はてなキーワード: 公立校とは
私立では基本配備されている警備だが、効率では金銭的に難しいのは重々承知しているつもりだ。
県警などが手配すればいいだけだった。
そんなの毎日していられない、という言い分は分かるが、
埼玉の今回の事件は猫殺害事件の犯人と同一ではないかという憶測がある。
猫事件の現場からは5キロも離れていないし、あれも小学校に晒されていたというものだ。
何度もネットでは言われているが、動物虐待をして、それを飾る行為は危険人物のするものだ。
性癖などで片付けるものではなく、目立ちたい、自己顕示欲、気づいてほしいなどといった思考から
行為がエスカレートしていくものだ。あれだけ衝撃的だったサカキバラの事件がもう風化している。裁判記録も破棄された。
もし今回の件が同一犯なら、全国的にそういうことが起きている地域は警備を置いた方がいいし
吹奏楽コンクールの中学部門が来年度から「中学生の部」となり、中学生以下のメンバーだけで構成する地域吹奏楽団も出場可能になる。部活地域移行の流れを汲んでる動きだ。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230121/k10013955891000.html
今年は中学部門だけだが近いうちに高校部門も地域楽団に開放されるだろう。そうなると何が起きるか予測する。
当たり前である。地域移行とは言っても対象は公立校だけであり、カネも人(指導者、トレーナー)も練習場所も機材(主に打楽器)も学校のリソースが使える私立校は今の部活が残るため、カネも練習場所も人も強い制約がある地域楽団が敵うわけがない。コンクールに出ても地区大会(県大会またはその下部)銀賞が良いところだろう。
そんな地域楽団の代わりに台頭が予想されるのが、創価学会などの宗教団体系の地域楽団が出てきて、コンクールで上位に出始めることである。
宗教団体系楽団は普通の地域楽団の弱点である「カネ、場所、人」に制約がない。むしろそこらの私立校よりカネは持っているし、投資して全国金という結果が得られたらその楽団に入団したい子ども達は大幅に増えるし、それを通じて信者増とお布施の増加も期待できる。
既に一般の部では創価学会系の創価グロリア吹奏楽団と創価関西吹奏楽団が毎年全国金賞を取るようになったが、それと同じようなことが高校以下の部門でも起きるようになる。創価学会はコンクールの高校以下の部では大人しいが高校の部が地域楽団に解放されたタイミングで勝負をかけてくるはずだ。その気になれば毎年億単位のカネも出せるのだし。既に創価は全都道府県に系列の吹奏楽団を作っているが、それらがグロリア、関西のユース部門として機能するようになるだろう。
創価のことばかり書いたが、立正佼成会などの他の宗教団体も追随してくる可能性が高い。立正佼成会は金食い虫の佼成ウインドオーケストラを分離させた分余裕があるだろうし、学生社会に関わりを持ちたい幸福の科学あたりも食いついてくるだろう。
そして去年目一杯叩かれた統一教会も黙ってはいないはずだ。統一教会は立正佼成会吹奏楽団(今の佼成ウインドの前進)に聖歌を伴奏してもらったこともあり吹奏楽とは長い縁がある。コンクールの地域開放を機に仕掛けてきてもおかしくない。
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=7648
吹奏楽コンクールは朝日新聞主催で大会結果は朝日新聞だけでなくNHKも含めて大々的に報道されるし、有力校は日テレの笑ってコラえてで定期的に特集される。信者とお布施の確保が至上命題の宗教団体にとって、こんな打ってつけの宣伝の場は他にあまりないだろう。
ただし、宗教団体系の楽団はマスコミ報道しづらい。例えば2028年の吹奏楽コンクール全国金賞受賞団体が「創価グロリアジュニア東京」「創価関西吹奏楽団ジュニア」「幸福の科学学園ハイスクールバンド」「RHK(霊波之光)ウインドオーケストラ」「佼成ユースウインド」「世界平和統一家庭連合シンフォニックバンド」みたいな宗教団体系の寡占になったら、果たしてそれを各マスコミが報道してくれるかどうか。報道されたらさぞかしシュールだろう。
ただ基本的にマスコミ各社は特定の宗教団体の宣伝に繋がる報道はしない。例えば近年の箱根駅伝は観客が大学名の旗を掲示することがNGになったが、これは創価大学が箱根駅伝常連となり、箱根駅伝が創価学会の宣伝の場と化してしまうのを大会を中継する読売グループが嫌気したためである。
吹奏楽コンクールについても、全国金賞を宗教団体系が寡占するようになると朝日新聞が報道の扱いに難儀し、主催の座を降りてしまう可能性がある。
そうなると各宗教団体は吹奏楽団に金を出す理由がなくなるため、宗教団体系の団体が次々と居なくなり、それ以外の地域楽団はペンペン草も生えない状態が予想されるため吹奏楽コンクールは衰退の一途になる。朝日新聞が宗教団体系の寡占に耐えられるかどうかがコンクール継続の鍵を握るだろう。
部活動地域移行は、カネと人と施設はどうするんだという課題がどうしても大きくなる。それを手早く解決するにはカネも人も施設も持ってる団体のサポートが必要であるが、一般企業が手助けしてくれるわけもなく、自治体も特定団体の便宜を図るような行為は監査請求食らって一発アウト。従って宗教団体くらいしかサポートしてくれるところがない。
だから、部活動地域移行はその活動に対して宗教団体が宣伝目的で進出してくる切っ掛けになるのである。
地域移行に関しては「機会格差の拡大懸念」が昨年後半あたりからようやく認知され、多少は是非や対策が議論されるようになったが、「宗教団体が出しゃばってくる可能性が高い」という視点では指摘や議論がなされているのを見たことがないので関係者の人達も一度考えてみて欲しい。なお現役指導者の人達は「金をもらえればカルトでも構わない」連中ばかりなので考えなくても良い。
私は女子校育ちだ。
私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。
地元の中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。
第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。
もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。
1人敵がいると団結できるもんな。
下手くそなバスケはさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。
なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。
当時の私は細くてAは小太りだった。
このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。
このままでは私の数少ない友達もいじめられてしまうと思ったから親友と連絡を取らなくなった。
その当時流行ってたmixiとかCURURUでブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。
ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。
わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら
親友でなかったのかもしれない。
そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。
ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。
ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。
実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。
もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。
未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。
彼女は高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代に部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。
私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。
Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。
スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。
負けて悔しい、そんなことすら思えた。
向こうからしたら中学までは自分はぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。
そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。
最愛の夫はあなたが学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。
本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。
同じように人をいじめる子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、
嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。
むしろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。
その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。
周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。
全て捨てたっていいんだよって。
何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。
そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。
無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。
それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。
拝啓15歳の私へ
今負けそうで泣きそうなあなたより
15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。
このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去にいじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。
いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。
そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。
そして同じような15歳に伝えたい。
年収1200万程度だと東京では豊かな生活はできない。マンションは買えないし車も維持できない。子供を私立の小学校に通わせて塾にやるとお金が足りない、みたいな話あるじゃん?
単純に疑問なんだけど私立に行かせてもその子の将来は親と同じように年収1200万の会社員に育つだけしゃないの?年収2000万円になって東京で豊かな生活ができるようになるの?
それなら公立校にして余ったお金で家族で旅行するなり美味しいもの食べたり子供に勉強以外の体験をさせたほうがよくないかな。
「公立校にして年収600万になったらどうすんだ!」みたいな話はあると思うけど、親の役割としては年収600万でも幸せに暮らせるような価値観を与えることというか、どうせ年収1200万でも裕福じゃないなら年収600万円でもいいと思うけどな。子供にも東京で同じ生活させる?
