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はてなキーワード: 村上春樹とは

2020-11-28

anond:20201127195629

村上春樹読んだことない。村上春樹作品評価基準ほとんどマンガからだ。

1つ目はマンガ・昨日何食べた?。お姫様気質ゲイ村上春樹小説にこんな会話が… と言うシーンがあった。なんか女子の面倒くさい人が好きそうな?という印象を持った。

2つ目はマンガ・いつかティファニーで朝食を。この中で村上春樹が好きそうな男=メンヘラ、という評価登場人物がしていた。昨日何食べたのシーンもあって、ああメンヘラ御用達なのかという印象が固まった。

3つ目はリアルで、婚活サイト男性会員のプロフィールから村上春樹作品のようにお互いに対して何ができるかを考えるような関係理想です、というような事が書いてあった。印象としてはティファニー…を読む前だったので、ああナイーブ感性の人なのね、だった。けど今、ティファニー…を読んだ後だと、実はメンヘラくさい人だったのかもなと思う。自分の心情に敏感でモラハラかましてきそう。けどスペックは恐ろしく高い人だった。

以上、村上春樹作品を読んだ事ない増田村上春樹印象終わり。

anond:20201127195629

村上春樹は読んでないし、鬼滅の刃も見てないけど全部こき下ろした

ネットから漏れ伝わる情報だけで色々判断するのは十分なんじゃねえの?

話題のことにいちいち目を通してたら時間も暇もないんだし、むしろ逆に世間情報発信者は見出し的なものもっと力を入れるべきだと思うよ

2020-11-27

anond:20201127214333

そんな風潮はないと思うが、それはそれとして村上春樹の話になったら「村上春樹といえはセックスでしょ?w」が鉄板ネタという風潮はあると思う。

自分もやってしまいがちだが、まあ人によっては「クソ寒い」と思われているんだろうな。

anond:20201127214333

わたし村上春樹とか好きでよく読むんですよー」 → セ ッ ク ス 興 味 あ り

みたいな指標は、全くないわけでもないでもないかな…

村上春樹に興味がある女子イコール

セックスに興味ある女子という世間認識はどうにかならないのだろうか

忙しい人のための村上春樹

僕は頭は良いんだけど少しこじらせてます。昔の女性関係とか友情とかこじらせてます。斜に構えて生きてます。なんか色々あってセックスチャンスに恵まれます。変なオナニーしてる奴見て何なんって思いますセックスした人どっかに行きます時間が経ってみんな世界に消えていきます自意識けがずっと語りかけてきます

anond:20201127195629

文章にハマる人向けだからなぁ…

村上春樹文章を受け付けないと相当ハードルが高くなってしまうと思う

無理に読む必要はない

2020-11-25

村上春樹の本を読み直している。いろんなところにダブルミーニングというか、解釈が色々できるようになっていて、全部を理解することはできないけどおもしろい。

文豪と言われるような人の本とか、海外古典とかを読んでるのに比べると、圧倒的にユーモアがあって面白いのも特徴だと思った。兎にも角にも、素晴らしい主題があっても退屈な本は読みたくない。そりゃ売れるなと思った。

2020-11-23

anond:20201123131336

小説家は他の分野に比べると、分野外の人が入ってくるのに対しては、懐が深いって、村上春樹エッセイで言ってたな

小説家になるより、小説家で居続ける方が大変だから、いつまでいるかな?って様子見てるって

2020-11-21

山本一郎による岩田医師スラップツイート

わたくしは山本一郎のことをネット上でおもしろプロレスしてくれる頭のいいおじさんくらいの認識でした。

こないだもドワンゴのかわんごとボコスカ訴状で殴り合いしてて、ドワンゴのことを切れの悪いうんこくらい疎ましく思っていたわたくしとしては、むねのすく思いがしたものです。

山本一郎さんはわたくしたち凡人の及ばないあらゆる物事精通をしておりまして、いつも軽妙な語り口で法律やら司法制度やらあらゆる分野の専門情報を理路整然と説明してくれていて、本当にこの人は一体いつこんなに勉強をしたんだと、そういったふうにとても好意的に受け取っていたものです。

