はてなキーワード: テレビ番組とは
特にこの時期は初詣で参拝にいらっしゃる方が多いため気になるのだけど、
ここ数年、メディアやパワースポットブームの影響を受けて賽銭箱の中心でお詣りするための行列が出来るようになった。
古来より神社寺院では横に広がってお詣りするのが通例であり、別に中央で一人で御参りする必要はないし、そんなことで御利益がどうこう変わることもない。
日本人の並ぶという行動がやたらに誉め称えられ続けたことにも関係あるのだろうか。
勿論、並ぶ精神というのは素晴らしいものではあるが、時と場合によってはそれが正しいとは限らない。
伊勢の神宮をはじめ多くのお社では「横に広がってお詣りください」と呼びかけてはいるものの、人員もそれほど充てることが出来ず、常に呼び掛け担当を置くことも出来ないため、結局のところ中央に行列が出来てしまう。
行列が出来ることで参拝を諦めてしまわれる方も多くいらっしゃるし、何より少しでも快く参拝していただくほうがより良いでしょうし、どうしたものか。。。
このことについて佐藤愛子氏が「かくて老兵は消えてゆく」の中で言及していたり、近頃はhttps://sirabee.com/2016/05/21/122682/ などのネットメディアにて取り上げられていたり、ブログにてお書きになっている方もいらっしゃるものの、やはり世の中にはまだまだ広まっていないようで、是非ともテレビ番組等では御利益や観光的観点ばかり着目するのではなく、そういったところも取り上げていただけたらなあと心から思う。
いわゆるザ・ノース・フェイスの四角いリュックである
自分はヘテロであり、このリュックを購入した動機は「デカくて丈夫なリュックが欲しい」程度のものであった
LGBTに対しては変に特別視することもなく、そういう立場もあるよねウンウンという「理解者」的な立ち位置にいたはずだったが
この噂を知った瞬間、率直に言ってこのリュックを手放したい衝動に駆られてしまった
こんな噂を気にしてしまう自分の浅ましさ、この噂を広めたテレビ番組に対する苛つき、「理解者」という欺瞞を看破された焦り
様々な感情が渦巻いて落ち着かない
この噂は呪いとして一生背負い続けていくのだろう
今年は紅白も駅伝(往路・復路とも)もリアルタイムで見たけど、正直それらしい雰囲気が楽しめればいいから流していただけで、そんなに真面目に細かくは見ていない。
正月番組の多くは暇潰しのために作られていると思っているので、あまりにも真面目に細かく見ている人は暇すぎるんじゃないかと思う。基本的にテレビ番組って集中して見てられない性質なので、紅白とかは録画したけど、二度と見返すことなくブルーレイに焼くと思う。ちゃんと見返す人でも好きな歌手のところを録っておきたいとかそういう理由じゃないかな。
そんなもので視聴率を計って右往左往するテレビ局をご苦労さんだと思う。別にわざわざ正月のために新しい番組作らなくても、過去に反響の大きかった番組の再放送とか、昔流行った映画を一通り流してくれるとかそういうのでいいよと思う。
〇
チャンネルというたった数個の選択肢のうちに、興味がある番組があることはまれだ。
とはいえテレビ番組の全体的なレベルの低さは、また別問題なのかもしれないけれど。
〇
自分で選ぶ物だけに興味があって、それ以外には興味がわかない。
だから、偶然として訪れるしかない「人間関係」は僕にとって魅力的じゃない。
〇
新年という単語は、人と関わらない者にとって、実感的には存在しない。
365日のうちの1日、などという発想は、引きこもりには存在しえない。
数万日という大海のような時間の連続性の中に今日が、ぽつんと存在している。
でも、「今日」「明日」という概念だけは、引きこもりにも実感がある。
眠りを隔てて、昨日の自分と今日の自分に、同一感がないせいだ。
もし、「今日」「明日」の区別がなくなったら、面白いだろうなあ、と思っている。
数億秒のうちの一秒を実感的に生きれたら。
〇
働いている人たちが、お金をどしどしお使いなさるのが、うらやましい。
欲しいものがいくつかある。十万円もあれば、それらが全部買える。
〇
僕はちょっと外を出歩くだけで、すごく緊張するし、特別な感じがある。
一年に一度や二度、そういう日がある。
〇
今日放送した水曜日のダウンタウン「モンスターハウス」でクロちゃんがとしまえんの檻に監禁されることになった。
なんつうかもうこの国終わってると思えてきた。
