はてなキーワード: スパコンとは
どっちに転ぶのかね、今主流になっている、マルチコア系の技術であるマルチタスクは、スパコンやGPU並みの処理だと
スレッド技術であるLinuxより、RTOS系列のJOB・タスクであるTRON的な考え方の方が、有利であることは事実だけどね。
でもまぁ、そのJOB管理をコンパイラがやってしまおうというCILKもあるわけで、時代がどっちに転ぶかはわかんね。
ただ、スレッドのコンテキストスワップとかを理解しないで、スレッド書いている人が量産されたというバッドノウハウ的な設計がまだまだ多そうだし、
本当は学校でJOBを教えるのがいいけど、そもそも、教えられる人がいないし
時代にIFはねーなーと思う。むずかしい。
明らかに思考速度より遅いタイピングでも一日1万字とか2万字とかで結構な量になるのを見てると、人間の思考をすべてテキスト化したら一日あたりどんくらいになるのかな。
どっかで「大学の講義90分の話をテキスト化したら新書1冊分」ってのは見たことある気がする。
フェルミ推定的に単純化して考えてみる。
常に話すと90分で新書1冊分。思考速度が話す速度の3倍だとする。
新書1冊の文字数を30文字*20行*200ページ=120000文字とする。
48*120000=5760000。
576万字。
……。
いやー絶対これより多いわ。1000万はゆうに超えるだろ。
夢みてるときとか脳内スパコン並に動いて仮想世界作ってるはずだし。
このテキスト書いてる間だけでも、このエントリの文字数の軽く100倍くらいは考えた気がするし。
つっても文字数だけで言われても実感わかないのも確か。。。
鉄道史研究家の原田勝正氏によれば、維新政府の新橋横浜間鉄道開設の目的は、経済的実用性でも軍事的実用性でもなく、
1.「日本は鉄道を走らせる国力があるんだぞ」と列強にアピールして、不平等条約の改訂に繋げたい、
2.国内保守派に陸蒸気を見せ付けて、科学技術の凄さを肌感覚で判らせたかった。
なので、「とにかく陸蒸気が走りさえずれば」、乗客ガラガラでも、経済的にペイしなくても、
目的の大半は達せられる、ということになる。
走りさえずればよかったから、国際標準軌じゃなく狭軌で良かった、となる。
「2位じゃダメなんですか?」と問いかけるのは、維新政府に「馬車鉄道じゃダメなんですか?」と問うようなものだったんだろう。
アメリカのアポロ計画なんかは、まさに「国力、科学力の壮大な可視化」。
科学がよく判らない人でも、「月に人類が行った」と聞けば、「何かワカランけど、兎に角スゴイ」となる。
「総合的な科学技術力を一般人に可視化させる装置が不足」しているのでは?
個人が科学力を見て回るには、大学研究室を巡回したり、つくばを巡回したり、ビッグサイトを巡回したり、
手間ヒマかかるし、そもそも科学リテラシーが不可欠となる。
PSYCHO-PASSのシビュラシステム = 免罪体質者達による人間的洞察結果による判定
=「俺らがこいつは危険だと判断したから、捕まえたり場合によっちゃ殺す。お前の職業適性も教えてやるよ。現状世間的にはやっぱ混乱を招きかねないからスパコンによるビックデータ解析だということにしておくけど。でもいつか皆にわかってもらえる日がくるように動いていくよ」
マイノリティ・リポートのプリコグ = 予知能力者達による予知結果による判定
=「俺らはこいつが人を殺す夢を見たから捕まえた」
DEATH NOTEのキラによる粛清 = キラ(夜神月)の善悪基準、または価値観、主観に基づく判定
=「俺がこいつを悪い奴だと判断したから殺す。でも俺の判断もそんなに間違っちゃいないじゃん。実際平和になったじゃん。それを乱そうとするLとかNとか死ねばいい。新世界の神に俺はなる」
犯罪予測ソフトウェア = 殺人を含む6万件以上の犯罪記録から仮釈放や執行猶予の期間中に殺人を犯す可能性が高い人物を判断するアルゴリズム
=「多分いわゆるビックデータ解析」
新世界よりの不適格者の早期排除 = 判定基準不明(呪力のコントロール成否?人格?)
