はてなキーワード: アニソンとは
https://open.spotify.com/playlist/07EtINy0XTQgFIPlzK2cfy?si=7d2546af0f974ed0
http://www.nicozon.net/watch/nm11194834
https://open.spotify.com/intl-ja/track/4eADmVu0UhcS3aeZqZ7Gki?si=423434d3d9d34f54
https://open.spotify.com/intl-ja/track/194s6lgywJs0KleaUzs3RM?si=e73b9454e33b42d0
https://open.spotify.com/intl-ja/track/04xO0fe3P8JKbU6EzpCwXE?si=90319f5d15094008
https://open.spotify.com/intl-ja/track/5ALPKLOuOCqq1MlZz1TS5A?si=c3f5173527c04388
90~00年代くらいのアニソンでしか摂れない栄養ってあるよな!
OP・EDじゃないイメージソングとか劇中歌とか、心に残ってる曲をおしえてくれださい。
佐々木真里:In Your Eyes (「無責任艦長タイラー」のイメージソング。)
隠れすぎてネットで聴けるところがないけどな!
メジャーだけど
影山ヒロノブ・KUKO 光の旅 (「ドラゴンボールZ」のバーダック編のED曲)
https://www.youtube.com/watch?v=f_1N4DEHZ0s
もいい曲だぜ!
【追記】
「OP・EDじゃない」って言ってるけどあんま気にすんな!「めっちゃ有名じゃない」くらいの感じだ。
スターが集まるのは有名な証拠で、スターが付かないブコメこそ隠れた名曲なのかもしれないとか思ったり。
俺が聞きたいのは「メジャーメディアで持った興味から派生したそれ以外のミュージック」なんだよ。
たとえばアジカンやバンプみたいなアニソン歌ったことがあるバンドのアニメ以外の曲とか。
カバーされた夏祭りを経由してJITTERIN'JINNに逆戻りするとか。
エロゲで大人気のジムノペディを聞いてみたり、エヴァからの派生でクラシックの聴き比べに行くとか。
堀江晶太が作曲してるエロゲっぽい曲を探してみることで「パンピーミュージックとエロゲミュージックの妥協点」を味わったり。
俺が求めてるのはそういうポロロッカの旅なの。
でもSpotifyはアホだからアニソンの方ばっか勧めてくるんだよ。
興味ね―よ同じソシャゲソングならまだバンドリカバーの方がいいわ。
Release Raderを見るといくらでも俺が好きそうな曲があるのにDiscover Weaklyがハズレばかりだ。
毎週のように⛔ボタンを10回ぐらい押してる。
俺が聞きたいのは声優アイドルの歌じゃなくてその奥に潜む平成臭が香る古臭えメロディーラインだからそうじゃないのはいらねーっつってんだろ。
ザ・リーサル・ウェポンズの夏の日のメガドライブ超いいじゃねえかこっちをDiscover Weaklyに入れろよ。
つうかよお……なんで結束バンドの新譜が配信されてるとかもRelease Raderみねえと分からねえの?
そういう棲み分け?
というより「俺がオススメに自動的にぶっ込んでほしいもの」を分かってない感じ。
オタクが全員声優アイドルソング大好きだっていう思い込みを捨てろよ。
俺は作品に対して解像度が高いタイアップソングの方がずっと好きでむしろとりあえずで量産されてしまった声優ソングはおしなべて唾棄してると言っても良いし石田彰の「声優って歌うのが仕事か?」って言葉は超正しいと思ってるしアニメ映画に実写俳優が声優初挑戦するのに怒る気持ちがあるならもう片方の天秤に乗るべきは手当たり次第にキャラソンを声優に謳わせることへの疑問であるべきだろって。
声優ソングってキャラのステレオタイプ要素に意識向きすぎて結果的にその辺が蔑ろになりがちじゃん?M八七みたいなのを通して「それな。つーか感受性でも表現力でも俺たちの完敗だし俺たちの存在価値ってやっぱゴミじゃん……」みたいな気持ちになって感想を発する気持ちさえも失われた消費オンリーオタクとして貝になることを受け入れるための触媒でさえあってくれって。「◯◯(キャラの名前)はそんなんじゃないよ~~~><俺のほうがまだ理解できてるよ~~~><」とかいちいち考えたくね―んだよ。
高校中退した
先週高校中退した。
ガイジとサヨク教師しかいないゴミ学校なので一ミリも後悔してない。
中退した理由は無駄だから。ChatGPTに聞けばわかることを10代の貴重な時間をかけていちいちやってる時間が無駄の極み。
つーか成績の基準が変。ChatGPTに負ける斜陽産業ができることが褒められて、日本のメインカルチャーのアニメイラストゲームに全力注ぐことはサボりとか言って全否定。
