はてなキーワード: 核シェルターとは
必須ですね。
持っていることが人権と言ってもいい。
除染対策がしっかりしているならそれがそのままウィルス対策にもなるので安心して暮らせます。
これ無しで外を出歩くのは既に自殺行為です。
街に出ると自分の自殺に他人を巻き込む狂人だらけでぞっとしますね。
シェルターもない、防護服もない、それならせめて全てが終わるまで引きこもっているべきでしょう。
気をつけてほしいのは配達人から受け取る際にコロナを移されないようにすること。
保存食であっても製造過程にコロナが混入している可能性はあるので消毒は念入りに。
それでは皆さん楽しい終末を
シェルター内にいる100人を除く、残りの全人類が滅ぶだけの核ミサイル数十発が世界中に撃ち放たれる装置が起動してしまいました
その発射を止める装置が核シェルター内にあり、その装置を起動しようと5人が作業しています
しかし、線路には分岐があり、あなたは分岐スイッチの真横にいます
そのスイッチを入れればトロッコの進路が変わり、作業中の5人、ひいては全人類が助かります
ただ、切り替えた路線の上に、絶世の美女がひとり佇んでいました
人類史上最高の美女で、もう2度と同レベルの美女が誕生することはありません
分岐スイッチを入れてしまえば、絶世の美女はトロッコに轢かれて死にます
間違いなく嫁にできます
美女は19歳です
3500件/246億人。何パーセントだと思ってるの?
実際に被害が減らずに3500件もあるということを重要視するべき。
微小な可能性を考慮しすぎると、あらゆるケースを想定しなきゃならなくなるんだが?
例えば君の家には核シェルターがあるのか?
通報?それもう事後だろ。
そうならないように未然に防がなきゃ意味なんてない。
無関係でも傾向がある以上は思われても仕方ない。
「女性は外科医などの負担を追わないから医者にするべきでない」という東医大の論理をどう思う?
だからそう思われるのが嫌なら
なんか運動でもしたら?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1805/31/news125.html
ユカタン半島の200kmクレーターの中心部に堕ちて数年レベルで生命が復帰していたらしいんだけど、これって要するに「何が起ころうが生命は意外と環境に適応するのが速い」ってことで、地球規模の天災が起きても人間のライフスケール間で環境が元に戻る可能性をも示唆している。
流石に長期に及ぶ氷河期だったりといったものは元には戻らないだろうが、チェルノブイリだったりフクシマがそうであるように「のちの数万年はぺんぺん草も生えない」ような事故というのは意外とそうでもないってことだ。
同僚がグアムにいくというので、自身の知識再確認も含めて核爆発から身を守る方法について対応をまとめる。なお、私の知識は、「米陸軍サバイバル全書」の第23章「核・生物化学兵器から身を守る」のみであることに注意されたい。また、内容を転載するわけではなく自身で咀嚼した内容になっているため誤りが含まれる可能性もあり、また核爆発後のサバイバルに関しては、そもそも火の起こし方や水の濾過方法など、前提となる知識があるため、核だけを考慮しても生き残れない。なので、興味を持った方は原典を読むのをおすすめする。
当然ながら、核爆発直後に致命的となるエリアにいた場合、取れる対応は殆ど無い。核爆発により引き起こされる障害は
の3種類あるが、攻撃目標・タイミング(火球が見えてからでは遅い)がわからない場合、取れる対応は少ないだろう。