=「こいつによって俺らが殺されるかも分からないから、先に殺しておくね。でもその事実の公知自体がストレスや社会の不安定化をもたらすから、秘匿にしておきますね」
デスティニープラン = 人間の遺伝子を解析する事でその人が持つ先天的な適性と能力を調査し、その解析結果を基にその人を最適な職業や役割に就かせて、より効率的な社会運営を目指す
オンラインゲームのアカウント凍結 = 判断基準不明(各社による)
=「お前迷惑行為かチートしたろ。いったんアカウント停めとくな。文句か言い訳ならサポセンで聞くわ」
その他にも思いつくのあったら教えてください。こういうのに凄く興味があるのです。ちょっと詳しく見ていないものもあるので、要約がずれてるかも。
現実味が一番あるのはビックデータ解析ですよね。個人や一部の人の主観と価値基準で決められちゃあれですよね。判断基準が不明、尚且つ隠そうとしてるものもダメダメですよね。遺伝子も本当にそうなの?っていう合理的説明が出来ないものに関しても信憑性薄いですし。そこらへん上手くやれたらディストピアだと言われない管理統制型社会って案外早く来ちゃうんじゃないかなーと。
統計の世界には Garbage in, garbage out という格言がある。これは、「ゴミのようなデータを使っていくら解析しても出てくる結果はゴミばかりだ」という意味
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
「相関が無い事の証明」は可能か - Interdisciplinary
期待された発電量が得られず、消費電力が発電量を大幅に上回ることを説明しなかった
視聴率10パーセントの時の誤差は±2.4ポイント、視聴率20パーセントの時の誤差は±3.3ポイントである。
1)犯罪者の98%はパンを食べている
4)パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、
後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを
異常にほしがる
6)18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、
平均寿命は50歳だった
例えばフォーブスの世界長者番付にランクインするような億万長者が1万人の市に引っ越してくれば
平均年収はつり上がってしまうが、年収の中央値はほとんど変わらない。
最初に言っておくと、増田はSCEが嫌いな方でPS3もVitaも持っていない。
そんな増田だが、PlayStation4発表でのハードウェアに対する誤解の数々を見てちょっとばかり怒りを覚えたので少し書いておく
いきなり「何が違うんだ?」と思う人や「何も違わないだろ?」と言う人も居るかも知れない。
だが後半を語る上でもこれは重要な話なので省略しないでおく。
最近のPCは当たり前のように64bitのメモリ空間を扱えるようになった。
この増田を読んでる人でも64bit OSを使っている人は少なくないはずだ。
これをもたらしたのは、x86 CPUを作ったIntelではなくx86互換CPUを作っていたAMDである。
じゃあIntelは何をしていたのかと言うと、64bit CPUを作っていた。x86を完全に捨てて。
Intelは「IA-64」という64bit CPUを開発して商品も出していたが、これは現在ではほぼ完全に消えている。
確かにIA-64は64bitをネイティブで扱えて「x86の古臭い負債」が全く無かった。しかし、現実世界はx86で作られた既存のソフトウェアを求めたのだ。ゲーム業界でも似たような話を聞いた気もする。
それに対して、AMDは「64bitを扱えるx86」を作ってしまった。これが「AMD64」であり、現在業界標準としてx86-64と呼ばれているものである。
知っての通り、x86-64は現在のIntel CPUでも対応している。AMDが作った命令を使わされる事になったIntelは何を思っただろうか。逆に、これまでIntelの命令を使ってきたAMDは何を思っていたのだろう。
PS3に搭載されていたCellは、非x86でスカラプロセッサのPowerPC CPU(PPE)と、複数のベクトルプロセッサSPEを組み合わせたヘテロジニアス(非対称)プロセッサだった。(スカラ、ベクトルについてはググろう)
スカラプロセッサが得意な処理、ベクトルプロセッサが得意な処理を両方とも高速に実行できる。それがCellの目指した「夢」だった。
スカラプロセッサとベクトルプロセッサのプログラム最適化は全く別の概念で、プログラマーにとっては野球とサッカーを同時にやらされるような物である。
しかも、スカラプロセッサとベクトルプロセッサの間でデータの交換もある。野球とサッカーのキャッチボールて。
スーパーコンピュータ「京」もスカラとベクトルの合わせ業で池田某氏に何度も叩かれるほどの超絶難産だった事は記憶に新し…いっけ?
