はてなキーワード: 男性自身とは
私は、女の方が多い会社に勤めていて、痴漢もされたことないし、過激なフェミニズムに走るほど困ったこともない。
タイツの広告については、「この広告で買いたくはならないけど、冬の必需品なので買いたくなくなりもしない」ぐらい。
この広告をやめろ!とまでは言わない。(萌え絵が好きなので、麻痺はしてるかもしれない。)
多分ATSUGIの隣にグンゼがあったら「まあグンゼにしとくか…」とは思うだろうけど。
いくらでも替えがきく商品売ってる企業にとっては地味に困りそうだけど、広告の大失敗とまでは言えない気がする。担当は変えた方がいいけど…。私物化がすごかったから。
ただ普段フェミニストじゃなくてもこれぐらいの不快感を覚えた女がたくさんいることは知っておいてほしいな。
私が私生活で困ったことがないとはいえ、私以外の多くの女性にとって過ごしにくい社会であることは間違い無いと思う。
正社員でも育休が取れなくて辞める人、大手で育休も取れるけどあからさまな窓際に追いやられる人、結構話を聞く。
そしてそれらに対して「女性の権利向上を!」と叫べる人はすごいと思う。
フェミニストは「女性にもっと優しい社会に」と考えているけど、「男性も女性も過ごしやすい社会に」とは考えていないように見えるから。
「今格差があるのだからまずは女性を今より上にしないと」と言いたい気持ち(アファーマティブアクションの考え)も理解するけど、実際男性たちは、女性が思うほど現状に満足していない。
大企業の上層部など、今の社会構造を作った人たちは満足しているだろう。
ほとんどの男性は自分の生活に不満があって、そういう人間はTwitterのような気軽に呟ける場所に集まる。
自分が満足していないのに、自分たちを「満足している人たち(格差を容認している人たち)」と決めつける人たちに協力できるかと聞かれたら、私には無理だと思う。
だから、まずは「クソオス」などと呼ばずに、冷静になってほしい。そして、女性の現実を少しずつ見てもらおうとした方がいい。
実際に女性差別はあるのに、なぜ「協力してください」という態度を取らなければならないのか?と思うフェミニストもいるかもしれないが、多分ツイフェミを揶揄するような人たちには女性に対する差別が本当に見えていない。
見た上で容認してツイフェミを馬鹿にしているのではない。見えていない。
そして、女性が日々感じる「小さな生きづらさ」まで見えていない。(例えば、高齢男性が同じことしてる男には注意しないのに自分にだけ注意した…とかそういうちょっとしたもの)
なぜなら、男性自身も「自分の」目の前の生きづらさを解消するために必死だから。
男なんだから、男なら○○できる、そういう小さな生きづらさに心をチクチク突かれているのは男性も変わらない。
広い視野をもってみんなが協力しないと社会構造なんて変わらないのにと思うのに、毎日毎日、インスタントラーメンの広告やタグで揉めて、こんなのフェミニズムもジェンダーの平等も進むわけないだろと感じる。
突然こんなこと言ってごめんね。
でも本当です。
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すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割のピークを迎えようとしている。
言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまり、フェミニズムは数あるライフスタイルや思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。
結局のところ、フェミニズムは全ての女性を対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである。論点先取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。
考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないからである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性や弱者的男性のみならず、男性や女性の総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来の理念であったのだ。
とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地は存在しない筈なのだ。
換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。
いずれにせよ、全てを救う思想というものは現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。
フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシーな広告は現実の人間にリスクを生むので自重すべき」、というシンプルな命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。
「広告のセクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャルは広告的価値のみならず女性の価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方が評価したところでもしストッキングやタイツを身に着けた一般的な女子の存在が性的に眼差されたら貴方は責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的な女子」とされる存在の中から、「広告のセクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性はパージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニストの活動は、女性の総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。
でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。
無理。
無理だから。
例えば、ソマリアでレ○プされている少女をフェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治の役割である。とにかく、世界同時革命的に思想的啓蒙を行うことは無理なのである。逆襲のシャアを見ろ。
そんなこんなで、フェミニズムの役割は限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。
話を戻すと、結局のところフェミニズムは限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たちが救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。
