はてなキーワード: 瀬戸際とは
っつーのは
だね。
書き手の日本語を常識的に読めば、顔を出せば許して育児スキルなりサポートなりしてくれる程度の情はある親だったと。
日本語読解出来るようになってからキャンキャン言いなよ低学歴が。
・「和解しないこと」を選択したというより、選択から逃げてる間に親が死んだってだけだよね。
・過去の間違いを認識してない馬鹿には「間違いだったよねお馬鹿さん」て言ってあげないと成長できないよね。
・過去に間違えたのと全く同じ選択肢が今目の前に現れてるよね。「助けてくれそうな人に頭下げるかどうか」。
・過去の間違いと向き合わない限りまた同じ間違いを踏むからこそ、こうして複数の人にそこについて言われてんだよね。
和解しなかったことをこの母親が悔いた瞬間に育児環境が激的改善する状況だよね。まさに。ボーナスチャンス。そして瀬戸際。
全く反省できない馬鹿だから、このままだと退院した後また一人でやろうとするっぽいよね。
ほんとうに、生まれ変われるかどうかの正念場だよね。
実際に得られるのは、助けてくれようとしてる奇特で親切で有能な従兄弟達からの継続的サポートだよね。
実に下らん。
全くだ。
日本語読解すら不自由な人間に同じ話を何度も教え諭すこの時間と言ったら。
助けてくれようとする人に頼らないでこうなった。
一人で出来てやしないくせに。
本当に一人で歯を食いしばってる人間が大勢居る。
どっちが良いご身分か考えてみろバカが。
元増田の文からは問題の母親が子供のことを考えてるらしき部分がほとんどない。
でないなら周囲の親切な他人に頭下げて頼ってるよ。
…って何回同じ話をさせるんだ?
至れり尽くせり面倒見てくれてる従弟への感謝もなく
自分がかわいそうって泣く奴だけど
っへー。あほくさ。
新米母としてはよくやってる方だと。
これで「よくやってる方」だったら、「よくやってない方」ってのはどんな親なんだ。恐ろしいな。
あと、新米なんて書いてねえだろよく読めよ。
駆け落ちで作った子供で今30代なんだから、10年選手ぐらいじゃねーか?
駆け落ちなんてことを20代後半でやってるパーだったらしらんが、
普通はせいぜい十代か二十歳そこそこでやる愚行だよね。
あ、やっぱりきみにとってはこういうの「攻撃」なん?w
だってあんな発想、幼少期につらい目にでもあってなきゃ出てこないもん。すぐわかるさ。
今フ●クタルはま●びラインを超えるかどうかの瀬戸際なんだよ!お前のせいで●カンが引退したらどうする!
お前のくそつまんねぇ八つ当たりで人生狂っちまう人間もいるんだよ。
自分が他人と無関係に生きられると思うなよ アホガキ
こっちのセリフは記憶頼りなので正確にはこっち参照 > http://jin115.com/archives/51823168.html
・(社会のルールに従え その程度すらできない奴はクズだと生徒を恫喝する教師に対して)
ルールはすべて 作った奴のためにある そしてソレに支配された現実と未来は 常にお前たちの敵だ
(中略)
ゲームを製作した奴が用意したルールがあっても どう遊ぶかは自由だ 人生だって同じだ
自分だけの武器を磨け 自分だけのルールで生きろ そして現実に自分のルールを認めさせろ
1つめのメッセージについては、じゃあ
こうやって入する主人公は、責任をどこまで取るつもりだったんやろか、とか突っ込みどころも「今の時点では」ある。
このあたりは主人公の性格やら覚悟的なものがどの程度明らかになるかで評価分かれそう。楽しみにしてます。
そんなことより、今週は銀の匙にあった「いやー、おれみたいなのが入れるんだから 東大とかたいしたことないっすよ」のほうが強烈だったw
((*))キュ 嗚呼ァ 待たれよぉ! そこいくマラ伏どもよ!
((U)) あいや、滅相もござりませぬ!我等はマラ大寺の再建の為におまんこ勧進を行っているだけでしてェ!
((*))キュッ んならばァ!おまんこ勧進帳!読み上げてみよ!
(((U))) あいぃ、分かりやしたぁ!おまんこ勧進帳、読み上げてさせて頂きますゥ!
((U)) (武蔵棒 便慶!出来るのかァ!このマラの瀬戸際、貴様に託すぞォ!)
