はてなキーワード: 単語とは
そりゃお前がハンターハンターを読むまでその単語を知らなかったというだけのことだぞ。みんながお前と同じだと考えるのをやめろ。「顔真っ赤」とか言っとけば勝てると思ってるのもあまりにも子供っぽいからやめなさい。
私は現在20代後半の女であるが、無性愛者という単語を知ったのは中学生の時だった。
ここで無性愛者に知らない人のためにざっくり説明しとくと、他者に対して性愛や恋愛感情を持たない人だと考えていただければいいと思う。
他にもアロマンティックだとかアセクシャルだとか色々あるらしく、厳密には私の説明では間違いがあるかもしれないが容赦して欲しい。
気になる人はググってくれ。
とりあえず私の場合は、他人に対して恋愛感情を持たないのと自分がキスや性行為等を行うのに非常に嫌悪感がある。しかしAVやエロ漫画等は好んで読むし、他人が性行為をすることに対しては拒否感はない。
中学生だった私はネットでたまたま見つけた無性愛者に関する記事を読んで、これは自分のことだと納得したのを覚えている。
しかし、その記事には思春期だと精神的に未熟だから無性愛者だと判断は出来ないとか書いてあったように思う。
その時の私は、そういうものかと思い、いつか誰かを好きになるかもしれないと考えていたが15年近く経った今も誰も好きになれないままだ。
恋人がいたら変わるかもしれないと作ってみたこともあるが、私に恋愛感情がないことが原因で破局してしまった。
相手は良い人だったし友人としては好きだったので申し訳ないことをしたと今でも思ってる。
仕方がないから一生独身でいようと思っていたのだが、最近孤独を感じるようになり将来が不安になってしまった。
学生時代から友達が多い方ではなかったが、社会人になってさらに減ってしまった。その上コロナ禍のせいでますます疎遠になり休日は一人で過ごして話し相手はいない。それでも趣味とかしていれば寂しくないから大丈夫だと思っていたけど、年齢を重ねるにつれ、趣味に対する情熱も失せてしまった。
今は両親共に健在だから良いが将来完全に1人になった時、この孤独感をどうすればいいのだろう。
今のままだと誰にも必要とされず、死んでも誰も悲しんでくれない人生が待ってる気しかしない。
結婚のデメリットは色々あるしすれば必ず幸せになれるというわけではないけど、独身で孤独じゃない生活を送るのはかなり社交的な性格じゃないと無理だと思う。
まだ20代後半で、まだ間に合う年齢だから結婚に向けて動くべきなのだろうか。
本音。吐き出し。
個別指導の塾でバイトしてるんだけど、担当生徒の1人がどう見ても何らかの障害持ち。
・言われたことができない。次は図に書き込んでみてね、と言っても平然と謎の計算式を書き始めること多数。
・単語を使った意志疎通ができない。例えば、「底辺」や「仮定」、「証明」などを理解できない。
「底辺」は図形が少しでも傾いているともう”底”ではない=底辺はどこ?という思考になってしまう。
そして「仮定」などの抽象的な概念は根本的に理解できていないっぽい。「もし」や「ならば」などの単語がある時だけ「仮定」と判断できる。
・図形認識ができない。「線の上にある点を指さしてみよう」という指示に対して、全く別のところにある点を指さす。勿論、当然のようにグラフも読めない。
・宿題ができない。出したとして存在を忘れてしまうか、もしくは間違えたところの答えを丸写ししてくるかの2択。
どんなに説得しても丸写ししてしまう(「答え合わせ」は赤ペンで答えを写すだけの行為と認識しており、自分で間違いを見直すという発想ができないっぽい)ので、宿題で復習してもらうというコマンドが実質封鎖された状態。
「数学が苦手な子なんだな!」と責任感に燃えて図書館で指導マニュアルの本を借りたりして、なるべく平易な言葉を使う、シンプルに区切った指示を出す、一工程ずつ一緒にやって次は自力で反復練習させる……とか色々頑張って指導してた。
学校のテストの結果が期を追うごとに悪くなっていっても、次はできるよ!よく頑張ったね!って励ましていたし、自分自身もっとわかりやすく教えられるように工夫して宿題プリントとか用意してた。
無理!!!!!無理ですわこれは
もうなんか…賽の河原の石積みやってる気分だもん。いつまでも手ごたえが返ってこない。
どれだけ丁寧に数カ月教えたとしても、今日の1回はまた「底辺ってなんだろう、角ってなんだろう」の定義から始めなきゃいけない。たすけて……
流石に上司にも相談したけど、そのうち「アッ…」っていう顔になって見て見ぬフリをするようになってしまった。
成績がめちゃめちゃ下がってても何も言われん。総スルー。
いや、そりゃでもそうするしかないというか、ご家庭に対して「お宅のお子さんは発達障害だと思いますのでうちでは手に余ります」とは言えないんだろうけど、”そういうもの”として直視せず扱い続けるしかないんだろうけど…。
あとね、非常に人間として恥ずかしいことですが赤裸々に書かせていただくと、
物凄いストレスが溜まるんだよ。もう目の前にいる子どもがだんだん憎らしくなってくる。
何も知らない頃は「例え発達障害の子だったとしても地道に対話していけばわかりあえる!」と思ってたけど、それは『対話』が成立する場合なんだよね。
自分の言葉を何一つ覚えていなかったり、投げた言葉にとんちんかんな答えを返したままぬぼーーっと椅子に座っている子どもを見ていると、もう優しく教えるべき「知識が足りない、発達途上の子ども」ではなく、「いくら話しかけても自分と目を合わせようとしない、憎らしい子ども」になってくるんだよ。ずっとずっと見ていると。
アルバイトの自分でさえこうなのだから親御さんとか、担任の先生とか、この虚無に常時相対しなければならない人のことを考えるとマジで腹の底が冷たくなる。恐ろしい。
俺の尊敬していた人、売れないwebライターになりがちなんですよ
そういえば○○さんっていたな、輝いてたな、名前検索したら出てくんじゃねえか?