それが原因でPS3の性能を最大限に引き出したソフトはほとんど存在せず、こともあろうにXbox360とのマルチソフトが溢れる結果となった。(ちなみに増田は360も持ってないのでエルシャダイをプレイ出来ていない、問題だ)
それに対し、PCの世界ではPS3・360が発売してしばらく後に新たなヘテロジニアスコンピューティングが生まれていた。
CPUに比べて進化が止まらないGPUをベクトルプロセッサの代わりとして使う試みだ。
GPUはスパコン用のベクトルプロセッサやCellのSPEと違い、最近のどのPCにも搭載されているので量産効果で割安というメリットがある。
DirectXのバージョンも2桁に突入し機能が増えるにつれて、「もうこれで計算すれば良いんじゃね?」となったわけだ。
結論から言うとこの試みは無茶苦茶ヒットした。近年開発されたTOP500スパコンでGPUが使われていないものを探すのが難しくなってきたし、
最近はPhotoshopなんかの比較的身近なツールもGPUコンピューティングに対応してきてヌルヌル動くようになっている。
しかし、そんなGPUにも欠点はある。「CPU・メモリから絶望的に遠い」のだ。
IBMが発明しMS-DOS・Windowsが動くことで爆発的に普及した今のPCは、GPUを外付けにすること前提で設計されていた。
DirectXやOpenGLのような例外を除いて、基本的に現代のOSはCPUとメインメモリでソフトを動かすように出来ている。
GPUも、一旦メインメモリ上でGPUのRAMに載せるためのデータを生成し、CPUから「GPU動かすよー」という命令を出さなければ動かせないのだ。
これはGPUにとって致命的すぎる欠点だった。これが原因で、遅さを跳ね返せる最新のミドルレンジ・ハイエンドのGPUでなければ逆にCPUより遅くなってしまうケースばかりだ。
現実的な理由で始まったGPUコンピューティングがぶち当たった現実的な壁である。
このGPUの欠点を克服する方法について、AMDはかなり前(少なくともGPUコンピューティングが流行るより前の2007年以前)から取り組んでいた。
GPUコンピューティングが遅いのはCPUから物理的に遠いため命令を送る時間が掛かり、メモリの扱いも異なるせいである。
CPUからGPUに命令を送る遅延を無くし、CPUのメモリとGPUのメモリを交換する時間も減らせばGPUコンピューティングのデメリットは消え失せる。
夢のある話だ。
しかし、AMDには発想と設計技術はあったがカネと製造技術はIntelと比べて絶望的に劣っていたため、
初めてのCPUとGPUを統合したプロセッサはIntelに先を越されてしまった。(IntelのGPUが絶望的に遅いからって実質出てないなんて言っちゃダメだ)
これにはAMDもかなり堪えただろう。けれどもAMDは戦略を曲げなかった。
IntelのGPUが絶望的に遅いのでほとんど意味は無かったが、少なくとも前世代のIntel GPUに比べると格段に実効性能が上がっていたのだ。CPUとGPUを近付ける統合には間違いなく意味があったということである。
AMDはCPUとGPUを同じチップにするだけでは無く、メモリ「アドレス空間」も一緒にする道を目指した。
こうなるとCPUの使っているメモリがGPUから直接扱え、GPUの使っているメモリがCPUから直接扱えるようになる。