(((U))) アイィ、おまんこ勧進帳!いや、アア、おまんこ感じちゃうゥ!あ、感じちゃうゥ!(イヨッ 勧進帳!)
アイアイアイアイ、アァッおまんこ感じちゃう、アウワおまんこおまんこ感じちゃう!アイィ、感じちゃう!(アイアイ 勧進帳!)
感じちゃうはおまんこ感じちゃう!オォイオオォ あ、マラも涙を流すはおまんこ感じちゃう!(ハーッ 勧進帳!)
マラ棒 デチ棒 男の業!咽び泣くは女のおまんこぅ!アア感じちゃう!アアァァオオウ!(コレゾ 勧進帳!)
((*))パカッ グヌヌ!なんと見事なおまんこ勧進帳!マラ共よ、ここは開いて通そう!
http://anond.hatelabo.jp/20111013143047
死ぬかもしれない恐怖と戦ってる
その態度は確かにマナー違反だろう、でもそれが守れないくらい抱えているものが大きいから、精神科の世話になったりしてるんじゃないのか?(精神科は女患者が多いと書いてあるから、マナー違反の男患者はあてはまらないかもしれないが。後で読み返して気付いた)
他の場面で合うわけじゃない、そっちには日常でも、病院と言うのは、特にガン病棟なんてのは、生きるか死ぬかの瀬戸際の人が訪れる日常とはかけ離れた世界
面倒と思いつつ接していると、それが伝わってただでさえ死ぬかと思ってピリピリしている患者さんの神経を逆撫でする事になってるのではないか
4は1~3までのような事があったから先入観に捕らわれてないか?辛さを訴える患者を、かまってちゃん認定はまずいのでは?
慎重に診過ぎても診過ぎない事だと思うので、最初から患者を疑ってかかるような態度は良くない。
こういうのをもっと医師や先輩看護師や上司が、現場にちゃんとわかるように、説明すべきなんだろうな。
そういう学問もあるんじゃないのかな
精神的に患者が思いつめて精神的に荒廃してくる心理状態に陥る、人格にも変化が現れる、みたいなの
みんな困っているなら元増田が上の人に提案して、何とかしてもらえないのだろうか?
ある程度対処の仕方を学ぶ講習みたいなものがあると良いと思う。理不尽な患者に悩む看護師の気持ちのケアも考えないといけないかもしれない。何にしても感情論に持っていくのは良くないと思う。
様々な仕事で、モンスターやクレーマーというのは現れると思うけど、患者の場合、単純にモンスターとして捉え悪口言って終わりではまずいのではないか?
前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。
だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。
オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。
A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。
「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」
というのが彼の口癖だった。
当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。
今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。
オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。
今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。
オレは要点を要領よく説明し、A部長に
「どうすれば良いか?」
と聞いたところ、一言、
「タケシ、任せた」
と言われてあっさり電話を切られた。
その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。
数年してから、オレは
「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」
「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」
「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」
「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」
と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。
とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。
オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。
普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。
何より
「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」
とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。
多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。
きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。
「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」
「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」
と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。
「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」
と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。
それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。
オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。
「いくぞ、タケシ」
「役員の件は本当ですか?」
と聞いてみた。
「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」
とあっさり切られたが、
「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」
と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。
そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!
オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。
一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!
最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。
名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。
あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。
その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。
いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。
実に生きにくい世の中だ。
A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。
しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。
社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。
A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。
「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」
「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」
と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。
一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?
オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。
困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。
だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。
もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。
MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。
これは短期間でできるものではない。
膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。
哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。
もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。
A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。
オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。
ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。
オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。
またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。
でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。
もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。
「タケシ、ビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」
日本航空が破綻したときは、確か、退職金か何か知らないが、会社に積み立てたお金を(一部?)没収することになったような気がする。会社が倒産する瀬戸際だからなのか、公的資金を会社に注入するからだからなのか、だったと思う。
さて、日本国の財政は危機的だ。積みあがった借金が半端ないらしいね。さらに、一部世代への出費がかさんでいるらしいね。政治家は次の世代に負担を残すなと必死だ。
その結果が所得税のようだね。
ところで、バブル前の繁栄を築いた功労、という考え方があるようだ。たしかに戦争に従軍し、戦後産業を復興させた世代の功労はあるのだろう。その後何かあったんだろうね。今の財政は危機的だよ。この失敗の原因は何だろう。
先の日航にむりやり例えれば、従業員の給料を削減するのが所得税。積立金を没収するのが年金制度の変革、又は年金の減額。日航の売上を増加させるのが消費税。
ここでも老害は逃げ切ろうとしているわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110725201746
1匹病気になった。病院に連れていったけど、膀胱に腫瘍が出来てるそうで、輸血して手術すれば助かるかも知れないと言われた。猫の輸血用の血液を用意している病院などない。「連れて帰ってもいいけど、自力で食べられないし、介護が必要」と言う。私は人間の介護で手一杯だ。とても、猫の介護まで出来ない。出せる金額まで入院させてもらって、連れて帰ってきた。エサをちゃんと食べたかどうか、他の2匹のエサと一緒だとわからないからゲージを買ってきて、病気の猫と猫のトイレとエサ箱を置いた。人間の介護のために家を出て、8時間後に帰ったときは死んでいた。(こんなギリギリの状態のを生かしておいてくれたんだ、先生すごいなあ)と動物病院の先生にまず感謝した。葬儀屋さんを呼んで、引き取ってもらった。よく使っていた寝床を一緒に焼いてくれるよう頼んだ。
責任持って飼っていても、生きるか死ぬかの瀬戸際になった「ペット」にしてやれるのはこんなもんだ。
野良猫のために、ちょっと泣いてやったら忘れなよ。それだけで充分な供養だよ。
福島児童問題で、文部科学省や教育委員会、PTAや放射線医療関係者が
ケンケンガクガク議論をしているが、肝心の主体が議論に加わっていない。
ずばり、児童そのものはどう感じているのか?
今回の件で一番ストレスを感じているのは、誰あろう児童自身である。
低学年ならまだしも、高学年になれば、なんとなく
「自分達の健康について、経済性等と天秤を掛けた議論が展開されている」
ということに気付くはずである。
ネットリテラシーが高い児童であれば、「20ミリシーベルトは危険」というサイトを自力で見つけ、
その際、教師は「安全だから安心してね」という政府公式見解しか話することができない。
となると、児童は「先生の言うことだから、安全なんだ」と正直に信じるだろうか?
恐らく、過半数の児童は、「先生のいうことはタテマエで、実は危険なんだけど言えないんだなあ」という
「大人の事情」を察することになる。
そのまま「大人の事情」を察したマセガキになって事が収まるか、
それとも「大人なんてウソツキだ、先生もウソツキだ」として反抗児童になるか、
いずれにしても「教師への全幅の信頼性が瓦解する」ことになる。
あるいは親はどう話すか?
この場合、政府見解どおり「安全だから安心して」と話す親もあれば、
「実は危険だけど、家の事情で避難できなくて・・・」と話す親もいるだろう。
で、「安心して」と話した家の子供と「実は・・・」と話した家の子供同士で情報交換して、
見解の相違がわかって更にひと悶着が発生する。
小学校高学年だと兎も角、中学生ならそのまま非行まっしぐらになりそうだ。
ということで、あまり議論されていないのだが、
