はてなキーワード: レトロとは
なんとなくシューティングゲームという印象だけあってプレイしたこともプレイ動画をみたこともない
起動すると何もない空間で地べたに片膝たてて座ってこっちを無表示で見てる、無機質さを感じさせるlainみたいな女性
でもlainより年上 むらたれんじっぽさもある
その女性がこっちを指さしてきて指先が光ってタイトルがバーンと出る
そしたら女性となんかモンスターが並んで座ってるイラスとに変わった
ゲーム開始すると、だだっぴろい部屋の奥の方に女性とモンスターがぼーっと座ってる
床にはガシャポンの玉がいっぱい転がってる
玉の1つ1つにレトロゲーが入ってて、それをクリアするミニゲーム集、というのが魂斗羅ゲームボーイアドバンス版の実態だった
それで対戦ゲーの場合は相手(女性と怪物のどっちかは不明)と戦って勝つ必要がある
ただこのゲームの特殊なところは、ガシャポンをあけるとき、中身のゲームをクリアしたことにする、という選択肢があるところ
町内会の掲示板になにか動物の写真が貼ってあった。また迷い猫かと思って通り過ぎざまに覗くと、『ハクビシンにご注意!』と書いてある。写真の画質は荒く、暗闇に目を光らせたひょろ長い動物が写っている。住宅街でも屋根裏に住み着いて、糞害が発生するらしい。
ああ、こいつか、と思った。
去年から木造の平屋に住んでいる。昭和初期の建物だと不動産屋は言っていた。立地のわりに家賃が安かったので借りたが、毎日、夜になると寝室の天井裏で何かが走り回る気配がする。ベッドに入って電気を消すと、狙いすましたようにどたばたが始まる。
こんな音をたてるネズミって、どんな大きさだろう。「きっと子犬くらいの大きさに育ってるよ」と彼女が答える。ベッドに横たわったままこちらを見ず、眼の白い部分だけが潤んで光る。この種のやりとりは毎晩寝る前の儀式みたいになっていた。どちらかが黙ったらもう寝るという合図だ。
ハクビシンの画像をiPhoneで見せた夜。「かわいい。ねえこれ見たい」と彼女は言った。
板を外して天井裏を覗いたら、ハクビシンの糞だらけかもしれない。野生動物は勝手に捕まえちゃいけないらしいから、見つけたところでどうしようもない。とは言ってみたが結局、週末にホームセンターへ脚立を買いに行くことになった。この興味と意欲はどこから来るのか。彼女はこれほど動物好きの人物であったか。一緒に暮らしてみたところで、知らないことの方が多い。
思えば、天井裏のどたばたが始まった頃から、彼女は籠もるようになった。夕食後の片づけが終わると無言で寝室に行き、鍵をかける。自分はダイニングテーブルで国語の小テストを採点していると、壁の向こうからベッドのきしる音が聞こえる。はじめのうちは思い出したように間を置いて聞こえるきしりが、次第に規則正しく、小刻みになる。聞いているだけでこちらも緊張感の高まりを感じるが、寝室は隣なので聞かないようにすることもできない。
「さ」と「ち」が逆になっている答案を赤ペンで直したりしているうちに、ベッドのきしりは神経質なほど小刻みに高まってから突然止む。ほどなくして彼女は裸足でやってくる。顔は風呂上がりのように上気して赤く、目はどろんとしている。冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐと一息に飲む。まるで今日は一滴も水を飲んでいなかったように、喉を鳴らして飲む。飲み終わるとキッチンのシンクにそのままコップを置いて、椅子へ逆向きに跨がり、背もたれに肘をついて、髪をくしゃくしゃにつかんだままじっとしている。こういうときには話しかけてもだいたい返事は返ってこない。
土曜の夕方、ホームセンターへ行ってアルミ製の脚立を買った。二つのはしごを留める部分が赤く塗装してあり、なんとなくレトロな感じが気に入った。二人で車に脚立を積み終わると暗くなっていたので、どこかで何か食べてから帰ることにした。