もちろん私立に行かせるのは子供の可能性を広げるとか周りの環境がみたいな理由が一番なんだろうけど、それでも最終的に行き着くのは東京で年収1200万なら対して差はないでしょう。
たぶんあなたの子供が大人になったら「東京で年収1200万円は足りない。公立校は民度が低くて動物園」とか平気で言っちゃう大人になってしまうと思うよ。
L知ってるか、カルフォルニアという州を。北にはシリコンバレーがあって南にはハリウッドがあるんだ。
シリコンバレーではポリコレが大人気だ。気軽に正義アピールができるので浅はかな人間に大ウケしている。Masterブランチが差別だと叫びながら良い学区に我先にと住みたがる。米国の公立校は学区で金を出し学区で教育内容も決めるので悪い学区に住んだらそれだけで将来に悪影響が及ぶ。Blacklistが差別だと声高に叫びながらgated communityに住みセグリゲーションの恩恵を受ける。サンフランシスコはドラッグ中毒のホームレスにまみれ薬局の棚には鍵がかけられている。950ドルまでは万引きしても捕まえられないので白昼堂々と万引きが行われている。
ハリウッドでもポリコレは留まるところを知らない。有色人種の声優は有色人種がやるべきなど意味不明な正義を撒き散らしながらも本質的な問題解決には一切興味がない。シリコンバレーの浅はかな経営者と同じく浅はかなパフォーマンスにすぎない。ビバリーヒルズから一歩出るとそこには大量のテントが張られている。そのコントラストは非常に美しい。ハリウッドがあるロサンゼルスは温暖な気候であることもありホームレスの数は全米でトップだ。
ポリコレは害悪だ。ポリコレに精を出す者も同罪だ。Masterブランチが差別だから変えろだのBlacklist/Whitelistが差別だから変えろだのMaster bedroomを言い換えろだのそんなことに時間とエネルギーを割いている人々は全員舌を噛んで死ぬべきなのだ。
公立校のレベルが下がって甲子園で勝ち上がることがレアケースになった結果、公立校と野球留学校が対戦した場合、前者に過剰に応援が集まってしまうことも一つの問題。
野球留学校の選手は「おれたちも必死で戦っているのに、なぜ応援されないのだろう」と疑問を感じているはず。しかし、現在の構造が続く限り、公立校 vs.野球留学校の組み合わせになったら、どうしても前者に応援が集中する。「全員地元の子供が公立のお金もない環境の中で鍛えて甲子園で勝つ」という物語より、「お金のある私学が優秀な選手を全国から集めて全寮制で鍛えて甲子園で勝つ」という物語に共感が集まることは絶対にない。
「応援が少ない」「負けた方が喜ばれる」という環境で野球をするのは、選手の精神にとっても明らかに不健全だと思う。そういう意味でも野球留学校は好ましくない。
明日甲子園開幕だが、かつて1990年代に、高校野球における「野球留学」への批判が高まったことがある。例えば「青森県代表」にもかかわらず、選手全員の出身中学が「大阪」であることへの批判である。「地元代表」という甲子園の建前を裏切っているだけではなく、学校の宣伝になるからと、地元で甲子園で出場することが困難な生徒を集めて、レベルの低い県で甲子園出場を実現させるという、「大人の思惑」が透けて見えることも批判の的だった。
当時の自分は、そんなに悪いことだとは思わなかった。初戦で大敗する地元の高校が出場するよりはマシだと思っていたことと、雑誌などでヒール扱いになっていることへの同情票と、野球留学校が全国でも数えるほどだったことなどが理由である。よくある批判も「きれいごと」だと思っていた。
しかし今の自分は大人になったこともあり、野球留学校にかなり批判的な意見になった。批判的になった理由は主に以下の2点である。
第1に、野球留学校には今でも100人を超える部員数を抱えている高校が多い。かつても強豪校の部員数は多かったが、子供が多く、野球部の人気は他を圧倒していたから、特に問題にはならなかった。現在は、少子化に加えて野球だけが人気スポーツの時代ではなくなり、出場校数は激減している。野球留学校は、そうした時代に、他校の出場の機会を奪ってまで、3年間試合に出場することもない「補欠」を膨大に抱え続けている。野球留学校は、地元の高校に進学してレギュラーとして試合に出るよりも、甲子園のスタンドで応援することのほうに価値があるという、少なくともスポーツや部活動としては明らかに歪んだ考え方を促進してしまっている。
第2に、野球留学校は地元を離れて全寮制で生活させるため、指導が合わなかったり、先輩や選手間のしごきやいじめがひどくても、辞める選択肢がない。野球留学校で野球部を辞めるということは、学校も退学せざるを得ないということであり、学歴が中卒のまま進学や就職で大きな苦労を強いられることになる。退部率はかつての強豪校ほうが確かに高かったが、多くが地元の公立校だったので、退部しても居場所はどこにでもあったし、普通に進学・就職に進路を切り替えればよかった。退部した後の人生の困難については、現在の野球留学校のほうが100倍深刻である。
現在はかつてとは異なり、全ての県に野球留学校が存在している状態になっている。県代表校の出身中学の大半が県外、というのは今や当たり前の風景で、かつてのように批判もされなくなっている。そういう現在だからこそ、野球留学への批判がもう少し盛り上がるべきだと考える。