僕は多国籍軍が正義だと訴えたい訳ではなく、リビアの国民、カダフィに対抗する人たちの事を想うからこそ、多国籍軍ができるだけ少ない犠牲で迅速に成果をあげることを願っている。
介入までの経緯を忘れてる人が多いので、これを書こうと思った。
この文章 自体にたいした問題はないのだが、これを読んで「多国籍軍が悪い!カダフィは英雄!」と言い出す知り合いがいるのに驚いた。かなり平易に噛み砕いて説明してるから、仕方ないのかもしれないが、これを読んで「カダフィと反政府側がにらみあっただけで、世論を無視して多国籍軍が急激に推し進めて戦争始めた」と取る人がいる。
自分は、最後の最後までリビア反政府側の人々、つまりリビアの国民殆どを思えば、できることなら介入が行われない方が良いとずっと思ってた。事の経緯を見守ってた人の多くがそんな想いだろう。介入は望まないという大きな旗、あの写真は今でも忘れらない。リビアの民主化は、リビアの民衆の力で行われるべきだった。
しかし、一ヶ月あまりの間、あまりにも多くの民衆が犠牲になった。
今でこそ武装している民衆もいるが、多くが無抵抗やせいぜい棒や投石程度の武装で虐殺された。非人道的な兵器が民衆に対して使われた。爆撃を命令された戦闘機が命令を遂行できず、マルタに亡命したのを覚えているだろうか。掘り出されただけで数百人という単位で、命令に背いた高官が埋められていた。数千人が地下に閉じ込められていた。多くの幹部がカダフィから離反し、同胞を虐殺することを望まない軍も離反し始めたために、カダフィは傭兵を使って国民を攻撃し続けた。
その間、何度もいまこそ介入すべき時ではないかという論争があった。しかし、リビアの人の誇り高き「死は覚悟の上だ、最後まで自分たちで戦って自由を勝ちとりたい」という命がけの訴えを見て、出来るなら介入なしでカダフィの降伏まで行って欲しいが…と犠牲者数に呻きながら祈るような世論がTwitterでは主流だった。
むしろ、これだけの非人道的な虐殺が行われているのに、介入が今まで起きなかった事に、国際社会は本当によく我慢したとさえ思える。ブッシュだったら半月は前にもうリビアにミサイルを撃ち込んでいたのではないだろうか。オバマは最後の最後まで乗り気ではなかった。(昨日の声明がどっかに上がっているだろうから、読んでいただきたい。)
国連の決議が行われた直前には、反政府側の最後の拠点であるベンガジに総攻撃をかける、残り24時間で全てを終わらせるというカダフィ側からの通告があった。この時点では、介入も致し方なし助けに来て欲しいという意見もリビア国民に見られるようになっていた。もしカダフィ側が本気で空爆を始めれば、多くの国民が一瞬で死ぬ。これを受けたギリギリのタイミングで国連の決議が通った。
決議のすぐあとに、カダフィ側は「即時停戦する」という声明を出した。国連はすぐに攻撃を行わず、カダフィが本当に攻撃をやめるのか見守った。しかし、言っている事とは裏腹にミスラタへの攻撃は止まぬどころか、ベンガジにまで爆撃が行われた。
どうみても崖っぷちの状況だ。
介入はここで始まった。昨日のことだ。
介入を認めたくない、リビア人の手で民主化を成し遂げさせたいと思っていた自分でさえ、これ以上は無理ではないかという瀬戸際のタイミングだった。
しかし、多くの人はこれを聞いて「戦争が今始まった。多国籍軍が戦争を始めた」と取る。違うんだ、一ヶ月前からリビア国民の戦いは続いていたんだ。カダフィの虐殺は行われていたんだ。
一度介入が始まったからには、いかに民衆の被害を少なく、迅速にカダフィを降伏させるかを論点として欲しい。
英国はともかく少なくともオバマは最後まで消極的で苦渋の決断として今回の決定を飲んでいる。米軍は地上制圧しないと言っている。ブッシュのようにやらせまで使って世論を煽って正義を振りかざして攻撃したわけではない。始めに上げたブログで、世論は介入に傾いていないのにとあるが、それはオバマがブッシュのように世論操作しなかった、比較的冷静であった証拠だろう。
イラクがあのような事態になったのは、操作された世論によるところも多く、多国籍軍も正義を振りかざして攻撃しにいった感が強いが、今回は違う。介入が始まったからといって、絶対に最悪のストーリーになると決まったわけではなく、まだどのように被害を最小におさえつつ、どれだけ早くカダフィを降伏させるかという目的が残っているのだ。
たしかに、この介入で得をする国もあるだろうが、これまでのような「反米か親米か」「宗教戦争」「米帝」「イスラム教が悪い」などといったイメージにむりやり押し込めてリビアの状況を捉えないで欲しい。そして、そういうステレオタイプでしか見ない論争によって、カダフィの行った戦争犯罪、虐殺行為、なによりもリビアの民衆の意思と行動と犠牲がおざなりにされることだけは無い様に願う。
カダフィを擁護する意見の中には、カダフィの演説する支離滅裂な内容を信じている方もいます。カダフィは自分の敵を西側諸国の回し者だと言ったり、アルカイーダだといったり、麻薬漬けにされた反逆者だと言ったり、国民が電話を使えないように情報統制しておいて、「国民が私に電話で助けを求めている」等と言ったり、しまいにはアルジャジーラが黒幕だとまで言っていて滅茶苦茶です。最近は「英雄である私が国民を守る為にアルカイーダと戦っている所に多国籍軍を名乗る十字軍が侵略してきた」ことにしたいようですが。次に何を言い出すのか注目しておいてください。
さらに、多国籍軍によって国民が攻撃されたとリビアの国営放送では虚偽の内容を流し続けています。リビア人の中には「カダフィは捏造の為に、冷蔵庫に数千人の死体を用意している」という噂を語る人もいます。そんな噂が本当に信じられるような状況なのです。
多国籍軍が正義だとは言わないけど、それ以上にカダフィの言う事を信じるのは陰謀論がかわいらしくなるほどトンデモな事だと自覚して欲しいです。
お爺ちゃんとかおばあちゃんとかがフォロしてたんだけど
それもなくて
愛されないまま 愛し方もわかんなくて
間違ってる 絶対間違ってる!
