はてなキーワード: 代替療法とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/lawyertanaka/entry-12724692878.html
だけ読むと、委員会がぽんこつに見えてしまうけど、委員会も一応頑張ってるんですよ。
議事(2)「エホバの証人医療機関連絡委員会京都委員会との懇談」
https://kyoto-min-iren-c-hp.jp/consultation/rinri-kenkyu/rinri/gijiroku/36gijiroku.html
広瀬 代替療法をするというのは全国で8病院でも、受け入れてくれるのではないかというお医者さんを、病院とは別に把握されているということで、それを紹介する電話という感じですか。
人工知能で詐欺まがいなことしてる香具師に引っかかった、という話をこれからしていく。この記事は「人工知能ば詐欺だ」ということでなく、「詐欺師は人工知能を使いたい」ということを語る。
もう10年ぐらい前になるのだけど、人工知能には色々あるのに「深層学習だけが人工知能」だという無勉強な馬鹿に引っかかったんだよ。本当は人工知能なんて LISP から始まって、色々あって今の AI につながるているのに、その歴史は全く無視してね。Python のライブラリでどうにかできないものは不要とのことなので、「ふーん、そうなんですか」ぐらいで対応してた。なぜなら、自分は人工知能にAPIを叩いてブラウザに表示する部位を担当したからだ。
その会社にはエンジニアがいないので、人工知能とデザインを除いた全てをほぼ自分だけでフロントエンド(当時はFlash)からバックエンド(Django)とデータベース、クラウド部分を設計・開発・運営をやることになった。それは慣れてたから良いのだけど、ひとりでぼちぼちやるのは変な感じだった。ホームページには10名近い社員がいます、とのことなのに。
この理由はなぜなのか理解できたのは、インターンがやってきてからだ。そいつは結果を出せないから有能な人がやってこないのた。それで社員数を水増しするためにインターンを社員としてカウントしていたのである。なんとインターンの無給の学生ばっかり声かけて、ただ働きさせて「成果は自分のもの、ミスは能力のない学生のせい」みたいな畜生の極み、のようなことをして糊口をしのいでいる自称『天才』に俺は捕まってしまったのにここではじめて気がついたのだった。信じられないことに。
それで、ついに API をつないで一つのシステムにしましょうという日が来た。なんとか力量で解決したのだけど、はじめて彼のソースを見せてもらったときの衝撃度ときたらね。驚いたよ、スカスカのコード過ぎてね。おかげで深層学習がライブラリを使えば簡単にできるのも学んだけのだど。
閑話休題。
まぁ、コードを書くのが本業でない人だから良いか、と思ったらなんと、Python 教室を開くというじゃないですか。それで、成果をサイトに掲載するのですよ。自分のコードは絶対に載せないのに、他人のコードを添削して「弊社は実力があります」みたいな事例にしていたのですよ。驚いたことにね。
なぜ、そのような香具師が存在できたのかというと、「人工知能は効果判定をしにくいけど、将来的にはメリットになる可能性が高い」という計算機科学の領域では珍しい特性を持っているのよね。ほら、業界人にとってブラウザやデータベースといったものは、ちょっと触ったら特性が感覚的にわかるじゃないですか。そこが人工知能はちょっと違う。
もちろん人工知能は世の中に必要不可欠なものになるのは間違いないのだけど、というよりも現状でもスパムメール判定やゲームでは活躍していますけど、おそらく個人がどうにかできるものではないのよね。理由はこれ以上はアルゴリズムの向上が困難で、高コストな専用ハードウエアを扱える資本家に対抗する術を個人が持てないという限界と、教師あり学習のような判断基準の元になる資料をどう収集するのかという問題点を解決した人や組織が皆無という状態にあるからなんですよ。特に最後の部分は未だに twitter レベルの組織ですらやらかしているので、まだまだ難しいと思われます。
学習の根拠になったもの自体をどうやってキレイなものにするかということすら、データサイエンスという学問が出てきて苦労しているのですから、ユーザーエンドからしたらこの領域は未だにキャズムを超えていないと判定されるのは仕方がないことなのでしょう。それは、そういうもんだから良いのですよ。将来的には解決される可能性が高いでしょうし。