これが実現するとCPUとGPUが完全なヘテロジニアスコンピュータに一歩近付くのだ。
2011年にやっとAMD初めてのCPU+GPUであるAPUを出せたが、メモリアドレス空間はまだ別々だった。
2012年になってもメモリ空間は別々のままだったが、AMDはARM(iPhoneやAndroidやWindows Phoneに載っているARMである)と合同でHSA(ヘテロジニアス・システム・アーキテクチャ)を推進すると発表した。
世の中の現実的な人々は笑った。「アーキテクチャだけを作ってもハードとソフトが出てこないんじゃ話になりませんよ」と。
同じ2012年、AMDは2013年中にHSAの第1世代製品を出すとだけ発表し2012年は終わった。
そして2013年2月21日(米国時間20日)、Sony Computer EntertainmentはPlayStation 4を発表した。
Cellはコケてしまったので載らない事は誰もが知っていたが、載っているハードウェアに一部の人が驚いた。
―HSAである。PC用のHSA対応APUがまだ正式発表されていない中で、なんとHSAを載せてきた。(2013年末発売だから当たり前だというツッコミは止めろ!)
CPUはx86-64のJaguar 8コア(ちなみにPC向けJaguarは4コアまでだ)、GPUはRadeon HD 7800相当でPS3と違いガチで1.8TFLOPS(理論上1秒間に計1.8兆個の小数点を含む計算を実行可能)のスペックを持つ代物だ。
このCPUとGPUは8GBのGDDR5メモリを共有して動作する。8GBと聞くと最近のPCから考えると少なく聞こえるかも知れないが、(わたしのメモリは16GBです)
GDDR5とはGPUの描画計算を速く済ませるために作られた超高速メモリであり、ご家庭のDDR3メモリとは比べ物にならない速さが出せる。
実際の所PS4がHSA対応かは正式発表されていないのだが、PC向けJaguarはHSA対応と発表されており、SCEもPS4をAPU(CPU+GPU)と呼んでいてこの変態メモリ構成とすると、発売までにクッタリでスペックダウンしない限りHSA確定と見て良いはずだ。
また、PlayStationはこれまで一度もx86系CPUを採用した事が無く、これが最初(で最g)のx86採用機となる。
Intelが初代Xbox(Celeron搭載)であっさり諦めたx86のゲーム機市場制圧の夢を、AMDが思いもよらぬ形で果たしたのだ。
これまでPCでしか発売されてこなかったDiabloが、x86-64のPS4向けに初めてコンシューマ版を発表した事もx86-64の採用が決してつまらない事ではなかった証だろう。(Diabloと戦うハメになるサードの方々にとっては非常につまらないが)
CPUとGPUの”フュージョン”…(HSAは以前はFusionと呼ばれていた。そういえばドラゴンボールの映画も今年やな…)
AMDが長年の間見てきた夢が、PS4で初めて現実世界に現れることになる。(※ただし次世代XboxもHSA採用でPS4より先に発売したりしない世界線に限る)
こんな馬鹿らしいほど夢が詰まったマシンを「x86搭載だからPCみたいで夢が無い」という一言で切り捨ててしまう人に増田は絶望した。
でも、それってユーザーの夢にどう繋がるの?