まさかあれらの言説がすべてサイコパスの人心掌握術で、読み手を先導するために最適化されただけの、中身空っぽ単語だとは思いもよりませんでした。

一部の嗅覚の良い人たちは気がついていたみたいですが、いやはや私のようにIQ120の凡人は、門外漢専門用語の羅列で完全に脳みそ麻痺させられ、簡単に操られてしまものなんですね。

今回のやり取りで本格的に、人を操るサイコパスという才能の一端を垣間見させていただきました。

山本一郎さんの文章は読んでいて心地よく、彼の文才は村上春樹に及ばずとも劣らないと、わたくしは愚考いたします。

どちらも白昼夢みたいな真実だろうが虚構だろうがそのまえに話として破綻しているような、あってないようなどうでもいい文章の羅列で、読んでると何故か心地よいという、一種ドラッグみたいな文章であり、その文章証拠に世の中の問題を語るなんてのは、幻覚剤を投与されたチンパンジーつかって手術してもらうくらいとても建設的で文化的な行いであると言えます

山本一郎さんは権力者さんとは一旦離れてもらい、岩田医師などの専門家の御膳で無能晒すために中身のない妄言を垂れ流すなんていう不毛作業から手を引いて、もっと世の中の人を喜ばせるような、作り話を作る仕事などをしたほうがよろしいかと思います

2020-11-19

完璧文章存在しない。完璧絶望存在しないようにね

 上記台詞村上春樹風の歌を聴け』の冒頭の台詞であるが、先日これについて書こうと決めた矢先、ホッテントリ村上春樹記事が上がっていたので先取りされたことに焦りつつ書くことにした。ところで純文学ギャルゲーと言えばドストエフスキーの『悪霊』に登場するスタヴローギンがそれに当たると思う。詳しくはネタバレになるので避けるけど

 タイトルで述べた台詞村上春樹読者、つまりハルキストにとってもあまり深くは理解されていない台詞で、ただ何となくオシャレなだけの台詞に近い扱いを受けている。でも実際のところそれは間違いである。文章漠然とし過ぎていて意図するところを汲み取りにくいのは確かなのだけれど、それでいいのかハルキストタイトルでは幾分省略したのだが、原文は次の通りだ。

完璧文章などといったもの存在しない。完璧絶望存在しないようにね。(『風の歌を聴け』より)

 昔、春樹本人がこの言葉について次のように語っている

小説書いてて、これは正しくないんじゃないか、嘘なんじゃないか小説を書く意味なんかないんじゃないか、って思うときね、ここを読み返すと、ああ嘘じゃないなってね、勇気づけられる。書くだけのことはあったのかなって思うんです」(「宝島」83年11月号)

 完璧文章とは何で、完璧絶望とは何なのか。この言葉から完璧に読み解くことができる。よく聞け。

 つまり文章とは、物語とは基本的に何かを伝えるために書くわけです。文章によって我々は何かを伝える、何かを伝えるために文章を書く。当たり前の行為です。我々はそこに避け難く、何らかの主張や主旨というものを紛れ込ませます。つまりもっと言うならば自分意見というものを紛れ込ませるのです。要は、どんな文章にであれ何かしらのエゴというものが混入することになるということです。

 とは言え、何らかのエゴ文章の中に、あるいは物語の中に混入させるということは、ある意味では文章純粋さ、文章の混じりけの無さを汚濁してしまうことにも繋がります。つまり人間文章を書くが故に、つまりは伝達という手段を取るがゆえに、文章自己エゴを混入させ、その物語を完結した破綻のないものから不完全で安定を欠いた代物へと変貌させてしまうということです。よく人は小説というものエゴの発露であると主張しますが、これは嘘で、むしろエゴ小説小説たりえるための何かを、文章文章たりえるための何かを阻害し、邪魔しているのです。エゴは、小説を完成させる為に、あるいは、文章を完成させる為に、それらを完璧にする為には全くもって不必要どころか、邪魔ものでさえあるということなのです。