ただし、もし、事前の警報があり少しでも対応が取れる場合には、掩蔽物に隠れることが重要である。これは、爆風や爆風により吹き飛ばされた物体を防ぎ、熱と光を遮断し、核爆発直後(1分間)の深刻な初期放射線を減らしてくれる可能性が高いからだ。隠れる場所は丈夫なコンクリート製の建築物がよいだろう。
生き残った場合、5分以内に放射線を遮ることの出来るシェルター(追記:後述するがこれは核シェルターに限らない)に入ることが重要になる。これは、高レベルで初期ガンマ線を放射する放射性降下物から身を守るためである。シェルターに入るのと入らないのとでは被曝量が全く異なるのである。原典でも強く書かれているので引用しておく。
目安として、5分以内にシェルターに入るのが生死を分けると知れ。早くシェルターをみつけること――これが絶対不可欠である。
P.273
核爆発後にどれくらい活動してよいかの目安については原典を引用する。なお、数値には余裕を持たせているとのこと。
- 核爆発後4〜6日間は完全に孤立化する。
- 3日目。水の調達のためにシェルターを出ても良いが、被爆時間は30分を超えないほうが良い。
- 7日目。1回の被爆時間は30分以内にする。
- 8日目。1回目の被爆時間は1時間以内にする。
- 9〜12日目。被爆時間を2〜4時間にする。
- 13日目以降。きちんと防御整備されたシェルター内で休養を取りながら通常作業を行って良い。
P.276
掩蔽性能、水分食料の備蓄を考えると、シェルターとしてホテルやショッピングモールを選択するのが最適なのではないかと思うが、人が集まると考えられるので、その分物資の減りが早いとも考えられる。難しい所である。
さて、行動のタイムスケジュールがわかったが、その後生き延びていくための残留放射能対策を考えなければならない。残留放射能対策は、放射性下降物起因の体外放射能対策と体内放射能対策に分けられる。
の3点があげられる。時間は半減期、距離は距離による減衰、シールドはシールド材による減衰、を考慮する。ただし、放射性下降物が広い範囲に降っている場合には距離による減衰は期待できない、などはある。動く車があれば距離も稼げる可能性があるが、移動により被曝する可能性もあるし、現実的に考えてシールド、つまり十分な性能を発揮するシェルターを確保することが取りうる最大の防御となるだろう。
コンクリートの建築物以外にも、厚み1メートル以上の土砂で覆った地下式シェルターは放射性降下物に対して最高の防御になると書いてあるが、そんなものは当然無いだろうから、他に下記のようなものがシェルターになると掲げられているので、次善の策を取っていきたい。
P.275
身近にあるものを考えると、マンホールが簡単に空くのかどうか知らないけど、開けられればマンホールから地下に隠れるのが良いのかもしれない。(※追記:マンホールはそんなに簡単に開かないとのことです)その他シェルター地の選択と準備法などは原典に書かれているのでそちらを読むように。
また、シェルター内に放射性物質を持ち込まないようにシェルターに入る場合は、衣服を叩いたり振ったりして汚染を除去すること。髪の毛は沿ってしまうのが良いかもしれない。
続いて放射性降下物を体内に取り込まないようにするための対策。ちなみに汚染された飲食物や傷から体内に入ったものが問題になり、呼吸によって体内にはいる放射性物質はさほど脅威にはならないとのこと。
例えば放射線障害について知っておくことで、むやみにパニックに陥らなくて済むし、「これくらいなら…」といった正常性バイアスからも逃れることが出来る。正しい状況認識を持ち、落ち着いて全ての知識を動員し、工夫し、生き残りのために行動しなければならない。生き残ろう!