で まぁ 生きてる俺はそれに介入できるから
今、愛されていない子供にも、
愛されないまま大人になって愛し方が解らない大人にも
なんかできるかもしれんねん
でも大きいのはそこだけでなんとかすることじゃなくて
まわりのこういう状況の人・・・例えばACとかボーダーってのは
気持ちが繋がれば楽になるから
理解しあえれば楽になるから
メンドクサイのがグギャーっていっぱいあって
もう、なんでお前らそんな下らないもんを
必死になって守ってんだよって思うんだけど
それだって癒されてないってだけの話で
寛容になれるし他人愛せるし人育てられるし。
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一人で作るの無理。いや、別に無理じゃないけど
みんなと作るほうが楽。話し合いながら
ちょっと思いついたら共有して、粗だして。
そういうのが楽。
すごい難しいんだよ?一人で頑張って見つけるのって
あとなんか、一人でやってるとノーミソぐるぐるして
みんなでやってると楽しいんだよね。
ただ議論をぐるぐる同じところで回してるだけでも楽しい。
もうほんま、俺みたいな愛されないバカ死ねばええとおもってる。
怖いからでけへんねんけどね。
でもさ、そういう俺の書いた筋道に、有能で、賢くて、
すっごいイイ子たちが乗っかってくれて、一生懸命作業してくれて
愛さないなんてのは無理っていうか大好きなもんになるわけですよ。
でも、みんなでつくると、これが無い。一切無い。
あんな有能でいい子たちが全力で協力してくれて
俺も全力で頑張って、その成果物を否定するとかマジ無理不可能。
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意味分かんないですけど。って最初にドラッガー読んだらやっぱ思いますよ。
「もしドラ」でちょっと解説されたけどさぁ
やっぱり俺はわかんなかったね。第一漢字が難しいじゃん。「真摯さ」
なんていうか、職場で真摯さのある奴とそうでない奴、ちゃんと分けれたよ。
でさ、いるんですよ。もう、ほんとに、ゲームが良くなるためなら
なんでもやるって連中が。ほんとに。ほんとに。
これが真摯さだよ。
もうなんかわかんないけど、俺に言わせりゃ下らないもんで
でも真摯じゃないよね。もっと良くなるかもしれないんだよ?
試してみればいいじゃない。ダメなら引き返せばいいじゃない。
そんなに「僕の考えた事」が大事かよ。ゲームをみろよ。
有効性とか機能性をみろよ。お前が大事なのはゲームじゃなくて自分だろ。
うちの会社はスゲェ。ほんとにスゲェ。真摯さ含有率パネぇ
体調崩して生きるか死ぬかの瀬戸際までいきかねん連中がいっぱいいる。
おれは大好きですよ。最高だな、おい。そうじゃないのもいるけどさ。
俺はね、もっともっとずっと一緒に働きたいのよ、君らと。
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あー 書いた書いた。ぶちまけた。
ここの所、生きる意思みたいなのを持てなくて。
もうお金の使い方が荒かったりね。
もうだめだーって。 明日死ぬかもしれんのに
この手と目と心で、何かできる事があるはずなのよね。
夢を描いている。こんな風になったらいいなーって。
何かを変えるには障害があるんだけど
それに立ち向かっていくのは、きっと楽しめると思うんだ。
夢がないとさ。こうなったらスゲーわくわくする!
そんなんしたら絶望するけど、もうそれはいっぱいしたじゃない。
さんざのたうち回ったじゃない。なかなか慣れないけどさ。
最近は酒に逃げてなんとかしてるけどw
みたいな妄想をするの。そのための現実的なステップを思い描くの
なんとかしてる。絶対なんとかなる。
俺が輝くためなんだよ!!光になるんだよ!俺が!
おしまい!