 あるいは、完璧文章というものが仮に存在するとすれば、それはその文章の中に一切のエゴが含まれていない文章のことを言うのです。文章自己を含まない。つまり、伝達の手段として文章を用いながらにして、一切を伝達することを拒絶した文章。一欠片たりともエゴを含まない文章。仮に、本物の文章というものが、完璧文章というものがあるとすれば、それはそんな文章に他なりません。そう、伝達の形態において何事も伝達せず、何事もエゴについて伝えようとしない。そこに、一切の伝達の可能性を認めず、そのような可能性に一片の期待さえ抱くことのない――そういう文章のことを人は完璧文章と呼ばうのでしょう。果たして、そのような文章はあり得るのか。

 ここで、冒頭の台詞に立ち返ってくることとなります。つまり、そのような完璧文章などといったもの存在しないのです。完璧絶望存在しないようにね。

 伝達の可能性に一切期待しない、一片としてさえエゴを含まない、自己の伝達を拒絶した文章は、本当に存在するのでしょうか? 否、結論から先に述べれば、そんな文章というもの存在しません。仮にそんなもの存在するとすれば、それは絶望に他ならないのです。絶望。つまり、それは自己存在がこの世において断絶してあるということです。自己存在が、誰にも伝わらないということです。あるいは、伝えようとしても伝わらないということです。力の限り叫んだとしても、何一つ誰一人にさえ――言葉が通じないということです。伝達の可能性が存在しないということは、絶望しているということは、そういうことなのです。

「私は悲しい」と人が言う時に、それは「私は悲しい」という気持ちを伝えることへの、希望を含んだ発話であると言うことができると思います。その文章には、自分感情を、自分エゴを誰かへと伝え、誰かと共有し、誰かと何かを分かち合うという切実な希望が溢れているのです。しかし、それは同時に完璧文章ではありません。何故か。そこには、エゴがあるからです。

 自己がそこには混入しており、エゴ文章を汚濁させているからです。

 伝達とは、感情の伝達とは、文章の完成度を基準に考えれば、汚濁であり不浄の象徴とさえ言えるかもしれません。

 でも逆に、そこに何一つとして、伝達への期待が含まれていないとしたら――? 何一つ自分感情を伝達することなく、何一つ自分エゴを伝えることなく、何一つとして他人と何かを分かち合いたいという希望を含まない文章――エゴの一切を根絶した文章存在するとすれば――? それは、恐らくはエゴの一切を根絶し切った、完璧文章である筈です。

 そして、それは同時に、明白に絶望なのです。

 誰かと何かを共有することを放棄し、誰かに何かを伝えることを放棄した、伝達の用を為さぬ伝達。仮にそんなもの存在するとすれば、それは絶望にほかならないのです。一切の、伝達への望みを絶った、絶えた望みのみを伺いうる文章――それは完璧文章であると同時に、完璧絶望表現ということになるのです。


 して、結局のところそんな文章存在するのでしょうか。

 そう、存在しないのです。そんな、完璧絶望した文章。伝達への望みを断ち切った文章。それは存在しないのです。完璧文章は、完璧絶望存在する時にのみ、存在することができます。でも、それは存在しないのです。何故なら、伝達を目的とするための文章によって、伝達の可能性の絶滅表現することは、不可能からなのです。

 あるいは、そのような、伝達の根絶、伝達の不可能性を仮に表現しようとしたところで、そこには、「筆者の絶望」が必ずや表現されてしまうのです。そこに、色濃い絶望を刻み、筆者は自らの絶望、何一つとして伝えるに至らなかった絶望を、文章に込めざるを得なくなるのです。つまり、そこには作者のエゴが混入し、伝達の不可能性が打破されてしまうのです。そう、完璧絶望存在する時、完璧絶望存在否定されるというパラドックスが、そこには示されています。つまり比喩を使って言うならば、その瞬間、我々の心の内側にある凍てついた海は、言葉という斧によって砕けることになるのです。

