奴らは漫画を下にみて酷いことしたんだろう。それを認めて土下座しろよ」という主張が多いように見えます。
醜悪なテレビの奴らを土下座させて溜飲を下げたい以上の意味があるんでしょうか。
実は簡単な再発防止策があります。「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者の作品は実写化しないことです。
「原作者の望まない実写化は公開しない」でもいいんですが、これだと、実写化作品が完成した後で原作者が「私はこの脚色は不満です」と述べると公開できなくなります。このリスクは流石に実写化サイドは呑めないでしょう。
どちらも極端だろうということであれば、
1.を約束しても醜悪なテレビの奴らは「これが我々の考えた漫画に忠実な脚本です」と全く忠実でない脚本を出してくることは考えられるので、2., 3., 4.などは有効な策といえるでしょう。
「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者の作品は実写化しないというのが、実は、現実的であり有効な策だと考えています。
これで困る人がいるのかですが、原作者も、原作ファンも、困らないでしょう。
「テレビ局は困るんじゃないか?」は、困ると思います。ただテレビ局は、漫画原作に頼らず、オリジナルで魅力的な作品が書ける脚本家を育てるという道があります。
困るのは、出版社です。メディアミックス戦略が使えなくなります。
しかしここは、原作者を守るために、「お好きなように改変して下さい」と言わない漫画家の作品を実写化に提供してはダメです。
それにより、メディアミックス戦略が使えなくなり、出版社の収益は減るでしょう。いくつかの漫画雑誌も廃刊に追い込まれ、世の中に出ていたはずの作品が日の目を見ることがなくなるかも知れません。
でもそれが、漫画ファンが望んだことなんです。甘んじて引き受けましょうよ。
仮に原作者が脚色を担当したとしても「素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです」という状況に陥ることは充分にあり得ます。
「漫画に対するリスペクトがないから、こんな酷いことが起きるんだ」という主張がありますが、そうなんでしょうか。
実写化しようと思った時点で、原作に魅力があると感じているはずなのに、それでも原作を蔑ろにしてるんでしょうか。
尺が合わない等で原作のエピソードを取捨選択したり、逆に原作にエピソードを足さなきゃいけないこともあるでしょう。
このときに、原作のエッセンスを汲んで適切な取捨選択ができたり、原作のエッセンスを活かしてエピソードを足せる脚本家もいるでしょう。
野木亜紀子さんは、それがうまくできる一人です。「全ての漫画原作の実写化は、脚本を野木亜紀子が担当する」とすれば、今回のような事象は発生しないでしょう。
ただそれは非現実的です。野木亜紀子ほど技量が高くない脚本家も、実写化のための脚本を書きます。
そのとき、うまく捌けずに、余計な恋愛要素を入れてしまう脚本家もいるでしょう。
それは、リスペクトがないのではなく、技量の低さに起因しています。憎むべきは「リスペクトがない」といった心理的な要因ではなく、「脚本家の技量が低い」という問題なんじゃないでしょうか。
ある著作者は原作を守るように伝えて、別の著作者は好きに改変するように伝えた
どちらのケースも原作の使用の許諾を与えることで人格権を保持していると言える
https://www.star-law.jp/news/nhk.html
NHK側は,平成23年11月に講談社との間でドラマ化の契約を締結し,
平成24年5月に連続ドラマとしてスタートするため,脚本の執筆や出演者の
一部内定などの準備を進めていたところ,平成24年2月に講談社から
「白紙にする」と一方的に契約を破棄された撤回されたと主張し,
ドラマの準備に要した費用等が損害にあたるとして6000万円余りの
損害賠償を求めていました。
ドラマ化されてしまうと心配したのも無理はない。脚本が承認されていない以上,
ドラマ化の契約が成立していたとは言えない」として,NHKの請求を
この判例に準じるならば、
脚本が出来上がって、承認された上で、脚本通りにドラマが作られるとしたら、