放送した番組の最後にDボタンによる投票でクロちゃんを許せるか許せないか国民に投票させてその票数に応じた時間、としまえんの檻の中にクロちゃんを監禁するっていう企画だった。いまこれを書いている瞬間もクロちゃんはこの寒空の下、スカジャン一枚で群衆の好奇の目にさらされている。
当該投票の結果、クロちゃんを許せないが95%だった。なんつうかもうこんな陳腐なことを言いたくないのだが、日本は終わったと思うね。これは誇張じゃなく想像力の欠如と現実への戦慄のなさが浮き彫りになった事態だと思っていい。たかがテレビ番組だがテレビほど大衆の無意識を現前するものはない。
投票数に応じてクロちゃんを檻に入れておく時間が決められたのだが普通の感覚であればまず、こんな真冬にあんな閑散とした檻に入れられたら凍えて大変なことになるだろうという簡単な想像すらできなくなっているのだろう。アニメの一場面を見るかのように軽々しい好悪で投票した。それがいまの日本の大衆である。
圧倒的現実感のなさと俗悪さ。なんというかここまで絶望するテレビを見たのはひさしぶりだ。社会実験として一定の価値があると思うぐらい。
と書いているうちにツイッターに監禁されているクロちゃんの動画などがあがっている。群衆が走って檻に向かっている様は目を背けたくなるほどだ。とても気持ち悪い。彼ら彼女らは上述したような思考すらもたず無意識にまかせて「消費」するだけの存在である。
自分は今30代前半だが、自分の幼い頃にやっていた子ども向けのテレビ番組が今もけっこう現役なのに驚いている。
当時、始まったばかりだった番組が今も生き残っている例が多い気がするので、思いついたものを放送開始年で並べてみた。(Wikipedia調べ)
ちびまる子ちゃん(1期)
ニャンちゅう(ニャンちゅうは登場番組名は変わるが、内容は大体同じ)
いないいないばぁっ!
全部見ていたわけじゃないけど、自分と自分の親の世代の共通番組が「おかあさんといっしょ」くらいなことを考えると、今の親子は同じ番組を見て育っているんだなぁと不思議な感じがする。
最近は海外のテレビ番組の一部を紹介したり、過去の事件の再現VTRが間に差し込まれたりするのが多い
衝撃映像ってのは、偶然とれた映像のことを言うのであって、海外のテレビ番組は「世界丸見え」だし、事件の再現VTRは「アンビリバボー」か「世界仰天ニュース」の仕事で衝撃映像ではない
ようつべの動画を適当にナレーションするだけの手抜き仕事なのに、水増しするために最早衝撃映像とは関係ないもんで穴埋めするようになって
とうとうやる気がなくなった感ある
もうタレント集めてスタジオ収録すらなく、延々映像の紹介だけで3時間とかやるからなー。しかもコンセプトが滅茶苦茶。
どんだけやる気無いんだよ
quick_past 案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨの餌になってるけど、何度謝ればいいんだって、それ殺人犯がムショで言ったらどうなると思うよ・・・。合意は過去の過ちを無いことにするものではない
>案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨ
当該コメント欄に「先進国」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
当該コメント欄に「日本様」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
一体どこから「この先進国日本様に盾突きやがって」という日本人の声(?)が出てきたのか具体的に指摘して欲しい。
もし具体的な誰かのコメントのこの部分だというように言えないのであれば
quick_past氏のこのコメントはぼんやりと日本人全体に向けたものと捉えざるを得ない。
要するに
「日本人が韓国のなんらかの措置に対して反発するとは生意気だ」
「日本人の分際で」
なのだろうか。
それ以外の何か深遠なニュアンスがあるのだろうか?
quick_past氏のコメントが日本人差別に基づいたものではなく
「この先進国日本様に盾突きやがって」が具体的に誰のどのコメントへの批判なのか書いて欲しい。
すごいコメントだ。
ところでquick_past氏ほどの知識人であればそんなことはないと思うが
世間の無知で差別的な人間の中には「罪人は永遠に罪人」というような認識の者がいる。
これは正しくない。
犯罪者であっても逮捕されて服役して罪を償った後は、例えば氏名等が具体的に報道されたりしない。
(テレビ番組で過去の有名人権を扱う時に犯人の名前等もぼかされたり偽名になったりしてるのを知らないだろうか?)
