はてなキーワード: イスラム系とは
トランスジェンダーの話になってくると、中間層みたいなのが出てくる
TERFのみなさんは被害者的な側面ももってるので、一概にカスとは切り捨てづらい
リベラルのみなさんの中でもバトルが生じたりする
ポリティカル-コレクトネス-リベラリズムの運動家にも、本音ではトランスジェンダー問題に言及したくない人は多い。
弱者男性とかならそんなの弱者じゃねーと一蹴できるけど、本当の弱者が関わってくる問題でも運動家が苦手な分野がある。
確かに大きな被害を受けている弱者だが、その人達の被害を強調すればするほど、従来の運動で絶対的犠牲者として定義してきた別の弱者に飛び火する危険が出てくる。
そのような複雑すぎる問題に深入りしてパンドラの箱を開けたくない・・・。
絶対的犠牲者が実は常に犠牲者となるばかりではありませんでした。加害者になることもありました。それを公認してしまえばいろいろな前提が崩れ、つけ入られる。
アジア系アメリカ人のことをどうすればよいかも本当に苦慮してる。
従来は黒人を白人至上主義に攻撃される絶対的犠牲者として定義してきたのに、アジア系に注目したら黒人が加害者側になる暴行事件まで扱わなきゃいけなくなる。
白人から差別されているのに白人よりも地位が高い有色人種というのも意味が分からない。
パレスチナ人についても苦慮してる。
EUはユダヤ人を絶対的な犠牲者と扱ってきたし、反ユダヤ主義者を絶対悪として排除したい。
だのにユダヤ人が建国したイスラエルがパレスチナを空爆するせいで、パレスチナ人やそれに共感するイスラム系の人が反ユダヤ運動に加わってしまうことがある。
確かに空爆の被害者ではあるけど反ユダヤは止めさせなきゃいけない。
板挟みだよ。
長く続く家族介護でヤングケアラーの子供時代や進路が犠牲になることはあるけど、あまりにもその介護を苦痛の根源として強調しすぎると、要介護者の介護が悪いもののように認識されてしまう。
優生思想を否定しなければならないのに、ヤングケアラーに肩入れするあまり要介護者のことを厄介者のように扱って、逆に優生思想が助長されたら困る。
実際のところどこから始まるのだろう。日本はひどいけど他のアジア諸国は同じくらいか日本以上に深刻だ。韓国、台湾、シンガポールなんて出生率だけ見るとほぼ未来はない。日韓台まとめて中華に吸収されてしまうのだろうか。とはいえ中国も都心部は日本より少子化だったりするからよくわからない。中国の場合いざとなれば強権を発動出来るし、あれだけ大きいと逆に数の帳尻も合わせられたりするのではないかと思い日本の未来が不安になる。
インドネシア、フィリピンなどの東南アジア諸国あたりがそんなに豊かでもない分国として長生きできるのだろうか。
ヨーロッパの方はドイツ、イタリア、オーストリア、スペイン、スイスあたりの出生率は70年代以降日本と同じような挙動を辿っている。東欧も同様。
少子化問題になると必ず出てくる大正義のフランス、スウェーデンなどは確かに高い出生率を維持してきたけれど、他の欧州諸国よりもイスラム系の割合が高い。同じみの移民が出生率を押し上げているという理屈も実際のところはそれほどでもないらしいから、これらの国は移民が多いがうまくいっていると考えていいのだろうか?
日本よりましな国はいくつかあるのだが欧州も厳しそうなイメージがある。それに未だに高出生率のアフリカ諸国に欧州はこれからどう対応するのだろう。
しかし、正義感あふれる人々が目を逸らすとある興味深い事実が存在する。
それは、現実には「ロリコンよりも親からの加害の方が多い」という有名な事実だ。
最近のロリコン・小児性愛者論争はこのことが無視されがちではないかと思う。
アメリカ白人が「イスラム系のテロを許すな!」とイスラム系をいじめてたら、実際の国内テロは白人の方が圧倒的に多かった、みたいな話ですな。
家族を守りたいという動機であろうと、普通このアメリカ白人は「差別主義者」扱いされますよね。同じ話なんです。
テロは許しがたい。
しかし実際にテロを起こしているのは違う人物かもしれないのです。冷静になりましょう。
口で何言おうが現実に手を出さないロリコンより、「何も言わないけど現実に手を出す親」の方が悪い事は当然わかりますよね?