オタク差別は減ったとか年上の人が言うけど、日本のオタク差別は今もなくなってない。
メインカルチャーなのに詳しくても全く点数になってない
アニソンゲーソンじゃなくてゴミクズの化石みたいなクラシック、Vtuberや声優じゃなくて大昔の知らんおっさん、何かのゲームの乱数計算でもない意味のない数学。
イラストも課題優先で自分の描きたいキャラで出しても点数つけない。
結局メインカルチャーなのにいまだに全ての中心にされてない。
中高生の頃、テレビ放送されているアニメ(しかし地方在住だったので本数は限られる)は全て見ていた。
だいたいの話にはついていける。声優の話もわかる。
しかし私には、友人たちとは決定的に違う部分がある。
好きなキャラクターはいるにはいる。だが、推しと呼ぶほどではなく、グッズも持っていない。(しかも全員同性)
好きな声優さんもいるにはいる。しかしこれまた同性の方。おまけに声優としてというより、アーティストとして好きなので根本的に違うのかもしれない。
友人たちには皆、「推し」がいて、そのキャラクターへの愛がすごい。
すごいなぁと思う。と同時に、自分はオタクではないのでは?と気づく。
実際、友人から「オタクじゃないよね?」と言われたことがある。
そうだよな…。
自分をオタクだと思っていた時期もあったけど、今は過去から現在に至るまで、実はオタクじゃなかったと思っている。
しかし、全くアニメを見ない親や親戚からはオタクだと思われている。
【追記】
昼休憩中にてろてろてろっと書いたエントリに、思いがけずたくさんブコメがついていて驚きました。
先に誤解を解いておきたいのですが、私は自分のアイデンティティーに悩んでいるわけでも、友人関係に悩んでいるわけでもありません。
このエントリを書いたのは、「劇場版アイカツ!の円盤が~」を読んで(すみません。全文は読んでいません)、あっ…うっ…ぐはっ…となってしまったのがきっかけです。
自分で自分の心をグサグサしていただけですので、決してあちらの増田さんが悪いわけではございません。
私、あれやこれや理由をつけて劇場へ行かなかったんですよ…。映画高いし、いつか配信されたら見ようと思って…。
それで、熱意のこもったあのエントリを読んで、すごいな…すごいな…私なんて映画館にすら行かなかったよ…ごめんなさい!お金出さなくてごめんなさい!!と。
自分の文章を読み返していて気づいたんですが、私はやっぱりオタクじゃないんですよね。というか、オタク「気質」じゃないんです。
色々好きなものはあるけれど、どれも熱を込めて語ることができないし、すごく深いところまで掘り下げようともしない。
推しがいる友人は、推しに対する愛や熱意がすごい!!その時点で私から見たら、ちゃんと「オタク」なんです。
私はというと、手芸(裁縫、レジン、編み物、刺繍)、料理、お絵描き、園芸、投資、ごにょごにょごにょなどと、割と好奇心旺盛で、あれもこれもやりたがるザ・広く浅くな人間なんです。
読書も好きなんですけど、ジャンルの異なる本を5、6冊積んで、その時の気分で選んで読んでいたり…。
そんな私を友人たちはすごいと言って尊敬してくれるのですが、私は一つのことに熱中したり深く掘り下げることのできる人を尊敬しているのです。
やっぱりオタクはすごいんだよ。
アニメを見る人間=オタクだと思っている人は一定数存在するので、仕方ありません。
以上。
中学ぐらいまでは苛ついたら叫んでたんだよね。
家で叫ぶと怒られるから海とかで叫んでた。
社会人になっていきなりど田舎勤務に飛ばされたときにこの癖が再発した。
上司も左遷されたダメ人間オールスターみたいな状態で本当に辛かったのもあると思う。
田舎で人の居ない場所は選び放題だったから周囲に人がいないのを確認して定期的に叫んでた。
でもある日、山の中で叫んでいるのを「最近あの辺って山犬?鹿?熊?の声が聞こえるよね」って噂になった。
それ多分、私です。
山の上で叫んだら麓に結構届くんだね。
流石にこれで自分が原因だって分かったら現代妖怪としてウォッチされてしまうと思って我慢するようになった。
代わりに枕を殴ることが増えた。
でもこれやると2ヶ月ぐらいで枕が壊れるんだよね。
ボコボコに粉砕した枕を社宅のゴミ捨て場に2ヶ月おきに捨ててたら、それが噂になった。
どうせ捨てるんだしと最後ビリビリに破いてたんだけど、それが「ナイフで滅多刺しにしてる。多分誰かの子供がストレスで不良になったんだ」って話になってた。
これは不味いな。
団地のフォークロアとして独身のままBランク怪人人妻みたいな扱いになっちゃうな。
でもね、出てくる時に職場の人に合っちゃったの。
田舎のカラオケ屋だから壁が薄いし、アニソン歌ってたの聞かれてんなって。
自分の趣味を職場に知られたくなかったのでもう二度と行かないことにした。
せっかく言ったのに流行りのJ-POPで縛るとか辛いだけだし。