 だからこそ、春樹は上記のように言ったのではないでしょうか。「嘘じゃないな」と。どんな文章にであれ、人はどうしても、どんな形であってさえ、エゴを、つまり自分真実を混入してしまうのです。そこには、表現不可能性ではなく、表現不可能性の不可能性が存在しているのです。人は、どんなに黙っていても、どんなに沈黙を守ろうとしても、どうしても、誰かに何かを伝えざるを得ないのです。

 つまり完璧文章といったもの存在しないのです。完璧絶望存在しないようにね。

2020-11-18

完璧文章存在しない。完璧絶望存在しないようにね

 上記台詞村上春樹風の歌を聴け』の冒頭の台詞であるが、先日これについて書こうと決めた矢先、ホッテントリ村上春樹記事が上がっていたので先取りされたことに焦りつつ書くことにした。ところで純文学ギャルゲーと言えばドストエフスキーの『悪霊』に登場するスタヴローギンがそれに当たると思う。詳しくはネタバレになるので避けるけど

 タイトルで述べた台詞村上春樹読者、つまりハルキストにとってもあまり深くは理解されていない台詞で、ただ何となくオシャレだけれど適当台詞に近い扱いを受けている。でも実際のところそれは間違いである。文章漠然とし過ぎていて意図するところを汲み取りにくいのは確かなのだけれど、それでいいのかハルキストタイトルでは幾分省略したのだが、原文は次の通りだ。

完璧文章などといったもの存在しない。完璧絶望存在しないようにね。(『風の歌を聴け』より)

 昔、春樹本人がこの言葉について次のように語っている

小説書いてて、これは正しくないんじゃないか、嘘なんじゃないか小説を書く意味なんかないんじゃないか、って思うときね、ここを読み返すと、ああ嘘じゃないなってね、勇気づけられる。書くだけのことはあったのかなって思うんです」(「宝島」83年11月号)

 完璧文章とは何で、完璧絶望とは何なのか。この言葉から完璧に読み解くことができる。よく聞け。

 つまり文章とは、物語とは基本的に何かを伝えるために書くわけです。文章によって我々は何かを伝える、何かを伝えるために文章を書く。当たり前の行為です。我々はそこに避け難く、何らかの主張や主旨というものを紛れ込ませます。つまりもっと言うならば自分意見というものを紛れ込ませるのです。要は、どんな文章にであれ何かしらのエゴというものが混入することになるということです。

 とは言え、何らかのエゴ文章の中に、あるいは物語の中に混入させるということは、ある意味では文章純粋さ、文章の混じりけの無さを汚濁してしまうことにも繋がります。つまり人間文章を書くが故に、つまりは伝達という手段を取るがゆえに、文章自己エゴを混入させ、その物語を完結した破綻のないものから不完全で安定を欠いた代物へと変貌させてしまうということです。よく人は小説というものエゴの発露であると主張しますが、これは嘘で、むしろエゴ小説小説たりえるための何かを、文章文章たりえるための何かを阻害し、邪魔しているのです。エゴは、小説を完成させる為に、あるいは、文章を完成させる為に、それらを完璧にする為には全くもって不必要どころか、邪魔ものでさえあるということなのです。

 あるいは、完璧文章というものが仮に存在するとすれば、それはその文章の中に一切のエゴが含まれていない文章のことを言うのです。文章自己を含まない。つまり、伝達の手段として文章を用いながらにして、一切を伝達することを拒絶した文章。一欠片たりともエゴを含まない文章。仮に、本物の文章というものが、完璧文章というものがあるとすれば、それはそんな文章に他なりません。そう、伝達の形態において何事も伝達せず、何事もエゴについて伝えようとしない。そこに、一切の伝達の可能性を認めず、そのような可能性に一片の期待さえ抱くことのない――そういう文章のことを人は完璧文章と呼ばうのでしょう。果たして、そのような文章はあり得るのか。