著作人格権は保持された上で、原作の二次利用の許諾されたことになる。
だから日テレも原作者の承諾を得た脚本で制作をしていることを強調している。
本気でそう考えているなら編集部は原作者に脚本を書かせるべきではなかった。
あくまで脚本家に脚本を書かせて、ダメ出しをする、NGを出すのみにして、
原作者自身で手を入れさせることはないようにしなければいけなかった
締め切りが迫っていようが、放送日が迫っていようが、
脚本が原作者の思いどおりに上がらない限り、許諾するべきではなかった
上記の判例に従えば脚本もできていないうちにドラマ化の契約は成立しない
出版社と放送局は別方法人である以上、ガバナンスは契約によるしかない
今後、出版社が本気で原作者を守りながら作品を映像化したいと考えるなら
このことを前提にして、放送日程スケジュールより先に脚本をもってこいと言い
脚本がてきていなければ許諾しないことを明確にして進めるべき
ある著作者は原作を守るように伝えて、別の著作者は好きに改変するように伝えた
どちらのケースも原作の使用の許諾を与えることで人格権を保持していると言える
https://www.star-law.jp/news/nhk.html
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NHK側は,平成23年11月に講談社との間でドラマ化の契約を締結し,
平成24年5月に連続ドラマとしてスタートするため,脚本の執筆や出演者の
一部内定などの準備を進めていたところ,平成24年2月に講談社から
「白紙にする」と一方的に契約を破棄された撤回されたと主張し,
ドラマの準備に要した費用等が損害にあたるとして6000万円余りの
損害賠償を求めていました。
ドラマ化されてしまうと心配したのも無理はない。脚本が承認されていない以上,
ドラマ化の契約が成立していたとは言えない」として,NHKの請求を
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この判例に準じるならば、
脚本が出来上がって、承認された上で、脚本通りにドラマが作られるとしたら、
著作人格権は保持された上で、原作の二次利用の許諾されたことになる。
だから日テレも原作者の承諾を得た脚本で制作をしていることを強調している。
本気でそう考えているなら編集部は原作者に脚本を書かせるべきではなかった。
あくまで脚本家に脚本を書かせて、ダメ出しをする、NGを出すのみにして、
原作者自身で手を入れさせることはないようにしなければいけなかった
締め切りが迫っていようが、放送日が迫っていようが、
脚本が原作者の思いどおりに上がらない限り、許諾するべきではなかった
上記の判例に従えば脚本もできていないうちにドラマ化の契約は成立しない
出版社と放送局は別法人である以上、ガバナンスは契約によるしかない
今後、出版社が本気で原作者を守りながら作品を映像化したいと考えるなら
このことを前提にして、放送日程スケジュールより先に脚本をもってこいと言い
脚本がてきていなければ許諾しないことを明確にして進めるべき
テレビ側の発表待ちなるんだけど、別々に発表するから余計ややこしくなってない?
仮に脚本家に伝えたと発表したら、嘘をついているのがテレビ側か脚本家になるじゃん。
組織としてテレビ側はいいとして、脚本家は個人だから今以上に非難されない?
そうなったら、もしもがあるじゃん。
逆に、伝えてないとしたら言葉通り伝えてないのと出版社側から伝わってないとパターンがあるんだけど、出版社側が伝えたって明言してる以上対立するんだよね。
問題ではあろうと、普通に考えれば、人が死ぬほどの問題じゃなかろう。
会社員が自殺した時に、仕事でトラブったからだと思う奴はまずいないだろう。
職場の人間関係とか、先の見えない過重労働とかが積み重なって疲弊した結果と考えるのが普通だろう。
それだけが原因であるかのように報道され、ドラマの脚本家や関係者が死に追いやったかのように言われるのは幾らなんでも短絡的過ぎる。
me tooみたいに我も我もと実写化マンガ家陣が嫌な思い出を語ってるが、その中に自殺まで考えた人がいるのか?
