はてなキーワード: エヴァとは
「序」は多分「破」公開前にやってた金曜ロードショーか何かで見た。シンジ君がウジウジしててなんだこいつと思った。
(その後ネットで「中学生に突然命懸けさす奴らの方が頭がおかしい」という意見を見て確かにそうだと思い直す)
「破」は多分彼氏と映画館で見た。「破」はシンジ君が成長して見てて楽しかった覚えがある。
「Q」も多分彼氏と映画館で見た。ど、どゆこと…??と思った気がする。リリンって何??
というか、3つ全部見てるけどほぼ意味分からず見終えている。人類補完計画って何?使徒って何?な状態だし内容もほぼ覚えていない。
しかし今回復習もせずにアマプラで夫(上記のかつての彼氏)と「シン」を見たので以下感想。
パリだーてかエヴァパイロットのピチピチの格好が恥ずかしいと言及されたぞ?あれ絶対恥ずかしいと私も思ってたよ。
戦闘と同時になんかパソコンカチャカチャやってるけどなんで地べたに座ってる感じなん?腰大丈夫?何やってるんだか全然わからんけども。
え〜街赤かったのが元に戻った〜!戻るんや?てかそもそもなんで赤いんだっけ??
なんか元クラスメイトの人達大人になって子供までおるやん。なんでシンジ達は浦島太郎状態なんだっけ??前回そんな終わり方したっけ?分からん。
シンジ君相変わらずめっちゃ落ち込んでるけど。確かシンジ君のせいで世界が終わる的なことになったんだよねー、そりゃ落ち込むよ、しょうがないよ。
この人の関西弁絶対おかしい。私は関西人じゃないけどおかしいと思う。関ジャニの村上がマツコにビジネス関西弁とイジられてたのを彷彿とさせるような関西弁だなー。
つばめちゃん可愛い。赤ちゃんの描き方がちゃんと赤ちゃんの可愛さを表現できている。
綾波そっくりさん「おはようって、何?」「仕事って、何?」なんでも質問してくる幼児みたい。
シンジ君結局立ち直った、よかった。
と思ったらそっくりさんが溶けちゃったよー!せっかく楽しそうに暮らしていたのに残念だ。またシンジ君のトラウマにならない??
ピンクの髪の子がブチ切れている。今時の若者みたいなキャラだけど昔から続いてるアニメだから喋り方がなんかちょっと古い。現代の若者ではない。でもそれは仕方がない。
アスカが眼帯取って目からなんか取り出した〜!びっくりした〜!
シンジ君エヴァに乗るって言い出してまた変な関西弁と古い若者がブチ切れたけど結局乗ることに〜
父と息子で戦うけどシンジ君の心象風景を背景にお送り〜多分ファンには堪らないのでしょう、ファンサービス的な?
ゲンドウさんが解決するのは暴力じゃない?みたいなことを言い出してなんか話し合いを始める。
ゲンドウさんは孤独が好きで、知識が好きだったのに、唯と恋に落ちた。このゲンドウ君と恋仲になってゲンドウ君の世界を変えた唯すげーよ、どんな女だったんだ。
からの唯が死んじゃって、そりゃ悲しいわな、辛いわな。
からの、綾波がいっぱい!なぜ?!おかしいやろ。こんな男のどこが好きだったの?唯さんは。唯さんもおかしな女だったのかしら。
「唯はそこにいたのか」とかシンジ君を見て言うゲンドウさん。そうだよ、普通奥さんが死んじゃったら子供を頑張って育てるんだよ。普通じゃないからこんなことになっちゃったんだもんね、しょうがないね。
てか、ゲンドウさんてなんか暗いところで輪になって会議みたいなことよくやってたよね?あの人達は何が目的だったの?ゲンドウ君に騙されてたの?
てか、最愛の奥さんが死んじゃってまた会いたくて頑張っちゃうマッドサイエンティスト、みたいなやつありがちだよね?なんか話としては普通じゃない?
槍がどうのって前回から言ってるけどなんなん?意味がわからん。キリスト教的な話なの?分からん。
なんか下書きみたいなのになったーなんでか分からんけど。アニメって描くの大変そうですね〜お疲れ様です。
これまでのエヴァを振り返ってお別れみたいなシーン、ファンには堪らないんでしょうね〜
マリとシンジ君が大人になってる〜これは心象風景?実際の話?この2人いい感じなの?