国道沿いのドライブインに寄った。入口の上にメガラーメンと大きく書いてある。プラスチックの板を一文字ずつ切り抜いて貼ってあるらしいが、左端の一文字が剥がれ落ちて読めない。店内は他に客がいなかった。テーブル席に座ると店主らしい人が出てきてメニューを置いていった。「ラーメン」と一行だけ書いてあったので頼んだ。
出てきたラーメンは真っ黒で甘辛かった。スープの表面が灰色になるくらい彼女はコショウの瓶を振った。そんなに入れて辛くないのか聞いたが、これおいしいと言いながら彼女は丼を飲み干した。
帰宅して寝室に脚立を設置すると、彼女は滑らかな動きで昇った。脚立を支えながら見上げると、彼女は天井の板を外し、頭を入れて覗き込んでいる。何かいる?と聞くと、わかんない、もっとよく見ないと、と言いながら天井裏に入っていった。
「ああああああああああ、めっっちゃくちゃ生えてる、生えてるよ?」
何が、と聞いた瞬間、天井の穴から何かが大量に、雪崩をうって落ちてきた。完全に埋められてしまったので手でかき分けて頭を出し、ひとつ拾い上げてみると、それはピンポン球大の茶色いキノコだった。つまむと弾力があった。見たことがない種類だったので、食べてみる気にはならなかった。寝室を埋め尽くしたキノコを少しずつポリ袋に入れ、燃えるゴミとして出す作業はそれなりに大変だった。
ということがあったのが去年の秋口なので、そろそろ半年になる。
寝室に置いたままの脚立をどこかへ片づけようかと思うこともなくはない。が、彼女が戻ってきたときに降りられなくなると困りそうなので、当面の間はそのままにしている。
京都にも国会図書館あるし、しかも国際マンガミュージアムもある
東京もんには負けへん!
朝、NHKのローカルニュースを見ていたら、近くの温泉ホテルで現代アートのフェスをやってるというのが流れてきた。
個人的に美術には造詣が深くない。持っている美術知識といえば大学の一般教養で受けた西洋美術史概論(途中でいかなくなったため単位未取得)とダヴィンチコード(序盤で読むのやめた)くらい。
特に「現代アート」なんてものはわけがわからない。ルネサンス絵画や印象派の絵なら実物を見て、「あ、これ知ってる!」「すごい!」、「うまい!」、「きれい!」などの感情を抱けるが、現代アートと呼ばれるものは、見ても「?」、「これがアートなのか・・・アートってなんなのかよくわからんわ・・・」みたいな感情しか持てない。
なので普段なら見流すところだった。
だがしかし、前日にスーパー銭湯でブルーピリオドを読破していた私は俄然興味を持っていた。
今なら、わかる気がする。
もしわかんなくてつまんなくても温泉に入れるみたいだし、温泉ホテルで美術館ってなんか珍しいから話のネタになりそうだし。
というわけで行ってみたんだが、結論から言うと、行って良かったとは思うがそれが現代アートのおかげなのかどうなのかは正直よくわからん、というところ。
会場は半径500mくらいの温泉街の5、6個のホテルに点在していてる。高低差が50mくらいある。結構歩く。つらい。
鑑賞エリアがわかりやすく区切られているわけではなくて、ロビーの一角だったり、エレベーターホールだったり、客室、ゲームコーナー、ラウンジなんかに自然な形で展示されていて、それが意図して作られたアートなのか、元からあったホテルの什器なのかよくわからなかったりする。
どのホテルも年季が入っていて、80年代、90年代のバブル、平成レトロな空気が漂ってるように感じたんだが、これがアートのおかげなのか元からそうだったのかよくわからない。
作品展示以外にもロビーで劇をやっていたり、夕日が沈む海の前でバイオリンを弾いていたり、日常空間が非日常空間になっていてよくわからない気持ちになった。
穏やかな海と冬の午後の暖かい太陽がとにかく美しくて、ノスタルジックなホテルで展開されるよくわからない現代アートと相まって、不思議な空間を作り出していた、気がする。