性能の引き出し易さがPS3と比べて格段に良くなるのでPS3版ラストレムナントや人喰いの大鷲トリコのような非情な現実が減る。以上。
IT関係よくわからないけど。
どこかの国が、テロの情報、麻薬取引とかを早期に発見しようとする。
googleみたく、wwwすべてのミラーっぽいものを作るというのはほぼ理想的。
で、ネット上の情報量は(当然)誰も把握できないけど、281エクサバイトだとかなんとか。
同時に、googleでさえ把握してるのは0.05%だよ、と出た。たぶんgoogleと同じくらいは最低必要だと予想される。で、googleはこれまでハードウェア機器に対して2億5000万ドルかけている。らしい。
1年間あたりの情報の増加は、175エクサバイト(2010年)
かなりの誤差がみこまれるけど、取り合えずの計算。
(175×10^18)×0.005÷(2×10^12)×1.5=8.75×10^5万円=87.5億円(/年)
+解析のためのCPUとか。
おそらく、これらのコスト見積りは増えることはあっても減らないと予想される。
アメリカの軍事費(2009年)は約60兆4000億円。NSAの予算は数百億ドル(不明)。
割と余裕だった。
だれかもっとつきつめてくれるとうれしいです。
「高精度の設備と材料さえあればどこでも出来るパーツだそうだ。だからこれから労働力の安い中国やインド等の途上国でも作るだろう。」
というような意見をよく見かけるけど、それは一理あるけど、
じゃあ日本ではその代わりに何をするべき(何をして儲けるべき)なのかということを考えた場合に、
まともな答えは多分返ってこない。
設備投資には金がかかるので、設備があればどこでもできることを日本でやるってのは、
DRAMや液晶を「日本でダメなのは当然」とか思っているならそいつは世の中がわかっていないんじゃないかと思う。
たとえば半導体で、DRAMや液晶よりも人でがかかるSoCに関しては、
もう中国が相当食い込んできている。
SoCはDRAMと比べると少量多品種生産なので、設計や検証に人が大量に必要で、
つまり技術者の数が多くて人件費の安い中国が圧倒的に有利だからだ。
でもDRAMを「設備だけあれば作れるから日本ではやめろ」っていう人たちは、
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203240177.html
でもね、公教育がそれを牽引するとはぜんぜん思わないんだ。
むしろ有害。
江戸幕府が自前で世界一の蒸気船を造るとか言いだしたら、おいおいって思うでしょ。
あんまりいい例えじゃないのはわかってるけど、そんな感じだよ。
文一主席と理三主席を10年分集めて純国産iPhoneとか純国産Googleを作ろうとか言い出したら、どういうものが出来るかなんとなく想像がつくでしょ。
偏ったっていいから、なにかしら思想がないと何も成せない。なにも作れない。
先端教育に限ったことじゃないよ。
草の根に至るまでの初等教育だって公教育である必要なんか無いわな。
それぞれの藩校、私塾、多様な教育があったからこそ、いい人材が育ったんだろう?
幕府直轄で学制とか敷いちゃってたらさ、どんなに才能が溢れてても陽明学と朱子学が駄目だと進級できなかったりしたんじゃね?
教育なんか偏ってていいんだよ。
それが正しかったか間違ってたか、偏ってたか公平だったかなんて、後の世になってみなくちゃわからない。
進化論を否定する学校とか、君が代を歌わない学校とか、いろいろあっていい。
数学に力をいれようが、英語に力をいれようが、授業と称して池田大作を褒めちぎっていようが、構わないんだよ。
全体として多様性が保たれていれば。
もちろん、私立の学校なんて田舎にはないだろうから、公立をなくすわけにゃいかないよ。
公立しか選択肢がないそんな子供たちには気の毒かもしれないけど、悪いけどそこじゃ日の丸は掲げるべきだし、君が代は歌うよ。
子供に強制はしないとしても(したっていいと思うけど)、教職員はそれをするべきだよ。
キリスト教式の結婚式をあげて、「神の前で愛を誓う誓わないは自由です!」ってわけにゃいかないから。
国歌斉唱が式目にあるなら、斉唱するのは参加者の義務にせざるを得ない。
ないなら、歌いたい人がいようが、勝手に歌いだされちゃ困る。
君が代を歌うのが正しいか、間違ってるか、そういう問題じゃなくてさ、式ってものがあるなら式目が必要で、だれかの判断で式目をつくらないとならない。
式目を作ったら、それの通りに式は進行させないとならない。
そういうことだろ?校長の判断でどうこうってのは。
でさ、この人の言い分ってのはおそらく、
「勤務日じゃないから私人として式に参加してるだけだから、君が代を歌う義務なんかない!ビラを撒こうが、プライベートな活動だからとやかく言われる筋合いはない」
ってことでしょ?
