はてなキーワード: そろばんとは
昨日、千日参りに行ってきた。
コロナもあり、出店もなく大盛況とまではいかないものの入れ替わり立ち替わり人が来て、決して都会ではないたまにいっても静かな空間の寺がかなりの賑わいを見せていた。
いや、だってすごい。一日参れば「四千六百日のお参り」と同等の価値がある、とかもうサ終するソシャゲも真っ青のサービスっぷり。だって四千六百日って126年毎日かかさず365日毎日参ったのと同じ分ってことになるんだよ。私は中学生の時も一回千日参りに行ってるから倍ですよ。252年?分ですよ。
一体どうしてこんなことになってんだろうかって参拝待ちしながらぼんやり妄想しちゃう。
ここからはもう本当にただの妄想の垂れ流しで独り言みたいなもんなんだけども、
もしかして、こうやって押し掛けることでサマーウォーズみたいに一種のサーバー落ちさせて、バグ起こしてんのかなぁとか。
パチンコのサービス日みたいにやっぱりご利益の倍率?を操作して、実質200日程度と同等レベル、とかだったら面白いな~とか。
もし私が死んで、閻魔さまの前で最後の審判を受けるとき千日参り二回も行ったんだよ、功徳は結構積んでるよ、ってアピールしたとき、閻魔さまのスタッフみたいな人に「あー……千日参りはね、そこまで功徳の功績にはならないように500年ほど前に変わったんですよ~ 不公平って意見もありますし、まずあのイベント自体がちょっと公式との見解が違いまして……」とか説明されたりして。
そこで泣きつく人もいたり、「あっ、そうなんすか~ じゃあ実態は何日分くらいのご利益になるんすか?」って聞いたら地獄謹製のコンピューターかそろばんみたいなガジェットをぱちぱち弾きながら「えーっと……行かれたのは四天王寺と…葛井寺…で間違いないですか?でしたら合わせて482日分になりますね。」とか教えてくれたりして。
なんでそんなガセ誰が流したんでしょうねぇ~!よく考えたらさすがに一日の120ウンネンの価値とかすごいインフレですもんね、でもほんとだったら嬉しいし参拝しますもんね、はじめは何だったんでしょうねぇ~とか聞くと「たぶん1000年くらい前に九死に一生を得た者がここでの功徳換算を中途半端に聞いて広めたのかも知れないですねぇ…当時はもっとここ(閻魔さまの裁き)もどんぶり勘定でしたしこれ(功徳演算ガジェット)もなかったですし……」とか言って苦笑いしたりするんだろうか…って考えたらなんか萌える。エモい。全部妄想だけど。
まあ、使ったとしてもせいぜい2次方程式くらいだろう。
だったら要らないんじゃないか。
よくありそうな反論は、大学で理系に進む人には必要というものだ。
しかし、そういう人は数学や物理なんか学校で習わずとも自分で勉強しているだろう。
コンピュータやプログラミングが好きな人は、別に誰に教わらずとも自分でどんどん進んだことを勉強するのと同じだ。また、そういう人でなければ、少なくともプロの技術者としては役に立たないだろう。
これに関する反論は、学校で教えているから、それをきっかけに興味を持つ人が出てくる、というものだ。
まず、数学をきちんと教えられる教師なんてほとんどいない。小学校で掛け算の順序問題みたいなくだらないことをやっているようだが、中学校以上でも似たようなものだろう。そこまでひどくないにしても、現在の数学教師で数学の最先端の研究あるいは工学や物理への応用などを理解して教えている人はほとんどいない。
これがまさに小学校へのプログラミング教育の導入に、多くの現役エンジニアが反対した理由だ。実用的な技術を伴ってプログラミングを教えられる教員なんていないし、プログラミングの本質と関係のない用語の暗記や穴埋め問題のテストで、生徒はむしろプログラミングが嫌いになることが容易に想像できるからだ。数学もこれと同じじゃないだろうか。
そして、そもそも学校の授業がきっかけ数学に興味を持って、将来数学に関係した専門職につく生徒なんて、日本全国で数えても誤差の範囲だろうと言うことだ。
これは、これだけプログラミングが流行っていて、プログラミングスクールなどがあっても、実際にプログラミングを身につける人がほとんどいないことからも分かる。数学はプログラミングなんかよりもずっと難しい。
