2017-01-04

WEB博物館で働いてるけど、もうだめだ

31歳、WEB博物館学芸員大学の専攻はソフトウェア考古学

行ったことのない人のために説明しておくと、WEB博物館WEB150年周年を記念して設立された博物館で、WEB歴史を振り返るとともに

時代サイトデザインインタラクション体験できる日本唯一の博物館。古くは平面ディスプレイでのWEBページから、主流の空間3次元MRの流れを体験できることが売りなんだけど、

まだ2010年~2020年代の展示が用意できていない。暫定的に、展示パネルスクリーンショットを展示している。

この展示の担当者は俺。正直な所、ちゃんとした展示が開始できる見込みは立っていない。というのも、ソースコードはあるけれど、当時の技術背景がはっきりしないため、サイトを動かすことが全くできないためだ。

今時、平面ディスプレイなんて骨董品屋に行かないとお目にかかれないが、なぜか自宅の地下に眠っていた。

りんごマークが描かれた物理キーボード搭載の、所謂ノートパソコンってやつ。金属ボディでかつ核シェルターに入ってたので、核戦争の時のEMPにやられずにかろうじて残っていたみたい。これを高校生の時に見つけて以来、徐々に二次元派になっていった。レトロPCマニアという区分人間だ。

当時のソフトウェアを発掘、解析していくうちに、古い技術ソースコードを集めるのが趣味となり、大学ではソフトウェア考古学を専攻した。

大学時代にやってたことは、未処理地区に入ってストレージを発掘、残っている当時のソフトウェアを解析、当時のものを修復・復元などだ。

その後は技術博物館に勤務し、2年前にWEB博物館に移った。

ここでは研究員がそれぞれの時代WEB技術で作られた製作物を復元するプロジェクトに携わっていた。

で、俺の担当が暗黒の時代と言われた2010年~2020年代だった。

当時のブラウザパソコンに入っていた。

ソースコードは、骨董から譲ってもらった。当時のサーバークラウドサービス核戦争でほぼデータ消失しており、100年以上前ソースコードなんて絶望的だったが、ある企業が当時の中国ハッカー集団に抜かれたソースコードを保存していたストレージがたまたま現存していた。

問題は、それを動かせる環境構築だ。

開発に使われたJavaScriptという言語は、AIの解析によってバージョンが判明し、なんとか仕様が分かった。大学近代プログラミング言語史の授業を取っておいてよかった。

しかソースコード依存するパッケージが手に入らない。

とにかく、この時代フロントエンドの開発環境の移り変わりが激しく、それぞれのパッケージが使われていた期間がとても短く、バージョンも多様に渡ることから、正解のパッケージ現存していない。

この時代は、まだIT教育ほとんどされていなかった時代でもあり、ソフトウェアエンジニアほとんど独学で技術を身につけるのが普通で、そのためソフトウェアに対する価値観が多様であった。どんどん新しいパッケージが開発、公開され、そのため開発環境の移り変わりはとても激しく、特にフロントエンドは1~2年でガラリと変わっていたようだ。

すると、1~2年しか使われなかったパッケージなんて入っているピンポイント生存ストレージなんか見つかるはずもなく、全然開発環境復元が進まない。

バージョンパッケージが見つかることもたまにはあるので、それで代用を試みるけど、エラー文が多すぎてほとんど使えない。

当時の人は、やたら保守性にこだわっていたみたいだけど、こんなバージョン地獄でうまくやっていたのだろうか。

好きで始めた仕事だけど、もうこんな開発環境の構築だけで消耗する仕事は辞めて、普通WEBエンジニアになりたい。

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