はてなキーワード: スプライトとは
ZXスペクトラムとかなつかーしーなーおい。
まぁ当時ですら、VRAMに立てられたビットがどうやってブラウン管電子銃のスキャン時に特定の場所を光らせるのか、ましてやキャラクタジェネレータやスプライトのハード的仕組みを理解している人なんか殆どいなかったし、そういうのを疑問に思って勉強したくても、今よりもコストが高かったと思う。ネットのおかげで遙かに当時にくらべて技術情報はアクセスしやすくなったしなぁ。
今はHDMIインタフェースと液晶が全盛の時代になってしまったが、暴論すれば電荷を読み取って信号としておくって電極をはさんで人間の網膜に届ける光をコントロールするという意味では昔のブラウン管も液晶もプラズマも変わらんじゃんとも思う。
まず、コンピュータゲームがほとんど巷に存在しない時代にPongが登場すれば、そりゃみんなゲームにワクワクしたはず
アメリカにアーケードゲーム筐体だってそのものがない時代なんだから
だからスティーブ・ウォズニアックだってApple IだのIIだのでPongの実装はやっていたはず
それもスティーブ・ジョブズは売りにしてたはずだ
Pongが動作すると、次はブロック崩し(Breakout)が作れる
プログラミングのコツの一つは他人のプログラムを改変することだ
Pongが動くなら、そこからドットやドットの塊をVRAMに描画することは可能だと気付くだろう
でも、単なる壁打ちや対戦ゲームだったPongのゲーム性を大きく変えることになる
日本のゲーム企業タイトーは、このブロック崩しをインベーダーゲームに「再々」発明した
これも実現可能であることは誰でも分かるが、ゲーム性を大きく変えることはある種の発明だと思う
ちなみに、孫正義はタイムマシン商法が得意で、このインベーダーゲームをアメリカに輸出し大儲けした
相変わらず、左から右、右から左に他人のものを移動して儲けるのが上手い(いや、本心から褒めてるんですよ
インベーダーゲームでは、ブロックは上から段々と降りてくることになる
また、ブロックが左右に動く、UFOは高速に動く、手前のバリケードがありドット単位で破壊される
プログラミングのコツの一つである、他人のコードを改造する、は本当に素晴らしい再発明を起こしてくれる
Pong → ブロック崩し → インベーダーゲーム → ギャラクシアン → ゼビウス → グラディウス → 斑鳩だの東方だの弾幕避けだの何だの
に繋がっていくわけだが、
この矢印での「パラダイムシフト」の段差が高いほど、ゲームに対するワクワク感が増すと自分は考える
つまり、ギャラクシアンのようなグラフィックからゼビウスが登場したときは、
安っぽい言葉で形容するなら一大センセーションというかエポックメイキングという感じだったわけだ
しかし、今の時代、2Dシューターにそんなにワクワクはあるだろうか?
というか、マニアでない奴が口を挟むな、と言うぐらいタコツボ化しているように思うのだが、
寧ろ、様式美とかお約束が守られてることがプレイヤーの安堵感につながる
2Dシューターができれば3Dシューターが作れるのも自明である
ただ、マシンのグラフィクスの能力が低かった時代にはリアルタイムでの3次元CGの実現が難しく、
アメリカではベクタースキャン、つまりオシロスコープやブラウン管テレビの走査線方式が主流だった時期もあったが、
アメリカではワイヤーフレームの3Dゲームが実現していた時代、日本はファミコンに向かっていた
自分にはハードウェアによるスプライトに固執し、束縛され過ぎているかのように今からすると思える
一方、ファミコンのスプライトの数はMSXと比べると段違いであったが、
ファミコンは2Dスプライトベースのゲームだけを前提としていた
つまり、ファミコンでブレゼンハムのアルゴリズムによる直線を引くとか困難だったのではないだろうか
自分はファミコンの開発はよく知らないのだが、ファミコン版のテグザーは酷すぎると思った
MSXの方がファミコンよりもトータルのグラフィック性能が劣るにも関わらず、
こうやってだらだら書き連ねてみると、
つくづくワクワクするのは何だってアーリーアダプターの段階であって、
そのあと結婚だって何だって倦怠期?ワクワクが減少する時期がやってくるのである
何もない状況にパラダイムシフトを起こす何かがやってくるとワクワクするのであるならば、
乳児はこの世界の何もかもにものすごくワクワクしていると思われる
乳児でなくなると、この世界の変化しないものは常識として脳に定着して、つまらないものにさえなる
でも、若ければまだまだ体験していないことはあるわけだ
若ければギャラクシアン → ゼビウスがどれだけスゴかったかなんて知らんし、俺も知らんw
でも、ギャラクシアンより先にゼビウス見た世代だけど、凄いなあとは思ったんだよな
だって、自分の場合はギャラクシアンを飛び越えてゼビウスだったんだから
逆にギャラクシアンの方を後から知って、古臭いゲームだなー、レトロだなーと思ったんだから
(ただ、ギャラクシアンの曲線的な軌道はゼビウスなんかより凄い発明に思うんだが。整数演算なんだよね?