うん、まぁそれが「どんどん埋まらなくなる一方の分断」の一つの発露なんだけどね。
一方で、じゃあその、資産を保全した金持ちは、物理的にどこで生きていくのかということなのだけれど。
どこかの社会、リアルの「土地=コミュニティ内」に住まざるを得ないのに、深まるしかない分断が横たわる社会は、どんどん安全性が低下しているのはご承知の通りでしょう。
ビル・ゲイツが核シェルターを買ったと噂が流れて、アメリカのあの辺の富裕層が一気に受注したから注文が追い付きません、みたいなゴシップニュースもこないだ流れていたけれど、本気で核シェルターが必要になった時、彼らはいったいどのぐらいの期間そのシェルターの中に入ってるつもりなのかしらと思ったんだよね。
ちょっと別の話になるけど、とある集まりに呼ばれて、日本にも本格的な、金持ち向けのゲーテッド・コミュニティを作っていくべきだと話す人に会ったんだけど、それも同じような感想を持って。
そのゲーテッド・コミュニティ内で、彼ら金持ちのサーバントとなる人たちの多くは「ゲートの外」から調達することになるわけで、ヘイトが溜まる可能性しかないでしょ。そのゲートコミュニティ本当に安全?としか思えなかったんだよ。
金持ちのための安定した社会を作るには、分断があること自体が最大のリスクだと思うんだけど、その辺をどうしても理解してくれなかったんだよな、そのゲートコミュニティ教信者のおじさんは。その辺も「どうしようもなく埋められない分断」に見えた。
31歳、WEB博物館の学芸員。大学の専攻はソフトウェア考古学。
行ったことのない人のために説明しておくと、WEB博物館はWEB150年周年を記念して設立された博物館で、WEBの歴史を振り返るとともに
各時代のサイトのデザインやインタラクションを体験できる日本唯一の博物館。古くは平面ディスプレイでのWEBページから、主流の空間型3次元MRの流れを体験できることが売りなんだけど、
まだ2010年~2020年代の展示が用意できていない。暫定的に、展示パネルでスクリーンショットを展示している。
この展示の担当者は俺。正直な所、ちゃんとした展示が開始できる見込みは立っていない。というのも、ソースコードはあるけれど、当時の技術背景がはっきりしないため、サイトを動かすことが全くできないためだ。
今時、平面ディスプレイなんて骨董品屋に行かないとお目にかかれないが、なぜか自宅の地下に眠っていた。
りんごのマークが描かれた物理キーボード搭載の、所謂ノートパソコンってやつ。金属ボディでかつ核シェルターに入ってたので、核戦争の時のEMPにやられずにかろうじて残っていたみたい。これを高校生の時に見つけて以来、徐々に二次元派になっていった。レトロPCマニアという区分の人間だ。
当時のソフトウェアを発掘、解析していくうちに、古い技術のソースコードを集めるのが趣味となり、大学ではソフトウェア考古学を専攻した。
大学時代にやってたことは、未処理地区に入ってストレージを発掘、残っている当時のソフトウェアを解析、当時のものを修復・復元などだ。
ここでは研究員がそれぞれの時代のWEB技術で作られた製作物を復元するプロジェクトに携わっていた。
で、俺の担当が暗黒の時代と言われた2010年~2020年代だった。
ソースコードは、骨董家から譲ってもらった。当時のサーバーやクラウドサービスは核戦争でほぼデータ消失しており、100年以上前のソースコードなんて絶望的だったが、ある企業が当時の中国のハッカー集団に抜かれたソースコードを保存していたストレージがたまたま現存していた。
開発に使われたJavaScriptという言語は、AIの解析によってバージョンが判明し、なんとか仕様が分かった。大学で近代プログラミング言語史の授業を取っておいてよかった。
とにかく、この時代はフロントエンドの開発環境の移り変わりが激しく、それぞれのパッケージが使われていた期間がとても短く、バージョンも多様に渡ることから、正解のパッケージが現存していない。
この時代は、まだIT教育がほとんどされていなかった時代でもあり、ソフトウェアエンジニアはほとんど独学で技術を身につけるのが普通で、そのためソフトウェアに対する価値観が多様であった。どんどん新しいパッケージが開発、公開され、そのため開発環境の移り変わりはとても激しく、特にフロントエンドは1~2年でガラリと変わっていたようだ。
すると、1~2年しか使われなかったパッケージなんて入っているピンポイントな生存ストレージなんか見つかるはずもなく、全然開発環境の復元が進まない。
別バージョンのパッケージが見つかることもたまにはあるので、それで代用を試みるけど、エラー文が多すぎてほとんど使えない。