はてなキーワード: デザイナーとは
ファッション業界の現状について一考するに、確かに最近の動向にはいささかの憂慮を覚える。コレクションにおいてはデザイナーたちが尽力しているものの、実際の収益はダブルネームのコラボレーションに依存していることが多い。
特に、ギャルソンが例のハートマークのロゴを採用し始めた時から、業界の方向性が疑わしくなり始めたと言える。一昔前にはブランドロゴが目立つことが不格好とされていたが、今ではそれが主流となり、あえて堂々と表示されている。その理由は単純で、消費者にとって分かりやすいからだ。
しかし、ここにデザインの本質的価値を自ら否定している矛盾がある。ブランドの存在意義は、その独自性と創造性にあるべきだが、ロゴの露出に依存する現在の状況は、デザインの真価を軽視していると言わざるを得ない。このようなトレンドが続く限り、ファッション業界は本来のクリエイティブな価値を見失いかねない。
わびとは、新鮮で素朴なもの。
シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。
自然によって作られたものと人間によって作られたものの両方が含まれる。
また陶磁器に流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。
経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。
これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。
「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅の緑色の腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカの日本庭園、マギー・オスター
「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さびは本来、社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉の意味は、よりポジティブな美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさびの意味は大きく交差し、今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独、寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築の古典的伝統:現代版」数寄屋の流儀』 伊藤貞二、二川幸雄
「...小堀遠州、桂離宮の設計者として広く知られている男。建築や庭園に適用された遠州の様式は、宮廷の伝統の優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休のさび(人里離れ、静けさ、牧歌的な簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたからである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志
「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚なものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびなものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体や建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ
「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます。創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品。 世界には、それぞれの性質や環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れています。しかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本の洞察」、柳宗悦、バーナード・リーチ
「日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉を英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本の民芸」柳宗悦
2年で3名ほどアプリのデザイナーを業務委託で雇って結論、業務委託もういらん、面倒という結論に至った。
・業務委託雇った当初、一人デザイナーだっためリソース多いほうがよいのではということで、フリーランスを雇うことにする。
・社会人7年目。
得られた所感
・準委任契約でリモート前提は相当な信頼関係がない限り無理。明らか自分のキャパ以上の仕事を並行して受けているフリーランスはこちらからすると、アウトプットが少なすぎる。
・準委任で週5日フル勤務契約なのに他の仕事掛け持ち前提で従事しようとするフリーランスは、いかがなものかと思った方が良い。
・レスが遅い人は切る対象にしたくなる。即レスを求めるわけではないが、チャットで質問して5時間後にくるのが普通なフリーランスは感覚がずれている。
・そもそも進捗具合を聞かないといけないようなフリーランスは切る対象で良い。
・商談(面接ではない)で、一つでいいからプロジェクトの中でどんな立ち回りで関わっていたか、どのくらいの期間の仕事で何をしたか細かく聞いたほうがよい。ここで返答が曖昧だったり、理解ができなかったらその人材は会社にあってない。
・盛り癖があるやつは、関わった会社のロゴを資料にペタペタ貼り付ける。
・プロトタイプで終わったやつとか、世に出てない製品についてはあまり参考にならない。
・初めて話して泥臭く仕事に取り組む姿勢や素直さが感じられない場合は大抵地雷。
・アウトプットがチェックしてもらう前提で上げてくるので、チェックに時間を割けるなら雇っても良いと思う。ただチェックする時間を割くくらいなら自分で作業した方が良い。自分で学習したほうが早くないか?と思う。
3名とも単価100万/月以上になるが、この金額払って業務委託雇うくらいなら、自分でやったほうが早いという結論になりフリーランスはもう雇わないだろう。
既報の通りエイドリアン・ニューウェイがレッドブルから離脱する。
レッドブル総帥ディートリヒ・マテシッツの死から2年も保たずレッドブルF1チームの崩壊の始まりとなったのは残念なことである。
そのきっかけがチーム代表のクリスチャン・ホーナーのセクハラ問題であるというのはなんとも現代的で悲しい。
そうなるとニューウェイ作のフェラーリマシンが登場すればフェラーリがチャンピオンになるのは間違いない。
ホンダPUがメルセデスと互角になった途端にレッドブルがチャンピオンに返り咲いた。
パワーユニットの性能差のハンデという特殊事情がなければメルセデスがコンストラクターを8連覇もするはずはなかったのだ。
おなじPUを使っていればレッドブルとメルセデスは毎年僅差でチャンピオンを争うか、もしくはレッドブルが圧勝していた。
つまり、なんらかの事情でフェラーリが不利な状況が生まれなければフェラーリが、ニューウェイのマシンが勝つのだ。
そういうことを考えるとF1はいっそニューウェイを禁止すればいいのかも知れない。
不世出な天才デザイナーを禁止することでチーム間の力の格差が是正されるのであれば、F1にとってそれは幸いなことではないだろうか?
