はてなキーワード: キャンペーンとは
日本はデジタル化が遅れている、経済成長にはデジタル化が急務だと言われる。
本当なのだろうか?
例えば、現金はコストが高いので電子マネーを導入するべきだ、というのは、多くの人は正しいという発言は多いように思う。
個人単位ではレジにかかる数秒早くなるのは実感できるし、財布を持ち運ばなくていいという、わかりやすいメリットはある。
電子マネーが使えるからというので購入金額が増えたり、いつもより頻繁に購入するものなのだろうか?
色んな電子マネーがキャンペーンをやっているが、GDPは増えてない。
テレワーク、通販、UberEatsなどのデリバリーがコロナで普及した。デジタル化は進んだだろう。
だがGDPは増えない。
18時半くらいまではそんなに混まなかった。最近、フリーター女子アルバイトさんがお水風俗の世界に片足を突っ込みたがっている、という話をAさんとする。まだ未成年だと諸々の支払いが来ないので、気軽な気持ちで大金を稼ぎたがるのでは? とAさん。なるほど。今時はキャバクラとかでも雇用契約を結ぶ時にマイナンバーを要求されたりするんだろうか。仮にそういうのが無かったとしても、最近は税務署が厳しいので、稼いだお金を銀行に預金したことがきっかけで脱税がバレるとかありそう。税金払ったら夜の仕事なんか、やるだけの価値があるほどの手取りは残らなさそうだ。そんな話をした。
19時を過ぎた頃から、家族連れがやたら多く来店。別に、良さげな一番くじがあるとか、アイスやお菓子を何個か買うと良いものが貰えるキャンペーンとかをやっている訳でもないのに。
小さな男の子数人と女の子を連れた一家が来店。まあやんちゃ坊主がそれだけいるとご両親でも制御しきれるはずもなく。アイスケースに群がる子供達の一人が、置いてあった台車(4段重ね)の上によじ登ってしまい、台車が動いた弾みにアイスケースの縁に顎をぶつけそうになった。慌てて飛んでいって「ごめんねこれには危ないから乗らないででね」っていってお子様を台車から降ろした。ご両親からめちゃめちゃ謝られたけれど、こっちも平身低頭で謝罪した。子供達がアイスケースに群がり始めた時点で、足場になるものを全て退かすべきだったので。
やばいな、自分の子供が大きくなるに連れて、幼児の行動の読めなさに対しての危機意識が鈍麻している気がする。きっと、3年前の私だったら、子供達がぞろぞろ入店してきた時点で、危ないものはバックヤードに片付けたはず。たかが子供を自分の腹から産んだくらいで育児のエキスパートになどなれるはずもなく。というか、育児スキルなんかほんの一時のもので、幼児のいない暮らしに戻れば、徐々に失われていくものなのかもしれない。過去の経験から子供の面倒を見るのは朝飯前と思い込んで孫を危険に晒すばあちゃんへの階段を、早くも昇り始めている自分に気づいた。
とかいうことをAさんに話したら、「そういうもんなんですか!」と驚かれた。おう。私も、ついさっき気づいたばかりだしの。
21を過ぎたら流石に暇になった。猫が好きなのに猫に好かれないAさんに、猫と戯れるためのコツを教えた。まず猫の方を見ずに座り、不燃ごみになった気持ちで、猫の方から近づいて来るのをじっと待つ。もし猫が人に可愛がられた経験を持っていれば、どんなに不燃ごみみたいにしていても人間は人間とちゃんと認識しているし、近寄ればエサはくれないまでも背中くらい掻いてくれるだろうと考えて、近づいて来るものだよ、と。「そういうもんなんですか!」とAさん。人間の育成方法は忘れても、猫と共存する方法は忘れないというのも、変な話かもしれないけれども。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/papapico/n/naf77985734eb
↑この人はOutlookの「スケジュール送信」機能を知らない可能性が高い。
内容が決まってるならスケジュールに入れておけば確実だし下書きとして見直せる。
年間でも48個くらいでしょ。
Excelをもとに毎回新規メールというのは自分はエラーがイヤでようやらんな。
ちょっとでも描き方ミスってたりビジーだったりすると送信されないだろうし。
毎週数百件とかならやってみてもいいかもね。ただそこまでいくとキャンペーンツール使ったほうが。
トライしてみる心は良いと思う。