ロリコン・小児性愛者というだけで差別していいなら、「親」を理由に差別するほうがはるかに合理的になってしまう。
差別、よくない。
そもそも、小児性愛者は「子供への加害(性行為)」を認めろなんて要求は、していない。
していても極一部だ。それを全体の主張とすりかえるのは、当然詭弁です。
もちろん例のラブドールのツイート主だってそんなことは言っていない。
「現実の子供に手を出す前に」という発言が危うかったのはわかるが、これは言葉のチョイスが悪かっただけ、単なるミスの話だろう。
このツイートを糾弾していた例のnoteの表現に従うならば、あれは「社会的な責任を意識しているからこそ」出てきた一文でしかない。
逆に責任を意識していなかったら、そもそも出てくるはずがない発言だ。
「現実の子供に手を出すのもいいけど、ラブドールもいいよ!」だったならともかく。
犯罪を抑止する発言だったことはまるっと無視して無理やり悪意を見出す行為は、どう考えてもフェアじゃない。
加えて例のnoteが醜悪だったのは、「法律に関する嘘までついて」いる点だ。
法律の嘘については別の増田が解説している。 https://anond.hatelabo.jp/20200901160242
「自分の主張を通すためなら、法律に関わる嘘をついても構わない」という思想の人間が言う事を、あなた簡単に信じるんですか?
それ普通に考え直したほうがいいですよ。
そもそも「小児性愛者が現実で思いを遂げる」という「抽象的で曖昧な表現」をわざと使っていることからして、読者を煽る気満々だ。
文脈を限定しているようでいて、「性行為をしたら」などと直接言及しないのが実に卑怯でいやらしい。
小児性愛者だろうと博愛主義者だろうと、個人の「思い」なんて千差万別なのに、「小児性愛者が思いを遂げたら、即犯罪(これすら嘘)」だそうである。
あのnoteは「小児性愛者の思いはすべて犯罪に関わることだ」、とすり替えている。
実際には、「現実には手を出したくない」という思いの方が強く、大多数なのに。(もしそうじゃなかったら、日本は世界一の性犯罪大国である)
どれだけ悪意がつめこまれてるねん。
また、「小児性加害に関する話題はツイッターの規約で禁止」としつこく書いているが、本当に小児型のラブドールの話=小児性加害の話だろうか?
そうであるならば、元ツイートに関して言及することだって十分「小児性加害に関する話題」だと思うのだが、それはいいのか?
堂々と正論を述べているようでいて、実態は「自分に都合のいい線を引きまくり」の文章でしかない。
こんな不誠実なnoteに煽られる前に、皆さんには一旦冷静になることをおすすめする。
「ロリコンがネットで何かを言うこと」にフォーカスがずれているように感じるのだが、それ、なんか解決になるの?
現実の児童への性加害を放置するより、「ラブドールで欲望を発散することによって現実の児童に対する性的欲求を抑えることができる」ことを啓蒙する方が、まだ有意義じゃないだろうか。
さらに一部では小児性愛者が「子供への加害(性行為)」を要求しているかのように誘導していますが、それは普通に差別扇動です。
間違った認識を元にイスラムへの差別を煽ることとまったく同じです。
それでも、「ロリコン・小児性愛者が内心の自由を表明するのは許しがたい」と思う人がいるかもしれない。
しかし、「二次元児童ポルノが許されてて世界中から糾弾されているが、児童への性加害は各国より少ない日本」と、
「フィクション上での児童ポルノは厳しく取り締まられているが、現実の児童への性加害は日本の何倍もある国」のどちらがマシか。
もちろん「フィクションを取り上げられたら予備軍共が現実で犯罪を犯しまくる」などと言うつもりはない。
しかし、「それが根本的な解決にならない」ことは諸外国を見れば一目瞭然なのだ。
現状、児童への性加害の総数は減少し続けている。
素人の感覚で「これをやれば劇的に児童への性加害を減らせる!」なんて魔法は、あるわけがないのですよ。
差別は、それを阻害する。
ここ1、2年くらい、中田考というイスラム系の知識人を観察していた。
この人はイスラム国に北大の学生を送り込もうとして、公安の調査を受けたことで知られる、めちゃくちゃ怪しい人だ。
また、内田樹などリベラル系の知識人と交流があり、共著も出しているので、そこそこ知名度はあるだろう。
よくわからない謎の人物だと感じたので、その正体がつかめるまで、観察していたのである。
この人は「カリフ制こそが世界を救う」というようなことを言い出し、盛んに主張している。(実際のキャッチフレーズは「カリフ制再興しかない」)
カリフ制とは、イスラム教を中心とした統治体制で、カリフとは、法王のような存在であるようだ。
宗教の権威によって、イスラム教の信者を束ね、それによって国を作る制度だということなのだろう。