日本ではあまり知られていないかもしれないが、英語圏では任天堂のアクセシビリティの欠如を非難する記事やコメントは珍しいものではなくなってきた。
特にNintendo Lifeのこの記事はかなり強烈だ。(https://www.nintendolife.com/features/soapbox-zelda-tears-of-the-kingdom-straight-up-fails-in-just-one-respect-accessibility)記事の本文だけでなくコメント欄もぜひ読んでほしい。
C5/C6麻痺を持っているゲーマーの男がゼルダについて書いた記事だが、彼はTears of the KingdomがBreath of the Wildと比べてアクセシビリティの面でどれほど進化しているか期待していた。しかし期待しても無駄だったようだ。彼は2019年6月にKotakuが青沼英二にしたインタビューを引用して青沼を非難する。
青沼:ボタンを配置する時は、プレイヤーに感じてもらいたい特定の方法があるので、非常によく考えて配置しています。キーの割り当てなどのカスタマイズをプレイヤーに自由にさせてしまうと、ある意味、開発者としての責任をすべてユーザーに丸投げしているような気がします。私たちはゲームをプレイするとき、すべての人に楽しんでもらうことを考えているので、プレイヤーにもそれを体験してもらいたいと思っています。しかし、プレイヤーが自由なカスタマイズを望んでいることも理解しています。
彼は上記のインタビューを引用した上で「青沼はそれを認めながらも、その指摘をはぐらかし、結局何もしなかった。青沼さん、同業他社(your peers)が何をやってるか見てみろよ。」と青沼を非難している。ここでいう同業他社とはソニーやマイクロソフトなどの大手プラットフォーマーだけでなく、EAやUbiなどのソフトウェア会社も含まれるだろう。彼は身体障害者専用のゲームをわざわざ作ってほしいと言ってるのではない。ただ単に、他社のゲームでは普遍的に実装されているキーコンフィグを設定メニューに追加してほしいだけなのだ。任天堂のディレクター、プログラマー、UIデザイナーは2023年になってもキーコンフィグすら満足に実装することができない。5,000億円もの利益を稼いでいながらそのためのプログラマーすら雇えないのか?一部の人はSwitchの本体設定でキーコンフィグをいじればいいと言うかもしれないが、それだとゲームを切り替えるたびに設定も変えなければならないし(一応、本体ではボタンプリセットを5個まで保存できるが)、QTEなどの状況に本体設定は反映されない。ゲームソフトの内部にキーコンフィグを実装するか、あるいはSwitchの本体設定によるキーコンフィグをソフト1本1本に対して保存できるようにすれば解決するだろう。
だが同業他社と比べた時の任天堂の劣後はそれだけではない。たとえば、ソニーとマイクロソフトは障害者用のコントローラーを開発、販売している。(ソニー:Access コントローラー、マイクロソフト:Xbox Adaptive Controller)
任天堂は?任天堂は何もしていない。厳密には周辺機器メーカーのHoriがSwitchで使える同様のコントローラーを販売しているが、任天堂本体は何もしていない。歴史を遡ると、任天堂はこの分野で業界の先頭を走っていたことがある。Nintendo of America(つまり京都本社ではない)は過去にNESで使える障害者用のコントローラーを開発していた。(https://ablegamers.org/history-of-accessibility-in-gaming/)だが今の任天堂は、再三繰り返しになるが、何もしていない。The Game Awardsという大きなゲーム賞がある。この賞では2020年から「Innovation in Accessibility」という項目が新設され、ゲームにどんなアクセシビリティ設定が実装されているかで評価される。それ以降、ソニーやマイクロソフトのゲームはこの賞を受賞したりノミネートされたりしているが、任天堂はノミネートすらされたことがない。この分野で任天堂のゲームは誰にも推薦されないのだ。
ちなみに、任天堂のこうした姿勢は他にも奇妙な事例を生み出している。ファイアーエムブレム 風花雪月では、Switchの携帯モードで遊ぶと文字が小さすぎて文章を読むことすらできないと指摘されている。(https://kotaku.com/the-text-in-fire-emblem-three-houses-is-too-damn-small-1836822715)別のメディアもこの問題を取り上げていて、そこではなんと3DSのファイアーエムブレムよりも字が小さくなっていることがわかる。(https://www.thegamer.com/fire-emblem-three-houses-accessibility-problem/)
これはかなり滑稽だ。テレビモードと携帯モードを切り替えられることはSwitchの最大の特徴の1つであるにもかかわらず、任天堂自身がその特徴を侮辱的に扱い、結果的に携帯モードを無意味にしているのだから。任天堂の経営者は「ハード・ソフト一体型のビジネスモデル」が云々とよく発言しているが、実際のところハードとソフトは大して統合されておらず、Switchの特徴は機能不全に陥っている。むしろPCゲームの方がハードウェアのことをよく考慮しているだろう。PCの場合、さまざまなハードウェアの組み合わせに対応する必要があるため、設定メニューで画質やUIなどを自由に変えることは当然の機能だからだ。
最後に、一番上で紹介したNintendo Lifeの記事の最後の文章を引用しよう。
「私は以前、任天堂はゲームをアクセシブルにすることをただ思いつかなかっただけだと思っていが、それは間違いだった。真実は、私たちの提案と嘆願は認識されているだけで、現時点では、開発者は積極的に障害のあるゲーマーを排除することを選択している。Tears of the Kingdomは、これまでで最も見え透いた嘘の例だ。」
任天堂の経営者は「任天堂に関わるすべての人を笑顔にする」などと表明しているが、彼らが実際にやっていることはかなり軽薄なのだ。
Copilot デザイナーで試したら必ず男女と犬が出てきた