そりゃあ通らんよ。
退学になった生徒がバイクで乱入したって同じ理屈が成り立ってしまうじゃん。
「俺達生徒じゃねーもん!特攻服できたけど、卒業生を祝うために一般参加しただけだもん!」
でもありになっちゃうでしょ。
それ以上はするな。
横からだけど、LastPassなんかのサーバー型パスワード管理ソフトは
暗号化されてるとはいえ、Webサービスのパスワードを全てサーバーに上げちゃっているわけで
スパコンでマスターパスワード 高々8桁程度を解析してしまえば 全部のパスワードを持って行かれちゃう。
そんな恐ろしい物すら使うユーザーがいるんだから、OAuthぐらい いいよね。と 思わなくもないこともないが 俺は使わない。
そもそも、OAuthどころか、生パスワードを生のまま持って行った、某有名衣料メーカーアプリもあることだし、
ユーザーにとっては・・・まいっか。なんだろうなと。
いや、中小企業なり、大企業なりの会計システムの有名所だったりするんだが・・・
SAPとか知ってる?導入したことある?大規模システムの納品をしてみればわかるけど、システムってコンピューターの性能だけじゃ割り切れないから
ああいうものを導入してみれば、システムを作るという事と、システムを導入することの差がわかるよ。
そして、システムに対する最大の弊害は、端末からの入力ミスを含め、入力データーにノイズが入ることであって、処理能力じゃねーよ。
20年前のコンピューターでも、別に、時間をかければ出来るんだよ。納税管理なんだから、1ヶ月ぐらい計算しても構わないんだし。当時もスパコンぐらいはあるんだよ。
現状は徴税だから、まだアレだけど。還付となると正味全国レベルでの照合になるからねぇ。入力ミスとかどうすんだよ。
納税者番号から、住所を引けるようなシステムは、残念ながら住基ネットと同じで個人情報保護の観点から、許諾できないよ。
いや、全国レベルのトランザクションで、端末からの入力ミスを含め、入力データーにノイズが入ってる場合のことなんだが?
番号だから数字を間違えることもあるだろうし 人間はミスをするもので それの修正とか照合は人力なんだぜ?
年金を始め、ミスが目立つこの国の行政に、全国レベルでそんなものの修正がそんなに早急に入るとは思えない。
繰り返しになるけど、消費税増税も、納税者番号も、どちらも既定路線だろ。いずれ、そうなるよ。そこに意義は挟まないし。納税者番号は導入されるだろ。
ホームレスは住所を持たないんじゃなくて、持てないんだと思うけどな・・・。
いや、何回も書くけど、負の所得税って消費税増税に間に合うの? 僕は間に合わないと思っているんだが、 そして、それがすべての議論の中心なんだが 間に合うの?
うーん、大多数が間に合うと思っているなら、それはいいんだけど。
負の所得税の前提である、納税者番号は導入すら、手間がかかるなぁと思っているのに、負の所得税までいけるか?いけるなら、いいけど。
ただ、議論としては、消費税増税は現在足りていない財源の補填であって、新規ではないし。
負の所得税は、控除との総裁だから、負の所得税の恩恵にあずかれる層は多くない。
また、現在でも、母子加算が、廃止だ復活だって言っているけど、負の所得税が先々なくなったり減額になったりする可能性も多い。
リスクも考えれば、生活必需品の税額を下げておく論調の方が、いちおうお金持ちから貧困層まで広くメリットがあって支持を集めやすいよ?
