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はてなキーワード: 自由恋愛とは

2021-05-03

anond:20210503211928

DV離婚幸福度自由恋愛のほうが悪い数字が出るし、

一部の人婚姻が集中し、

それ以外の人は労働力提供するだけの存在になる

2021-04-30

anond:20210430161630

自由恋愛のほうが怒号飛び交ってて離婚率高いという不都合な真実がありそうだけど

anond:20210429213658

元増田弱者男性の辛さを〜みたいな話をずっとしてるのにここまでトラバブクマフェミが!フェミフェミフェミミミミィ!みたいな感じなんだよな、男性にもいろんな人がいて今の社会の中で弱い立場に置かれ辛い男性も当然おり、男性でなければ負わずにすんだ苦しみを負わせられている、そこにも目が向けられてほしいという話が、アンチフェミ運動に乗っ取られてる。声のでかいアンチフェミが女の権利を制約する(自由恋愛をさせるなとか)言い訳弱者男性を使うから弱者男性論=女をあてがえ論だろ」みたいに思われる。弱者男性に興味のない世間一般は一番目立ってでかい声のやつの言うことだけ聞いてわかった気になるから。「男性固有の苦しみを語れとか言われても的外れ」とか元増田は言ってるけどそんなこと言わずにみんなもっと固有の苦しみを語るしかない。でなければ弱者男性論はフェミが何か言ったときや女の権利が何か認められたときだけそれを無効化するために繰り出されるカウンターしかなくなる。そうなると結局「弱者男性論とか言うけど弱者男性のものの苦しみなんてないんだろ、だってフェミが何か言ったり女の権利が認められたりしなければ別に気にならない程度の苦しみなんだから、女がなんかやってるのが目障りってのを言い換えただけだろ」て雑に投げ捨てられて終わるだけになる

2021-04-28

ふと思ったんだけど既婚者はもっと自由恋愛できるべきじゃね?

なんか不倫に対する批判がやたら強いんだけど

世間一般ってやたら不倫裏切り行為とみなして敵対視し過ぎてるというか

結婚というか一人の異性を愛することを強要し過ぎてる

あるいは神格化し過ぎてるというか

別に家庭を破壊するつもりがなければ既婚者同士、もっと自由恋愛してもいいんじゃね?と思ったのよ

これが未婚者と既婚者だとややこしくなるからあくまで既婚者同士ね

SNSとかで「家事育児疲れがたまったので今日相方にお許しをもらって美味しいスイーツ食べに来ました!」みたいなコメントあると

みんな「いいなぁー」って反応示すわけだけど

あれとおんなじノリで「なんやかんやたまったので今日相方にお許しをもらってXXさんとデートです!」みたいな

それを見た人が「いいなぁー」って反応する世界って

もしかしてクワクするんじゃない?

それで本気になって家庭を壊したりしたら粛々と民事で裁けばいいだけで

そうならない程度にエセ恋愛を楽しむだけならゲームライブキャンプを楽しんでるのとあまり別格扱いする必要ないんじゃないか

恋愛出会資格がねえなと思う話

緊急事態宣言が出るちょっと前、大学時代の友人と集まったのだけれど、

今までモテない仲間だったやつらが、就職して金を持ったことで、風俗趣味になっているやつもいれば、

そこから脱却して恋人出会ったやつもいて結構人生を楽しく生きていそうでよかった。

一方でこれを書いている自分といえば、就職に失敗してなんとなくアルバイトをして奇跡的に生きている状態で、

風俗恋人いたことがないまま再開の日を迎えたわけだ。

昔と変わらない生活を送っているんだよねみたいな話をしたら

「お前は彼女を作ったほうが良い」「出会い系アプリをやれ」「女遊びを多少したほうがいい」みたいな話をされた。

そりゃ、俺だって恋人はほしいさ。セックスだってしたい。

だけどもさ、俺はさ彼女出会える年齢でも容姿でも、一緒になったとき共にやっていけるような年収でもない。

そんな収入から他人と個室で自由恋愛をしにいくようなお金もない。

今の生活ゆっくりと下降しつづける中でやっていく生活を送るしかないような無能

必要最低限の社交もできないゴミだという自覚がある。

そんな俺が他人出会資格があるのだろうか、いや無い。

ゴミゴミらしくこのまま孤独死ねばいいのである

自由恋愛がやりたいのに一夫一婦制を推す奴って馬鹿じゃないの?

一夫一婦制って広義のあてがえ論なのにね。

2021-04-23

anond:20210423114620

共働きで、見合いでもなく自由恋愛結婚してる」ならば力関係存在しないと本気で勘違いしてるんだなということがよくわかる反応をありがとう

そんな単純な話なら女性差別なんてとっくに無くなってるだろうけど、現実にはそうなってはいないんだよ。

anond:20210423084857

結婚をできないから、結婚否定したいんだね。

全ての婚姻関係において、「結婚場合は力関係存在する」とするのは、さすがに認知が歪んでるだろう。

そう思い込みたいなら止めないけど。今の世の中、結婚当初は共働きで、見合いでもなく自由恋愛結婚してるカップルほとんどだよ。

2021-04-18

非モテ「女をあてがえ!」←うるさいオカンみたいなデブスが与えられたらどうすんの?