衆院選 自民 単独過半数に届くかギリギリの情勢(23:00)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211031/k10013329401000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20211031/k10013329401000.html
ya--mada 自民党の分を維新が拾うのは分かっていたことだが、納得いかないよね。何故、維新に入れたくなるのか理解し難い。
「何故」も何もないんすよね。日本じゃ小さな政府志向の政党選択肢が他にないんだよ。
アメリカの共和党(小さな政府)と民主党(大きな政府)の二大政党制が理想なんだけど、現実には自由民主党(大きな政府)vs立憲民主党(大きな政府)じゃん。
もう大きな政府はウンザリなんすよ。税金の使い方がとにかく頭に来る。
五輪やGOTOキャンペーンを馬鹿馬鹿しいって思った人も少なくないと思うよ。もちろんそれ以外にもとにかく無駄遣いにしか思えない支出がたくさんある。終末医療とかさ。
長期政権は腐敗するって言うけど、別に長期政権でなくてもカネと権力さえあれば腐敗するから。
身を切ってとにかく小さな政府にしてくれそうな政党が維新くらいしかないんすよ。
維新支持って言うとすぐに「新自由主義者だーーーー!」って大騒ぎするけど、新自由主義イコール悪みたいな発想もほんと毒されてると思いますよ。
つーか日本は一度も新自由主義なんてまともにやったことないし。皆保険に年金に生活保護、産業面では規制につぐ規制、医療も教育も価格統制されてて、米国と比較すりゃすぐ分かるけど何がどう新自由主義なんだよ。
「成功した社会主義」ってずっと言われてたね。まあそれで失速してんだけど。一回くらい新自由主義試してみたら?
アメリカは新自由主義の元でGAFAみたいな新しい産業での大企業を作って一気に豊かになった。一昔前は「アメリカンドリーム」って言ってたらしいね。今も言うのかな?
Amazonのベゾス、Facebookのザッカーバーグ、Teslaのイーロンマスクとか世界指折りの大富豪も生まれたね。彼らはみんな一代での成り上がりだよ。
そんで格差ができたって言ってるけど、要するに国全体に余裕あるからそろそろGAFAからも税収取って国民養っていこうかな?ってフェイズなわけでしょ。いいじゃんそれは。
資産が兆単位で今後ももっともっと稼いでいく人たちを大黒柱にして、国民みんなを養ってもらうのよ。
ないに決まってんじゃん。法人税高くて、ちょっと金稼いだら目の敵にされて。誰がこの国で起業して世界で戦おうって思うんですか?賢い人たちはアメリカ行くでしょうよ。
日本の金持ちなんてせいぜい「地主で親から受け継いだ土地で食ってます」みたいなショボい金持ちばっかり。
上の層がスッカスカなんですよ。俺らがイメージできる金持ちって柳井・孫・前澤とか、マジで少ないよ。
日本が世界で戦えてる産業って自動車(トヨタ日産ホンダ)とソニー、日立、パナソニック、ブリヂストン、東芝、村田製作所とか…
古い会社ばっかなのよ。要するに少し前の世代に頑張って作った会社でなんとか食っていってるだけ。新しい産業を創出できてないってこと。
このままだと国が終わる実感があるの。我が国はエネルギーも食糧も半導体もなんもかんも輸入頼りでしょ?我々は自動車と電気部品屋さんなんだから、自動車は欧州かテスラに、電気部品は隣国に負けたらなーーーーーんも売るものなくて飢えて死ぬのよ。
そういう危機感が君ら全然ないでしょ。格差ガーとかそういう内向きの話じゃなくて国としての生存戦略の話ですよ。
現役世代の若者として、大黒柱が腐りかけてるのに老人の医療費にばっか金使ってる現状はウンザリなの。
カネを使うなら教育か産業投資に使ってほしい、それができないなら減税してほしい。ていうか政府の投資って大抵的外れで全然期待してないから民間に任せてほしい。だから維新。
そんで世界相手に商売できるデカい会社を育てて、雇用を作って国内に富をもたらすんだ。巨大な売上作って、将来的にはその税収で国中のインフラをもっともっと良くするんだ。
はてな民は「維新なんかに入れたら終わりだ」って言うけどそれは君らが税金にぶら下がって生きていこうって考えてる側の人間だからでしょ。
高齢化してるサービスだから仕方ないんだろうけど、自分が国を支えていくっていう発想がない。自分の未来に可能性を全然感じられてないように見える。ていうか自分が死ぬまでの間なんとか持ってくれさえすればあとは世となれ山となれって思ってるでしょ?