特定の宗教による政治制度が世界を救うとは思えないが、中田考はそれができると主張している。
カリフ制になれば国境がなくなり、人が自由に移動でき、制限なく楽しく暮らせる、というのだ。
それだけを聞けばいい話のように感じるし、リベラル系の知識人が中田考に好意的なのは、そのせいなのだろう。
しかし実際には、カリフ制の下では、イスラム教徒が上級国民になり、異教徒は下級国民として扱われるようになる。
異教徒は余分に税金を払うか、改宗するかを迫られ、どちらも受け入れないと、カリフ制の領域から追い出されることになる。
そんなイスラム最優先主義なのがカリフ制であり、まったく公平ではなく、とても世界を救うとは思えない代物である。
中田考はイスラム教徒だからそれでかまわないのだろうけど、そうでない私のような人間にとっては害悪でしかない。
にも関わらず、中田考はリベラル受けがいいように、カリフ制はヒューマニティーあふれる制度です、などと主張し、ごまかしを図っている。
オウム真理教の時もそうだったけど、リベラル系の知識人は宗教に対して妙に脇が甘く、世に押し出してはいけないタイプの人間を、押し出そうとする傾向にあるように思える。
これは彼らが宗教を軽視し、さほどの見識を持っておらず、危険性を認識していないからなのかもしれない。
イスラム教の聖典であるコーランには、異教徒は殺害せよ、と書かれていたりして、すごく危ない面があるのに、それについては触れようともしない。
そうすると「イスラムフォビア(恐怖症)だ!」と糾弾されるようなので、それを警戒しているのかもしれない。
ちなみに、中田考はそんなリベラルの傾向を利用しているのに、よくリベラル批判はしている。
この人はとにかく西洋的な価値観を嫌っており、ことあるごとに攻撃している。
このため、リベラル系の知識人と仲良くしつつも、攻撃するのはやめられないようだ。
そんな中田考がどうして日本で活動しているのかというと、日本ではどんな主張をしても、それだけでは投獄されたり処刑されることがなく、安全に活動できるから、であるらしい。
日本という国がもたらす自由を用い、日本にとってなんら利益がなさそうな活動をしているわけだ。
利益がないだけなら別にいいのだけど、彼の活動によって日本でもイスラム教徒が増え、そのうち過激化し、テロでも起こすようになったら目もあてられない。
中田考はイスラム国に共感するような人間なので、彼の影響力が増すと、いずれオウム事件のような騒乱が引き起こされる可能性がある。
中田考には、麻原彰晃のような組織力や、暴力性はないようだが、彼の後を受けて登場する人間が、そういうことをしないとは限らない。
ゆえに、こういった動きには警戒が必要だし、公安にはしっかりと仕事をしてもらいたいと思う次第だ。
銭湯に入っていて、背中いっぱいに入れ墨の人が来たら怖いわけですよ。入れ墨が怖いわけじゃなくて、入れ墨=やくざ。やくざ=怖いという構図から生み出されるわけですよ。
やくざ=怖い。やくざは怖いと思ってなんぼだと思います。やくざが怖いと思うようになったのは、生まれてからどの局面かは分かりませんが、ドラマなり映画なりやくざに関するニュースからそう思い込んでいるのです。
これは珍しいことではないと思います。
入れ墨=やくざではないかもしれませんが、大学の近所には某やくざの総本山があるので、どうもそちらとリンクしてしまうのです。
大学に行くにバスに乗っていると、隣に留学生か外人の先生が座ってくることがあります。白人やアジア系やイスラム系だとなんとも思いませんが、なぜか黒人が座ってくると、あぁ黒人が座ってくると思うわけです。
この認識がどこから来たか分からないのです。大学に入るまで、黒人とリアルに会うことはまずなく、海外サッカーの中継ぐらいでしか見ることはなかったわけです。親から黒人は注意しろと言われたわけではありません。
とくに日本では黒人が暴力を振るったような事件が起きているわけではありません。うちの大学に来るぐらいだから結構なエリートなんでしょうから、そんな心配はないと思っています。
24とかそっちの種のドラマを見ると、テロリスト=イスラム系みたいな感じでインプットされていきますが、この黒人に対する変な感情はどこから来ているのでしょうか。そしていつインプットされたのか分かりません。
ネトウト系の記事ばかり見ていると、韓国人は○○みたな思想になりやすいかもしれませんが、黒人の場合はどこから来ているの分かりません。どうも僕には、白人と黒人を単に自分とは違う人種としての認識以上の差があるのです。
差別反対を見ながら、ところでこの差別はどこから来ているのかなと思ったりします。日本人の話をすると黄色人種はいったい、差別する白人や黒人から見て生まれてどの時に下の人種と見るように思い始めるのでしょうか。別にDNAにインプットされているわけではないと思います。