はてなキーワード: 最近の若者とは
…ワイが某巨大電機メーカーの工場の工員食堂へセールスの帰りにチケットを貰って寄って食べたとき、セルフサービス方式で保温ジャーの白飯→日替わり惣菜→大型バットに大量のキムチ、の順に並べてあって、年配の従業員が手慣れた様子で丼鉢→オカズ用小鉢→漬け物用小皿と手元の御盆に乗せてから白飯と惣菜とキムチを取り分けてったのを並んでた列から眺めてた、そしたら無精髭に着崩したツナギの若い流行りの顔したアンチャン風の工員は小皿を御盆に取らなかったので「あー、やっぱ最近の若者からはもうキムチやらの漬け物喰う習慣は消えたんだなー」とおもってたら何のことはない、アンチャンは丼鉢の山盛り白飯に直接キムチをやはり山盛りにしてよそってたやで
デジキューブはすぐ死ぬし、ポケモンが全世界を征服する。(95年だとポケモンまだないか?)
画面は全部液晶モニターになる。
CAPCOMは当然ある。
サンソフトが未だある。
アイレムが未だにある。
SNKは無い(あると言っていいのか?)
最近の若者はPCも使えないしキーボードも使えない。という老人の嘆き。
充電もワイヤレス。
何ならイヤホンは本当にケーブルなくなって耳いれる部分だけになる。
誰も現金使わない。
ドラえもんの声、いきなり全員変わる。
VHSが無くなるのは当然としてDVDのような円盤も壊滅。誰も記録媒体を使わない、動画はネット配信。
誰も物理本を買わない。
完璧に声を変更するソフトウェア技術。カメラに売っ釣った見た目を変更する動画技術もある。
AI関連はここ1年で爆裂に伸びたなぁ。
衣料品どころか靴までネットで買うのが主流。(2006年ごろこれやってる知人がいて、めちゃくちゃ驚いたけど、もう本当に当たり前の風景になったな。)
甥がもうすぐ中三になる。高校受験の話題も既に学校や親から何度も出ているであろう。偶々会話する機会があり、甥は進路についてこう語る。
「やりたいこととかない」
大変覚えのある感情だ。
ブラックジャックを読んで医者になりたいと言い出し、WILD LIFEを読んで獣医も良いなと嘯き、もやしもんを読んで酒蔵への興味を湧かせる。しかし勉強は何一つしない。そういう子供だった。
大人は子供に夢や目標を持てと言う。あらゆることに興味を持て。経験をしろ。本を読み、ボランティアに参加し、つまりまぁ社会勉強から世の中を知り己を知り夢を見つけろとそういう訳だ。
大人になった今なら解る言だ。目標がなければ努力はできない。目標のない子供に親が勉強しろと言うのは一先ずの目標として大学を目指せという意味もあるだろう。志望校は数字で解り易く自分がどこまで手が届いているかわかるからだ。
さて、甥である。彼はゲームが好きだ。書籍の類いはあまり読まない。最近の若者には珍しくモテへの意欲がある。イケメンで性格も優しいのでそれなりにモテているようだ。(羨ましい限りである。)しかしそれも熱い情熱がある訳では無い。「大学に行ってモテライフを歩みたい」のような目標すらない。そしてそれは、かつての自分もそうであった。
夢のない子供だった頃、目標を持てと言われるのが嫌いだった。そもそも物事に強い興味が湧くタイプでもなかった。前述の漫画から着想を得てみたり、15歳からのハローワークを捲ってみたりと色々「夢」なるものを探したが、いまいちピンと来ない。今思えば無駄な努力だった。「興味」や「目標」は浅瀬でチャプチャプ遊んでいるような者に手に入るものではない。大体プロゲーマーだの小説家だの目標を持ったところで最終的にはスーツを着たサラリーマンになり、夢や目標が叶えられることなどないのだろうと斜に構えていた。スーツを着たサラリーマンになることの大変さも解っていなかったので、そこが大人の末路だと勘違いしていたのである。今の私に言わせるならスーツのサラリーマンはむしろ勝ち組だ。
就職活動の苦しみも労働の辛さや達成感も知らない子供に、夢のない子供だった大人から「夢を持て」以外に言えることはなんだろうかと考えた時、あなたはなんと伝えるだろうか。
私は「自分にとって何が一番楽に出来る事かを知れ」だと結論を出した。
仕事をするに当たって大切なことは何か考えた時、「ストレスなく結果を出せること」が最重要ではないだろうか。ストレスを溜めれば精神も肉体も蝕まれる。最終的に結果が出せたとしても、結果のために身体を壊しては本末転倒だ。仕事は生きている間は絶えず続けていくものであり、ランニングコストのかかる「結果」は命を縮めかねない。
人には向き不向きがある。座り仕事に向く者、向かない者。体力のあるなし。記憶力、忍耐力、頭の良さやファッションセンス。あらゆる自分のスペックを知り、「そこそこの結果が出せて」「努力してもストレスになりにくい」そういった職業に就くことで、その後の人生をより良いものにできる。
強い情熱は持っているだけで武器になる。やる気のある奴というのはそれだけで強い。しかし突出した情熱がなくとも、社会に参加できない訳では無い。
「夢を持て」と言われるのが嫌だった当時の私に、話の通じない大人になったものだとため息を点かれないような答えに辿り着けただろうか。
昔の日本の様子について調べるとフェイク動画、偽情報にあふれていて
どれが本物か見分けがつかない
ネットの有志で本物か偽物かラベリングしていく作業が行われているが
東京の平成館という場所にはフェイクを完全排除した昔の映像コンテンツがあるらしいが
最近の若者はAI汚染が進んでいて、平成世代の昔の話すら「嘘だ」と決めつけている
ファンタジー平成、ファンタジー昭和が彼らにとっては真実なのだ
本物の映像より偽物の映像のほうが説得力はあるのだが、そういうのは逆に怪しいと気づいて欲しい
あと教科書には映像の一般化は昭和だったと書かれているのに、この前なんかは江戸時代の映像が本物かどうかで荒れていた
昔はこんなことなかった、こうやって歴史がAIにかき消されていくのを目の当たりにするとは思わなかった
最近恐ろしいのが、たった10年前の出来事でさえ真実を調べにくくなっていることだ
いずれすべてが信じられなくなる
現実ではどうとは知らんけど、youtubeとかのコメント欄、明らかに高校生とか中学生とかのコメントで
「『これを作った作者さんが凄いのは前提として』配信してくれる人の見つけ方もすごい」とか
「『これを見て嫌な思いをする人たちの気持ちもわかるけど』純粋に面白いと思ってしまった」とか
なんというかtwitterの繊細ヤクザさんたちに鍛えられて、全方位気遣い高射砲みたいな若者が増えている気がするんだよな。
物わかりのいい若者が増えたというか、ホントにこれでいいのかなって気持ちになる。
コロナでも「私たちが青春我慢したお陰で生きた命がある……」とか言うし。
逆にお前らがおじさん、おばさんになったら多分、
「自分たち老人のために若者に青春無駄にさせる、ワクチンで苦しませるのは申し訳ない、自分たちが引きこもってワクチン打つ」とか言うんだろ。