ただ、レトロレトロとバカにする人はプログラマーでないとかなんだろうけど、
ゼロからコード書くって、何もないところから作ることを考えさせられるわけで、
それはゲームのプログラムを書くならば、ゲームの基本のPongから考えさせられることになる
例えば、ゲームプログラムを書くときSDLとかSFMLみたいなライブラリは使うかもしれないけど、
自分も何か新しいゲーム開発のライブラリとかフレームワークとか検証するときは、
から始めて、次に倉庫番、簡単なブロック崩し、テトリスを実装するとかやることにしている
そこで開発の大まかな進行とかフレームレートとか、色々分かってくるわけだ
ジョン・カーマックがどこで語ってたのか忘れたけど、最近のFPSは完全にMOD開発になっていて、
そのMOD開発の費用はどんどん膨らんでいっていると言ってた気がする
つまり、レベルエディットとかキャラクターだアイテムだとか、そういうコンテンツの緻密な開発だけが進んでいる気がする
GTAみたいなゲームもFPSとかで培った技術の集大成にすぎない
可視領域をどう区切るか?遠くの建物にLODを使うか?インポスターを使うか?とかそういったゲームエンジンの話は、
マシンパワーの向上やUnityなどのゲームエンジンの登場であまり議論する意味がなくなってきている感がある
もっとも、Unityなり導入すれば簡単に作れるという話ではないと思う
思うが、もうゼロからチマチマCのベクトル計算のコードを書く時代ではなくなっているのは確かだろう
カーマックはその高騰するMOD開発をマインクラフトは意図的に安価にしたと言ってた気がする
つまり、マインクラフトであれば子供でもゲームを改造する体験ができるようになる
それはマインクラフトの開発者であるnotchがそういうゲーム開発に対する思想を持っていたからだ
私はnotchはシンプルなものを積み上げるのが好きなように思っている
ただ、jsdo.itだかに投稿していたソフトウェアレンダリングのコードは北欧のメガデモっぽさがあって、
読もう読もうと思って未だに読んでいないことを今思い出した
文章書き直す気がないまま、だらだら書いてみたが、読み返して自己分析するに、
まず、ゲーム開発でなくてもそうだが、
まず何かがあって、それをコピー改造した何かが生まれる、この連続で物事は進化していく
手塚治虫があって、それを高橋留美子がコピー改造して新しい漫画が生まれ、
次に若い漫画は高橋留美子の漫画をコピー改造して、また新しいものが生まれていく
開発する側も消費者もワクワクするのは、この改造して新しい何かが生まれる、守破離の離のインパクトであろう
黎明期はその離のインパクトが大きいが、どんどんそのインパクトは小さくなっていく
そして、ありふれたものが溢れるようになっていく
これが成熟期と言える
しかし、その成熟期に溢れるものは様式美であり、お約束であり、マンネリズムである
あの時代は3DOが先行したがコケたり、ドリキャスも登場してコケたり、面白い時代だったのである
ただ、今の時代にああいう群雄割拠というか、戦国時代というか、そういう活気がゲーム業界にあるようには思えない
VR元年って毎年言ってない?というツッコミは分からんでもないが、まだまだVRは伸びると思う
物体を触れないなんてのはまだまだVR市場が伸びる余地があるということだと思っている
あと、FPSみたいに走るゲームだと自分も走るのか?ということになるけど、うーん、ルームランナー方式はなあ…
あと、これも自分は専門でも何でもないので、
というか、この文章自体がダニング=クルーガーなのは認めざるを得ないわけだけど、
敵というかNPCというか、今の時代だったら高度な汎用性のある人工知能をゲームでも実現するべきだと思うわけで、
そうすれば当然、同じセリフを延々と喋るドラクエの村人みたいなのは笑い話にしかならなくなる
ゲーム内に高度な人工知能が実現すれば、それらと会話したり、それらとマルチプレイと同様の感覚の連携プレイが可能になる
今までと同じことを繰り返しててもワクワクしないし、
昔カナダのエドモントンで短期のホームステイをしたことがあったんだけど、お世話になったホストファミリーの家にこれとコーラが常備されていた。両方缶のやつ。
コーラがそこまで好きではないので専らスプライトを頂いていたんだけど、これが信じられないくらい美味しかった。こんなに美味しい炭酸飲料を何故今まで飲まなかったんだろうと思った。
しかし、不思議なことに帰国後日本でスプライトを買って飲んでもあまり美味しいと思えなかった。不味くはないんだけど特別美味しいとも感じない。
追記:指摘されたので調べてみたら国によって味が違うらしい。不勉強で申し訳ない。どっちみち取り寄せるなり現地にカチコミするなりしないとあれは飲めないのか…
不正乗車の話を見て、ふとアメリカの電車に乗った時の話を思い出したので書く。
それほど昔の話でもないし、今でも何も変わっていないと思う。
アメリカには観光でいたわけではなくて、とある地方都市に在住して仕事をしていた。
ちなみに都市圏全体で何百万人も人が住んでいる全米有数の都市である。
車社会であるから、鉄道の路線網は世界一の鉄道大国である日本とは雲泥の差であるが、一応その都市では主要な路線となっている電車に乗って通勤してみたことがあった。
駅に行ってみて驚いたのは、駅員どころか、改札も何もないことである。
券売機は、恐ろしく頑丈そうな鉄の箱で、なんと料金は一律で「一日乗り放題」「半日乗り放題」「7日間乗り放題」みたいなものしかない。
電車が来て乗りこむ。車両は海外で製造されたものだということでなかなか立派である。
日中でもあり、治安の悪さも感じなかった。乗っているのは案外普通の人ばかりである。
そうこうしているうちに電車は目的地に滑り込み、下車をするのだが、この流れでお分かりいただけるだろうか?
