2017年12月22日の日記

2017-12-22

anond:20171222220037

ブラウザにもよるけど、フォントサイズ-90%や+133%の時は正常なバランスになったりする

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から、「ハラスメントされてでも男にかまわれたい」ってブスがいるのかどうか知りたいんじゃないの?元増田は。

いくらブスでもそんな人いるはずない」と言い切れるのかどうか。

ちなみに俺はハラスメントされてでも女にかまわれたいブ男ですが。

熟女なら最高だが年下でももちろんウエルカム

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どこをどう読んだらその理解になるのだろう

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いや、男性女性を訴えるケースもあるでしょ。

というか、同性同士でもあり得ない事じゃない。

しかも「原罪を負ってもらう」って、どういう事?

今後日本人口が壊滅状態になったとして、

積極的アプローチしなかった女性を責め立てるって事かな。

それは流石に酷いでしょ。

過去価値観測する今によって決まる

これ豆な。

今気分が良ければ嫌な思い出がフラッシュバックしても「でもあの時の苦しみが今の俺を幸福にしたんだ!」となる。

今気分が悪ければ楽しい思い出に浸っていても「もしあの頃調子に乗らずにコツコツと努力していればあるいは」となる。

今どんな気分でいるかで思い出の印象が全く持って変わる。

これを知っていると人生が少しだけ生きやすくなる。

これ豆な。

ジュースが好き

特に自販機で売っている缶ジュースが好き。それはペットボトルより冷えているから。缶の性質上、中身が冷えやすいのがいい。やっぱりジュースは冷えている方がうまい。あと、缶と言えばロング缶。コンビニでもたまに見るけど、コーラとかペプシとかのロング缶は嬉しい。500mlで100円とか超嬉しい。特にペプシの青いロング缶は綺麗だし好き。そしてコーラペプシが好き。コーラよりさっぱりした感があるから

メイラックス久々に飲んだらさ!

今日すっげえ調子良かった。ここのところ信じられないレベル退陣がやばかったのに普通の人みたいな落ち着き

ネット上で有名になりたければ私小説を書きなさい

あ? 私小説? どうせ、実生活体験の幅が狭い作家が、どうでもいい身辺雑記を延々と書いた文学のことだろ? くっだらねぇ。

というふうに自分は思っていた。

で、私小説をいくつか読んでみた。

食わず嫌いの先入見は、まちがいだった。

私小説面白い

下手なエンタテインメント小説より、全然面白い

なにが面白いか。

私小説は、主人公馬鹿で、下衆で、これでもか、これでもかというほどに生活がどんどん下降していくさまが、ある種爽快なほど露悪的に書いてあること、

そしてこれが事実であるかもしれないという期待を読者に抱かせながら、虚実入り混ぜて物語が展開されること、

ではないかと思う。

主人公失業して貧困に陥ったり、男女関係で泥沼にはまったり、酔っ払って人に迷惑をかけ、誰から相手にされなくなっていくごとに、読んでいる側としては、変なカタルシスを感じてしまうというか。

で、ネット上で有名になって、お金も欲しいという人は、もっと私小説的な文章を発表してけばいいと思う。

ネット上で炎上してきた(している)話題は、当事者主人公にして、私小説仕立てにしてみると、もっと面白くなりそうなものばかりだ。



ネット上の有名人が、ネット以外でブレイクすることを妨げているのは、彼ら(彼女ら)が、小賢しいことだ。

小賢しいとは、自分の失敗や品性の低さを指摘されると、取り繕ったり、反論したりして、自分を分相応以上に賢く見せようとするということだ。

こうすることにより、彼ら(彼女ら)は、いっそう小者に見えてしまう。

まりコンテンツとしてつまらないものに見えてしまう。

コンテンツとして自分価値を最大化したければ、大正昭和私小説作家のように、あるいは現代西村賢太のように、卑小さを卑小さのままに、破綻破綻のままに描き出し、そのことから生じる業を生きるほうが、じつは戦略としては賢いかもしれないのだ。

私小説は儲からないのだろうか。

では、私小説芥川賞を取った西村賢太の近作を見てみよう。

サッパリ自著は売れないながらも、昨年の彼の税務署への申告額は、小説関連の収入と、作家肩書あっての各種アルバイトで、それでもx千x百万円になっていた。汚ねえ身なりをしているからと云って、そう容易く浮浪者を見る目で眺めて欲しくはないのである