逆に言えば、フェミニズムは自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである。企業のマーケティングの一挙一動を監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズムの役割ではない。それは本来、公共広告機構とジャロの役割だ。
ソマリアの女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である。
役割を限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象を限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告をバッシングされることで不利益を蒙る企業が存在するのが現実だし、あるいは、広告をバッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体が存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。
全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなのである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。
そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなのである。
つまりここにおいてフェミニズムの立場は相対化されることになる。
フェミニズムは自身の擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言の正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。
そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業が社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムだけが特別というわけではないのだ。
警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というものは存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。
それは恐らくフェミニズムの限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想が自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会的ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。
勿論、救う対象を限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることなど人間には所詮できないのだから。
とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身の限界を意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞う、フェミニストとフェミニズムの傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。
でも本当です。
本来ならレズビアンって書くべきなんだろうけど、長くて面倒だし言葉狩り的なノリが好きじゃないのでここではレズと表記したいと思う。
まず私は、男性との交際経験があるレズだ。正確にはレズ寄りのバイ。女性と交際する場合はタチ、いわゆる男役になる。
最近よく「男と女」について語る人を見かけるようになった。非モテがどうで〜みたいなのは、ひとまず置いておく。私が考えたのは、社会的な役割……立場のことである。
【男=守る/女=守られる】
あるいは
私は女だが、女性と交際する場合は限りなく「男」に近い立場で彼女とコミュニケーションを取ることになる。もちろん自分の意思で決めたことなので特に不満はない。というか、それがしっくり来る。本当は男性とも恋愛できるのに女性を選ぶ、一番の理由。私は【守られる/リードされる】立場に置かれることが苦手なのだ。
そして思ったのが、私のように【守られる/リードされる】ことが苦手な女性は案外多いのではないか?ということ。
ただ、その人たちの全てが同性に恋愛感情を抱けるわけではない。その場合、彼女らは【守る/リードする】立場で男性と向き合おうとする。すると、同じように【守る/リードする】ポジションに立ちたい男性は不満を抱くだろう。自分の役割を奪うなと警戒するかもしれない。
だが、逆に考えてみてはどうか。
実は女性が思ってる以上に【守られる/リードされる】存在になりたい男性がいるのだとしたら?
ありえない話ではないはずだ。けれど男性は、女性に比べて「生まれ持った性に与えられた役割」を放棄することを躊躇う人が多いように感じる。一度、頭をクリアにして考えてみてほしい。
自分は【守りたい】のか【守られたい】のか。
白黒ハッキリさせなくてもいい。どっちかといえば、でも全然構わない。
もちろん「俺はリードされたいけど男に抱かれたいわけではない」という人もいるだろう。むしろ大多数がそうだと思う。じゃあ、どうすればいいか?
答えは至ってシンプルである。【守る/リードする】ことを好む女性と【守られる/リードされる】ことを好む男性が付き合えばいい。
なお、私は男性が「自分がどっちの立場を好むか」を言い出しにくい空気を作っているのは他でもない男性自身だと考えている。
小さな男の子を「男なんだから泣くな」と怒鳴る父親、若い男性社員を「男のくせに酒が飲めないのか」とバカにする中年の男性管理職。これは呪いだ。真に受ける必要なんて一切ない。世の中は、少しずつ変わり始めている。
子供を殺したい
https://anond.hatelabo.jp/20200731034501
わたしは誰の為にもならない息子を殺したい。
https://anond.hatelabo.jp/20140402083933
「まとも」=「身内に居ても許容出来る」と仮に定義してよくよく考えてみると、確かに男性の半数は「まとも」じゃない。
ただの知り合い程度なら許容出来ても、身内に居たら嫌だ、困る、と言う男性は半数くらいいる。
女性であれば精々1割程度に過ぎないのに。
https://anond.hatelabo.jp/20140402120303
運が良ければ女児より優秀に育つ事例が多い一方、犯罪者になる確率も引きこもりやニートになる割合も発達障害を抱えて産まれてくる可能性も大きい。
自分も子供は欲しくない。元増田と同様の理由で「どうしても作らなければならないとしたらどっちがいいか」と考えると女児を望んでしまう。
そして、このように男の子が産まれてくることを恐れ子供を授かれない女性や、男の子が産まれてしまって苦しんでいる女性が居ます。
それなのになぜ、産み分けは可能にならないのでしょうか?