あのね、逆なんだよ。君等みたいなぶら下がる気満々の人たちばっかりになったら本当に終わりだから。1億人全員が「分配!分配!」って叫ぶ社会になったときこそが本当の終わりなんだってば。
大企業の増税も結構ですけど、既にガッツリ解雇規制かけて社会保障の肩代わりみたいなことしてんじゃん?
そっからもっともっと取ってやろうって、発想が「金のガチョウをすぐ絞め殺そうとする愚か者」にしか見えないんすよ。そんでばらまく先が老人の福祉って冗談キツイっすわ。
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。
行けた理由はhttps://twitter.com/iko1225/status/1452179568819769347こういうふうに流れを描いてくれる人がいたからで
芸能人の私も行きましたってキャンペーンでもとにかく行ってこいとか行かないやつはああでこうでって脅すような書き込みでもなかったよ。
やり方くらい調べりゃ出てくるだろ!って怒ってる人もいるけど、ああいう解説もstep1,step2みたいにぶつ切れで何工程もあって苦手意識が全然減らなかった
動画解説も投票する役の人に対してカメラがぐるぐる回ってその部屋の全体像とどこにいるのかもよく分からないから事前シミュが出来なかったり
今までにあった図解も受付→投票記載台みたいな感じで模式的すぎてで結局何をどう行動すんのわからないコワイ行けないって感じだったんだよ。
同じような理由で投票の意思があるのに行けてない人もきっと他にいるから、
すでに昔作った説明があるからそれ見りゃいいだろじゃなくて、本当に伝わっているのかとかわかりやすい伝え方とか考えて変えていってもいいと思う。
「オトナのたしなみ」くらいのキャンペーンやってくれたらねぇ、いろいろ感心するけどな
参政権は権利であるのだから行使しない自由というのは認められないのかね
たとえば日照権を放棄して、敢えて日当たりの悪い場所に住むことは何ら問題ないはずだ。給付金だって不要な人は受け取らない自由がある。
ところが選挙になるとメディアも自治体もこぞって「投票に行きましょう」と煽る。
「社会が良くならないのは投票に行かない連中のせいだ」と言わんばかりの大キャンペーンを張るのは棄権の自由を侵害していることにならないのか。
公職選挙法に「選挙人は、選挙の当日、自ら投票所に行き、投票をしなければならない。(44条)」と書いてあるのは知ってる。ただこれを根拠に投票に行かないのがさも悪いことだと感じさせるのはあまりにバランスが悪くないか。
権利ではなく義務であると言いたいのであれば罰則を設けるなりして強制投票の制度にすればよいのだが、そういった法的整備もせずにただ行きましょうと煽るだけなのはどうなのかね。
愛知県は、若者の新型コロナワクチン接種を進めるため、10月末までに少なくとも1回接種した20代、30代の県民2万人に1万円分の食事券が当たるキャンペーンを実施しています。
県によりますと、9月末の受け付け開始以降、10月21日までに10万108人が応募しているということです。
ワクチン接種で「食事券1万円分」当たる? 若者10万人超が応募 愛知(メ〜テレ(名古屋テレビ)) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa7b2d986fdb59fdb6895e1fed76ac6477556bcd
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。