なんか実写映像にすんなり変わってすげ〜 終わり
全体的によく分からなかったが、そもそも自分レベルの人間が見る作品ではないのだ。
以上、感想でした。
オレオレ。子供の頃は仮面ライダーBLACKとノリダーにハマったものの、その後シリーズ空白期に入り、ウルトラマンもリアルタイムでは未体験、ゴジラ映画は惰性のように毎年行ってたしフィギュアは魅力的に見えたけれども作品内容は正直子供には面白いものではなかった。
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
旧エヴァでトウジが4号機に乗せられるのはエヴァ最高の見せ場なんだけど
そんな重要な立ち回りなのにエントリープラグから発見されるまでトウジが乗ってるっていう確定的な情報は一切なし
絶対乗るのに肝心な部分はひた隠し
知らない人は17話見直せばいいけどどこにもトウジが乗ると確定的なことは言ってない
トウジが職員室に呼び出されて中からリツコさんの声はするけど姿は描かれない
だから当時テレビ見てた人は「え?トウジ乗るの?マジで?」みたいな感じだった
「実はトウジじゃありませんでしたー!ハッピー!」
っていうことをやるための緊張と緩和だったんだけど、それを逆手に取って
「実はやっぱりトウジでしたー!期待した?残念!」
貞本コミックの方はどうなるのかなーって思ったらトウジからシンジに伝えさせていて
それはそれで悲壮感あるんだけど貞本はやっぱ(読者に対して)優しいなーって思ってたら
そんで新劇になってまず「アスカは出るのか?」っていう話題が持ちきりだった
ミヤムーがあんまり声優やってないし庵野となんかあったっぽいしアスカ出ないんじゃね?っていう予測もあった
確か当日までそういう噂あった気がする 予告でアスカはチラッと出てるけど声はあるのか?みたいな
素っ裸のサービスシーンも見せつけておいて
死亡フラグ立てまくりで見てる側に絶望感与えるとこもドS過ぎた
完璧すぎた
Qのガッカリとかシンエヴァの退屈感とかもまぁまぁ面白かったけどやっぱ破がマックスで最高
破に至るまでのいろんな経験があって始めて破が面白いんであって破だけ見てもおもんないし
今から何も知らない人が旧エヴァを見直したりしても多分おもんない
当時を生きていた人が世間の動向や噂なんかを体験したからこそマックスで面白いんであって
それを疑似体験はもうできないだろうね
→第3村自体が「なかったこと」にはなっていないが、あの時点では無くなっているかもしれない。(通常の街が使えるようになったのに、あそこに住んでいる理由がないため)
・エヴァのない世界になったけど、それ以前に死んだミサトや加持等は死んだまま?
→死んだままであると思われる。シンジはエヴァの必要がない世界(使徒やその他神の思惑がない世界)を望んだのであって、死者の蘇生は含まれていないため。
・最後の駅のシーンで元チルドレン達は皆本来の年齢である28歳くらいになってる?年齢が分かりにくい絵柄なのでいまいち分からない。
→不明だが、シンジとマリに関してはそうだと思う。向かいのホームにいたチルドレンたちは虚構だから違うと思う(現実だとしたらシンジやマリがなんのリアクションも取っていないのが不自然&劇場特典のレイ&カヲルは年を取ってないように見えるため)
・ニアサードの後で生まれたトウジとヒカリの娘や息子の方の加持リョウジはあの世界では存在してるの?