また、高校数学と専門家が使う数学は、本質的に異なる。高校数学や入試問題は、言ってしまえば限られた知識でたまたま上手く解ける問題を集めただけであり、それができたからと言って数学の能力があると言えるわけでもない。
高校数学の問題が良くできたところで、それは専門家にとってはよく知られた理論の特別な場合に過ぎなかったり、あるいはただ上手い解き方が存在するだけで専門的な数学とは何の関係も無かったりする。
要するに、高校数学をきっかけに数学に興味を持ってもらうには、高校数学の水準に留まらず、自分でどんどん勉強してもらう必要があるが、そういう人は現実的にほとんどいない。自称数学好きの人でさえ、多くは入試問題マニアになるのが関の山である。
そもそも、小学校レベルの読み書きそろばんはともかく、それより上のレベルの教育なんて、上流階級のごく一部の国民にだけ開かれていればいいのではないか。その他の連中に教育を提供しても、どうせ卒業したら忘れる。そういうものに税金を使うのは無駄である。
大学教授とかキャリア官僚とかの学歴を見れば、ほとんどが有名私立進学校出身である。つまり、田舎の下流国民が教育の機会を与えていただいても、勉強して社会に貢献するなんてことはほとんど無いのだ。無駄な投資である。やめるべきだ。
小学生の頃、算数は好きだった。そろばん塾に通って大会に出させてもらったりもした。
ボーイスカウトなんていう活動にも参加して、正直その活動は大嫌いだったが、隊長と称する引率者の大人から、会計係を頼みたいと、お金を扱うことを要求されたりもした。全く目立たない子供だったが、悪事をはたらくような子供ではないと思われていたのだろう。ある種の信用を得ていたのかもしれない。そういう子供だった。
自分の興味ある分野にはのめり込む子供だった。小学生の頃、お前の集中力はすごいなと担任の先生にいわれたことが印象に残っている。良い先生だった。
一方、興味のない分野には全く関わりたくない子供だった。友達はいなかった。同級生のなかに話の合う子は全くといってよいほどいなかった。この状態は中学を卒業するまで続く。
一言でいって器用貧乏だったような気がする。運動は好きだったが大きな大会に出て活躍するような子供ではなかった。勉強は、小学・中学とトップの成績は取れたが、高校では最高順位が2位だった。
高校では数学もそこそこ好きだった。それで大学受験の際は得点を狙えるような科目にするくらいにはできたのだが、数学科に進むほどの才能はなかった。そもそも文系だったし。地方にある昔の帝大と呼ばれたところに入って、それなりに悩みつつ伸び伸びと大学生活を送って卒業することにはなった。
結局、卒業後は、公認会計士になった。会計士試験はそれなりにたいへんで、けっこうな苦労もしたが、受験1回目で通ることができた。体力勝負的なところがあった。深く理解する前に受かってしまったようなところがあって、監査法人に就職してからは受験生のときの数倍、苦労した。
監査法人には5年強勤めてのち、心底嫌気がさして辞めた。自分は組織が嫌いなのだ。馴染めない。
ドロップアウトした後は個人の会計事務所を立ててこれまでなんとかやってきた。
会社組織をつくって経営者になって成功したいと夢見続けているのだが全然そんな状態にはない。自分が嫌いな組織を自分でつくってどうするということか。個人事業が性に合っているということか。
監査法人を辞めた頃から始めた株式投資で、そこそこ成果が出てきた。投資には会計や監査の知識が役に立った。サラリーマンを辞めて10数年経った今、金融資産の時価は1億1千万円と少しになった。含み益は4千万円程度なので、投資をしていなかったら億には届いていなかったろう。
そもそも、監査法人勤めを続けていたら今も、うだつの上がらないサラリーマンとして鬱々としたままだったろうと思う。大手監査法人では上場株を所有するにも大幅な制限が課される。続けていれば、パートナー(幹部)になれていたのだろうか?自信はない。仮になんとかヒラのパートナーになれていたとしても、監査法人組織のなかで幸せそうな自分は想像ができない。辞めたことを後悔したことは一瞬たりともないし、辞表を叩きつけたことは我ながら賢明な判断だったとつくづく思う。