いやほんと、気がする。確信が持てない。なんとなくでしかない。ずっとほわほわしていた。
ブルーピリオドを読んでいたおかげで、作品が絵や彫刻でなくても「これがインスタレーションってやつね!」と自分を納得させることはできたが、それ以上の助けにはならなかった。
なんだろう、映えスポットだらけだった。現代アートと映えスポットの違いがわからない。若者はあまりいなかったけど、いたらきっと至る所でパシャパシャしてるんだろうな、と思った。
結局私には現代アートはわからないままだった。でもこの日の体験は行ってよかったと思えるものだった。
https://www.kamometomachi.com/new-shinbashi-photo
https://town-review.net/new_shinbashi_bldg/
この二つ
日程は決まってないけどそのうち取り壊されるらしいので
行くなら早めにどうぞ
第二次ヴィジュアル系ブームの最中、竹下通りにはゴスロリ女が溢れていた。アニオタの間では薔薇乙女が名を轟かせていた時代もあった。そんな世代たちの青春を見送った後2012年に神崎蘭子と出会った。
神崎蘭子はなんかまあ凄かった。俺は神崎蘭子のPでも何でもないけど明らかに何かが他とは違った。時代遅れのデザインが一周回って新しい、今で言う昭和レトロみたいな感じだった。これがまあ沢山のオタクにぶっ刺さった。運営も神崎蘭子をこれでもかと言うぐらい推した。奇跡的にも内田真礼がCVとなり、中二病でも恋がしたい!がヒットして流れが止まらない。当然のように爆売れした。
第二回総選挙の空気感を忘れられない。絶対に1位は蘭子だという確信がある中でピリピリした空気がユーザーを取り囲んだ。俺は全然別のアイドルを応援していたけれどドキドキしながら開票を待った。あの時、凄い瞬間に立ち会えた気がした。神崎蘭子は王になったんだ!と叫びたかった。
輝く世界の魔法はパッとしない曲だけど今聴いても何処か特別な曲だ。いつか内田真礼さんがセンターで歌うところを見たいものだ。
そしてアイドルマスターシンデレラガールズがアニメ化した。神崎蘭子とアナスタシアだけが特別にソロ曲を貰った。木村夏樹も貰っていたがこの枠ではないだろう。アニメから新しい神崎蘭子のオタクがわんさか入ってくるようになった。俺はそれにすごくワクワクした。
この頃には多分課金額やオタクの絶対数としては高垣楓の方が凄かったのではと思うともあるし、俺の中でも「やっぱ楓さんと蘭子は違うな」みたいな感じで二強というイメージだった。今もそれは変わってない。
デレステが始まった。3Dモデルが動くアプリの効果は凄まじかった。やはりビジュアルが特殊なアイドルたちは人気を伸ばした。ようはパッと見で目立つ派手髪のアイドルの勢いはすごかった。特に金髪は特大バフがかかったように思う。宮本フレデリカがあんな人気になるなんて想像出来ねえだろ。凄えよ。
勿論ここでも神崎蘭子は凄かった。銀髪は金髪程顕著ではなかったがやはり強い。
この頃からライブ会場やイベント会場に蘭子の缶バッジを沢山つけたオタクが少し変わり始めた。
蘭子の缶バッジをつけた女オタクの隣には大抵二宮飛鳥の缶バッジをつけた女オタクがセットで現れるようになった。どうもダークイルミネイトが強かったらしい。オタクはわかりやすくあーいうのが好きらしい。素直にかっこいいしかわいいし俺もダークイルミネイトは好きだ。神崎蘭子はやっぱ凄えな!って思った。
そして先日、熊本県とコラボする絵を見た。なんかダサかった。元から周回遅れの厨二病デザインだからダサいのはダサいのかもしれないけどなんかすげえダサいと思った。こんなん神崎蘭子じゃねえよ。でも間違いなく神崎蘭子なのだ。
よく考えれば今ってまた病み系が流行り出し、厨二病デザインがまた巡り巡ってリバイバルしてる気がする。Vtuberとかもゴシック系多いし。その周回遅れてやってきたゴシック系の中に混ざると、神崎蘭子がすげえダサく見えてきた。なんだこれ?