負の所得税だけだと、大抵の人には、増税基調だからねぇ、賛同者が少ない。
それが、通ると思うのは、ちょっと、危険だと思うよ。
生活必需品の増税には、今後も、みんな反対してくれることが期待できるけど、
いま一部で大流行の「サイエンスクラッシャー」ネタなんですが、実は壮大な釣りプロモで、内田さんの狙い通りにコトが進んでる気がしてきた。
なお、私は決起集会の動画は見ていて、内田さんの関連blog記事は読んでいるけれど、内田さんの新著は読んでいない状況。
元ネタ: 「サイエンスクラッシャー」 http://anond.hatelabo.jp/20100429013047
引用元: 「新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載」 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518383971.html
ちょっと引用してみましょうか。
そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。
「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか? というものがある。これをどう説明しようと思うか?」
それに対し、あるノーベル賞受賞者が、「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。
このシチュエーションで、たぶん回答者が言いたかったことを私なりに翻訳すると、
情報の1次発信者が、どれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、情報の最終到着地である一般読者に到達するまでに、*必ず*マスメディアのフィルタが入ってしまう。このことは、科学者に限らず、一次発信者がどんな者であっても言えることだ。
そして、このマスメディア・フィルタの掛かり方次第で、情報はどうにでもなる。繰り返すが、一次発信者がどれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、マスメディアの記者や編集部がそれを理解することができなかったり、本意・不本意を問わず歪曲したり、勝手に画角やフォーカスを調整したりしてしまえば、一般読者には「そういう」情報しか伝わらないのだ。
だから、我々1次発信者も一般読者に分かりやすいように努力はするし、しているけれども、マスメディアの記者・編集部もまた1次発信者の意図を理解し、それに応えられるような努力をして欲しい。
このような意図になる。違うかなぁ…、僕はそう思うし、常々そういう主旨のことを思っているけれど。
その上で、内田さんの、あなたの立場を考えてほしい。
あなたはサイエンスコミュニケーターを標榜しているけれど、あなたの立場は上記のコメントでいう「マスメディア」に該当するはずである。職業はともかく、「本を出版する」(まさにマスメディア)行為をしているからだ。
そして、決起集会を見て(一次発信者の主張を取材して)、本を出版し(マスメディア行為)、それを読者(きっと一般の方が主たる想定顧客だろう)に伝えようとした。
このとき、内田さんは「内田さんの」マスメディア・フィルタを掛けてしまった。
(追記)
私は、そのノーベル賞受賞者が、「国民がスパコンの重要性をわからないのは、マスコミが悪いせいだ。勉強不足だ」と言うのには、まったく納得がいきません。
これでは、一般読者は、「ノーベル賞受賞者って、自分(たち)がエライと思ってるのね。イヤなヤツらだ」という、否定的な印象しか持たないと、私は思います。そして、後でも少し触れますけれども、私には内田さんのこの態度に、内田さんのいう「『疑ってかかる』のが科学的態度」を感じられないのです。もし「『疑ってかかる』のが科学的態度」ならば、「ほんとにこのノーベル賞受賞者は、そういう意味で言ったのかなぁ。他にも解釈があるのではないか、言いたいことはあるんだけど結局こういう言い方をしてしまっただけではないのか、そして、その理由はなんだろうか?」などと、いろいろな思索をめぐらすはずだと、私は思うのです。
そして、「賛同の嵐」「科学教の狂信者集団」「その新聞社に向かって、自己の責任を放棄したこの発言。」「ノーベル賞受賞者らの発言に対し、会場がいちいち拍手を送り、twitterでも賛成の一色だったこと(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)。」「科学教の狂信が思考停止に」などという、科学者に対するレッテル貼りの行為です。