ところで、日本で1億を超える金融資産持ちの世帯は、全体の2%だそうだ。個人として考えれば1%弱といったところだろうか。自分よりも若くて数十億、数百億の資産を持っている人は大勢いるのだからえらそうなことはいえないが、田舎から出てきて無一文から始めた自分を省みるに、まあまあ良くやってきた方ではないだろうか。とりあえずここまで何とか生きてきた自分を褒めてやりたいと思う。
さてこれからどうするか。嫌なこと、気の進まないことはこれまで通り、全て断りながら、自身が面白い、興味深いと思えることに携わって仕事を進めていきたい。
最も価値高いと思われる行動を意識的に選んで、照準を定めて、自分に合ったやり方で、世の人々にできるだけ高い価値を与えるような生き方を選択していきたいと思う。
そろばん3級も持っとるやで
(https://note.com/ever_blue/n/n16ed7c79b534 をよんだという話)
声優にしろ漫画家にしろとても険しい道で、しかしそこを一度選んだものがドロップアウトするにはまともな人のふりをしなおす才能が必要なのである
「金を払われる側になったことがあるんだからエリートじゃねえか自慢するなクズ」という下から目線の反論というよりルサンチマンをぶつけるもってこいの藁人形扱いだったり
「anond.hatelabo.jp/20200211033150にしつこく粘着していってやったとおり漫画家や声優を絶対にサラリーマンより下にみるな(ただし消し逃げ)」というなぜか中から目線の反論だったりが想定されるところである。
始めたことをやめてまた始めるには人一倍の勇気が必要であり、この人はたまたまその勇気やまともなひとのふりをできる才能が今あるのだから尊重すべきだ。
ただし私がいいたいことはこの2つのどちらとも違う。心配だな、である。
ウエメセといわれそうだがあえていうと、文系のアカデミックポストに女性差別が存在しないなんて思わないほうがいいのである。ポスドク自殺女性の話がネットで盛り上がった通りである。
大学に行くことでお金を払う側、客に一度もどったのである。ここで切ってしまうとまた若いものいじめといわれそうだがまあもう少し聞いてくれ。
平成以降に生まれたネイティブネット世代は金という光ファイバ回線を通じて支払いができる交換価値がどんなものより大好きである。
金があればアイチューンズカードが買え、ポイントに引き換えて好きな曲や漫画が買え、握手券つきCDもおしばいのチケットも(争奪戦にはなるが)買え、親に仕送りをしていい顔をでき、結局、金で好きな人を独占できるからである。平成世代にたとえば現物で支払いをしたらおそらく2秒後にはメルカリである。
そして労力を金に買えることも大好きである。
ところが、労力を金に変える手段は大幅に電気とコンピューターに奪われたのである。
むかしはそろばん(珠算)が正確にできれば統計や経理という職が用意された。
昔は英検1級所持者なら海外とファクシミリをやりとりするという職が用意されていた。
たった50年ほど前である。そうやって就職した人はまだ現役で生きているし、なんならあなたの上司になることもある。
しかし今職を探すあなたは就職しても「エクセル」「グーグル検索」「グーグル翻訳」「グーグルマップ」より深く職場に溶け込むことはもうないだろう。
グーグルは無料でなんでもやってくれるのだから、給料を払って人間にやってもらおうという人はいない。
運良くまだ手つかずのそろばん世代が上司になっても、金を払うとなると人間はよく調べるもので、
「こんなのグーグルで調べたらちゃちゃっとできるでしょ」と(自分はできないくせに)平気で言うのである。
だから、あなたたちにはまともな職はない。絶望しろ。といいたいのではない。そうではないのだ。
そうでなくてもインフルエンザで、お風呂のヒートショックで、普通ならひっかからない低い段差でこけて足を折って寝たきりになったのが原因で、
人は毎年何万人も死んでいるのである。私もおそらくそんなつまらない理由で死んでしまう。
その最後のとき、私はおそらく、若いあなたたちだけでも生きていてくれてよかった、と言うのである。
乞食になることを怖がらなくていい。自分は他人の金にすがっているとおもわなくていい。
なんなら生活保護だって障害年金だって、どんなお金だってあげる。
災害災害、自粛自粛と肩身の狭いまま大人になったあなたたちは本当にかわいそうだし、もらえるお金はもらっていいのだ。
その上で、堂々と胸を張って、プライドを持ってやりたいことをしなさい。