はてなキーワード: 20世紀とは
https://anond.hatelabo.jp/20240430184240
あとスポーツしない&資本主義の最悪の表象(色を変えると欲しくなるとおもってるだろ)と思っている増田です。
ABCマートがなんか最近ハイイメージの別形態出そうとしてるけど、過去の悪行考えれば無理っしょ……
なまじ品質がよくカンファタブル&ストーリーも定評もある&色と形で冒険しない&いい感じに高価いと役がそろってるもんだから、
ここ5年くらい小金持ちオジサンの安定靴になっちゃって何も考えずに履くとまあまあダサい。加水分解でソールが剥がれる。
インスタパンプ。すぐ安売りして履きやすくて配色もバカっぽくて良かったんだけど
どうも親会社Adidasに見放され日本法人が撤退気味らしくて弾幕薄くなってる印象。
インスタパンプ以外もヘンな形の出してて好感はある。
ストーリーが薄い。
20世紀はゼロサムスポーツという合法ギャンブルで人間の精神をハックしてブランディングし、
21世紀は疑似も含むC2C投機という合法ギャンブルで人間の精神をハックした。まあそれはどこも同じなんだけど程度がね。
そこまで資本主義まつりに「あえてノる」仕草する気力もないので選択肢に入らない。
良くも悪くもストリートというか、曲がって受容されたのが面白いとおもうけど、最近はそれをブランド側が自覚しちゃって鼻につく。
ヒップホップからのダンスカルチャーはいい面なんだけど、流用されてドンキLDHソフトヤンキーとか
ローテクだけど履き心地はそんなに悪くなくて革モノは長く履ける。
基本おしゃれ女性が履く用でしょ、という固定観念があるのであまり目に入らない。
かつてはサッカーのブランドイメージをいい感じにスニーカーに落としてきたことがあった気がするが。
平成に培われた「asicsとmizunoはダンロップの次にアウト」という固定観念が邪魔する。
リブランディング成功したが、中国人向けインバウンド期に特化しすぎたのか
レトロ風なのにヘンなギラギラがついてる靴という印象になってしまった。
トレイルランブームがあるかのように商社ががんばってて売出中ですね。という印象。
基本アッパーが薄布なのでのっぺりしているところを蛍光色で埋めている。
あのクソダサスキーウエア屋さんがここ数年ハイテク分野で頑張ってる印象。
とはいえクソダサの印象は消えないので全面ロゴとか「これ……かっこいいのか?」となって手が出しづらい。
いい感じの機能の靴をお安く提供してくれる。完全防水ではないけどまあまあ防水とか。
機能靴としては優秀なんだけど、色がビビッド過ぎるとか形が丸すぎるとかで人を選ぶ。
全面的にデザインがトラッドでありつつトンチキでいいひねり方してると思う。
機能は期待してないわりにまあまあ丈夫で好感。
服飾系専門学校生が考えそうな靴。
だけどいかにも高価いんだよな……
よくわからん。ストーリーとか店構えがかっこよさげに思って店に入ると、
どれもウォーキング好きな健康的なオバさまが履いてる靴に見えてくる。
好きになりたいのに熱狂できない。
「『ブランド』というものがあるんだ!」と目覚めた中高生がまず履くものでありつつ、
ちょっと前のノームコアを機に大人のためのリブランディング頑張ってる印象。ユニクロと同じジャンル。
かつてはスケーター文化、パンクス文化とともにユース代表という感じだったのに、
全然懐かしいってならない。ファミコンのゲーム映像とか見ても現役でyoutubeとかニコ動にレトロゲー実況動画とかが大量に上がってて、マリオ3なんて今でも現役でプレイされてるし、映像見ても全然懐かしいって気分にならない。
映像文化が当たり前の20世紀後半を振り返っても、今と対して変わらん。
スマホ持ってる人が少ないとか言われてもせいぜいそれくらいでは。
ファッションとかメイクとかが違うくらいで昭和に起こったようなドラスティックな変化が感じられない。
90年代なんてまるで昨日のようだ。すでに3Dゲームもインターネットもあり、i-modeすら存在した。
入れ墨シールつけてるガキを見かけたらさすがの俺も、なつかしー😍 ってなるのかしら?