 ここで、冒頭の台詞に立ち返ってくることとなります。つまり、そのような完璧文章などといったもの存在しないのです。完璧絶望存在しないようにね。

 伝達の可能性に一切期待しない、一片としてさえエゴを含まない、自己の伝達を拒絶した文章は、本当に存在するのでしょうか? 否、結論から先に述べれば、そんな文章というもの存在しません。仮にそんなもの存在するとすれば、それは絶望に他ならないのです。絶望。つまり、それは自己存在がこの世において断絶してあるということです。自己存在が、誰にも伝わらないということです。あるいは、伝えようとしても伝わらないということです。力の限り叫んだとしても、何一つ誰一人にさえ――言葉が通じないということです。伝達の可能性が存在しないということは、絶望しているということは、そういうことなのです。

「私は悲しい」と人が言う時に、それは「私は悲しい」という気持ちを伝えることへの、希望を含んだ発話であると言うことができると思います。その文章には、自分感情を、自分エゴを誰かへと伝え、誰かと共有し、誰かと何かを分かち合うという切実な希望が溢れているのです。しかし、それは同時に完璧文章ではありません。何故か。そこには、エゴがあるからです。

 自己がそこには混入しており、エゴ文章を汚濁させているからです。

 伝達とは、感情の伝達とは、文章の完成度を基準に考えれば、汚濁であり不浄の象徴とさえ言えるかもしれません。

 でも逆に、そこに何一つとして、伝達への期待が含まれていないとしたら――? 何一つ自分感情を伝達することなく、何一つ自分エゴを伝えることなく、何一つとして他人と何かを分かち合いたいという希望を含まない文章――エゴの一切を根絶した文章存在するとすれば――? それは、恐らくはエゴの一切を根絶し切った、完璧文章である筈です。

 そして、それは同時に、明白に絶望なのです。

 誰かと何かを共有することを放棄し、誰かに何かを伝えることを放棄した、伝達の用を為さぬ伝達。仮にそんなもの存在するとすれば、それは絶望にほかならないのです。一切の、伝達への望みを絶った、絶えた望みのみを伺いうる文章――それは完璧文章であると同時に、完璧絶望表現ということになるのです。


 して、結局のところそんな文章存在するのでしょうか。

 そう、存在しないのです。そんな、完璧絶望した文章。伝達への望みを断ち切った文章。それは存在しないのです。完璧文章は、完璧絶望存在する時にのみ、存在することができます。でも、それは存在しないのです。何故なら、伝達を目的とするための文章によって、伝達の可能性の絶滅表現することは、不可能からなのです。

 あるいは、そのような、伝達の根絶、伝達の不可能性を仮に表現しようとしたところで、そこには、「筆者の絶望」が必ずや表現されてしまうのです。そこに、色濃い絶望を刻み、筆者は自らの絶望、何一つとして伝えるに至らなかった絶望を、文章に込めざるを得なくなるのです。つまり、そこには作者のエゴが混入し、伝達の不可能性が打破されてしまうのです。そう、完璧絶望存在する時、完璧絶望存在否定されるというパラドックスが、そこには示されています。つまり比喩を使って言うならば、その瞬間、我々の心の内側にある凍てついた海は、言葉という斧によって砕けることになるのです。

 だからこそ、春樹は上記のように言ったのではないでしょうか。「嘘じゃないな」と。どんな文章にであれ、人はどうしても、どんな形であってさえ、エゴを、つまり自分真実を混入してしまうのです。そこには、表現不可能性ではなく、表現不可能性の不可能性が存在しているのです。人は、どんなに黙っていても、どんなに沈黙を守ろうとしても、どうしても、誰かに何かを伝えざるを得ないのです。

 つまり完璧文章といったもの存在しないのです。完璧絶望存在しないようにね。

[]2020年11月17日火曜日増田

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2020-11-17

anond:20201115212549

順番が逆だとしてもエロゲ村上春樹っぽい作品が多い中オタクに受け入れられ、村上春樹エロゲっぽいのに一般人に受け入れられていて、結局オタク一般人趣味趣向を分けてるのなんて美少女キャラクターにキャッキャすることを恥として断固拒否するかどうかでしかないのは変わらんよね。