webライターってのも俺がなりたくてなれないでいる職業ではあるので、別に尊敬は継続するし、誰にだって下積みはあるから一生売れないままってことはない可能性が結構あるし、すげえなあとは思うんだ
一方で、あんだけ輝いてた人でもこんな感じになんの?!という驚きというか、衝撃もある
華のある人で、賢くて、人格も優れており、マジで"上"の人間じゃん……と思っていた人が、うさんくせえ、妙に絵文字なんかを多用した、いかにも新人webライターですって感じの文体で、毒にも薬にもならねえようなことを書いて、うすい反応を得ている
それってなんなんだよ
そんなもんじゃないはずじゃん
なんなんだよ
You deserve better! Much better!
どうでもいいけど俺はdeserveって単語がかなり好きです ホントにどうでもいいな
でもさあ、そういうさあ、ホントにどうでもいいような存在にさあ、俺の尊敬していた人がさあ、たとえ一時的にでも身を落としてるってのが耐えられん
もっと輝いていてくれよ
世界って結局運なんだなって思うじゃん
じゃあ仕方ねえなあ……ってなんじゃん
もっとこう、ヤベー!スゲー!流石やなあ!!ってさあ、そういう気持ちに
そういう気持ちにさせて欲しいんですよね
webライターでいうなら、デイリーポータルZのライターになってるとか、フォロワーが1万人いるとか、そのくらいは欲しいねん
本当に頼む
でもそれはそれで、みっともなく嫉妬したりするんだろうな俺は
正直いまも、カッコよかった人がショボいことやってんの見てちょっと嬉しくなってる側面はあるもんな
側面はある、っていうか、むしろそっちのほうが大きいかもしれない
いやでも、やっぱ輝いていてほしいってのも本心ですよお
どうなんだ俺は
どうだと思います?
輝いていて欲しいのでしょうか
真実は力
真実を知らない人は「オミクロン」という単語を「ミ」でイントネーション上げて発音している
「オミクロン」という単語を、昔のロボットのように、イントネーションつけずに発音すれば別の世界が見えてくる
やるかどうか
信じるか信じないかは別
まずは発音を
数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームにはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生の新刊(非BL)を買うために温存中。
ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL」作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BLの定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的にハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。
世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公の天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。
ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人なツクヨミに天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。
これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主と蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。
特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。
事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトルの単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。
文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品にちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。
エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタとスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。
しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品がシーモアで無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルがシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍派Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずにはいられない。
16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品。サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代の現代的な話だから、幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。
普通に現代ものなのでビビった。登場人物がちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字の字形にやたら拘るところはいつもの長野先生だけれども。
こんな短い文章でボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒と風景描写が死んでいないとは。熟練のプロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイト・フジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。
ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生。訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。
猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当のカガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父の桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。
そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイ『コマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから約一年間の記録。
だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。
長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール(死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかいう単語が長野作品に登場するとは、その事自体が萌え萌えしい。
だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物はカロリーが高くしかも健康に悪いという現実をビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーのことなんて! 普段は現実離れした作風なのになんでそこだけリアルでシビアなのか謎。極力カロリーと塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材を調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブるしか……。
昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。
難易度高過ぎロハス暮らし描写に勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。
そりゃウマ娘なんてメディアで取り上げられるとはいえオタク層でしか流行ってないわけで、本人が興味を持たないのは仕方ない。覚え違いも仕方ないだろうと思う。
あまりにも読み方が違うので「それ『うまむすめ』らしいですよ」と指摘され、「なるほどね、『むすめ』なんだ!」と本人も驚いていたが、その数分後には「ウマコ」に戻っていたし、先月久しぶりにアニメ・ゲームの話題が出たときも「例えばウマコとかね」と相変わらずの調子であった。
ちなみにこの知人、ウマに限らず別の単語や人名、社名などでもそのような事が度々ある。
増田は覚え違いをしていると、たとえそれが全く興味のないものであったとしても声に出す(出していた)ことが恥ずかしくなる。
スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。
それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である。
しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか?
ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、
実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である。
いったい誰がこんな訳にしたのか?
遡ってみると、1923年の第一回全日本スキー選手権大会では、
「スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。
http://www.ski-japan.or.jp/3786/
第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
http://www.ski-japan.or.jp/3791/
おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。
その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。
当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。
スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢がクリスチアニアスウイングであるとかテレマークスウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用不使用と云うふようなことには全然無關係である。
其スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である。
クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニア・スラローム、テレマーク・スラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。
注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。
「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。
上記の文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」は区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。
それで後から「スラローム」の訳語を「回転」と決めたとは考えづらい。
単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、
「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」
それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、
(「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)
さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って
もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。
また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、
今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、
まるで「スラローム」の訳語が「回転」であるかのようになってしまった、
言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、