→存在していると思われる。「何もかもなかったこと」になったのではないので
・元の世界ではシンジが加持リョウジ(息子)と仲良くなってたみたいだけど、世界が再構成されて年齢が離れちゃったならそういうのもなかった事になってそうでそれが残念。
→個人的な想像だが、年齢が離れたとしても友人関係は続いていると思う。何度も言うが「何もなかったこと」にはなっていない。「神の思惑がない世界」になっただけで、歴史も記憶もそのまま。
なににこんなにショックを受けてるのかわからない。
別人だったショックって言ってるけど、委員長の細かい性格を覚えてるかって聞かれたら全然覚えてない。
でもなんだ。トウジやケンスケが懐かしかった一方で、委員長だけ知らない人って感じだったんだよな。
結構喋ってくれるのに、いくら喋っても委員長だけ懐かしくない。
いいお母さんなのはわかる。すごく伝わる。
でもそこに居るのはいいお母さんの誰かで委員長の成長した姿だって実感が最後まで持てなかった。
なんかそれがショックだったんだよな。
生き残ってるって知れたのに死んだのを知っちゃった感じ。
だからどうって事は無いんだけどさ。
こんな事言ってる割に俺は委員長の事よく知らんし。覚えてないし。
でもこう、ショックだったんだよ。
エヴァに詳しい人居る?
あったら教えて。
そもそも投げっぱなしエンドはストーリー性が消滅してしまうから、視聴者には制作陣の思惑や心情に対する興味しか残らない。
どうせ投げるならQで投げてもよかったよな。
庵野はなんでそうしなかったんだろう。
みたいな。
流石にこれどうなん?
普通の恋愛映画だってパートナーとか特に居ないキャラ出てくる気がするけどシンエヴァは同性愛者だから表向き告白してないだけで恋愛してない奴ゼロじゃん。
たとえばペットの犬が死んだあとに犬死映画を何本も見て、沢山感情移入して沢山泣いて復活とかしちゃ駄目なのか?
自分の思想に自信をなくした時に同じような気持ちで作られた物語を見て、自分はこの世界で孤独なんかじゃないんだと救われた気持ちになっちゃ駄目なのか?
そもそも作品見て救われる気持ちって結構な頻度で感じるものじゃないか?
たとえば宇宙映画でロケットの発射シークエンスが当時のものをリアルに再現しつつも映像的にはギリギリの所で嘘を混ぜて来てると「そうそう。あそこは誤魔化しちゃ駄目だけど、ここはこう誤魔化すと観ていて楽しいものになるんだよな」って共感が湧いてきたとして、それって鑑賞者として救われるような気持ちにならないか?
逆に今まで全く理解できなかった価値観に対しどういう理があるのかを伝えられたときも納得という形から過去のトラウマに対して「あれ?あれってつまりは単なるコミュニケーションエラーかよ」みたいになってつっかえが取れたりするけど、それも救いの一種だと思うんだよな。
作品の話をするときに自分が救われたかどうかって案外関係あるんじゃないかな?
自分が好きな小説や映画を上げていったらそのうち半分ぐらいは「自分がソレを観て救われた」って話が絡んでくるもんじゃないの?
少なくとも自分は10作ずつあげたら2作ぐらいはモロに「俺はこの作品に救われたんだ!この物語のコイツは俺なんだ!これは俺みたいな連中のための物語なんだ!」って思わせてくれたのが入っちゃうけどな。
まあそういうのって表裏一体ってのはたしかに分かるんだわ。
たとえばレディプレイヤー1なんてオタクからは「俺彼女出来たわwwwwリアル恋愛最高wwwお前らネット中毒は地に足つけろよwwww」と煽ってくるから最低の映画って評価受けてるっぽいけど、まあそこまで主人公に感情移入しまくって陰キャの物語として観てたら梯子外された気持ちになるよな。
まあだから作品の善し悪しと自分が救われたかを完全にまぜこぜにしていいのかってのは分かる。
いやでもそれって大体の人ができてるよね?
「自分が救われたかどうかだけで作品を判断するな!」と言ってる人は単に自分が一度に一本の物差しでしか測ってないだけでは?
世の中の多くの人は複数の物差しで作品を鑑賞して、複数の物差しで測った結果をときに総合的にときに個別に述べていくと思うんだよな。
だから特定の物差しで測った結果について語られたのを観て「それだけで語るな!」ってのが通るのはアマプラにレビュー載せられた時だけであって、レビューの平均点にも絡まない場合なら個人が特定の物差しでだけで感想語っても問題なくね?
kingate 監督くんの憑き物落としの物語に付き合ってるだけだぞ。何でオマエが救済される必要がある?
iinalabkojocho コンテンツを「自分が救われるかどうか」の基準で見てたら楽しめも心動かされもしないでしょうね。世代と関係なく。
この辺への返答だけど100文字じゃ描ききれなかったので。