それでですね、やっと本題に入れるのですけど、問題点は「人工知能は効果判定をしにくいけど、将来的にはメリットになる可能性が高い」という非対称性をこの領域は抱えているのですよ。これはですね、バイオ(健康食品・代替療法)や金融商品(暗号通貨・バイナリーオプション)なんかに出てくる胡散臭い「何しているのかわからない」香具師が介入しやすい環境なのですね。それっぽいことを言って、専門家なら絶対に言えないコミットメント(金融だと「100%絶対に儲かる」とか)を宣言し、私はアメリカの有名大の(別領域の) Ph.D. を持っています(嘘)、日本はゴミです、さあ皆さん『人工知能で夢』を叶えましょう、なんていうクサい台詞を(非技術者向けの)講演会で語るやつがいるのです。残念なことに。
でも、皆さん、ちょっと考えてみてください。なんで(トーシロ限定で)講演会なんてする必要があるのかと。人工知能の世界で講演会をして資金集めをする、っておかしくありませんか?OSS で有名なコミッタだったり、インパクトファクターのつく雑誌に名前がのるような人材がですよ、この御時世にわざわざ資金集めする必要がありますか?世界中から「金を出させてくれ」といって金がわんさか集まってくるに決まっているじゃないですか。逆に、プロを避けるような人物に金を出したいと思いますか? よって、(トーシロ限定で)資金集めのための講演会なんかをひらくような残念な人工知能開発者が金を稼ぐことはありません。同様なケースに遭遇したら、出資したら泣き寝入りすることになりますよ。
※ この記事はアキネーターの下りがクソです。もう少ししたら自分の言葉で書き直します。ただ、この記事を消すことはしないです。これ技術的な話をしているようにみせてますが、わかる人にはしっくりくる符牒のつもりで書いています。
うん、でも、わたし講演会でその人のつくった人工知能が動いているのみたよ、まるでアキネーターみたいな、というのでありましたら「良いものを見ましたね」とこたえますよ。あれは良いものです。実はアキネーターのクローンは今だと学生レベルのスキルで作れます。具体的にのべますと、なにかテーマを固定して、そのテーマに関係する情報を片っ端から集めて、Python のライブラリを使ってデータ処理を行い、機械学習のライブラリを介して5段階の入力に対して適宜返せるような状態に持っていき、Rails/Laravel/Django で HTML を吐き出すようにして、ウェブ・ブラウザで Vue/ReactjQuery に呼応するようにすると計算機科学ができる人だと作れちゃいますし、見た目を重視したければ美大生にでも声かければ、似たようなキャラを描いてくれることでしょう。
この程度だと、二人の学生を無休(給)のインターンにやらせて、詐欺の商売道具をただで作れます。これは、アキネーターは駄目だとは言ってません。説明すると長くなるので省きますが、あなたを騙す道具を作るのにプロは要らないと言っているのです。
それで話を続けさせてもらいますが、哀れな学生は酷使されたうえに、会社のサイトに「インターンの思ひ出(検閲済み)」を実名で掲載されるという、デジタルタトゥーを刻まれるのです。かわいそうに。
※ ここを疑え、というポイントを追加。
これだけでは済みません。詐欺の道具はこれだけでは不足しますからね。本は良い権威の道具になりますよね?そうなんですよ、出版社の知識のない馬鹿共が「学生だけが書いた技術書」(前書きと終わりにだけを本人が書き、しかも自著として講演会で提示するという狂気の書)を出しやがった。これ、マジで有名出版社がやらかしたので驚いたよ。
で、こいつもう一冊も本(これまた共著なのに、自著として講演会で使うイカれた書)を出してるのよね。まぁ、読んでみたらあまりの頭の弱さに感動したのだけど、驚いたことにこの本を出典として Wikipedia に何度も記載しようとチャレンジするキチガイ(本人かは不明)がいたのよ。もちろんリジェクトくらっていたのだけど、ビビるよねー。繰り返すが、人工知能が悪いのじゃないのですよ。人工知能を使って、投資家を騙そうとするのが許せないのであって。
ちなみに、わたくしはそいつにコードの添削されたのですけど、おそらくそいつは FizzBuzz テスト、クリアできませんよ。なぜなら、If/Else がかけないのではなく、四則計算のミスが酷いので。チューリングテストは通るとおもうけど。どうして、大切な投資家向けの資料なのに単純な数値が一致しないのかわからないのですけど、何故か数値の足し算がおかしいことが多すぎるのよ。数値が一致しない、ってヤバすぎるだろ。それ、多分病気だから、哀れに思った(元)奴隷ちゃんたちは、病院へ行くように諭してあげてください。きっと、逆上するでしょうけど(笑)。