(「芝公園六角堂跡」)




これをフィクションと受け取るかどうかは、読者次第だろう。

炎上芸人炎上芸人のままで終わる必要はない。もっとコンテンツとしてのポテンシャルがある。金銭的に報われる可能性がある。自分人生コンテンツとし続けることの業を生き続けるだけの覚悟があれば。

おすすめ私小説


葛西善藏 『浮浪』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/card3212.html

「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と言い残して主人公東京を出て茨城に行き、知人のつてを頼って旅館に逗留するが、そもそも宿代を持ってきていない。知人が何とか融通してくれるだろうと最初から当て込みながら、居座る。

知人は当然のことながら激昂し、旅館からは宿代をつけにしたまま追い出される。

有り金がないまま次々と宿を変えながら茨城をさまよう話なのだが、最初はちゃんとした旅館だったのに、しだいに宿のグレードが下がっていって、最後ドヤ街の宿のような木賃宿で弟の送金を待ちながら、身につけたものをどんどん質に入れて裸になっていくところが笑える。

嘉村磯多 『途上』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card49655.html

馬鹿不細工貧乏であることに強い劣等感を持っている主人公中学時代を描いた作品。恥ずかしい過去を思い出して悶絶するときのシーンはとくに秀逸。

「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹を抑へた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。

「何を気狂ひの真似をなさるんです。えイ、そんな気狂ひの真似する人わたし大嫌ひ」


私淑していた葛西善藏の気狂いっぷりを書いた『足相撲』もあわせて読みたい

http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card1337.html


西村賢太 『蠕動で渉れ、汚泥の川を』 『(やまいだれ)の歌』

ミハイル・バフチンカーニバル文学と読んだドストエフスキー作品のように、これ以上ないほど気まずく不謹慎破綻の場面を職人的な巧みさで書ききるようになった著者の近年の作品はすべて必読。

anond:20171222232340

高3ならまだ、そういう世界しか体験できてないかもしれないけど

もう少し年取って行動範囲が広がると、努力しなくてもまあ大丈夫世界もあるよ

元増田がここに辿り着けるように、祈りながら待ってる

半額の天ぷら野菜系)と半額の刺身を買って

天ぷら刺身

つゆだけは豪華にあごだしで

米代入れても400円くらい

コスパ最強

ヨッピー評価は適正なものに戻っただけ

元々、そして今も、下ネタ大好きセクハラ野郎だったのを、知らない/忘れていた人がそれを知って/思い出し、今までの評価バブルが軽く弾けただけ

ちょっとオーバーシュートたかもしれないが、すぐに前くらいに戻るだろう。

はあちゅうの爆破力により、相対的に印象が霞んでしまったのもあるし、立ち回りも致命的の何歩か手前で済んでいるか

所詮、人の記憶だし、また新たな人も入ってくるし大した傷じゃない

ホットエントリに上がってるレーザー光がこっち向いてる写真

反射的につい目をそむけてしま

もう3回目

自分が間違わないと思っているはあちゅうさん

彼女の中では、「自分が正しい」が絶対なのだろう。

からいろんな人に叩かれ、注意されても、それを認めるわけにはいかないので、脳内で、「いろいろ攻撃される私かわいそう」みんなセクハラ表現の違いわかってないのね」と脳内変換して、悲劇のヒロインになる。

だってそれを認めてしまえば、自分の間違いを認めることになるからだ。

何年もやってきた童貞マウンティングが間違っていたなんて、認めるわけにはいかないからだ。

こういうメンタリティは老齢になった人間によくある。

自分が間違っていたと認めると自分人生いっきに色あせてしまう。

はあちゅうさんは、自分は素晴らしく有意義人生を送っていると思っている。自分は正しく、素晴らしいと思っている。

から絶対他人忠告を聞けない。無意識に、自分を守るために、忠告した人を悪人に仕立て上げる。

今までは腹が立っていたが、もうそんな気持ちもない。

ただただかわいそうな人だ。

NHK総資産が1兆円。純資産が7000億円

余りまくった金で証券買いまくってるらしい。

俺たちなんのために受信料払ってるんだっけ。

anond:20171221225604

見性じゃねえの?

