2019-01-01

引きこもり(24)の新年

テレビ欄は豪華だけど、見ていても面白いものがない。

チャンネルというたった数個の選択肢のうちに、興味がある番組があることはまれだ。

とはいえテレビ番組の全体的なレベルの低さは、また別問題なのかもしれないけれど。

自分で選ぶ物だけに興味があって、それ以外には興味がわかない。

から、偶然として訪れるしかない「人間関係」は僕にとって魅力的じゃない。

お金が欲しいと思って、稼ぐ方法を探したりするけど、

お金のためだけに何かをするのはつらくて、結局やめてしまう。

新年という単語は、人と関わらない者にとって、実感的には存在しない。

365日のうちの1日、などという発想は、引きこもりには存在しえない。

数万日という大海のような時間連続性の中に今日が、ぽつん存在している。

でも、「今日」「明日」という概念だけは、引きこもりにも実感がある。

眠りを隔てて、昨日の自分今日自分に、同一感がないせいだ。

もし、「今日」「明日」の区別がなくなったら、面白いだろうなあ、と思っている。

数億秒のうちの一秒を実感的に生きれたら。

働いている人たちが、お金をどしどしお使いなさるのが、うらやましい。

欲しいものがいくつかある。十万円もあれば、それらが全部買える。

僕はちょっと外を出歩くだけで、すごく緊張するし、特別な感じがある。

一年に一度や二度、そういう日がある。

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