えっ、なんでお前はやんないのか?って、そりゃ「めちゃくちゃそいつのこと恨んでいるから」に決まっているじゃない。オレは、そいつを救えるほど、冪等な人間じゃないんだよ。だって、オレは天然知能だからな。
p.s. 多分、この記事で言及している人物の被害にあった方はは多いので、「アイツだろうな」とわかるように書いてあります。「アイツってどんな人?」と聞かれたら、説明するのが辛いでしょうからこのページをさっとみせられるようにこの記事を書きました。私も辛いのです。10年フラッシュバックに悩まされてきました。ただ、これ以上の犠牲者が出ることが耐えられなくなり、今回この記事を書かせていただきました。この記事で言及している人物は専門ではないのに人工知能・情報工学という餌を使って、相変わらずボニーアンドクライド気取りで若者を搾取しています。ソーシャルエンジニアリングを使われると、若者はかんたんに騙されてしまうものです。かつての自分がそうだったように。世の中にしなくて良い苦労はあるのです。
9月12日(土)、俺は、全身麻酔下で行われる精索静脈瘤(グレード3)の手術を断ることにした。
精索静脈瘤のことは、男性不妊を受診した人なら良く知っていると思う。
精巣の周りの血の流れが滞ることで、玉袋の排熱がうまく機能しなくなり、
精子の運動力が弱ってしまうというものだ。ご存じの通り精子は熱に弱い。
精巣のエコーと触診の後、俺はこう告知された。
左:3.6mm。右:拡張が見られる。自覚症状は全くなかった。
完治を望める治療法は外科手術しかない。保険適用で自己負担は4万円。
命に係わるリスクなんて全くない、腹腔鏡による低侵襲な手術で、
盲腸切るよりもはるかにイージーだ。ひと眠りする間に治っている。
それで、俺の精子が元気になるなら、しない選択肢は無いと、理性ではそう感じている。
†
5chとTwitterで全身麻酔の体験談を読んでいて、本当に気が滅入ってしまった。
過呼吸とパニック気味になり、みっともなく妻の前で何度も泣いた。
「あっという間に落ちる」
「10数えようとして最後まで数え切らずに落ちた」
「一瞬で落ちて、次の瞬間ベッドの上に居る」
これを、苦痛の全くない素晴らしい治療と捉えるか、それとも……
俺は、これはとても怖いと感じた。
手術を受けている間の、無意識下の自分はどこに行ってしまったのか?
目覚めた後の自分は、本当に、目覚める前の自分と同一なのだろうか?
突然プツンと意識が途切れるのは一時的な遮断ではなく、死そのものでないか?
今ここにいる自分は死に、同じ意識をバックアップした他人が目を覚ましているのでは?
そういった、途方もないものを想像した時と同種の、金玉が縮こまる感覚が、ある
手術に対する恐怖心は、弟が大病をしたこともあり、子供の頃から人一倍あって、
手術になったらどうしようと夜一人でベッドで震えて眠れないこともあった。
幸いにして、大怪我一つもせずにこの歳まで生きてきた。
だから、この問いに対する結論は先延ばしにしていればよかった。
その先送りのツケを、今払わされている。
いまどき、ガン告知だって、もう少しあっけらかんとしているだろう。
いい歳して、そのくらい動揺してしまった。精神的に堪えられそうになかった。
精液検査の結果は悪いものではなかった。運動率は少々低かったが。
放置したところで、ガン化したり、命に別状のある病気でもない。
男性不妊以外では、積極的に治療されることは稀という事実も存在する。
言い訳だけはどんどん出てくる。
結局、手術は受けないことに決めた。
†
手術が怖いと訴える若者の存在自体は珍しくもないかもしれない。
幼い時から、気を失う、失神することへの恐怖が半端無く強い。
30年余りにわたり肥大し続けた認知の歪みは、ちょっとやそっとで打ち砕けるものじゃない。
そうはいうが、お前は毎日キッチリ5時間寝てるじゃないかといわれるかも知れない。
正直に答えよう。俺は、睡眠を取ることさえ、怖くなってしまうことが、よくある。
実際俺は、イヤホンでASMR音声を聞き続けていないと、不安のために寝落ちすることができない。
耳から入ってくる音声を頼りに、眠りにつく前の自分と、目覚めた後の自分の自意識が
ひとつながりになっていることを、毎日自分に言い聞かせ、それで漸く、おっかなびっくり
落ちていくことができるようになったのだ。全身麻酔ではそれができない。
手術室でもASMRを流してくれたら、それも可能かもしれない。
