はてなキーワード: ステキとは
と、ここまできて、なんかマンガでとてもよく見るパターンだなと
いつの映画かは分からないが、マンガの典型的なパターンになる程度には古い映画なんだろうか
たしかに整ってて綺麗な子役なんだけど変に大人びていて、子役なのになにかオバサンみたいな
いくら悪魔のような子供を表現したいんだとしてももっと可愛い子なら良かったのに
見てて可愛くない、それだけが残念
実は大人の設定なのか、オバサンっぽい雰囲気もそう作ってるからなんだな
じゃあストーリーも今や使い古されてる感じかな
ほんと老けて見える
でも現時点の20代の女優さんの写真も見たけど、やっぱり可愛い系よりは美人系で…なんか普通にオバサン顔っていうか
まあ美人なんだろうけども、自分が好む顔ではなかった 昭和の美人系というか
洋物パニック系で走り回り逃げ回るけど、家が広いほんと 日常シーンとかステキな家うらやましい、だった
が、養子娘に迫られてやっと気づいたと思ったら殺されちゃって哀れ
主人公の子供のフリしたアタオカ女が劇中で殺したのは結局、孤児院のシスター(黒人の中高年女性)と夫の2人だった もちろん兄妹も普通に殺意向けてるけど失敗する展開 なんだかんだやっぱり劇の上では子供は殺さないんだなと思った
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
世界の人口がとか、1人の時間がとか、趣味がとか、経済力がとか、日本の将来がとか、ちゃんと育てる自信がとか、そんなの本当にどうでもいい。
かわいい。
大切。
他の何にも置き換えられない。
なんなら寿命をあげたっていい。
随分歳をとってから結婚し、たまたま幸運なことに子どもが産まれたけど、実際産まれるまでは元増田の彼女と同じような考えだった。
やりたいことや興味のあること行きたい所はいくらでもあるし、1人でもお金も時間も全然足りんって思ってた。
一方で、自分のためだけの人生はつまらないとも思い始めていた。
同じ親になっても同じ気持ちになるとは限らないことも知ってる。
でもこのステキな子どもを持つという体験を、ネガティブな情報ばかり見ずに、1人でも多くの人に味わってほしいなと素直に思ってる。
結果とんでもないろくでなしを育てて
それでもなお、だよ。
銀も金も玉も何せむに
まされる宝
子にしかめやも
うちの会社に、いちいち言葉がキツイと評判の悪い女性スタッフがおりましてな。
このひと、ほかのスタッフに指示を出す立場だったりするんですけれども、指示を受ける側にマアー評判が悪い。
指示にしろ指摘にしろ依頼にしろ、いちいちカチンと来る言い方をする。一度はパワハラ事案になりかけたほどです。
と言っても、それはテキストコミュニケーションの上だけのこと。グループウェア上のやり取りとか、チャットね。
実際に対面で話をすると、そこまで失礼な感じはしない。むしろほがらかでケンのない人物像。
つかみどころがないな、と思って観察してたんです。
で、今日、若手が件の人物に依頼されていた作業の完了報告をチームのチャットに書き込んだのに対して、件の人物が😁(笑い)のリアクションをつけたのです。
ふつう、まあ、頼まれた仕事が済んだよという報告に対しては👍(いいね)とか🧡(ステキ)とかのリアクションをして謝意やねぎらいを示すと思うんですよね。
😁(笑い)は、冗談を言った時とか、笑える出来事が起こった時に使うものです。働きに対して使うのは文脈がおかしい。
骨折って仕上げた作業を笑われたのでは、誰しもムッとするんじゃないでしょうか。少なくともうちの職場では、誰かが仕上げた作業を笑う文化はありません。じっさい、弊社で使ってるグループウェアの笑いアイコンは「ウケル~」みたいな顔でムカつくんですよね……。
で気づいたんです。
このひとは性格が悪いんじゃなくて、単に「自分の表現が人に与える印象を客観視できない(それをする神経回路に異状がある)ひと」なのではないかと。
もしかしたら発達障害にそういうタイプがあるのか知りませんけど、あるとしたらそれかなと。病気とか障害だとするとしっくり説明がつくんですよね。
カチンとくる言い回しにしても使い所の間違ったリアクションにしても、「相手がそれをどう受け取るか」をきちんとイメージできていたらしないはずなんですよ。だって、業務を進めるうえで何の必然性もないんですから。業務効率が上がる要素がひとつもなく、ただ無為に軋轢を産むだけ。そんなの、病気くらいしか説明がつかない。
たぶん、地球の言葉をおぼえ始めた宇宙人に教えるように「その言い方だと地球人はカチンとくるから別の言い回しを使ったほうがいいよ」とかつどつど誰かが教えてあげる必要があるんだと思います。
名前と、学歴ないのに偉大な植物学者になった人って程度しか知らなかったので、手始めにwikipediaでどんな人なのか調べてみたら、なんか凄い。
明治維新の直前のころに土佐(高知)の金持ちの造り酒屋の跡取りに生まれて、義務教育がまだ確立してないのをいいことに小学校もさっさと中退して、好きな植物採集三昧の生活してたってのが凄い。
で、そのうち東京にいって帝大にも押しかけて出入りするようになるんだけど、植物の研究に金つぎこんで生家がどんどん没落していったってのが凄い。
で、学歴ないのに実績認められて帝大の講師になったてのも凄い。
で当初は講師の薄給で家族養わなこゃいけないのに、子供か13人、その内7人(3男4女)が成長したってのも凄い。
当時としても多いよね?
離婚とか妾がいたって話wikipediaには書いてないから、夫婦で作ったのかな?
で、江戸時代生まれなのに94歳まで生きたってのが凄い。今でこそ90代の年寄はそんなに珍しくないが。
で、トータル結局、実家が太くないと好きな分野で研究を全うする人生なんて送れないんだろうなと、まざまざと感じさせて凄い。
まあ、朝ドラはなにしろ「らんまん」ってタイトルなくらいで、大好きな植物を追いかけて天真爛漫に生きたステキな人生を展開して朝から爽やかな風をお届けするんだろうけど。
まあフィクションだし。