から話が逆で~~と言ってる人はなんか読み違いがしてるか、無理矢理にでもマウント取りに行ってる感じ

anond:20201115212549

話が逆で、エロゲがほぼ春樹みたいなもん。

90年代ラノベだのエロゲだのを書き始めたやつらは、思春期の時に村上春樹とか読んでたに決まってるんだから

でも凡俗の春樹フォロワーが春樹のコピーをしてる間に、天才肌のエロゲライターたちは漫画表現を組み合わせて好きかつオリジナリティのあるものを作り出したんだ。

エロゲ全体が春樹の孫みたいなもんだよ。数多いる孫のなかでも、ちょっと変わってるけど優秀な方のやつ。

2020-11-15

村上春樹って全員美少女にしたらほぼエロゲだよな?

つうかノーベル文学賞取ってるようなのだろうが、国語教科書に載ってるようなのだろうが、大部分は全員美少女にしたらほぼエロゲじゃね?

最近ラノベアニメエロゲっぽい~~って意見をたまに見るけど、そもそもあらゆる創作物エロゲとの違いはキャラデザだけじゃね?

ギリシャ神話だって主人公が「ガハハハ~~!!グッドだ~~~~!!!」って色んな女にえちえちな事をしてるし、この世界には最初からエロゲっぽい作品けがあって、そのキャラデザが変わった途端に、エロゲっぽさを皆がそこに見出したのでは?

始めての観測によってフラグが立って、そのあとは前よりも緩やかな条件で観測可能になったというか。

そういったイデア最初から既に底にあったけど、その影の形に人類が見いだせる意味パターン人類がまだ知らなかっただけ。

あらゆる作品キャラデザ以外はエロゲぽpくて、その中でよりエロゲっぽさが強いものを指してエロゲっぽいと呼ばれるようになっただけでは?

まりエロゲ美少女という触媒を利用した原点回帰で、それ故にそこから再度日本クリエイターたちが分岐したのも当然の帰結だったと言えるのではないだろうか。

いやマジで村上春樹ってエロゲっぽすぎない?

少し不思議不思議ちゃん+浮気ストーリー無意味じゃないような無くてもいいような程度のセクロス構成要素がエロゲすぎない?

2020-11-13

愛知県知事リコール署名半笑いでおちょくっていて背筋が冷えた件のブコメを読んで思った話

https://anond.hatelabo.jp/20201109184717

という文章を書いて400件近くブクマがついたので、それを読んで(読ませてもらって)思ったこと、考えたことについて、以下のとおり書いておく。

もはや、ほぼ愛知県知事リコール署名とは関係のない話になるので、あくまで俺個人の整理のための記述になる。

・お前「も」、もしくはお前「が」一番頭おかしい、という話

高須院長とその界隈を高みから見物しているつもりで、本当はこの騒動に食い気味にのめり込んじゃって、一番おかしいのはお前だろ、というブコメがいくつかあって、これは実際にその可能性がある。

俺は文中で自身正気ちゃんと相対化できているつもりだったし、最後も、(俺にとってはもっと合理的理解である愛知県知事リコールにおいては高須院長もその取り巻き半笑いであって、仮に全てがおちゃらけに過ぎないのなら、頭から湯気立てて正気を失ってるのは俺だけだな、と書いたつもりだった。だから、お前も頭おかしいぞ、と言われれば、「だから自分でそう言ってんじゃん」という気はする。

ただ、「俺はてめえの頭がおかしくなってる自覚があるからまり狂ってねえ!」というのは当然、矛盾している。

俺は自分のどうかしている具合について認識が甘すぎるんだろう。以前、何かの増田についたブコメで「この増田自身の頭がおかしいことを自認しているが、おそらく増田自身が思ってるのとは違うかたちでおかしいんだと思う」というのがあって言い得て妙だな、と思った経験があるが、なんていうか、それに近いのかもしれない。