アメリカでは、ぷらっと駅へ行って、お金を払わずに乗って、降りてなんてことも当たり前のようにできるのである。
では、どうやって不正乗車を防ぐのか?
何度か乗っていて分かったのだが、稀に駅で非常に体格のいい黒人の男性や女性が制服で乗ってくることがある。
すると、彼らはいきなり連結部の扉の前に立ち、まるで囚人を検査する看守のような態度で誰も逃げられない態勢を作るのである。
何も悪いことをしていないのに、恐ろしい気分になってくる。
ある時は、彼らが乗り込むのを察知して、男がダッシュで間一髪電車から降りたのを見かけた。
また、勘のいい方なら気付いたであろうが、一日乗り放題券なのだから、切符を他人に譲ってもらえばそのまま使うことができる。
ある時は、降り立った駅で浮浪者に声を掛けられ、切符を恵んでくれと頼まれた。
勿論、心優しいわたくしめは不正乗車に手を貸し、喜んで切符を差し上げた。
始発の駅は、少し立派でより巨大な駐車場と、簡素な建物があった。
建物の中には自動販売機があったのだが驚いたことに、黒い鉄格子の中に自動販売機が入っていた。
お金を入れる場所や、商品を選ぶボタンや、飲み物の取り出し口に隙間があり用を足すことになっている。
駅から少し離れた駐車場の周囲には、得体のしれないその日暮らしのような人たちが常にたむろしていてとても夜は訪れることができる場所ではないなと思った。
そういったわけで、これはまさにカルチャーショックであった。
不正乗車を防ぐ地道な取り組みを含む小さな改善を積み重ねて、今の日本の当たり前が当たり前になっているのだなあと思う次第であります。
FM TOWNS が発売された当時は、なんて魅力的なハードウェアを作る会社なんだろうって
当時としては画期的な1677万色中256色発色機能やPCM音源を標準搭載し、強力なグラフィック機能やオーディオ機能を誇っていた。
また、当時の家庭用ゲーム機では一般的なスプライト機能も搭載されており、ゲーム用プラットフォームとしても当時の人気機種だったシャープのX68000に劣らぬ能力を持っていた。
全ユーザが386以上を使用していることを前提にできること、DOSエクステンダを標準としたことから、当時は32ビット機でもリアルモードで単なる高速な16ビット機として使われていることが多かった他機種と比べ、TOWNSではほとんどのアプリケーションが32ビットプロテクトモードを利用していたため、動作速度やメモリ使用効率での大きなアドバンテージが有った
https://anond.hatelabo.jp/20171007091304 < 「2016年に連載開始して打ち切られたレッドスプライトと同類の設定ご開チン漫画やなぁ、お話作る気ゼロやなぁ…」って思ってたら「昨今のジャンプ作品より好きですね」ってコメントを見つけて憤死。
いやいや、あんた今のジャンプ読んでないやろ。
この漫画については最初から設定ばっかりひけらかそうとする漫画なんざジャンプなら19週未満で打ち切り、よく極北的な扱い受けるアフタとか他の雑誌でもこのタイプは通じないんで。
※BLAME!ばりのジャンプじゃ絶対無理だけど漫画としての魅力と個性を放ってるならともかく、「あぁCLAYMOREのフォロワーね…」と即座に脳が判定するレベルじゃ余所に行っても…
まぁ去年はワールドトリガーが休載に入った瞬間から暫く読むのが少なかったのは確か。
しかし今は弾が揃いつつあって「こいつ完全に駄目だわ、もうすぐ打ち切りやろ」ってのが2個、
「所々良さそうだけど俺の趣味には合わんわ…でも多分続くんやろな…」ってなるのがその時の話や読む人によって異なるけど大体5、6個ぐらい。
残りは10個はまずは「読める」上に、これも人によってだけど大体2,3個は積極的に追いかけるだけの面白さを持ってる。
引き延ばし連載陣が減ってかなり面白いよ今は。
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