1つの事件で何度も裁判を受けてその度に監獄に送られるとか、その度に謝罪させられるとか、そのようなこともありえない。
同じ争いで何度も裁判を受けてその度に賠償命令を受けて謝罪と賠償を繰り返す、ということもありえない。
たまにきちんと服役や賠償を終えた人をいつまでも「罪人」等と言って後ろ指を差したり侮辱したりする人間が居るが
例えばほりえもんのことが嫌いだったとしても、きちんと服役して勤め上げた件について「犯罪者」呼ばわりしたり、「お前は犯罪者なんだから一人前みたいに喋るな」とか言ったら、ほりえもんの虫の居所が悪ければ訴えられるだろうし、そうなれば何の抗弁も出来ずボロ負けするだろう。
実際にほりえもんに対して過去のネタを持ち出したそのようなあらゆる侮辱(逮捕服役歴や性嗜好を持ち出してほりえもんのあらゆる主張を封殺したり嘲笑ったりする)は5chのようなところでは毎日行われているが、低質な人間が毎日行っている=社会的に許されている、ではない。
それを踏まえて、
日本人全体を戦前の出来事をネタに、それも謝罪も賠償も完全かつ不可逆的に終わっている件をネタに、
「お前らはムショに居る殺人犯なんだから」という例えをするのはどういう意図だろうか?
事実に全く即さない例えである上、もはや日本人全体への悪意と差別意識しか読み取れないように感じる。
本件が最終的かつ不可逆的に解決したと確認(2度も。ファイナルファンタジーのナンバリングぐらい矛盾に満ちている。)された件であることはquick_past氏も熟知していて、その件について何度でも蒸し返して謝罪と賠償を請求し続け威圧を図ろうとする韓国側のスタンスが論理的にも倫理的にも間違いであることの判断もquick_past氏には付いている。
だから、「それはおかしいのではないか」と反発しだした日本人に対しては「ネトウヨ!」「過去の過ちをないことにした!」「先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってる(???)」などと、謎の日本人罵倒による正面から組み合わない次元での封殺を狙っていっている。
このやり方は論理的にも倫理的にも一部の理もないダダ捏ね・因縁付けにしかならないことをquick_past氏ほど聡明な人なら人に言われるまでもなく自覚している筈。
それでもなお道理も論理も踏み倒してこのような無理のある主張を、無理があると自覚できる知性の持ち主が主張し続けることには、
感情的なファクター、つまり日本人へのヘイトナショナリズム・レイシズム以外につけられる説明がなさそうに見える。
そうであればquick_past氏の知性すら政治的感情やレイシズムが曇らせてしまったという事実をとても残念に思う。
quick_past氏にはここに並べた疑義について堂々と反論したうえ
あの日本人へのヘイト丸出しに見えるコメントの真意について説明してほしい。
私が「全く的外れな勘繰りでした」と謝る流れになればどれほど良いかと思うが
たぶんそうはならないだろうなと暗澹たる予感は有る。
THE Wは応募者を女性に限定している手前、女性だから出来ることをどれだけやっているかが評価ポイントにならざるえない。
「M-1」「R-1」「キングオブコント」といった他の賞レース番組が出揃った昨今、てらいのない番組を作っても趣向が被ってしまうためにそれらと比べて見劣りしてしまうことは否めない。
なので他番組との差別化も兼ねて独自性を打ち出していきたいというのが、主催者である吉本と日本テレビが「女性限定のお笑いコンテスト」を企画した思惑なのだろう。
つまり応募した芸人が「女性らしさ」や「女性だからこそ説得力を帯びること」をネタに取り入れてくれないと、THE WはM-1やキングオブコントから男性を排除してスケールを小さくしただけになってしまう。
これがTHE Wファイナリストがこぞって、自分たちがいかにブサイクで冴えないかを滔々と語る、安直な非モテネタを披露していた理由だと思う。
美へのこだわりや男性に異性として意識してほしいという欲求から女性性を連想する人は俄然多いために、そういった"女性らしい"パフォーマンスをする芸人が勝ち上がるよう演出されていたのではないか。
女性芸人の活躍という女性の社会参画的な大義名分を掲げながら、女性だけを集めたことにより元来の固定観念に縛られてしまったという、THE Wはなんとも奇妙なテレビ番組だった。
珍しくニューヨーク・タイムズに3桁のブクマが付いてると思ったらアニメノチカラだった。
2018年のベストテレビ番組、みたいな企画でインターナショナル部門8位に「宇宙よりも遠い場所」が選ばれていた。それで159ブクマ。
https://www.nytimes.com/2018/12/03/arts/television/the-best-tv-shows.html
姉妹記事に2018年のベスト本10冊みたいな企画もあり。こっちは1ブクマ。
https://www.nytimes.com/2018/11/29/books/review/best-books.html