俺もなったぞ。

anond:20171222225345

いや、会話での情報量の違いが発端なんで

たとえばTEDのこの演説

むちゃくちゃ速い

https://www.ted.com/talks/helen_pearson_lessons_from_the_longest_study_on_human_development/

英語圏の人はこの情報量を処理できるってことなんです

日本語だと難しい

クズが生きるということ

クズが生きるということは難しい。

なぜならこの社会では「努力は誰でも出来る」ということになっているからだ。そんなの当たり前だと思ったあなた、ぼくは本当にあなたが羨ましい。この世にはどうあがいても努力が出来ないという人種存在するのだ。

自分語りになってしまうがぼくは現在高校3年生、所謂受験生であるしかし、この時期になっても全く受験勉強をせずにいる。勉強しなくてはいけないことは当然頭では分かっている。だが身体が動かないのだ。

あなたはそれはぼくの甘えだというかもしれない。みんなそれを乗り越えてきたんだと言うかもしれない。だが、ぼくもあなたウサイン・ボルトほど速く走れないし望月教授のようにABC予想証明することも出来ない。どうして努力けが人類共通に備わった能力だとみなされるのか。ぼくはそれが不思議でならない。努力を「しない」のではなく「出来ない」のだ。

もちろん誰かに救済してもらおうだとか努力しなくてもいいようにしろとかそういった意図でこの記事を書いたわけではない。ただ、努力出来ることを前提とした言説が溢れ、努力「出来ない」という悩みを持つことさえも許されていないかのような風潮を目にするたび深い絶望に襲われる。この言い様のない苦しみを共有出来る人がいるかもしれないという一縷の望みにかけて駄文を書きなぐった次第である

クズが生きるということは難しい。

好意ハラスメントの違いについて

ハラスメント認定されるリスクがあるので告白プロポーズリスキー

・ブスでモテない女はセクハラが羨ましいのではないか

今日増田を見てて、正当な恋愛ハラスメントの違いを理解してない投稿が見受けられました。

ここでワサビおむすびで考えてみましょう。

Aさんがワサビで握ったおむすびを持ってきました。具はほんの少しのお米です。Aさんはこれが大好物あなたにも食べて欲しかった。

あなたが食べてみると辛くてとても美味しい。あなたが喜んでくれてAさんも満足です。

以上、これが同等のやりとり。

あなた一口食べてみたものの、辛くて食べられない。「私にはちょっと食べられないのです」と述べると、Aさんも納得しました。

以上も、同等のやりとり。

さて、ハラスメントです。

あなたが辛くて食べられないと断ると、「お前みたいな出来損ないないが食べ物を恵んでもらって文句を言える立場か!さあ食え。食べ物を選り好みするのか、おまえは何様だ??」

ハラスメントはこんな感じっす。

セクハラとかモラハラとかパワハラかいろいろありますが、ハラスメントです。

anond:20171222133035

電動歯ブラシいいよ

タイマー付いてるから確実に磨けるし

手では到達出来ないツルツルな仕上がりになるし

買ってからの1年くらいは見ず知らずの人に配って回りたい衝動を抑えるのに必死だったもん

少女終末旅行が最高すぎたので何が素晴らしいのかを言語化してみる

少女終末旅行は素晴らしい。さっき最終話を見たばかりのワタシからすればこれはもはや自明なのだが、もしかしたら明日朝起きたワタシにとってはそれはもはや説明必要とするような感覚かも知れない。だが、ワタシはこの気持を忘れたくないので、一度言語化してみる。言語化することによって記憶は記録となる。記録を残すと思い出はより高い精度で再生する事が可能になり、明日以降のワタシも少女終末旅行の素晴らしさを忘れないでいることが出来る様になるのだ。話が逸れてきた。興奮しているようだ。落ち着け

落ち着いた。続きをかく。

ここ数話の少女終末旅行を見てワタシの記憶に蘇ったのは2つのアニメだ。1つはけものフレンズ、もう1つはテクノライズ。どちらも素晴らしいアニメだ。片方は滅びた後の優しい世界を描いた作品であり、もう片方は滅びゆく優しくない世界を描いている。少女終末旅行世界は優しくない世界の名残が各所に残る優しい世界だったからこの両者を思い出したのだろう。1つ間違いなく言えるのは、滅びるとは美しいという事だ。そして、滅びていると滅びていくが同居する、滅びかけの世界はとても美しいという事だ。