現状の男女比ほどには男の子は望まれていないというのが本当のところなのに、
世間体が悪くなるのを恐れ、
「産み分けを合法化すべき」
と言い出せないのではないのでしょうか。
誰かが周りの目を恐れず、主張しなければならないのです。
はてなの皆さん、KKO・“弱者男性”、フェミニストの皆で手を組んで、
「産み分けの合法化」
に向かって行くべきなのではないのでしょうか。
なぜなら、男性性は、女性の生きづらさばかりか、男性自身の生きづらさの原因となっているからです。
「男性を極力産まない」
ことで、男性自身を含め、様々な属性の人が生きやすくなります。
おおっぴらに賛同はできなくても、
「こういう主張があるんだ!」
ということが広まって行けば、いつか産み分けが実現し、産まれてくる男性の数が減るはずです。
争っている場合ではありません。
この考えならば、立場の違う人々でも1つになれる可能性があると思います。
皆で変えていかなければいけないのです。
女の架空キャラを免罪符に使うことは社会的女性の地位の搾取にあたります
たとえば男がやったら犯罪であることでも女キャラにさせたら無罪放免だろうといって
男性のシャワー中に女性キャラを入り込ませ「男性にモテ薬を売る宣伝」にする
頭が悪いにもほどがあるそういうフィクションをポルノに使うのではなく「広告」として広く告げてしまうことは
女性が営々と築きあげて次代の女性に伝えてきた性犯罪防止をないがしろにしており
フォトショでシミがポロポロ落ちる宣伝とおなじくそれ以前に詐欺でもあるんですけどね
よくある普通の容姿の男性の絵をチー牛といってバカにする広告?に使うことも
おおらかな男性の包容力などといった魅力の搾取にあたるといえそうですけど
男性自身はそこまで頭が至らないんでしょうかね
モテ男性と非モテ男性のヒエラルキー的構図の問題は、非モテ男性自身が戦いを挑まなければならない別の問題だ。
戦いを挑むべき先は女性ではなく、モテ男性と権力者だ。現状、権力者のほとんどは男性なので、結局男性同士での戦いになる。
「女性の有無だけで人を評価するな」「結婚しないだけで出世コースを外される人事評価制度はおかしい」と声を挙げることだ。
今回の件は、モテ男性(矢部)や権力者との戦いから逃げ続けた非モテ男性の1人(岡村)が、戦いを放棄し、自分より弱い立場の女性や風俗嬢でストレスを発散したり、男尊女卑発言を繰り返していたことに対する批判だ。風俗嬢や女性には、岡村に対して「八つ当たりするな」「自分の欲のために虐げるな」と怒る権利がある。
むしろ岡村ANNリスナーの非モテ男性達が、矢部の発言を肯定・擁護している理由がよくわからない。「非モテ男性全員を巻き込むな」「ただ性格的にやべぇ奴の話を、モテ非モテの問題にすり替えるな」と矢部や岡村に怒って良いし、声を挙げて良いんだよ。
女性は権力者に戦いを挑み続けて、参政権などの権利を少しずつ勝ち取り続けてきた。非モテ男性も権力者に対して戦いを挑むべきだ。
俺はムカつくよ。
で、「実際家事も育児もしないで生活費入れるだけの男は多い」「男性自身が経済力を自分の魅力だと誇示してる例もある」「男女で給与格差があるからしかたない」「女性の性的魅力をキャバクラや風俗でお金という形で買ってる男も多い」なんて言われても納得しないよ。
もちろんムカつかないって人もいるだろうけど、ムカつく男はいるって思えない?
で考えてみて。
たしかに男性の魅力は経済力だというイメージは広告や物語であるけど、それってそれほど多くはないでしょう?
金持ちがヒーローな例と、ヒロインが若い魅力的な女性(胸は豊かな事が多い)。圧倒的に差がない?
いや、破嵐万丈だ御坊茶魔だ、旋風寺舞人、黒崎蘭丸とかいるけど、圧倒的でしょ?
千年戦争アイギスってゲームやってるけど、これ男性キャラはおっさんやオジ様、ふとった髭面のおっさん、じいさんまでいるけど、女性は皆若くて魅力的なキャラばかりなの、まあ人外もいるので実は80歳とか1000歳超えとかいるけど見た目は10代から20代ばっか(胸の大きさは大きい方にかなり偏りつつも中くらいや小さめもいる)
まあR18の男向けだからしゃーない。って側面はあるだろうけど、FGOやグラブルとかどうよ?
若い魅力的な女性(胸は豊かな事が多い)以外って、母親や宿屋だ食堂の店長だとか以外だとがくっと減るでしょ?
そういう非対称性があるの。毎日目につく広告やゲームやアニメで「男なんてATM」って言われ続けるの想像してみてよ。
それすれば、女性を性的に消費する広告が持つマイナスな点を実感できなくても想像できない?
主人公に関しては確かにおっさんだと コップクラフトや、神宮寺三郎とかあまり浮かばないが、女性だとそれこそ精霊の守り人のバルサくらいじゃない?
まあ流石に草薙素子は厳しい気がする。
で言いたいのはゲームやアニメに出てくるがおっさんキャラとおばさんキャラ(そこに太った人をいれてもいいかもしれない)あからさまにおっさんの方が多いだろ?
最近のは知らないがFFなんか毎回の様におっさんがPTに入ったりするのに女は若い女の子ばかりだったじゃん?いちおうウネは婆さんになるかな?
若くて魅力的ではない女性キャラ(若くないもしくは魅力的ではない女性キャラ)と若くて魅力的ではない男性キャラ(若くないもしくは魅力的ではない男性キャラ)思い浮かべたら圧倒的に後者が多いでしょ?