・お前は醜怪だ、という話

上の、俺の頭がどうかしているというブコメ似て非なるというか、印象的だったものがあった。

最初反論しておくと、俺は誰かが真面目だったり熱心であることを理由に、おちょくられるのを無条件に免れるべきではないと思っている。

別に俺も、真面目かつ誠実に世のことを思っている人間に対して辻斬りのように悪意を浴びせるほど邪悪じゃない(とは思っている)。ただ、今回の高須院長の、86万筆という当初の目的に明らかに届かないにも関わらず、いかにも肉薄しているという空気を醸成しようとしたこと、結果として集まった43万筆の中身にも疑義がついているのにその検証言下に否定したこと署名活動中にリコール反対派を犯罪者呼ばわりしながら届けた工作活動の進捗を説明しないこと、ははっきり言って不誠実だし、リコールという制度を悪質にショー化する行為であって、それはおちょくられても仕方ねえよな、とは思っている。

で、ここからが少し複雑な話になる。

俺は、相手悪口を書いたり、内容に虚偽を含めたりしない限り、不誠実で悪質な言動について相手を直接、ネット上でやり込めようとすることは許されると思っている(この考え方は本当に俺の異常性を吐露しているのかもしれない。「不誠実」で「悪質」を、ちゃん主観を除外して判断できるつもりの上、攻撃トリガーまで引くんだから)。今回の俺のリプライは、表面上は高須院長の味方にしか見えないものなので、(あくまで俺の中の)基準を満たしている。

一方で、俺は自分がほぼ悪意で行動していることを自覚している。義憤ではなく、私的かつ単純に「気に入らない」という感情ドライブをかけられていて、まともな人間はこんなことをそんなにしない。

まり高須院長の言動は真っ当な市民感覚によって非難されるべきだと思うけど、俺が従っているのはそういう倫理観ではまったくないし、取っているアクションもネジクレている。

お前は醜怪だ、という指摘はその点でこたえるものがあった。

・俺がtwitter捨て垢を使ってリプライを送った / 先の増田twitterで当該のリプライを目にしたまったく別の第三者によって書かれた、という話

皮肉ではなく、おもしれえな、と思った。

この人たちには、本垢有名人をおちょくったり、そのことを武勇伝めかして増田で書くことは想像を絶しているらしい。どちらが真っ当な感覚かはわからないが、この人たちの方がまともな気もする。

異常でわけのわからない行為合理的説明しようとすると、かえって、実態と異なる推論がはじき出されてしまうということで、これは頭を働かせている側がいけないのではなく、そもそも現実に起きていることがのっけからおかしいので、そうならざるを得ない。

おもしれえな、というのは、まるで、先の増田高須院長たちの行動を理解しようとした俺自身のようだったからだ。つまり、「まったく事実に反した異様なツイートに大量の支持が集まるって、俺の理解できる世界を完全に超えている。もしかして、院長もその支持者も、全然本気でやってなくてふざけてやってんじゃねえのか?」。こんな俺の考えも、見当違いの方向にぶっ飛んだ推測なのかもしれないな、とあらためて思った。

・今回のリコール運動の中にもいろんな思惑があるよ / 個人の中にもマジの部分と半笑いの部分や時期があるよ、という話

言ってることはわかるんだけど、俺としては以下の1~4のどれかで断言してくれた意見の方が面白かった。

お前が面白いとかどうとか知らねえよ、という感じだと思うが、そう感じた理由あとで書く

・1~4の話

1. 院長もその取り巻きも大マジ、という優しい世界

2. 院長はマジだが取り巻き半笑い、という70過ぎのジイサン見世物にした構図

3. 院長は半笑い取り巻きがマジ、という大規模なパパ活

4. 院長も取り巻き半笑いでやっている世界

ブコメを見ると、1, 4にそれなりに割れて、2、3がちょいちょい、というように見受けられる。

俺はこれが本当に面白くて、おそらくはこれまでの印象や知識によって、あの運動が各人で全然違う見え方をしていることがわかった(もちろん先の増田ブコメをつけた人々の意見なので、世間全体ではまた違うんだろう)。

俺が1ではなく2~4を選ぶのは、あるブクマカが仰っていたハンロンのかみそり(愚かさで説明できることを悪意で解釈してはいけない)が、この場合機能するのかな? という疑念があるからで、俺にとっては悪意や冷笑のために時間と労力を割いて敵方嘲弄することはちゃん合理的行為からだ。

