はてなキーワード: 頭が悪いとは
「ちょっと突いてやると顔真っ赤にして煽ってくるんだが、基本的に頭が悪いからこうやってボロを出しまくる」
存在しない自分の理想的な展開を一気にまくしたてることで、勝った気持ちになろうとする自慰行為
「最後は追い詰められて誹謗中傷しかできなくなるおきまりのパターン」
自分の脳みその範疇以上の悪口を言えないので、自分のやったことをそのまま書いてしまうかわいそうな状態
「つまんないから帰っていいよ、君」
これ以上の言い返しが思いつかないので、相手に去ってくれることを期待する悲しい行動
おまえ、かわいそうな奴だな…
オリンピックで金メダルをとった場合とパラリンピックで金メダルをとった場合の
日本は障がい者差別が世界で最もひどい国の一つだと国際的には知られているが、ここまでひどいとは思わなかった…
このことを今朝、ホームステイ先のダディ
(40後半くらい。県庁所在地の名前を冠した地方国立大学を出て従業員3-40人くらいの中小企業で働いてる)に話したら
「パラリンピックは障がいの種別で階級が細かいから」と言い出して噴飯してしまったlol
柔道やボクシングのような階級分けの多い競技についてはバスケのように階級分けのないスポーツより報奨金を減らすべきだし、
競技人口の多寡で判断するのであれば、レスリングのような競技人口の少ない女子スポーツや冬季オリンピックの競技の報奨金も減らすべきであるのに
(この辺りの競技は障がい者のメジャースポーツより競技人口が少ない)
とある高名な環境建築家(YouTubeに動画も上げている)が省エネ建築の経済的・社会福祉的合理性を説明するときに、「ちゃんと計算すれば小学生でもわかる(のに、相応の地位にいる人がいい加減なことを言うのはけしからん)」という言い回しを多用する。
いや、実際のところ、自分にとってそれは余りにも耳慣れたフレーズのため、特に気に留めるほどのものとも思っていなかったのだが、ある動画に「小学生だとか人を馬鹿にするような言い方はやめろ」とクレームがついていて驚いたのだ。
それなりに整った環境で理系教育を受けたものにならわかると思うが、「研究発表は『頭のいい小学生にならわかる』ようにせよ」というのは誰がいつ言い出したかもわからないくらいあまりにもそこら中で聞く言葉で、これを特に何かを見下したとか馬鹿にした言い方だと思う奴はいない。
何故ならば、ここで言う『頭のいい小学生』は『特に専門知識はないが理解力は深い人』を意味するのであり、具体的には『専門分野の違う他ゼミの教授陣』のことを指すからだ。
これが「人を馬鹿にした言い方」だと思う時点で驚き、非アカデミックなキャリアを詰んだ人々との文化の壁をまずは思わざるを得なかったが、よく考えるとこれこそがつまり『理系』という知性の特殊性と汎用性を表す側面なのだと思うに至った。
『小学生』と比較されると、普通の人は怒るらしい。何故か。小学生を劣った存在だと思っているからだ。
この人たちにとって『小学生』と呼ばれることは『頭が悪い』とか『未熟』とかを意味するのだろう。
しかし、理系の認識においてはそんな意味合いはほとんどないと言って良い。
理系は思考力の学問なので、「知識がなくてもわかる奴には説明すればわかる」「わからない奴、考えようとしない奴はどれだけ本を読んでもわからない」という認識が当たり前だからだ。
これらの競技が若いうちに才能を発揮できなければ辛いと言われるように、数学や物理の仕事も若いうちにできなければその後もあまり希望はない。
若さは可能性ではあってもなんら見下す要素ではないのが理系の世界だ。
さらに考えを深めてみよう。
将棋や囲碁は、ルールはシンプルだが組み合わせが複雑で、知識より思考力がいるものだというのは誰にでもわかる。
しかし数学や物理は難しい数式や抽象的な概念を覚えなければいけないから、小学生に難しい問題は理解できないはずだ。と、考える人も多いかも知れない。
だが実のところそれ自体、そんなことはないと証明されているのだ。
チューリングマシンという概念がある。イギリスの数学者アラン・チューリングの考えた計算モデルで、現在のコンピュータの元になっている。
さて、ではなぜチューリングマシンは「コンピュータの元」たりうるのか? 言い換えれば、「チューリングマシンには何ができることが保証されているのか」?
