はてなキーワード: 募金とは
https://note.com/noyamaayon/n/n98c35152ebb3
まず「知恵の足りない設定の2人組」という解釈が曲解もしくは誤解である。
筆者は動画を視聴済みだが、あれは例えるならクラスカースト上位の男子2人が盛り上がっている様子を演じているものであり、そこに皮肉も揶揄も存在しない。
上記のラーメンズ信者が書いている「怒られた」は、「やっべ、先生に怒られちゃう」程度のイタズラ心でしかなく、歴史事件の問題意識はまったく表現されていない。
あのコントなる純粋に面白くない演劇は、全体の文脈で言えば、NHKのキャラクターが舞台裏で子どもの夢を壊すような素のオッサンの姿をさらけ出すという、NHKに対するおちょくりを表現したものである。
NHKは集金には執拗だが、放送内容に関してはどんな中傷まがいのことを言われても殴り返すことがないので、彼らはそれを理解してやっている。
突然脈絡もなく「ユダヤ人」が出てきたのも、海外はこれを見ないと理解してやっている。
日本国内でも大量虐殺事件が数多くあるにも関わらずあえて選んだのが「ユダヤ人」なのである。
あれが本当にブラックジョークであるならNHKの集金をネタにすればよかったのである。
所詮彼らは殴り返すことのない相手ばかり選んでいる卑怯者なので、そんなことをするわけがないが。
そして上記リンク先は今回の件を「外交上の問題」というありえない理解をしている。
特定人種を狙った虐殺事件はあくまで全人類が共有すべき過去の汚点であり、国交における取引レベルの問題などではない。
当事者である小林の「言葉選び」という釈明も恥の上塗りである。
リンク先後半は「小林賢太郎は良い仕事をしている」と長々と続くが、そんなもの「ナチスはいいこともした」と言ってるのと同義である。
もし仮に青葉真司被告が赤十字に何度も募金していたとか、彼の主張通りにアニメ作品で通用する小説を書いていたとか、そういうことが事実としてあったとしたら、果たしてそれでも彼の肩を持つような動きは起こるだろうか?
東大の基金の、webから募金した人の声が見られるページがあるのだけど、2011年の5月にそのページができてから猫の記事が出るまでで約150ページ分の声が寄せられているのに対し、記事が出てから半月で310ページ分の「声」が届いている。
おそらく自由記述なので、一言を書かずにweb経由で寄付した人の数がカウントできない/建物の再建とか部活動、学生の支援とかの寄付はお偉いOBOGが紙で寄付していそうということを考えると、webのあのページの書き込み量の多さだけで「他のプロジェクトに比べて猫好きすげ~」って言うことはできないかもしれないけど、それにしてもすごい。半月で一億。そこらじゅうコロナやオリンピックの話題だらけのなか猫に一億。
ところで東大の先生が手動するプロジェクトが一億で再開することができるのだろうか。
その先生の科研費のサイトを見てみると、去年まで受け取っていた同じ技術の別目的の研究は1億くらいだったけど、基礎研究の区分だったし、実用に近い部分だとお金がかかりそうなイメージがあるので分からん
本当に性格の良い人はそもそもこんなこと言わないんだろうけど、自分はどちらかというと性格がいい。
もちろんふざけて友人に毒ッ気のある事を言ったりはするけれど、人をだましたりしないしポイ捨てもしない(これは普通か)
困ってる人がいたら積極的に声をかけるし、荷物も持つ。募金とかも定期的にマンスリーでしてるタイプだ。
でも、心のどこかでそういう行為をどこか「偽善的」だなと思ってしまう自分がいる。
友達に「難民基金に定期寄付してます」ってなんとなく言えない。
なんでだろうな、何も悪いことしてないのに。
でも「大好きな人たちの幸せが自分の幸せ」ってわりと本気で思うのに、それが悪いことのように思えて口に出せない。
なんでだろうな。
パーソナリティ:男性漫才コンビ・霜降り明星(メンバー:粗品、せいや)
霜降り明星は、ローカルテレビ局の静岡朝日テレビで冠番組を持つ。
まず、粗品が「宮崎アナがいるせいで、静岡のロケの日は天気が悪い」という主旨の発言。
