2024-04-06

女子なのに現実人間に恋したことがない

タイトルの通り、私はいわゆる夢女子である

物心ついた頃からアニメ漫画世界にもしも自分がいて、好きなキャラと仲良くなってあわよくば恋人になれたら…という妄想をしていた。にもかかわらず、約四半世紀生きてきて人と付き合ったことはおろか恋愛感情を抱いたことがない。

から見ればただのイタいオタクだし、自虐でそう言ってしまうこともあるのだが、最近この心理について言語化できてきたので思考整理も兼ねて少し真面目に書いてみる。


最近になって初めて三次元推しができた。某男性アイドルだ。

しかし私は推しを好きになればなるほど、えも言われぬ不安が膨らんでいくのを感じていた。そしてそれは推し現実に生きている人間からだと気付いた。

彼はアイドルとしてカメラの前では自分自身をプロデュースしていて、そうでない時は当然ひとりの人間として生きている。しかマスコミはそんな彼らのアイドルしからぬ面、カメラの向こうに見せようとしていない姿を白日の下に晒そうとする。もしも推しのそんな面が露呈してしまったとき、私は変わらず推しを好きでいられる自信がない。内容によっては嫌いになってしま可能性すらある。それが嫌。

二次元キャラクターはカメラに写っていない部分は無に等しく、作中で描かれていること以外は空白。その部分を想像して描いた二次創作は人によって解釈の違いはあれど全て妄想真実ではない。

自分の頭の中でだけは100%自分に都合のいい推しを愛することができるのだ。好きな気持ち自分の中で永続する。つまり偶像化。


私はこれを生きている人間相手にするのが苦手なんだなと思った。自分と全く違う人生を持つ他人理想恋人投影できない。どんなに初対面の印象が良くても関係を深めるうちに好きになれない、受け入れられない部分があるのは当たり前だ。そんな部分をコミュニケーションによってお互いにどう折り合いをつけるか探っていけるのが健全人間関係だと思う。恋人という特別関係であるならば尚更。

ただ、私にとってそれは恋ではないのである

二次元キャラに対する恋は永遠に一方通行で、相手実在しないからこそ自分の好き勝手偶像押し付けることができる。だから楽しくて、心にささやかな潤いをもたらしてくれるのだ。

妄想を表に出すなら公式や見たくない人に見せない配慮必要


三次元人間を好きになって、相手から同じ感情が返ってくることはどんなに嬉しいのだろうとたまに考える。おそらく恋人という関係を長く続けられている人たちは相手偶像化した恋愛感情を取っかかりにして、偶像とは違う相手の嫌な部分にも折り合いをつける関係性にうまくシフトしていけているのではと思う。そうして人生パートナーとして共に生きることを選ぶ場合もあるだろう。

感情熱量で言えば燃え上がる炎のような恋愛を経て、蝋燭の小さな灯が揺れる穏やかな愛へ、といった感じだろうか。

冒頭でも書いた通り私は20代半ばなので同級生結婚した、という話題もしばしば耳に挟むようになった。惚れた腫れただけの恋愛ほとんどの人が終わらせて、恋人をつくるならその先を考える年齢になってしまった。

そして私自身も、今から惚れた腫れたをしようとするには心を燃え上がらせる燃料、精神的な若さみたいなものを失ってしまったように思う。生身の人間相手恋愛経験し損ねてしまったのかもしれない、ということが少しだけ惜しくなる。


恋してみたいなー。

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