自由恋愛ではない結婚ってそういうことじゃん。そんでアニメとか見てたら「いつまでそんなもの見てるの?そんな暇あったら家事するか給料上げる勉強でもしたら?」とかブスな顔で言われて自由もクソもない

そして自由恋愛を恋しく思うようようになる。

俺は弱者男性だがそんな共産体制はゴメンだよ。妻のいる囚人より自由非モテのほうがよほどいいじゃん

2021-04-16

anond:20210415194726

大学モラトリアムだよ。

モラトリアムとは支払猶予からきた心理学用語だよ。

養育費社会に返さなくていい時間学費で買えるところだよ。

 

日本コンテンツ大国教育大国である

そこで0歳から育つと「正義属性」で「平等大好き」な「全体主義者」で30歳くらいまでいってしま

他人を出し抜いてでも金を稼ぐ」「個人主義」「個性を生かして自分だけの楽しみを見出す」「自由恋愛」という人間がなかなか育たない(実際はそれらも悪属性ではないのに悪属性とみなされる)。

ある程度まではそれも必要であって、犯罪率低下、識字率向上、健康文化的生活ができるなどの美点がある。

高校で十分全体主義をまなんだあと個人主義のほうがいいときづいて学歴社会から飛び出せるやつはいい。そのままほっとけ。

だが大学は未熟な人間にとっての「他人を出し抜いてでも金を稼ぐ(アルバイトしてみる)」「個人主義他人と違う講義をとる)」「個性を生かして自分だけの楽しみを見出す(サークル活動)」「自由恋愛」を大したペナルティなく試行できる最後のチャンス。

特に日本人は体が未成熟なまま成人を迎える人もおおい(ネオテニー傾向)。

そういった人は大学でしっかり大人になるのをまってから社会にでないといけない。

研究機関としてももちろん機能するが、人間研究者としてまともに使い物になるのは30くらいから。

からドクターコース博士課程)なども儲けられてるんだよ。

2021-04-15

性風俗なんてないでしょ

だって自由恋愛だもん

恋に落ちたんだもん

anond:20210415200447

犯罪扱いも何も、売春防止法スレスレ脱法行為で今まで泳がされてきただけでしょ。

休憩料とか自由恋愛とか、いよいよ年貢の納め時だよ。

anond:20210412123943

遺伝子を残す権利」の話は前々からずーっと言ってるんだけど誰も聞いてくれない。口先だけでは優生思想批判しながら、実際はルッキズム全開の「自由恋愛(笑)」が大好きですね、みなさん。

提案なんですが、「遺伝子を残す権利」を保証するには、まずは例えば「精子卵子冷凍保存」に健康保険適用できるようにすればいいんじゃないかな。将来的には人工子宮子供を産めるようになればいい。

何も「パートナーをあてがう」必要なんてないよね。

あと話ずれるけど、性犯罪者去勢とかも前向きに考えていい気がする。ただし、去勢前に「精子卵子冷凍保存」を国費から支出することを義務化する。

こんな所でどうでしょ。

2021-04-11

結局家族制度が一番の癌なんじゃね?

結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?

正社員になって十分な福利厚生恩恵にあずかりたいという欲望夫婦2人十分な収入を得た状態子育てスタートさせたいという欲望子供競争を有利に導く形質(容姿頭脳)を遺伝させたいという欲望子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……

こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体優生論の文脈日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズムメリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)

これらの欲望自体社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね

子育てが、生存が、競争から苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)

特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)

そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性自由意志尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ

家族制リブン、子育てリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?

まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……

たとえば国民は求められたら卵子精子提供する義務があるだけで、子供は国が勝手AI多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的子育て教育従事する人々が育てて労働人口として送り出す

整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)

こうなってくると過去SF文豪たちがディストピアとして警告した世界のものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね

幸せかどうかは知らん、ただ、苦しみだけが少ない世界

個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代人間労働してくれることが必要世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う

つかこの苦しみの連鎖技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義世界からはその技術は生まれないだろうと思う)

資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い。

うーん、弥勒菩薩が来るほうが早いかな……

2021-04-10

anond:20210410015756

どう変えるかの議論の前に、「自由恋愛」ってのもイデオロギーだということを認識しよう

宗教と言ってもいいかしれない

愛は何よりも尊い、とか、自由恋愛人間本能だ、とか嘘っぱちもいいところ

日本自由恋愛を広めさせたのは米国で、その目的日本全体主義の基盤となっていた家制度解体するため

その手先となったのが電通だよ

自由恋愛目的はその後、無駄な消費をさせることに移行した

バブル期までの日本若い男は、彼女を作るため無理をして車を買ったものだった

バレンタインデーなんてのもお菓子屋のマーケティングキャンペーンだったのは常識

クリスマスカップルでディナーを食べに行ってホテルSEXするなんてのは日本(+東アジア)だけの奇妙な風習

肉屋を支持する豚というのは、自由恋愛市場のものと信じ込んでいる我々自身なんだよ

anond:20210410014847

そりゃ昔はお見合い制度結婚きたろう自由恋愛をこれだけ広めて地域互助社会をなくしてきた今の日本で、同じ制度を作るのはハードルが高いことくらいわかってるだろ?逆にお見合い制度を復活させるべきだっていうなら、そのために社会をどう変えるかの議論をしないといけないんではないか

マリエネタにしてる芸能人youtubeが草

百獣の王の人「昔はあったんじゃないですか?でもねー今はないと思うよ!芸能界はみんなスゲエ実力者揃い!」

メンタリストの人「そりゃあるかもしれないですね!テレビはクソ!」(同じ内容を何個もpostして再生数稼ぎ)

ひろゆき「そんなの職場出会った自由恋愛かもしれないじゃん?それより声優業界は今でもあるらしいね!」

ひろゆきとかわざとか知らんが自由恋愛かもしれんとかどう考えてもマリエの件は自由恋愛ではないだろw

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

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