少女終末旅行世界は滅びているし、滅びかけているし、滅び続けている。そして少女終末旅行世界には世界を滅びから救う道が残されていない。人類世界が滅びることで、別の新しい世界が生まれていると捉える事はできるが、人の世が滅びることはもはや避けられない。世界に残されているのは思い出と、ほんのわずかな人間であり、そこから人類世界が蘇る未来はもはや何処にもない。

滅びている世界の中で、残されているのは人類がかつてそこにいた記録だけだ。だが、それらの記録を人類記憶として再生するための人間がもはやいない。観測者不在の世界において記録はただのデータであり、記憶に書き換わることはない。そこにオッサンやオネーサンや、2人の少女がやってくることで、かつて人類がそこにいた世界を生きる日々の思い出が生まれていく。この世界に人が居たことを証明する事が出来る存在はもはや残り僅かだ。

歯車が、兵器が、工場が、食料が、機械が、記録が、人類がこの世界にいた証拠がこれほどまでに溢れていて、自然を上から覆っているのに人間ほとんど残っていない。矛盾だ。人間の為に存在するもの世界を覆っているのに、人はもうほとんどいない。矛盾ではない。人間の為に存在するものは、人間存在していたことは証明しても、それらを築き上げた人間たちが今もそこにいることはまでは証明しない。


あの世界は屑鉄色だ。しかし、その世界で描かれる物語は暖かく柔らかい。それはそこにいる人間が柔らかいからだ。つくみずデザインの丸顔はとても柔らかい饅頭を頭に乗せたような顔をしている。ちーちゃんはとても柔らかい。ユーもとても柔らかい。2人の関係も柔らかい出会人達もまた柔らかいあの世界はあんなにも固くて冷たそうな物ばかりが溢れているのに、その世界観測する人間が柔らかいからあの世界は柔らかい

屑鉄色の固くて冷たい世界が、それを眺める人間によて柔らかくなっていく。その過程があそこにはある。


少女終末旅行が何故素晴らしいのか。それは夜に見るのに相応しいアニメからであろう。それも週末の夜に見るのにとても素晴らしいアニメだ。週末にやっているという事が素晴らしいのかも知れない。放送時間はとても大事だ。平日の夜に見る深夜アニメは、次の日が平日であるという気持ちから入り込めない。平日への逃避の気持ちから深く入り込めるという意見もあるだろうが、それは入り込み方として濁っているとワタシは考える。これはワタシの個人的意見だ。平日が終わった金曜日の夜に、一週間の仕事の疲れを抱えながらテレビを見る。季節は冬だからもう周りは真っ暗で部屋は少し寒い。だけど心は穏やかだ。膝に載せた電気毛布ほのかな暖かさと柔らかさが肌にしみる。そしてアニメが始まる。人気のない道をケッテンクラートが進む。寒空の下か、暗い工場の中を。少女達が現れる。途端に世界は晴れやかになる。晴れやかなまま穏やかに物語が進み。OP流れる。とても心地よい。そしてCMがやってくる。

物語が再び始まる。冷たい雪景色に轍を残して軍用の半装軌車が進む。少女達が取り留めのない会話をする。雪が鉄を覆う景色灰色と白の二色だ。しかし、その世界がまとう空気は春の並木道を思わせるような暖かさだ。世界は温かい世界は冷たい。硬い。柔らかい矛盾した感覚。滅びゆく世界未来のある少女少女2人の旅。未来のない世界矛盾。心地よい。コタツに入ってアイスを食べるような。心地よい矛盾

物語は進む。世界真相は少しずつ暴かれる。暴かれているようで、暴かれていないようで、暴かれていく。世界の滅びの核心が近づく。世界が滅んでいても、2人の旅が楽しいことが確信に近づく。世界は滅んでいる。間違いない。もう駄目だ。救いはない。2人一緒の度は楽しい。もう疑いの余地はない。救いはある。