よく考えたらもう長らくライブも見れてないし、ソロ曲もない。ちとせとのユニットもなんだかパッとしなかった。俺が憧れた超かっこいいアイドル神崎蘭子は何処に行ったんだ?なんかふと怖くなった。
はやくまた周回追い越して超かっこいい神崎蘭子を見せてくれ。凄いソロ曲、凄いステージ、何でもいいから。神崎蘭子のすごいところが見たいよ。そんだけ。
https://anond.hatelabo.jp/20230121112445
■新聞の末路
https://anond.hatelabo.jp/20230107053458
■知的水準で階層分断すればものすごく快適なインターネット空間ができる。
もちろんそんな階層分けは全然現実的じゃない。でもそういう露骨な形でない、それとわからないような垣根はいずれできていくだろう。
新聞がオワろうとしてるのはあとから見れば分断進行の一里塚だろう。
識字率向上が国民を統合し、マスコミが公共空間(あるいは共同幻想)を作った。
■かつてPCという新しものに飛びつくにはそれなりの敷居の高さがあった。
それをクリアできる人だけのコミュニティは、一瞬だけユートピアだった。でもすぐに一般化してスラム化した。
今後はそういう一瞬のユートピアや永遠のスラムが固定化して行くのではないか、その需要に応える機が熟したのではないか
いま、ネットって「通信手段」というより生活空間になってきてる。「空間」という言い方は100%比喩だったのが100%じゃなくなって来ている。
つまり物理的な住み分けに加えて、サイバー住み分けが可能になってきている。
一歩先行ってるアメリカの分断を見よ。
居住地と紐づいた分断だけでなく、ふだんどういう情報に触れてるかで見えてる世界が完全に違っちゃって、議論の接点すら持ちようがなくなってる
■ネットに限らずいろんな社会インフラが人を繋げる方向性、均質化させる方向性を強化維持してきた。
TVの全国放送ができてみんなが紅白を見る時代が来た。でもその流れが進むと多チャンネル化して、みんなが観てる番組はなくなった。
ネットも同様だと思う。ある時点までは人を繋げていく方向、ある時点からはみんなが常識として共有するものを砕いていく方向に作用する
■メディアは政治的だがネットワークは透明な媒質だというのはすごくレトロなネット観。
いま陰謀論が流行だが、彼らとはもう繋がりたくないし繋がれない。でもアノンはアノンで「一部のトンデモさん」と切り捨てるには大きすぎる世界を既に作っている。
250ccの、よくいえばレトロ、悪くいえば古くさいデザイン。
不安定なエンジン、驚異的な冷間始動の弱さ、錆びやすく、遅い。
バイクでいう『遅い』にもいろいろと意味があるが、およそ全ての意味で『遅い』ので、好きに遅さをイメージしてもらえると間違ってはいないと思う。
※
バイクには確か2006年を境にガソリン濃度を電子制御(FI)する機構が取り付けられているのだけれど、私の機体は2003年式なので勿論キャブである。
FIとキャブの違いはとても大きくて、始動時に面倒が二手間ほどかかると思ってもらえば間違いない。
エンジンを掛けて、実際に走り出すまで五分とか十分を要するのだ。エンジンを掛けて、調子をうかがうのであるが、エストレヤが行けるという前に走り出そうとギアを入れるとエンジンは止まる。
自然、エストレヤの機嫌をエンジン音から推定するようになるが、わがままなお姫様をあやすように根気強くやらねばならない。
そうして走り出しても、五キロとか十キロを走るまでは一時停止するとエンジンもしっかりと停止する安全設計。
止まれば、たとえそこがトラックのガンガン行き来する細道であろうがバイクを降りてチョークを引いて再始動などが必要になるので停止するときはエンジンが止まらないことを祈りながらブレーキを掛ける。
つまり動き出し序盤は可能な限り、信号にも一時停止にも引っかからないルートを選ばねばならない。
そうして走り出しても、エストレヤは冷風にとても弱い。
真冬に冷たい風が吹けばエストレヤは勝手にエンジンを緩めて冬眠準備を始めるのだ。
割と暖かいトンネルから出た瞬間の横風が最もエストレヤによくない。
時速60キロで走っていたのに勝手に20キロまで急減速をかけてくれる。
これはエンジンを掛けて10キロ走っていようと100キロ走っていようと関係ないのだ。
しかも、金属を多用した車体はとにかく磨かなければすぐに錆びるのだ。
※
しかし、これらは逆に乗っている間はずっとエストレヤの機嫌を考え続けることになる。
もっと慣れると、降りたあともエストレヤのことを考えることになる。
おそらく、もっとちゃんとしたバイクに乗り換えることはこの先もあるだろう。エストレヤより速くて快適なバイクが世の中にはいくらでもある。