先日は、それすら堪えられなくなった。中間過程――睡眠によって4時間も5時間も、
途絶えてしまった自分の意識の屍――を想像してしまい、そのことがとてつもなく、恐ろしく
感じられたのだ。それは、死の時間そのものだ。横たわるベッドはさながら棺だ。
自分という存在が消滅してしまう恐怖を抱えて、どうして、赤子のように、
最近は、睡眠中1時間おきにアラームを鳴らすことで、これに対処するようにしている。
1時間の睡眠ならまだ「こちら」へ戻って来られるという感覚的なものが、自分の中にはある。
ウトウトしたかと思ったタイミングで、アラームが鳴る。現在の時刻をチェックする。
これを繰り返すことで、無意識を回避しつつ、朝までの時間をやり過ごす。
論理ではないのだ。
結局自分が納得できるかどうかが、恐怖を乗り越えるのに一番大事だと思わされる。
全身麻酔ではそれができない。
手術室でも1時間おきに覚醒させてもらえれば、それも可能かもしれない。
(思考実験をしてみたが、30分で完了する手術なら、躊躇なく受けていたと思う)
昏睡への恐怖を訴える患者に対して、麻酔科のWebページではこう説明されている。
今まで麻酔から目覚めなかった患者は存在しない。必ず覚醒している。だから大丈夫だ。
真っ当な説明だ、こちとら原理まで散々調べたからそれは承知している。
そう、それでも、絶対安全な「作り物の死」であっても堪えられないのだ。
思い出したが、俺はジェットコースターも楽しめない人間だが、それと同根な気もする。
ビビリの俺は、カリブの海賊からスモールステップで難易度を上げていかなければならない。
幸いにして精索静脈瘤には、自費負担にはなるが、日帰り局所麻酔による治療も
存在する(ナガオメソッドは良さげだがとても高額で、貯金を溜めておかないと払えそうにないが)。
どうしても自然な受精が困難であればこちらも選択肢に入れることにしよう。
†
これから20年30年生きていれば、体中にガタがどんどん見つかるはずだ。
脳ドッグを受ければ、脳動脈瘤が必ず1個や2個は見つかるだろう。
祖母は心臓が弱かった。心臓にカテーテルを挿入しないといけないかもしれない。
そのたびに、泣きわめいて何とか全身麻酔を回避する方法を探し求めるのか。
きっと俺みたいな臆病者がガン告知で取り乱し、代替療法にハマった挙句、
治るはずのステージをみすみす悪化させて、全身転移の末苦しんで死んだりするのだろう。
いや、それよりも何よりも、人生の終焉に待ち構えている大関門――死――、
死こそ、人知の及ばぬ、理性の制御できない最たる存在ではないか。
妻や、まだ見ぬ子と、どれだけ輝かしい日々を送ったとしても、それはいつか終わるのだ。
偽りの喜びでしかないのだ。
俺と、その家族が暮らしていた記憶は、いつの日かこの世界から消え去ってしまうのだ。
それに何の意味がある?
運よく在宅勤務で顔を見られることもない。
まさに今この時も、数秒後に脳卒中で誰にも気づかれず突然死してしまう妄念が頭から離れない。
大人になれば、こんなくだらない恐怖は薄れていくものと信じていた。それがどうか。成人して以降不安は強まるばかりだ。
まだ若いから、と一笑に付してきた最悪の可能性が、日に日に、無視できないほど大きくなっていく。
幼少期からの不安感が全く緩和されていないことに、絶望しか感じない。
死の数か月、数日、数時間前、俺は更に激しく動揺し、どれだけの絶望で染められているのだろうか。
どうして自分のことしか考えられない人間になってしまったのだろう。
誰よりも出産を希望していた妻に対して、本当に申し訳が立たない。
それとも、こんなにも死に怯え、生まれてこなければとさえ思っている男が、新たな命の親になろうだなんて、烏滸がましいということなのだろうか?
これは割とアリだよなー。
健康商法の営業以上のトーク力要るけど、『有名なお医者さんの本』だの『海外の大学の英語論文』なんて大抵のやつは無条件に信じるからなw
そういう学歴や肩書が洗脳とどう違うのかって、身内が医療過誤で殺された奴なんかにゃ大して変わらねぇワケ。
詐欺師との違いが明確にあるとしたら、もう笑っちまうけど“善意”だとか、“金目当てが第一”かどうか、って辺りしかないんだよな。
だから人を見る目っつーかさ。
いやまぁ統計取って比べりゃ正規の医者のが確率高くなきゃ税金払ってる意味なくなっちまうけどw
代替療法の回復率なんてマトモな数字出るワケねーから、そういう比較はあり得なくて結局は見分けられないんだよな。
ま、他が書いてるようにそこそこ頑張ってみて無理なら逃げるんだな。親も子離れしなきゃならねーし、そういう心配事で増田を引き留めたがってるのかしれんぜ?