この答えが、まさに「理系の議論に『小学生にもわかる』説明を義務づけることができる理由」である。
チューリングマシンは、本来ただの計算機のアイデアではない。それは『数学自体の定義』である。
『計算とは何か』『計算できるとはどういうことか』この答えを探した結果チューリングが得たのが、『計算とはチューリングマシンで解ける問題のことである(意訳)』という、現代ではもはや計算の定義、数学の定義として認められている回答である。
計算とはチューリングマシンで解けるもののことなので、どのような数学的問題もコンピュータのプログラムとして書き、計算することができる。
コンピュータのプログラムとは、ifとgotoを伴った算数レベルの計算の連続のことなのだから、これはつまりどのような数学的問題も、深い思考力さえあれば『算数』レベルの説明に落としこんで理解できることを意味する。(方程式がなくても鶴亀算が解けるように。)
ここで必要なのは、純粋に算数程度の知識と、それを深く複雑に組み合わせる思考力だけである。
従って、理系の説明、数学的に表される定量的な議論というものは、説明者にきちんとした理解があれば必ず算数レベルの話に落とし込める。
最近は、ネットの声の大きいマナー講師たちによって「専門的なことを誰にでもわかるように説明することなんてできない」という言い訳を聞くことが多いが、少なくとも理系の問題において、定量的な議論をする限りは、『数学』は『算数』の複雑化、抽象化に過ぎないのであり、必ず噛み砕いて説明することは可能だ。
ただし、ここで聞き手に求められるのは、何をおいても『算数レベルでならしっかり理解できる知能』ということになる。
つまり『頭のいい小学生』には必ず理解させられても、算数すら苦手な『馬鹿な大人』に希望はないということである。
『小学生でもわかる』は、小学生を劣ったものと考えている言葉では決してない。しかし、それ故にこそ、小学生レベルの算数も覚束ない大多数の大人が、劣ってるどころではない論外の存在であることを突きつけてしまう厳しい言葉なのだ。使い方には気をつけなければいけない。と思った。
KADOKAWAの時もなんでそれ書こうと思ったの?本当に2024年にオフィスワークしてる?みたいな
トンデモ書いてたやついるし
元増田(anond:20240727011718)の作文をUBIのプロモーション動画見たあとに出来たらたいしたものだ
『弥助やないかい』 (04:19)
なお歌の中にもある、ゲイ云々はこれかな
Assassin’s Creed Shadows: Ubisoft Hires LGBTQ+ Activist As Consultant Who Wants To Challenge Moral Standards Around “Transgenerational Sex”
(アサシン クリード シャドウズ:ユービーソフト、「世代間セックス」に関する道徳基準に挑戦したいLGBTQ+活動家をコンサルタントとして雇用)
外見やお名前から日系人かなぁって方が出てくるんだけど、日本文学の研究家でお稚児さん関連の本出してる人らしい
何故、この方を アサクリ シャドウズ の歴史考証のスペシャリストとしてチョイスしたのかは謎だが、
とりあえず、彼女はゲームメディア IGN の YouTube 動画 (Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan)の中で、
『必ずしも歴史的正確さに基づいているわけではない』ってちゃんと言ってるので過剰に責めないであげて感(https://youtu.be/0haRi_hHZoU?t=853)
(でもまぁ、『誠実で敬意持ったものです』とインタビューで言っちゃってるので、あからさまに間違ったままな状態だと多少はね?)
『アサシン クリード シャドウズ』ゲームプレイウォークスルー|UBI (13:10)
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
(私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。)
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview