はてなキーワード: シンナーとは
やっぱアイドルに求められるのって唯一無二性なんだよね。
もしも突然「◯◯なアイドルランキング」が始まったとして、絶対1位取れる何かが必要なんだよ。
それがたとえシンナーやってそうな歯並びしてるっていう負のオーラしかない代物でもさ。
何らかの象徴じゃないといけないわけ。
どこの神話でも神様や天使って何らかの概念を擬人化したような、限りなくソレ一色な奴らじゃん。
まあどこぞのゴッドオブ盗人スーパー健脚マンみたいに色々詰め込みすぎてるやつもいるけど、まあアイツは神が二物も三物も与えた系の擬人化みたいなもんやって考えれば理論は破綻してないな、よっしゃセーフセーフ。
つーわけでさ、アイドルの癖に「誰にも負けない何か」を持ってないやつは生まれてきちゃいけないってこと。
クラスのアイドルはクラスのテッペン取らなきゃダメ出し、オタサーの姫は絶対王政に出来なきゃ駄目なわけよ。
なんかちょっと可愛い系でナンバー3辺りに収まりたいって奴はキャバクラでもいってな。
アイドル向いてねーわ。
母は未婚だった。
母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。
主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費だけが、生活の頼りだった。
所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。
隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。
育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。
喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金も無いからとそのままにしている先輩がいた。
学級崩壊なんか当たり前だった。
どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。
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私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。
そして、転入した地元の公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。
非行に走る生徒もいなかった。
虐待や育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。
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幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。
日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。
そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。
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その高校は、港区の公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。
小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。
わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立の小学校を受験する人がいる、ということを初めてここで知った。
文化的なレベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。
人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界。
彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。
なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。
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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。
「高学歴の世界」の純度は高いままだった。
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私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。
父に買い与えられたタワマンで、幸福な暮らしを営むことは間違っていることだと。
私と「田舎者と貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。
「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。
IBS下痢型だと低FODMAP食で歴然とわかる程度に改善されるんだけどな。そっちのIBSはまだ対処なし? でも鼓腸の苦しさがあるなら低FODMAPは試す価値ありだと思う。
キシレン類だと、クサイといっても普通の汗などのアンモニアやカルボン酸ではなく、
「有機溶剤臭い、ツンとする、シンナーの匂い、マニキュアのような匂い、苦い匂い」と表現されるんだろうな。
そういう場合は体表常在菌ではないことがほぼ確定してるから頻回入浴だのは全く意味を成さないと思う。
にんにくのチオールと同じで、血流に運ばれ、全身から臭いがにじみでるんだろうね。(でもとくに呼気、肺の換気に乗るのと、鼓腸があるなら屁・ゲップだね)
いずれにせよ体表より全身(内部)の状態を改善しないと意味ないやつ。
それと、そういう有機溶剤になれた、ガソリンスタンド勤務とかネイリストのような人には全く感じない体臭なんだろうね。
飲んだらどうなる?普通ならアルデヒドが血中を流れるんだけど。
それとアルデヒドだろうがキシレンだろうがやっつけてくれるはずの肝臓があなたたちはコリコリしてきてない?ガンマGTPどうなってる?
なお私は医療関係者じゃない(元益田の記事みておもいついたこと書いた天才なだけ)だから普通に詳しい医者と人間ドックで全身みてもらったほうがいいような気もしますぞ。
まあ個人経営の医者だろうが大学病院の医者だろうが専門バカばっかりしかいない地域だったら、全国病院に賢い全身診断AIがコピペされるのをまったほうがいいかもしれんけど。
食べ物は買ってはいけないと親に厳しく言われていたから駄菓子そのものへの思い出はとても少ない。
駄菓子屋がなくなったらどこで手に入るのかわからないものばかり。何円で売られていたのかはほとんど忘れてしまった。辛うじて覚えているのはシャボン玉液の30円とメンコは5枚で20円だったことくらい。
高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。
自分の友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナーや暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。
あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカのファッションビルで、小さな舞台とテレビ局を内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校の女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそのファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台で撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集!テレビに出てみませんか」という告知が。趣味でコンビを組んでいた(学校の旅行とかで披露するため)自分はおもしろがって応募する。そしてその場でショートコントを3分ほどやった。コンビの相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。
そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。
卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京へ上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具とスクーターをもらって、経堂という世田谷区の小田急線沿線の駅に住む事になった。
本当になんのアテも無かったので新宿のビアホールでアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイトは大学生がほとんどであったが、友達に大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりわからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。
高校卒業時、服、特に「裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社に就職。一年間ほどそこで営業、広告制作、取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターやフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。
とりあえず働かなければ、ということで派遣のアルバイトでプレイステーション2のメールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラムが視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達と趣味で作っていたTシャツをインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネットの面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社に就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。
ウェブ制作の派遣アルバイトをしつつ、個人でグラフィックとウェブの仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュでサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックはフライヤーやメモ帳、DVDのパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントとディレクターとプロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。
漫画やアニメ等で存在するマスクを付けている不良、ちょっと昔風の不良という感じにはなってきてるけどまだたまに見かけることがある
もはや定番の記号となっていて再生産を繰り返されているが若い人の中には意味が分からない人も多い
海外のアニメファンにも意味不明だけど日本人はマスクつけるの好きだからとか変な方向で納得されてる
元を辿れば70年代から80年代にかけて不良の間で流行ったものに由来する
今で言うところの脱法ドラッグのような感じで、シンナーの揮発成分を吸引してトリップするというのが流行した
手軽にできることから爆発的に広まったが、当然ながら身体にはすごく悪い
歯が溶けてしまうという都市伝説もあったが実際は歯茎が痩せて歯の間がスカスカに見えるということだった
マスクをつけてる人が街中でも珍しくなくなったのは今世紀に入ってからのことで
当時マスクをつけてる人は風邪やインフルエンザで本当に大変な人か、もしくは上記の不良くらいだった
けどさ、今じゃもうマスクつけてる人とか珍しくもないし、逆にオラついてるやつはマスクとかつけたがらないし
実態が消えて記号だけが残ってる状態でまだ続ける意味ってあんのかね
もうそろそろそういうのいいんじゃねって思うぞ
その次がキノコで、これも本
夕食時のこと。
やっと美味しいショウガ焼きを食べようと思ったら、
しばらく鳴りをひそめていた近所の人の柔軟剤臭。
せっかくのショウガ焼きの味も味わえなかった。
微妙にアナフィラキシーショック気味。
なんで、他人の柔軟剤のために通院費も治療費も払わないといけないんだろう?
なんで、毒物含むって判明しているのに販売され続けているんだろう?
一昨日くらいにニュースにもなっていて、コメントが殺到しているのに
そろそろ、今まで我慢してきた人々の我慢の糸も切れそうな気がする。
だって、学校に行けなくなった人や、会社に行けなくなった人とか
咳喘息で苦しんで幼稚園にも行けなくなるって悲しいことだと思う。
でも、そういう人って危険な物質が身近にあってもわからないのだから
死ぬのも早いんだろうなと思う。
医者もそう言っていたし。
さらに、柔軟剤にどっぷり浸かっている人はシンナー中毒患者と同じで