滅びの美学少女の愛らしさをラッピングしているのか。少女の柔らかさで破滅の寒さを包んでいるのか。相互作用だ。相互作用しあっている。混ざることのない2つが混ざり合わないからこそ引き立て合う。深夜アニメだ。深夜アニメとはこうあるべきなのだ。言い過ぎている。だが他の言葉表現したくはない。真夜中に起きているような年齢の人間が、子供の見るような絵柄の番組を見る。内容は子供でも分かるような気がするが、大人の方が楽しめるように作られてもいる。難しい話をしているようにも見えるし、幼稚園児向けのおとぎ話みたいにも見える。深夜にやるアニメ特別時間。その特別がこの所は失われてきた。大人向けのおとぎ話、少し背伸びしたい子供のためのカルチャーオタク向け作品オタクでない人間の視聴にも耐えるような作品。本当は誰のものなのか誰にも分からなくて、きっと誰のものでもない。子供寝る時間大人も寝たほうがいい時間にやる番組狭間世界にある狭間テレビ。柔らかくて、冷たい。暖かくて、硬い。心地よい矛盾。その手触り。思い出せた。ワタシが深夜アニメを好きな理由言語化しきれなかったけど、せめて言語化出来た範囲までは記録できたはずだ。何故ならこうして言語化したのだから

とりあえず言いたいこと。ちーちゃんが凄い可愛い。ユーが可愛いのは、ユーがちーちゃん可愛いと思っているからだと思う。相互作用

はあちゅう #MeToo の為にBuzzFeedヨッピー謝罪を何故すべきなのか

はあちゅう氏が謝罪文を削除して声明を発表したので応援するつもりで書く。

はあちゅう @ha_chu

やっぱ気持ちが弱くなってる時になんかやったらダメだわ...。

まりにもわーーっと大量に誹謗中傷がきたから、納得いかないけど、とりあえず謝って済まそうみたいな心境だった。私らしくなかった。

どう考えても表現セクハラは違う。堂々としていなくては。

はあちゅう氏は、「セクハラ」と「表現」は違うというスタンスを取ることを決めた。 これは #MeToo運動を今後も進める為の判断だと思う。

セクハラ」と「表現」は別のものであるという主張自体を堂々と行っていくことを宣言した姿勢を、その是非は別として応援していきたいと増田は思う。(*1)

今回「はあちゅう」さんが宣言した「表現」とは何かをここで考えてみる。

(1)「童貞」とは概念であり、特定の人や集団を指したものではないという考え。

はあちゅう氏も「童貞思考」が大好き等の発言をしていた。

しかしたら「童貞」とは「概念」であり、特定の人や集団を指したものでは無いかもしれない。

ここで、一つの特定の人や集団を指したもの」の例を見ていきたい

童貞ヤリマンを探して夜の六本木に出撃する「ヤリマンクエスト通称ヤリクエプロットを思いついたのですがどなたか漫画化して頂けないでしょうか。ジャンプで連載狙いたいです

https://twitter.com/yoppymodel/status/674736725638295552/


これはどうだろう。「セクハラ」だろうか「表現」だろうか。

この例は有名ライターヨッピー氏のツイートだ。

この場合六本木」そして「ヤリマン」というワードを使うことで、実在する「六本木」の「女性」を指していると考えられる。

よって 「セクハラである証明される。ジャンプで連載が狙いたい位、自信があるようだが、「セクハラ」であればそれは無理だろう。

ただし、「童貞」に関しては「童貞思考」を含む、「概念であるとこの場合はいってもいい。

(2)「被害者」への直接的な言動、行動でないない場合は、「セクハラ」ではないと考えている場合だ。

ここで、二つ目の「「被害者」への直接的な言動」の例を見ていきたい

「だいたいね六本木なんかブラついてる女にロクなやつは居ないんですよ!!六本木歩いてる女なんて全員ヤリマンですから!!」

「え!じゃあアタシもヤリマンなの!?