これを受けた相方せいや、同調して「確かに天気は悪いな、10回に1回しか晴れたことない」と発言。ここまでは、まだ許されると思うが、問題はここから。
粗品「ほんで、そんな中でアメトークで、全国デビューしたやん」(※7月1日にテレビ朝日『アメトーク』に霜降りと宮崎アナが出演)
粗品「一番華やかな時、その次の日くらいかな?熱海が終わったもんな!宮崎アナのせいで!(笑い声)」
(※7月3日に熱海で土石流が発生。4日と5日には静岡朝日テレビでも特集生放送が組まれ、宮崎アナも報道部で緊急事態を報道していた。)
粗品「その次の日くらいかな?大雨降った日、大阪前乗りやったじゃないですか。やのに、新幹線品川からずっと止まって大雨で。2、3時間待たされて。降りても、改札めちゃくちゃ人並んでて。ここどこ?!って3年ぶりに言うたから」
せいや「いや、確かにあれ大変でした。熱海心配なんですよ。ホンマに、裏で募金かなんかしてもええなと。お世話になってますから…」
粗品「まぁね!大変ですね!」
粗品「先ほど番組にて熱海について話しましたが、現在も安否が不明な方がいる中で配慮を欠いた発言をしてしまい申し訳ありませんでした。取り消してお詫びします。」
=聴き取り引用ここまで=
私は、粗品の発言は、人間として最低限の思い遣りに欠けていると思う。死者・行方不明者が多数出ている災害を、笑い話のネタにするのは、明らかに一線を越えている。
お前らにお金を貢ぎたくない男であって
「ドロボウは何を言っても金を払わないので『盗まないで』なんて言うな」
貢ぎたくはなくとも、観たいと思ってることは確か。支援してください、と呼びかけることで、それまで支援する気のなかった人がお金を出すことは募金の文脈ではよくある。AV視聴男にその道理が通じない理由はない。
売春とは、対償を受け、または受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
あなたの言ってるそれは売春防止法における売春ではないですよ。
「お前だって人を殴ったことあるのに、なぜ殴られるのを嫌がる?」
奇妙な理屈だ。
殴る彼女の罪と殴る男の罪は独立して存在する。相殺して消えたりはしない。
裁判の判決で、実は被害者も他人を殴っていたことがわかったので加害者を免罪します、とはならないだろ? 二つの罪は無関係だからだよ。
相殺が成立するのは、“お互いで殴り合っているとき、相手に向かって被害者ぶる” ときだけだ。そういう場合のみ、文句を言う筋合いは無い、と言える。
お前らは男の性欲に働きかけてくるが、こっちがどれだけ好きになっても何もできないんだぞ。ふざけるな。
そんな空虚な状態を作り出すから男としてなんか裏切られた感があってどうでもよくなるんだ。
お前らのそのいやらしい裸体で俺を慰めてくれるのか!直接!直接してくれるのか!ええ!?
新しいインターネットミームとして未来にずっと残るかもな。
正規のカネを払ってオナニーをすることで女に褒めを要求する男。クソフェミの回覧板にうってつけのネタだ。
なあ… 一体全体、魂の誇りはどこへ消えちまったんだ?
何を偉そうに言ってるんだこいつはと思う。
俺も同じことを思ってる。
社会問題について述べた,意識のお高~い記事にありがちな締め文句,
彼らによれば,地球の裏側の貧困にも,地球規模の水不足にも,アメリカの格差社会にも,全部俺らは関係者で,責任があるらしい.そんでもって,自分たちの活動が,他人にとっても価値のあることだということが,彼らには全く疑いの余地がないらしい.そんなわけねーじゃん.
俺は個人的には彼らの活動を評価しているし,見かけたら募金くらいはしてやろうというつもりはある.実際にしている.ただ,上記のような文句は,あまりに不遜な態度ではないか.事実を伝えて,それだけでよいのに,他人の良心にまで踏み込む権利は彼らにはない.彼らのような活動は,本来自発的なものであるし,それに,社会問題に目が向かない人は,怠惰でも不誠実でもなく,ただ余裕がないだけの場合が多い.当然国内にも貧困はある.無い袖を振らないことを,ともすれば悪意と取らせかねない,そんな言い草はやめるべきだ.身近にある貧困を無視して,「日本人は恵まれている」と主張するのは,あまりに冷酷じゃないか.