時間の距離が縮むとは何かと言うと記録が充実しているのだろう。昔の人が文章を通して過去と交流したように現代では音声や動画を通して過去とやり取りしている。
もちろんブログでもよい。たまになんでこんな古い記事がホッテントリしてんだーとかいうやつがおるけれども、記事がストックされていくことがWebの良いところであり、新しい人に刺さるということはそれだけ過去の遺産が優れている証拠でもあるんだ。
90年代の映像を見ていまと対して変わらんなーって気分になったので今と対して変わらないと思いました。それには映像や記録に接する時間が増えているという背景があるのであはないかという考察でした。
もしくは本当に対して変わっていないのかもしれない。90年代の日本はぶっちゃけ世界最高峰に進んだ文化の拠点であったわけだし、それが30年停滞したとして30年遅れても十分現代と変わらない文化を担ったということかもしれない。
知らんけど。
あとやっぱりEurobeatとかパラパラとか聞いても最近の若者文化だなーってしか感じないのは感覚が狂ってるのだろうか。
90年代をガキとして過ごした自分にとっては、聞き馴染んだ最新の音楽といえばEurobeatだし、今聞いても活力みなぎる最新の音楽っぽさがあって、流行ってる方角とか聞いてもなんかな。
なんかですよね。なんか。よくわからないよな。レモンとか米津玄師とか言われてもよくわかりません。
最近は学校のリーダーズだっけ?よくわからいませんうっせえわとか言われてもわかりません。
俺の中での聞いたこと無い最新の音楽はドラゲナイくらいでよいと思います。
踊ってない夜を知らないなんてずんだもんが踊ってる動画見て初めて知ったくらいだしな。その時点ですら「なつかしい」とか言ってるガキが湧いてて、2010年以降に出現した作品なんて懐かしかね〜よ。と思ったものです。
ゲームボーイアドバンスですら懐かしくない。
入れ歯ァちゃんとかセーラームーンソーセージくらいなら懐かしい認定を認めます。
エバもポケモンもゼルダも現役だし何も変わらねーという感じが大きい。
消えたのはご飯がススム君くらいだし、ご飯がススム君は21世紀の産物なので90年代の話をしている今話題にするべきものでもない。わかりましたか?
90年代の映像が街の映像だったのも問題かもな。この30年はソフトの時代だったので、町並みとか外を歩く人の見た目は変わらないけど、コンテンツや通信技術や計算資源は爆裂に進化したわけで。
そりゃ町並みや人の風景が対して変わらいっていう俺の感想は当然なのかもしれない。
そんなところです。
量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。
そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、波動関数の崩壊は意識のある観察者が関与したときに起こる。
意識が崩壊を引き起こすのではなく、波動関数が自然に崩壊し、その過程で意識が生じるとペンローズは示唆した。
この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近の実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。
意識はすべてを包括しており、現実そのものを構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。
意識は幻想であり、実際の現象的な経験や意識的な制御の感覚はないと言う人も。
この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である。
そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。
脳機能は歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から、電信交換回路、ホログラム、コンピューターに至るまで、現代の情報技術と比較されてきた。
神経科学者、哲学者、人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプスで接続された単純なアルゴリズムのニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。
これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦」機能には適しているかもしれないが、意識を考慮することはできない。
意識を基本的なものとして捉え、宇宙の微細な構造や物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。
例えば、意識は量子領域と古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数の崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズの見解が含まれる。
基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルなもの、他者や宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識が現実の基本的な特徴であり、生命そのものよりもずっと前に発達したものであることの証拠であると考える人もいる。
ペンローズは、客観的還元を意識の科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。
20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数の可能な状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。
なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態と位置に「崩壊」させるように見えたからである。
今日は所用があり外出。
道中には大学があり、ふと目を上げると最上階の隅の教室に明かりが灯っていた。
その景色を目に入れた途端口の中にクリームチーズのような味が広がり、なんとなく当時のことを思いだす。
図書館で用事を済ませると雨。尤も家を出るときから既に雨は降っていた。
最近は雨ばかりで気が滅入る。
公園を通れば軒並む桜は枝垂れ桜にように少し首を垂れていたものの花はまだ健在。
そうした桜並木の真ん中を歩いているとふと学友のことが脳裏をよぎり、名前を呼ばれたような気がした。
しかし名前を呼ばれて照れた自分は当時の自分で、今の自分ではなかった。
公園と雨と桜。迫る四月に春を思えば、人は誰しも黄昏るものかもしれない。
妙に身体が気だるく、昨今の気温は寒暖差が著しいので風邪に好かれたのかもしれない。
なので帰宅後は安静に。
さて、習慣としている読書について。
最近はアイン・ランドの『水源』を読んでいる。この小説は全くもって素晴らしい。曰く”20世紀アメリカにおいて二番目に売れた小説”との謳い文句があり、しかしそうした宣伝こそ本作品のアンチテーゼになり得る宣伝文句なのもまた事実ではあるので皮肉的。
久々にこのような、気づけば読み入ってしまう小説に出会った気がする。