はい!」

と、好き放題っつーか言いたい放題の僕ではありましたが、

それでもまあ何故か会話が弾みまくりまして。

気付いたら3時間経過!なにそれ!

http://omo-tokusu.jugem.jp/?eid=602

この例は「男の婚活シリーズ第二弾~婚活バーに行こう~」と題し、とある有名サイトメインコンテンツヨッピー氏が「本気で結婚相手を探している31歳のIT系会社員」に対して行った発言である

インターネット上の「嫌ならば見なければ良い」状態で「童貞」と言われて傷ついた人へ行われた発言とは大きく異なる。

身長180cmを超える大男が行ったセクハラ行為と、上下関係を元にしたセクハラ行為は何が違うと言えるのだろうか。

Twitter等で日々繰り返されていたヨッピー氏「ヤリマン発言とは大きく異なる。

真剣結婚を考えていた女性相手に行われたこ行為を、セクハラ行為であるのを否定できる人はいるだろうか。

これは

なんとなくそういった行動を「ロックだぜ!」と思っていたからです。

と弁明し、

僕のTwitter発言からもあります通り自戒するつもりでおります

発言で許されるわけは無い言動で、これを持ちましてBuzzFeedが #Metooの今後のためにも被害者の名乗りを呼びかけ、ヨッピー氏をBuzzFeed上で被害者及び #MeToo 関係者謝罪させるべきだという証明を終わらせていただく。

えっ。この記事何年前の話だって?奇しくも8年前ですよ。(続く)

(*1) 謝罪を取り消した事によって、「童貞」によって傷ついたと主張する人には再び蒸し返すのも自由であるが、セクハラ被害者が仮にセクハラをしていたとしても、セクハラ告発していけないわけではない。

追記、続いた

はあちゅうBuzzFeed #MeToo 議論ヨッピーは何をしたか

https://anond.hatelabo.jp/20171222234919

惚れた子に避けられ、仕事ばかりした5年間

百年の恋とは世間でどういう意味で使われているか知らないが

俺の場合は「百年分の恋愛感情が一気に来てしまった」と言った状況だった

もちろん精神が狂った

古典に見る恋煩いによる死が誇張ではないと理解した

 

そんなの上手く行くわけないのでもちろん最悪な感じで色々潰えたのだが

その後とにかく忘れようと仕事ばかりした

仕事してるときが一番楽だった

月400時間労働してみたり、転職してみたり、フリーになってみたりした

今はフリーで3社目、その傍ら別の仕事をして、オリジナル事業も作ってる

スキルは付いたし、あの時より年収も4倍になった

うそろそろ5年になるだろうか?

たぶん5年だ

数えるのが嫌だ、自分の歩んできた道を振り返りたくない

 

生活は楽になったのに、私の中身は空っぽだった

あと95年、呪いのように続くのかもしれない

どこで何を間違えたのか

今正しいのか

からない

 

いっそもっと仕事ばかりしてみよう

50くらいまで仕事ばかりしてみて、そうしたら何か別のものが見えるのではないか

人間価値観というものは変わりゆくもの

ある日突然、人間のようになった日のように、ストイックを突き詰めれば人間じゃなくなれるかもしれない

仕事は4つ持っている

年末年始仕事で詰まっている、大丈夫

 

確か去年も似たことを書いた気がする

来年もまた書こう

よくわからない理屈

制限速度ピッタリで走る奴がいると渋滞するっていう説。昔からその理屈がよくわからん

制限速度ピッタリに走る後ろの車も制限速度ピッタリで走りそのまた後ろの車も制限速度ピッタリで走れば渋滞はしなさそうだと思うのだが、制限速度ピッタリの車の後ろを走る車の運転手は何故か遠慮してしまって制限速度より少し遅いスピードしか出せない、その後ろの車も少し遅め、そのまた後ろの車も少し遅め……となるので、一番後ろの方に並んだ車は今にも停まりそうなノロノロ運転になるのだという。

しかし、普段運転をしていて後続車が自分の車より遅いスピードで走っているという感じはあまりしない。後続車の多くは車間距離一定のまま着いて来ている様に見える。たまに煽って来るのや異様に遅い車もいるが。

自分だって、前の車に遠慮して必要以上にスピードを落とす事なんてあまりない。

これまでに渋滞の先頭付近を走った事が何度かあったが、そういう時って先頭車両が耕耘機やお年寄り運転する軽トラだったり、事故処理中や工事中だったり、信号が多い道だったりと、何かしら渋滞してしかるべき理由があったものだ。

本当に、ただ制限速度を順守したせいで渋滞になる事ってあるのだろうか?

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