ムカつく連中の悪事を書いた閻魔帳を用意するというのは結構楽しかった。
でも纏めてくとしょーもない奴らしかいないなって気づいた。
何百万もふんだくれるようなハラスメントをしてるのも見たことないし。
たとえばこれをライバルの会社に送っても相手にされないだろうな。
そんなこんなでたどり着いたのがシャドーボクシング。
相手を椅子に縛り付けている状態をイメージして顔面をひたすら殴る。
デブは柔らかそうな腹を殴る。
ただただ殴る殴る殴るたまに蹴る。
人間って人間を殴るのに向いてないんじゃねっていざ殴りまくって初めてわかった。
スポーツショップで自由に殴れるサンドバッグを数発ベシベシしたことはあったけど、何十発もワンツーしたわけじゃないから知らなかった。
あいつら体力スゲーなって今わかった。
ダンス真似してみてアイドルの体力おかしいだろって気づいた時以上にヤバさを感じる。
虚空殴りは本当にいいね。
枕殴りのときは流石に床に響かないぐらいを意識するけど、虚空殴りは足運びに気を遣えば床もきしまない。
カーテンちゃんと閉めてるの確認したらあとはひたすら全力で拳を振り回す。
非力な拳だろうけど流石に50発も打ち込めば歯の一本ぐらいはへし折れんだろとひたすらに叩き込む。
ほとんど開かなくなった目の奥から許しを請うような光が覗き込んでいるのを思うと、人間なんざ最後は暴力でボコれば終わる程度の奴らだってよく分かるね。
よく言う「筋肉を鍛えまくれば、いざとなったら殴れば良いと自信がつく」って話はこういうことなんだろう。
しびれ薬でも盛った想定でただただ殴り続けてやればいいだけなんだ。
凄い疲労感。
これが正解だったんだなあ。
でも実家にいた頃に虚空をボコボコ殴ってるの親に見つかったらキマづさがヤバかっただろうな。
一人暮らしサイキョー
この記事で言うポリコレ潮流とは、今まで日の当たらなかった弱者やマイノリティに光を当てたり称揚しようという世界的な流行のこととする。そして特にエンタメ業界についてに注目する。
世界的、あるいは日本の世間的な言葉の意味はさておき、この記事ではそうする。
説教臭さや、諸々に配慮してますという目配せが娯楽への没入感を削ぐし、僕の美的好みから外れるキャラ・タレントの登場頻度が増えたからだ。
だが、ポリコレ潮流的な物が百害あって一利なしだとは思っていない。
僕は大学進学の際に、九州の人口20万くらいの町から人口100万くらいの町に出たのだが、そこのツタヤに、地元にはおいていなかった僕の好きなアニソン系歌手のアルバムがあった。
それを見て僕は、この町は僕みたいな周囲と馴染めないキモいやつもにも居場所を準備しているのだ、と嬉しくなった。
これは利便性の問題ではなくて、大衆が普段使いする施設が、自分のような人間の存在を想定に含めた運営をしていることが精神に与える影響の問題だ。
もう少しオタク一般に伝わる表現で言えば、アニメイトだったりとらのあなだったりコミケだったりの、オタクの存在を前提とした場所に始めて行った時の感覚にも近いと思う。
だから、差別されやすい民族とか、セクシャルマイノリティとかがエンタメでの登場頻度を増したことで、その人たちが「世界には自分たちの居場所がある」という感覚を得ることができるだろうというのは十分想像できるし、それはいいことだとも思う。
ではあるのだが、やはり僕はポリコレ潮流に好感を持てない。
最近の僕は、100万都市に出る以前の、というかそれ以上の、「この世界から僕は厄介者にされている」という鬱屈を抱えている。
ポリコレ潮流が、居場所のない人間にも居場所がある安心感を与えてくれるはずなのに、僕はそこから落ちこぼれている。
100万都市で精神を病み、無職童貞で三十歳を超え、実家に引きこもってネットで悪ふざけしたりロリエロ漫画でシコりつつも、最近ちんちんの勃ちが悪いことと両親の老いに怯えている僕の居場所は狭まっていくように感じる。
潮流という言葉を使っているが、じっさい上げ潮と引き潮のようだ。或いは株の上がり下がりのようだ。
僕が世界に存在を許されている感覚は、中学生までの頃は居心地の悪い引き潮、進学で人口の多い町に行き居場所のある感覚を得て上げ潮、おりしもネットの発達やオタク文化の一般化と共に最高潮になったが、その後潮が引き始め、下げ止まらない。
最高潮の頃の遺産で居場所や娯楽自体はまだあるが、成長率は低い。
ちょうど日本が、過去の遺産でGDPが世界三位ではあるが、GDP成長率は鈍化していて閉塞感が漂っているのと似ている。
まだ世界から捨てられきってはいないが、この後どんどん居場所が狭まるだろうな、ポリコレ潮流で引き潮になっているな、と思うから、僕はポリコレ潮流を好きになれない。
今のポリコレ潮流で、世界が自分達の居場所を認めつつあるという安心感を得ている人たちの、その喜びはいいことだが、僕という存在の株価が下がっていくこと抜きにそれはできないのだろうか?