人間は女子供は保護しようとするけど、知らない男性を保護しようとは思えない、というアレ。
薄汚いおっさんを救うための募金なんて(ストーリー無しでは)絶対に集まらないけど、イルカを救うための募金は集まってしまうというやつ。
赤子、子供>女性、高齢者>知り合いの男性>犬猫>イルカ、動物、美しい大自然>清潔感ある男性>>>>超えられない壁>>>>誰だか知らない不潔な男性、魚、虫>害虫
みたいな順で「守らなきゃ」と思うように出来ている。
昨今はてな界隈で話題の弱者男性問題を考えるには、まずこのバイアスを皆が自覚し、知性で補正して考えようとしないと議論が歪んでしまうと思うんだよね。
(しかしネット上の議論でその前提を満たすのは困難なので議論で何かを得るのは諦めた方が賢明だろう。)
弱者だろうと弱者でなかろうと認知バイアスによる差別は行われるが、その影響を受けやすいのが社会的孤立や貧困の状況にある弱者男性だという話。
はだしのゲンの親父みたいなおっさん(以下おっさん)が町内にいて、扱いに困っている。
おっさんの家は俺の家と番地の同じブロックで、奥さんと高校生の息子さんと小学生の娘さんの四人家族。
今年度は俺の家が一年毎の持ち回りのブロック班長をやっていて、自治体から配布される回覧板を回したり自治会費や募金などの集金をまとめたりするのが主な仕事。
今まで基本おっさんは自治会の集まりに参加しなかった。奥さんもお子さんも来ない。奥さんにそれとなく話しかけてみたら、土日は忙しいのだとか。
しかしコロナ禍でおっさんの状況は大きく変わったらしい。仕事が減ったのか失くなったのか、おっさんはずっと家にいる。
去年の夏頃から、うちの向かいのコンビニのポケストップで日に何度も出てきてはスマホをシュピシュピやっているのを見かけた。
その後ワクチンの声が聞こえ始めた頃、自治会の掲示板にコロナの陰謀を知らしめるチラシが貼られるようになった。ツイッターなどで作られているものだった。
俺の家のお隣さんの老夫婦が班長だったので、相談して見かけたら剥がすようになった。
チラシが貼られるのは毎週金曜日の深夜だったので霜降りのANNを聞きながら窓から見張っていたら、紙とホチキスを持っておっさんが歩いてきた。おっさんはこども会のおまつり中止とビン缶ゴミ分別徹底のお知らせの上にツイッターで見たチラシそのままプリントしたものをホチキスで貼って帰って行った。俺は朝刊配達を待ってチラシを剥がした。
4月、俺達の家が班長になった。回覧板を見ると、おっさんの家の受取ハンコは去年7月からなかった。飛ばされているのか、見ないで回しているのかはわからない。
先日5月の土曜日、おっさんは町内清掃に来た。ノーマスクで、酒をしこたま飲んでいた。奥さんとお子さんは来ていなかった。おっさんは座り込み、日本に来ているワクチンを打つと死ぬ、本物のワクチンはユダヤ人と中国人の上層部しか打てない、コロナウイルスは存在しない、ワクチンで不妊にされて日本人は絶滅すると延々と一人で話していた。俺はマスクを渡したがおっさんは胸ポケットに突っ込んで下を向いて独り言を続けた。
作業をしているとバブァァァと怪音がした。おっさんの屁だった。俺ははだしのゲンの最初の方の、ゲンの親父が竹槍訓練に来たシーンを思い出した。果たしてゲンの親父は正しかったし、近所の人や町内会長は間違っていた。
おっさんの家の壁には反ワクチンのコピー紙が貼られては雨に濡れて溶けている。奥さんと息子さん娘さんは通りがかりに挨拶してくれるが、フレンドリーなタイプではない。先週からおっさんはポケストップの前にもチラシを貼りコンビニの店員にすぐ剥がされていた。
現在の新型コロナの状況下、経済活動とかオリンピック開催とか色々議論されているけど
人が死んでるんだよね。
もちろん国家間政治の狭間、例えば紛争とか戦争で、沢山の人が死ぬし、
努力した結果、どうしても避けられなかった人の死は仕方が無い。だけど、人の命を尊厳をすこしでも救おうと、近代から現代、様々な思想や法律の是正がめぐらされて、少しづつ世界はまともになりつつある。
でもまだまだで、未だに経済的格差から失ってしまう命はあるのは確か
それを少しでも無くそうと、国際機関とか国家間援助とか民間募金とか皆が努力して、失ってしまう命を救おうと、富を持つ者の偽善があったとしても、みんな絵空事の世界の幸せを描いてきた。
人の命なんです。
子供でも、老人でも、死に際の救えない命でも、たった一つの命なんです。
私達はしっかりと考えなければならい。
でなければ、私たちにとって大切な命、家族や友人、子供や恋人、誰一人として今死ぬ必要が無い大切な人が死んで良くないんですよ。
たとえ、1ヶ月後、1年後、10年後に死に別れたとしても、今死ぬ必要は絶対にない。
ひとがしんでいるんです。
数日後には死んでるかもしれない
そんなひとがしんでいるんです。
私はそれを踏まえたい。
複雑で面倒だけど
それが本当に人の命と天秤にかけて今の選択が良いのか考えたい。