ヒネた善意のアドバイスとして、俺はこの“親を洗脳しろ”ってのを高く評価するよ。
…がんばれよ、テキトーにな。
ある街には5件の菓子店があった。それぞれの店で看板商品は異なっているものの、その街に住む人々の飽くことなき食への欲求を満たすべく、積極的に商品開発を行なっていた。
そんなある日、ニューヨークのある企業が革新的な菓子を開発した、とのニュースが流れる。その新たな菓子は、分類するならば”チーズケーキ”と表現するべき物のようだが、その味たるやチーズケーキはおろか、過去に作られたいかなる菓子とも比べても桁違いの芸術品であるとニュースは伝える。その味は個々人の好みを凌駕し、すでにニューヨークの大半の人々を魅了しはじめているようである。
何より驚くべきことは、そのチーズケーキの開発元企業インターネット上でレシピを公開していることである。Webページではレシピに添えて、この公開が世界の公益に資するものと強く信じている、という社長メッセージが掲載されている。彼らはもともと食品の販売を専門とした企業ではないとはいえ、ニューヨーク中を虜にしたケーキのレシピをなぜ一般に公開するのか、その真意は今のところ誰にも知りようがない。
レシピを見る限り、決して高価な材料や特殊な調理法を必要としない。むしろ安価で広く手に入る材料ばかりで構成されている。取り立てて珍しいものとしては寒天くらいであろうか、ただチーズケーキ作りに使われることは珍しくとも、一般的な菓子作りにおいて決して風変わりな食材であるとも言えない。
ともあれ、このレシピの公開を受け、この街の5件の菓子店も大きな決断を迫られることになる。
というのも、例のチーズケーキはニューヨークの菓子店の店頭に並ぶやいなや大きな人気を博し、従来の菓子市場をあっという間に席巻した。明日、この街において同じ状況が訪れないとは限らないのだ。今すぐこのチーズケーキの商品化に取り掛かるべきなのか?
奇しくも5つの菓子店が出した結論は全て同じであった。「このチーズケーキは商品化しない」
一体何故だ?決して製法が難しいわけでもコストが高い訳でもない。
その理由は、彼らの既存商品ラインナップにあった。彼らは、今の看板商品の売上がチーズケーキによって奪われてしまうことを恐れたのであった。
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以上、駄文でお恥ずかしい限りです。しかし愚にも付かない創作ですが、この結論に違和感を感じはしなかったでしょうか。
5つの菓子店はなぜチーズケーキの開発を進めないのか。仮にそのチーズケーキの味が本物で、5つのうち1つの店でもチーズケーキを売り始めてしまえば、彼らが恐れている看板商品の売上は他店によって大きく損なわてしまうでしょう。
ひょっとすると何らかの理由で5つの店は談合しており、このチーズケーキの販売を見合わせる協定をしているのかもしれません。たとえそうであっても、第6の新たな菓子店がそのチーズケーキをひっさげ、街の菓子市場に割って入るのも時間の問題でしょう。
市場経済が常に企業間の競争の連続の上に成り立っている以上、既存商品とのカニバリゼーションだけを理由に、あえてチーズケーキに手を出さないという決断をし、その結果市場にチーズケーキが供給されないという考え方は合理的ではないと考えています。
(もちろん現実はこれほど単純ではなく価値の捉え方・企業の戦略も多種多様ですし、イノベーションのジレンマが示したのはチーズケーキに手を出せなかった過去の巨大企業の実例でしょう。ただしその際は新たなイノベーターが市場を破壊しにきます。)
ただ、何故か医薬品においては起こりうるべきこととして考えてしまう人も一定数いるようです。(痛ニューの記事を一般論として書くのはいかがなものですが)
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1989967.html
今、世界中の製薬企業はアンメットメディカルニーズと呼ばれる既存薬での治療法が確立されていない病気の治療薬を、それこそ血眼になって探しています。そして、がんはその中でも最も大きな市場となっており、多くの製薬企業の主戦場となっています。
もし虫下しで癌が治るのであれば、2004年の発見から15年経っても市場に現れないということはまず考えられません。そしてそれが製薬企業の陰謀であるなどということも、まずないでしょう。一般的な薬の開発にかかる期間は7-10年程度かなと思います。最近
製薬におけるパラダイムシフトはすでに起こっており、これまでの低分子薬ではすでにあらかた取り尽くされてしまい、最近の新薬ではバイオやゲノムなどこれまでと全く異なる方法での研究開発が主となっています。
世界中で星の数ほどの製薬ベンチャーが生まれ、大手製薬企業はその中で見込みがありそうな薬を持つ企業の買収や提携により薬の種を仕入れることが珍しくありません。
これが製薬企業の陰謀なら、世界中のありとあらゆる製薬関係者が関与するカルテルでも作るんですかね。毎年研究者の卵が生まれるので大変ですね・・。どんな談合があったとしても、裏切ったもん勝ちな感じもします。囚人のジレンマってやつですかね。
なお別の記事のブコメで、この薬剤では治験にかかる費用がペイできないのでは、というコメントがありましたが、これも可能性としては低いものと考えています。
まず薬価については、日本では新薬の薬価算定方式が厚生労働省によって定められておりそれに従い価格が決定されます。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000144409.pdf
虫下しががんに効くとすれば、これまでの作用機序とは全く異なる新薬で、薬価基準制度における原価計算方式になります。ここで研究費や開発(=治験)費用も一般管理費として計上した上で、さらに営業利益等を上乗せした価格が最終的な薬価となります。