もちろん、内田さんの記事を丁寧に読めば、「(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)」「でも、反対意見は容易にかき消され、ほとんど賛成の声しか見えてこない、この全体主義のような雰囲気は何だろう、と私は不思議に思ったのです。」「念のため、その場にいた人の中にも、「あの様子に居心地の悪さを感じた」と言っていた人がいたことも、申し添えておきます。」などという、反対意見もあったということに触れて、「公平さ」を装っているわけです。
しかしそれでも、内田さんの書き方では、熱狂的な賛同者の意見の抽出とその強調に始終していて、反対意見を持った人がどれくらいいて、その人たちはどういう意見を持っていて、どういう反応を示したのか、ということに、決して具体的には触れていないのです。このことに、私は「『公平さ』を装っている」という同情を示せても、「公平に記している」という同意までは示せないのです。
なぜ私が、このblogに対して批判的にコメントしているかといえば、このblogの内容から、内田さん自身の、内田さん自身が「サイエンス」ライターやマスメディアの一端にいることを自覚していることを示唆するモノの見方・言い方・考え方を、垣間見ることができないからです。
上述のように、私は、あのblogの内容は公平さに欠けていると思っています。そして、その公平さに欠けた主張が、blogや出版物を通じて一般読者に波及していくことで、「あぁ、あいつら科学者は、やっぱり権威主義なんだ。だから、現役の間は好きなことだけやって、説明しようなどという熱意は微塵にもないし、定年後に私立大とかに天下りして平然としているのだ。エラソーにしやがって。」などという、悪意に満ちた理解が拡がっていくこともまた、恐れているのです。
(追記2)
このような危惧を過激な一言で言い捨てた表現が、「サイエンスクラッシャー」という称号じゃないかと、私は思うのです。これまで説明してきたように、少なくとも私には、どうも内田さんのblogの文だけでは、「やっぱ科学者って傲慢だよねー。でしょ?サイエンスコミュニーターから見てもそう思うよ、うん。」という、科学者の態度を批判する内容しか伝わってこないです。その上、科学者の態度が感じられない程度の考察しかできていないのに、科学者の態度についてのご高説が書かれている。ちょっと待て、その科学者の態度とやらで自分の態度・考察を振り返ってみ?と。
じゃぁ、内田さんの今後に、どういうことを期待したいか、ということですが...
「サイエンス」の「コミュニケーター」を標榜するならば、しばしば言われる、「科学者はコミュニケーションが苦手」であることをフォローするような解説をすべきではないでしょうか?(たとえば、上で述べたように、なぜノーベル賞受賞者がマスコミに注文を付けたのか、ということの解説。「あれは科学者が職務放棄した、ゴネだよ」というコメントは、科学者の気持ちやマスコミの取材事情を知らない、一般人と同程度の認識に留まっていて、考察が全くなされていないようにしか見えません。)
もしも科学者の態度を身につけているならば、賛否両論のどちらもを取り上げて議論し、それを補強するデータを示すべきではないでしょうか?(たとえば、Twitterやニコ動、ustのタグ付発言でのpositive/negativeコメントの、tweets数およびtweeter数の統計でも、いいんじゃないですか?それなら、個人に迷惑かかることなく実施できると思います。)
サイエンスコミュニーターはともかく、あくまで「物書き」だとしてもいいです。それでも、賛否両論とは、「賛否『両論』」を取り上げるからこその賛否両論なのですから、両論をきちんと取り上げましょう。そして、twitterに必要以上に頼らず、実際に本人や学内外の科学者に取材してみて、その声も聞いてみてはどうでしょう?たとえば、あのノーベル賞受賞者は、果たしてどういう意図でマスコミに注文を付けたのか、本人に取材しましたか?
こんなことを思いながら読んでいくと、最後に書いてあるんですよ。
「それはどうか?」とか「なるほど」とかのご意見をお持ちになる方がいらっしゃいましたら、ぜひ拙著『科学との正しい付き合い方』 を手にとって頂けたら、と思います。
全体を読んでの、ご感想、大歓迎です!
やられた!と思いましたね。
上で述べてきたように、本文では散々、情報リテラシーを持った読者や、科学者の心を持った読者が持っている「『疑ってかかる』のが科学的態度」という、ある種の正義・倫理観を煽っておく。しかも、そんな彼らが持っている「やっぱり原文を読んでからでないと、ちゃんとした批判はできないよね」という良心をも煽っておく。
そして最後に、「賛否両論、どっちでもいいから、何か思うことがあったら買ってね!」と落とす。