こうして考えると、人間自分モデルにしてしか他者の行動を推論できないことがよくわかる。実際は1の可能性も十分あるだろうと思う。

あと、4の中にも高須院長と取り巻き共犯ってパターンと、院長と取り巻き意志共有はされていなくて、結果として4が形成されてるだけってパターンがある、と指摘している方もいて、なるほど、と思った。

いずれにしても、1~4のいずれかが今回の運動のメイン層であり、グラデーションはあっても、あるいは個人内でスタンスうつろいはあっても、コアになる部分があると思う。

俺が「色んなやつがいるよ」的な解釈にあまり乗れないのは、「巨大な運動の内部に様々な思惑があるって、そりゃそうだろうな」っていう一般論しかないのであんまり面白くないからだが、(ここから少し大仰な話になるので、狂人に訳知り顔されるのが不快な方はすみません)、もう一つ理由がある。

ブコメを読んで色んな見方があることがわかって、その中には「◯◯に決まってるじゃん」と断言するものもあって、正直言ってこれは便利だな、と俺は思った。

これってつまり、一つの現象をめぐる解釈について、どれだけいい加減な放言を言い散らしても、誰かしらは味方してくれるし、耳を貸すということじゃんな?

もしどこかの世界線で、俺が今と同じくらい世に倦んでいて、今と比べ物にならないくらもっと金持ちで頭が良かったら、「××について、正解は1~4のうちどれでしょう?」の中で、自分にとって一番得で、自分憎悪で人がたくさん泡を吹いて苦しんで、みんなができるだけ不幸になる答えについて、それを信じてくれる人たちに頑張って吹き込むのにな、と割とマジで思った。

そういう悪意に対抗するには、どれもが正解に見えるうちのもっとも核心に近いものを常に求めるぐらいが関の山でほかにどうしようもなく、「色んなやつがいるよ」は答えとして絶対間違えようがない一方で、悪意の味方になり得て助かるかもな、と思うので、あんまり好きな回答じゃないな、と思った。

言い換えると、これ! という正解を常に抱えながら、科学的な証拠があれば別の正解に賛同できる柔軟性が市民には必要だ、ということになり、皆さんにはこれができるだろうか。ちなみに俺自身絶対にできないと思う。

オウムの話

「ふざけきってるようであいつらはマジだぞ」という1を選んだ人の中に、オウムとの相似を見た人もいて、そういう見方もあるのか、と思った。なんとなく村上春樹の『アンダーグラウンド1・2』を思い出した。

ウヨの考えてることなんてわかるわけねーだろ、というブコメもあって、俺もまあ先の増田高須院長の取り巻きのことを途方もないアホか、(俺と同じ)悪意の塊かの二択の後者寄りでとらえてるので、いさめる気も権利もないんだけど、仮にあいつらがマジなら、誰かが高須院長の取り巻きたちの話をマジメに聞いてやったほうがいいのだろうか、とも思った。これは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマリリン・マンソン学校銃撃事件主犯だった少年たちに向けた言葉から思いついたんだけど(「黙ってあいつらの言いたいことを聞いてやる。誰もそれをしなかった」)。だけども、俺には無理だ。理解できないやつとも、俺と同じくらい醜いやつとも話す気力も知性もない。善良で体力のある人に頑張って欲しい。

なお、理解の及ばない排他的な方向に加熱している、という意味でのカルトや『ボウリング・フォー・コロンバイン』の例えであって、暴力予備軍とみなしているわけではないことは言い添えておく。

ポコチンの皮の話

バカバカしいことだが、俺は先の増田を書くにあたって、高須クリニックで包茎手術をやっていることを確認していた。

https://www.takasu.co.jp/danseiki/

俺がお詫びしなければならないのは、他人生業揶揄するような文章を書いてしまたことだ。これは本当に俺の想像力が欠如していた。高須氏にも美容整形に携わる方々にもお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

2020-11-12

性交雨読

晴れている日はセックスをして、雨の日は村上春樹を読む。

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