ただし日本の医療費は年々上がる一方で国も薬価引き下げのための施策を多数取っていますし、原価計算方式であっても必ず利益が出る薬価になるという担保はありませんが。オプシーボも想定以上に販売数が上がり、その結果劇的な薬価の引き下げに繋がりました。
いずれにせよ、がん細胞をこれまで止まったく異なる機序で死滅させるとすればそれこそオプシーボのような画期的新薬となり、採算を気にしなければならないような話ではありません。
ちなみに余談になりますが、がんに効くと言われた虫下し薬がどれだけ安価に作られるものだとしても、人間の治療に使う医薬品が同じような価格帯となることもまたありえません。薬が保険適用の対象となるまでには10年スパンの研究〜開発〜承認の流れがあり、また製造においても品質を担保するための様々な規制があります。それらのコストが全て医薬品にはかかっており、動物用薬と並べて比べられる類のものではありません。
かかるコストは決して安いものではありませんがそれが命、健康の重みでもありますし、万一承認された医薬品の安全性に問題があったとすれば、国も裁判で賠償責任を問われることとなるでしょう。私個人としては安心して薬を使うことができるということの価値を感じますし、総じて日本の医療制度は(先行きが不安であるとはいえど)非常に優れたものであると感じています。
話を戻して先ほどの虫下しがまだ上市されていないことを考えると、おそらくはまだ基礎研究段階、もしくは動物等を使った非臨床試験での問題が解消されていないものか、またはそもそもの2004年時点で話に尾ひれがついてしまったのではないかと思います。
最近はSNSの発展とともに(特にがんがひどいのですが)見ず知らずの他人が代替療法を提案したりするところを目にしてしまいます。これまで積み重ねてきた人類の叡智を以ってしても完治が難しい病気が存在する、というのは辛いですが間違いのない事実です。
いざそのような病気に直面した時、どこかに魔法のような治療がある、という言葉を信じたくなってしまう気持ちは察するに余りあります。(これは病気となってしまっった当人だけではなく、その周りの親類や友人にも当てはまります)
ただ今私たちが受けている医療は、それだけ多くの科学的エビデンスを過去から積み上げてきたからこそ享受できているものです。決して第三者の甘い言葉だけに惹かれてしまうことなく、担当医の見解を聞く、セカンドオピニオンを取る、各種支援団体に相談する、など出来る限り多くの情報を、出来る限り冷静に集めてみてください。
また治験では未承認ながらより新しい治療薬が利用できることもあり、条件さえあえばまた違った選択肢を取ることができおることもあります。治験についてもWeb上で実施している病院などの情報が公開されています。(治験という性質上、通常の治療とは異なります。リスクを含め必ず専門医に相談の上、治療方針を検討してください)
長々と書きなぐってしまいましたが、これがこの連休を締めくくる最後の活動になりました。少しでも薬についての理解につながることを祈って。
とりあえずすべての政策を考えるのは無理だからいくつかテーマ決めて消去方をとってるんだけど自分にとって一番大事なのは医療や介護政策で
それは自分は発達障害で家族にもうつ病を長く患っていて最終的には精神障害者手帳とるんじゃないかって言う話しになってる、それに可能な限り回避すると言われているが妻の側の親の面倒を見る可能性がある、っていう話が第一にあって、第二に家族には医療従事者が多いから医療の市場開放と代替療法に近すぎる人は消去ってのがあって。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20160627/1467042320
これを見て家族とおおさか維新だけは絶対に無理だわみたいな話にはなっている(まあ一応幸福も)
なので今の民進が右旋回して都民ファースト-おおさか維新-民進ってライン組んだらその辺の事がグダグダになるんじゃないかなあ嫌だなあとは思ってる。
となるとまあ国会でのキャスティングボードは取れんけどとりあえず左派に入れとくかみたいな感じになり残り3党を見た時に
自由党は
山本太郎×ひとびとの経済政策研究会presents 「全てのひとびとのための経済学講座」第3回
https://economicpolicy.jp/2017/08/19/932/
この辺見ると山本太郎って案外まともなのかなと一瞬思うけど、彼が支援してた三宅洋平は
https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/status/695437681409392641
って感じで平然と代替療法を支持してるから第二ルールに従って絶対無理ということになって。
あとは社民と共産なんだけどどうなのかなぁ一応共産の方がその辺はキチっとしてんのかなとは思うんだけど
豊洲の時の騒ぎ方を見ると化学的でなくても火をつけれればどうでもいいみたいな空気を感じたし
とりあえず反医療に首をつっこまない限りは共産に入れとくけど正直いつまでもつかなとも思ってる。
医療という面を見たとき右からは新自由主義による小さな政府論に基づく削減の圧力が来てて、左からは反原発だとか自然保護とかにのめりこみ過ぎて代替医療が来てて、どっちにしても行く先は厳しいよなぁという感がある。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030300121/042800010/
この話を読んで思い出した、父に愛想を尽かした話。
もともと酒を飲む人ではあった。高校に入ったあたりから酒癖がひどくなってきた。
母をよくわからない理由で怒鳴る、たまたま父が知っていて私が知らないことがあると、ここぞとばかりにバカにする。少しでも言い返すと「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」「それが親に対する態度か」というテンプレまんまのご回答。でも次の日になると酔っ払いの常套句、「酔っ払っていて覚えていない」