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。
ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。
「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12)
それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。
しかしそうしたやり方では、人々の活動が規制の網の目に阻まれ、自由な競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。
しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題が顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブルに市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。
しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処のコストの予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視の機能を全面的に行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たちで自分たちを監視するようにする、という方針だ。
その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たちで監視し、自分たちで律してください、そのために自分たちで行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。
BPOが出来たのもこの頃よね。
それはいわば、上からの規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的な主体を作り出していくための手立てだった。
その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月に施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念は日本社会の中に急速に定着し、普及していった。
ChatGPTに聞いてみた
「ブラジャー」(Brassiere)という言葉の語源は、フランス語の「brassière(ブラジェール)」に由来します。このフランス語の語彙は、ブラジャーのような胸を支える女性用の下着を指します。元々は「肩を覆うもの」という意味でしたが、20世紀初頭には現在の意味でのブラジャーとして定着しました。
日本から出て広い世界を見てから具体的意見を述べるのはまともな人間だなと思うが
日本以外に住んだことない比較したことない奴が「日本を悪く言うなふじこふじこギャオオオン」って発狂出羽守批判してるのは滑稽だなと思ってる
いやお前は日本以外を知らんやん
女子供が1人で歩けて、無人販売所がいっぱいあって、泥棒がいればフードバンクを作り、貧民がいればチャリティをし、チャリティを悪用する人は多くなく、冷笑せずに大人が政治参加し、誰かが告発すれば「あなたを1人にしない」と多くの人が勇敢に守って賛同して行動してくれ、車椅子の人を「あなたがどこにでも自由に行けることは権利だからお礼はいらない、ここは自由の国」と助ける人が沢山いて、痴漢を訴えれば人々が激昂して必ず守って犯罪者に厳しい処罰をしてくれ、ホームレスを見れば街の人がお金を渡して抱きしめ、
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。
最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。
アジア、アフリカ、中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
ドラマ「おしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんのドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものがもっていた。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。
一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代(都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線を旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
世間一般と比べて割と現代的・進歩的な考え方が尊ばれる事が多い(と俺は信じてる)はてなでこの増田みたいな言説にそれなりの賛同が集まるのは単に概念が知られてないだけなんじゃないか?と思ったので書く
この冒頭20字足らずの時点で、合理的配慮を車椅子ユーザーに対するサービスだと思っていて、言い換えると障害者=受益者だと思ってるだろ。これは「障害」を障害者個人が持つマイナス特性だと捉える「個人モデル」というヤツで、20世紀に廃れた考え方なのよ
一方、日本を含む今の国際社会は障害を「社会モデル」で考えるのが常識なのね。一言でいうと、「社会が“五体満足で定型発達な健常者”向けにできてる」ために、それ以外の人が不利益を被ってる状態が「障害」の正体だ。例えば仮に、街に段差や隘路が全く無かったとしたら、車椅子ユーザーであることに何の障害も無いだろ
彼ら障害者が特別なサービスを受けて優遇されるわけじゃない。俺ら健常者が「既に特別なサービスを受けて優遇されてる」のよ。俺らが既に受けてるサービスから排除されてきた人らに対して、遅ればせながら可能な限り穴埋めしますよ、と。これが合理的配慮なわけ
そうは言っても現実に金も人も有限じゃないか? 社会の整備にコストが掛からんわけないだろ。少なくとも、「障害者に対して割くコスト」って考えを止めろ。それは「社会に対して割くコスト」であって、個人に関連づけて言うなら「健常者がこれまでに得た利益の還元」だ。自分の考えを変えるのにコストは掛からん。今すぐ変えろ
この増田だけじゃない。本件に関して「サービスを受けたら“ありがとう”を言うのが常識だろ」とか言ってる君ら全員これだぞ。彼らに「ありがとう」を言わせる前に、俺らが社会に対して「健常者を優遇してくれて“ありがとう”」と言わなきゃならんし、障害者に対して「健常者ばかり優遇されて“ごめんなさい”」と言わなきゃならん。「ありがとう」「ごめんなさい」はコミュニケーションの基本だとか言ってる君らは当然言うよな?
そりゃ理念は理念だよ。理想論的な部分もあるだろうさ。でも、現場ですぐに実現できないからといって考え方まで現状維持を是とするのは現実主義でも何でもない、単なる知的怠惰だろ?
何かまとまらないので、障害の「社会モデル」の考え方についての真面目な説明は首相官邸のページとか見て下さい
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
具体的でわかりやすい例示はこのへんとか