ドラマ脚本の問題は問題としても、自殺とは分けるべきだ。本当にドラマ脚本の問題だけが原因で自殺したというのなら、俺は関係者の方に同情する。そんなトラブル一発で死なれたらかなわん。
攻撃したかったわけじゃないが何を指していたのか、どんなニュアンスなのかわかるのは、亡くなった本人だけ
遺書も公開されていませんし、たとえ遺書にある内容が公開されても、それが事実かどうかわかるのも、亡くなった本人だけ
事実だとわかるのは、
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、
ただこれだけだぞ
anond:20240209200225 anond:20240210004532 anond:20240210085625
単なる民事的な言った言わない契約トラブルだったらスルー一択だが。
連携してる職同士で歯車の噛み合わないのは、まさしく構造上の問題があったから。
まあ、あまり好きな例※じゃないが、タレントが決まってて清楚な長髪女性が主人公の原作も決まってて、しかし元気なおてんばキャラであるタレントに合わないので脚本家が頑張るしかないけど、どうあがいても批判される運命、のような。ドラマの売り上げの為に必要な順番で確保していくと、必ず無理が生じて現場の人間をすり減らせる。
少なくとも犯罪ではないですね (犯罪なら件の脚本家連中は逮捕されている)
あと誰も代理戦争はしてません
その通り。むしろ脚本視点では、脚本職が置かれてる窮状を勇気を出して糾弾したと言える。
でも脚本家たちの置かれた立場はテレビドラマの歪な構造が生んでいるのだと分かったのはもっとずっと後だった。原作者らが軽視されがちなのも構造的な問題だったし、引き金というなら佐藤先生の経験したこと、更にそれ以前から放置されつづけてきた業界の収益構造の根深い問題があった。噴出させて表面化させた勇気がなければ、今後ももっと多くの脚本家、原作者たちが涙を飲み続けただろう。
作品を守ろうとした自分の行動が逆に炎上を助長してしまう構造に絶望したのだろう、とは思うが、
その行動を取らざるを得ない状況を作り出したのは脚本家のインスタなのは疑いようがない
脚本家が全き無罪などという事は脚本家本人すら思っていないだろうよ
オタクはまず「脚本家」を「原作クラッシャー」などと呼んで、そんな権限もないのに原作を改編したいという己の欲望でドラマをめちゃくちゃにした首謀者のように騒ぎ立てた。
それが間違っていると(やっと)理解すると、今度は出版社に矛先を変え、「出版社が漫画家を見下してるから意見させないようにした」と、今度もまた何も根拠のないストーリーを、内部を見てきたかのように語り出し、エコーチェンバーで信じ込み暴れている。
あまつさえ、ここ数日は何故か、「雑誌編集部は作者を守ろうとしたのに、出版上層部のせいでもみ消されている」という謎の「現場を守る」言説まで出てきている。
ゴールデンタイムでもない、視聴率も大したことない、ジャニーズやアイドルも関わってないドラマ化ごときで、出版社の上の方がそこまで直接関わるわけがないだろう。
仮に出版社に何か問題があるとしても、それこそ現場の、作者に一番近しい、担当編集者当たりの、政治的なものというより単なる雑な仕事が原因だった程度のことだろう。
そもそもを言えば、漫画家は「攻撃するつもりはなかったのに」こんなことになってしまったことを悔いて死んだのであり、自殺の原因究明をするならこういう奴らのネットリンチ体質以外にはあり得ない。
怒りの矛先がプロデューサーやドラマ制作体制であれば、こんなに燃えなかったでしょうけど、何故か原作者を攻撃したからな
指揮権のあるプロデューサーではなく、
原作者(と原作者のファン)にではなく、指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちを伝えたら?ドラマの制作のあり方をもっと批判したら?ってフツーは思うと思いますの
そもそもこの人らの協会のひとつは下記のように書いているので、著作権法第20条の規定の理解から始めるといいと思います
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
その上、日テレの公式垢で最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってしまう
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なポジティブなコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
どう考えてもSNS運用チームと連携取らなかったの悪手でしたわね
(今はゴタついてるからと奇行を黙らせたり、手動なんだか自動でウエイトタイムがあるなんだかわからないけど『いいね』の運用変えるべきだった
下記が本気で理解出来ないってのも、まぁまぁ日常生活を困難にさせるし、
発達の検査受けたら何らかのアドバイスもらえると思うんですけど、
> 世の中の大半の人は、脚本やドラマという成果物、製作過程の良い悪いの話は問題にしておらず、
> スシロー皿ペロやバイトテロに対する批判がそうだったように、別に代理戦争してるわけじゃなくて、各々が各個人の考えや感情を表現してるだけ
> 該当の人物は炎上するだけのことはしたし、日テレもバカは放置してれば忘れるの方針(謝ったら負け)でいくわけでなきゃSNS運用チームと連携取らなかったのフツーに悪手だった
>政治厨でも倫理学者フォロワーでもないんでどうしたら世の中が良く出来るかなんて話はほとんどの人はしてません
これは特級でヤバい。一度、信頼できる人に契約ってどういうものなのか教わると良い
脚本家の相沢友子さんに日テレが、真実を伝えたら仕事を引き受けてもらえなさそうな面倒くさそうな契約だったら、詳細を伝えると思うのだろうか?