で、母も愛想をつかしたのか若い男に走り、私は遠くの大学に行ったので父と顔をあわせることが減った。大学に行っている間に両親が離婚し、まああんな風に酔っ払って怒鳴るような男じゃしょうがないとあきらめつつも人並みにショックを受けていたのに、なにかというと私に「どうせお母さんの味方なんだろう」と絡んできたり、数年後に再婚したら、私に「新しい家族と一緒に正月を過ごそう!」などと誘ってきたり、相手をするのがしんどくなってきたので、なるべく連絡は取らないようにしてきた。でも就職して10年ほど経って、家族ぐるみで付き合いのあった叔父にがんが発覚したことでまた頻繁に連絡を取るようになった。
叔父は一度手術はしたけどもう手の施しようがなかったそうで、手術から5ヶ月ほどであっけなく亡くなってしまった。
そしてその5ヶ月の間、父はせっせと怪しげな薬やサプリを叔母に送り続けた。
私はまさかそんなことしているとは思いもよらなかったのだけど、叔母から、仕事をし、子供の世話もしながら、余命いくばくもなくなった夫に会いに病院に通っている叔母から、血の滲むような声で電話があった。辛いからやめさせてくれ、と。
私は慌てて父に電話した。怒鳴りつけたい衝動は強かったけど、とにかくやめさせることが大事なので必死になって説得した。もう叔父と叔母は静かに死を待つ覚悟をしている。叔父本人と叔母がやめてくれといっているんだからやめるべきだ。話しながら情けなくて涙が止まらなかった。すると、高校のころから聞き慣れている、酔っ払って人をバカにする口調で、「なんだ、お前知らないのか。あの薬はな〜」とヘラヘラと説明し始めた。この瞬間、私ははっきりと父を見限った。泣きながら「とにかく叔父や叔母が嫌がってるんだからこれ以上はやめて」と怒鳴って電話を切った。
そのあとも、頻度は減ったが(これは私が言ったからではなく送れるものが少なくなったか、飽きただけだろう)代替療法品は叔母に届き続け、そのたびに父に電話し、もはや泣いたり怒鳴ったりすることもなく、何を言われても「どうして叔父や叔母が嫌がることをするの?」という言葉を繰り返した。結局私の説得は役に立たなかった。叔母には今でも本当に申し訳なく思っている。
私がごく小さいころは、私が飽きるまでいつまでも遊んでくれるような優しい人だった。人をバカにしたり怒鳴ったりするようになったのは、年をとって酒に飲まれるようになったからだろう。父からすれば、(酔っ払っていて覚えていないので)身に覚えのないことで妻と娘の心がどんどん離れていったように思えたはずで、辛かったのかもしれない。叔母に代替療法品を送りつけるのも、娘に再婚相手の家族と仲良くしろというのも、想像力がないだけで悪気があるわけではないのは分かっている。大学まで学費を払ってくれたことには本当に感謝しているし、介護が必要になったらお金は出すつもりでいる。でももう一生関わりたくない。小さいころに蓄えられた愛想は、あのとき人をバカにした笑い声を聞いた瞬間に尽きてしまった。
知人が小学生の子供を亡くしました。病気の発見から約1年の闘病を経てのことでした。その子の病気はグレードⅢの脳腫瘍で手術ができないタイプのがんだったので、放射線と抗がん剤による治療しか選択肢がなかったそうです。
知人は子供の死後にブログで1年間の闘病生活の成行きを公表しはじめました。そこには、最初はただの体調不良でかかりつけの小児科にかかったこと、すぐさま大学病院で検査入院することになったこと、がんとわかって別の大学病院に転院したこと、日に日に悪化していく我が子の体調への不安と絶望、なにか打てる手はないものかという知人夫婦の苦悩、インターネットで見つけた「統合医療」で「重大な脳疾患の子供が完治した」ことに一縷の望みをかけるさま、(医師の制止を振りきって)大学病院を退院し遠方の統合医療の医師のもとに向う様子、などが綴られています。
ブログに登場する「西洋医学」の医師たちは、当時の病状と治療方針、薬の効果と副作用、治療の限界、今後のあり得る成行きについて、最大限誠実に説明しているようです。しかしその誠意は知人には届きません。知人に届くのは「決して大丈夫といってくれない」「我が子の今この時の苦痛を取り除けない」「強い副作用のある薬をたくさん飲ませなければいけない」「我が子が次第に元気をなくしていくのに、医師は何もできない」といった、ただただ西洋医学の先生が執り行う西洋の治療の限界とそれへの不信や不満、であったようです。
一方の「東洋医学や漢方を勉強し統合医療のクリニックを立ち上げた名古屋のO先生」は、電話で経緯を聞いただけで「なんとかなります、一度いらっしゃい」と請け合います。そしてクリニックに赴いた知人に対して「この程度なら大丈夫」「原因不明の脳の難病の子供を助けた」と話すのです。そして知人は続けます。「先生は不思議な機械で体のあちこちに金属の棒を当ててあらゆる臓器の数値を測定しました」「遠赤外線で体を温め免疫力をアップする施術を受けました」と。
知人は以前からいわゆる代替療法や「ナチュラルなもの」への親和性が高い人でしたから、このような成行きはある意味当然のことだったのかもしれません。もとより治癒の見込みの殆ど無い病気ですから、なにをやっても(やらなくても)所詮は同じことだったのかもしれません。であれば、残されたものが「できることは全てやった」「これでよかった」と悔いを残さないことこそが一番大事なのかもしれません。
しかしやはりぼくには件の「統合医療の医師」の悪辣さがどうにも我慢なりません。彼(女)はいったいどんな心持ちで「大丈夫、なんとかなる」と言ったのか、何百キロも離れた土地に「一度いらっしゃい」と軽く呼び寄せたときいったい何ができるつもりでいたのか、「不思議な機械の金属の棒」を子供の体に当てながらなにを思ったのか、何の効果ももたらさないだろう「施術」を施して高額の治療費を受け取ることに何の良心の呵責も感じなかったのか。
ブログはまだ半年前の日付までしか進んでいません。なので、半年前から今日までの間に事態がどう進展したのか、ぼくはまだ知りません。それでも最終的に知人の子供は亡くなりました。それが事実です。もしも例えば彼らが根気よく「西洋医学」の治療を続けていれば、治癒はともかく寛解の時期が訪れて、短いながらも一時的にでも学校に戻れる日がきたかもしれない、そうでないかもしれない。ぼくには「統合医療の医師」がなんの裏付けもなしに、ただ己の商魂からいい加減な安請け合いをすることで、一人の子供の一縷の可能性を奪ったように思えてなりません。
知人は子供の死後、同じような難病を抱えた子供たちとその親を支えるボランティアに参加しています。自分と同じ境遇の親子と関わりながら、我が子にしてやってよかったこと、できなかったこと、してやりたかったことをひとつずつ思い起こしながら伝えること。それはきっと今の知人に必要なことなのだと思います。子供を亡くした親の気持なんてぼくにはきっとわからないし共感もできません。だけど知人にはできるだけ早く、元気に穏やかに暮らせるようになってほしい。今ぼくが望むのは、知人が己の確かな経験をもとに、他所の誰かに「西洋医学の限界」や「統合医療の素晴らしさ」を軽々しく吹聴しないことです。
これ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162
ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。
ホメオパシーは電波な医者が編み出した電波な理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。
今のように、ベルリンの壁を分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室や会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者の浄霊などに効果があります。)
症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈。
何かに似ていると思いませんか?
非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。
エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。
一方ホメオパシーの始祖であるドイツの医師、サミュエル・ハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。
はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。
ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療を勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。
ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素や水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。
ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。
ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパスが元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。
同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。
ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。
のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!
おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。
かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。
1830年からのコレラ大流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシーの最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリの社交界に招かれさえもして、幸せな晩年を送ります。
しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナーな代替療法の一種に零落していったのでしょう。
ですが、第一次世界大戦終戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。
購入層のマーケティングの結果です。
サイズ&陳列方法の問題です。
画集のサイズが大きい限り壁際ですし、18禁である限り壁際です。
こちらも購入層のマーケティングの結果です。
否定したいかもしれませんが、漫画なんぞ読んでれば同類です。
残念でした。
いちいち気にしないのが普通ですけどね。
料理本の近くに代替療法やスピリチュアル、自己啓発の本がある。
いやいやいや、違うんですよ。「幸せになる○○の法則」とかが欲しいんじゃないんですよ。
この年でできちゃったから慌てて出産準備雑誌を探しているんじゃないんですよ。
エロ本が見たいけど周りの目が気になるからって日本美術史を抱えているわけじゃないんですよ。
や、確かに購買層とかレイアウト考えるとそーなるのも分かるんですけれど。
誰が何を買ってるなんて誰も気にしてないのも分かってますけど。
きっと他の趣味を持つ人も、同じもやもやを味わっているのだろう。
外から見たら一緒くただろうし。
どうしようもないんだよな、と諦めつつ本屋をさまよう夏の夕。