「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家のスコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。
「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。
早稲田で映画を専攻し、学生時代に映画と脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。
自身の作品の映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。
「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現だからそのまま映像にすると不自然になってしまう」
脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。
死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。
その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画や小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。
ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまったから自殺した」
という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。
冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。
むしろ「自分の大切な原作を、自身の脚本で台無しにしてしまった自責の念」
と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまったことに対する責任」
の方が強かったのではないかと思う。
自分の大事な作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」
それを勝手に拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。
もちろん、本人にしかわからないし、本人にもわからないかもしれないが。
ただ私もクリエイターの端くれとして、
もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供の回復をしようと頑張るが、
もし周りを巻き込んだ挙句、自分で自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。
そんなふうに思ったからだ。
「本来なら、脚本家がインスタで原作者の著作者人格権を毀損する投稿をした直後に小学館が抗議し、日テレが弊社の見解ではないと遺憾の意を表明し、脚本家が頭を下げて終わりなはずだったのに。未だに小学館は抗議しないし日テレは黙ってるし脚本家は逃げ出すし、原作者はもういないし。なんなんだこれ。」
https://x.com/sorachiakira/status/1755550581429805466?s=20
漫画家の芦原妃名子さんの死去をめぐり、X民、ツイッター民は働いたことがないのだろうかと思えるほど、1つひとつのありえないロジックをもとに積み上げれた意見が、幅広く共感されているという正義感の迷走状態にうんざりしている。
脚本家の相沢友子さんに日テレが、真実を伝えたら仕事を引き受けてもらえなさそうな面倒くさそうな契約だったら、詳細を伝えると思うのだろうか?これからモチベーションを上げていい仕事をしてもらわなければいけない相手に。脚本家は、芦原さんの条件を知らずに、脚本を書き進めたのだろうと思われる。
そして、脚本家の動きをめぐり、小学館が日テレに苦言を言うと思うのだろうか?
ドラマ化するのは年に50ということで、その原作を勝ち取れるかどうかは、苦境すぎる紙媒体の版元はノドから手が出てもほしがっている。それがあるかないかで経営の明暗が分かれるだろう。
今回の最大の問題は、紙媒体だけでは坂を転がり落ちている経営状況の出版社は、試聴者に向かって発信力のあるテレビ局の動向に左右されてしまうという不況構造と、テレビ局のもつ権力性にある。
日テレ側は、原作として使うことで、むしろ原作料を支払ってまで出版社の宣伝に協力をしたのに迷惑をかけられたというスタンスがあるだろうし、小学館側はそれを否定できない、漫画家と原作者の足並みをうまく揃えさせられなかったことをむしろ詫びねばならないような力関係と想像される。
チームの仲間であり特に協力関係にあったはずの脚本家が「9話10話がつまらない?あれ原作者が脚本だから。最悪の経験になりました」って投稿してた。
これが元凶では?