もうみんなわかってるだろ。
au IS03でさ、未来へ行くならAndroidとか言われてレディ・ガガが踊ってるって、どうするんだそれ。
iPhoneで「その笑顔も」とか言って子供が笑ってる動画と比較しなくても判るだろ。
おれらが中国の偽iPodみて笑ってるのと、全く同じレベルの模造品だろ。
Galaxy Sなんかさらに酷いだろ。あれサムスンだし。
いや、サムスンの製品だから悪いとは言わないよ。液晶とか強いしな。モノも悪くないよ。
で、docomoはサムスンのiPhoneパクリ端末で大々的に売り出すわけか。
で、作ってるのはサムスン。(IS03は違うけどね。プライドのない形してるよなアレ)
乗ってるのはAndroid。
どこがものづくりなの?
「au03はもっさりというけど、ホーム画面入れ替えたらさくさくになりました」とかいう記事を見て軽く絶望した。
そこ否定されたら、端末作った人何してたのいったい。
だから、常に「一つ前よりも良くなる」事を求める。
そりゃね、シンプルな何もないところからスタートすれば、その圧力はとても良い方向に働くよ?
どんどん良くなる。どんどん進化する。
でも、何かのきっかけでちょっと違うモノが入ってくると、それをうまく真似できなければ終わってしまう。
みんな叩くだけ叩いて買わないしな。
特殊化の果てにあるのは緩やかな死ではなく、環境の変化に耐えられない種、疫病で死滅する均質化。
貪欲に外来種を飲み込み、咀嚼した上で完全に異質なものとして模倣する匠の技は死んだ。
注文の多い顧客を「注文をするのが当たり前だ」という植え込みをするのが、最後の防波堤だった。
おサイフケータイ、ワンセグ、高画素カメラ。それらの価値をもっと植え付けるべきだった。
ガラケーに必須の機能が、携帯電話には必須だと顧客に植え付け続けられれば、もしかしたら勝てるかも知れない。
でも、そこで手を抜いていたら勝てない。
カメラで写真を撮って、ネットにアップしてリンクをTwitterにPostする。
それだけのことが、どれだけの手間になるのか。
一事が万事そう。
ガラケーはその名の通り、環境の激変に耐えられない瀬戸際に来ている。
Androidへのガラケー融合は、結局の所Androidへ飲み込まれる。
防波堤を作り、それを補修しない。ものをつくれず、それも守れない。
プライドのない模倣に対して「恥を知れ」と言えない顧客は、諸共に死んでいく。
せめて散り際ぐらいは、美しく散って欲しいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20101110041534同情する。
きょうはどうしても伝えたいことがある。
「世の中つらいことばっかりだ。いいことなんかなにもない」、そんなふうにおもってるひと、いるとおもう。
ぼくもおなじだ。なにもかも投げ出してしまいたくなる。そういうきぶん、よくわかるつもりだ。
でも、「もう絶望した。電車に飛び込んで死んじゃうんだ」なんて、もしもそんなふうにまで考えてしまってるとしたら、一度でいいから想像してみてほしい。
もしも、
もしも、だよ?
あなたが飛び込もうとしているその列車の車内に、襲い来る便意と必死に戦っているひとがいたとしたら。
あなたが飛び込もうとしている、まさにそのときが、守り切れるかどうかの瀬戸際、生涯最大の正念場だとしたら。
他人の人生まで終わらせてしまう権利が、あなたにあるだろうか?
真剣にな。
たのむな。
男の目の前には大きな大きな壁があった。真っ黒で、のっぺりとしていて、つるりと表面が滑らかなまま立ち塞がる圧倒的な威圧感を放つ壁である。掴められるような突起など何処にも見当たらなく、以前よりこの先に進みたいと願い続けていた男は途方に暮れてしまっていた。
一体おれはどうすればいいのだろう。腕を組み、むんずと唇を結んだ男は、無い知恵を振り絞ってうんうんと唸っている。目前にどうしようもないほどの障壁が起立しているというのに、まだその向こう側に、あるいはその壁の上に、男は立ってみたいと望み続けていた。
しかしながら、現実問題として男には為す術がないのである。ロッククライミングの経験などあるはずがなかったし、そもそも登るための手掛かりがどこにもないのである。ぺたりと押し付けた手のひらに黒壁の感触は冷ややかで、男には絶望することも憤慨することもできなかった。ただただ見せ付けられた己の実像を受け入れることしかできなかった。
腕を下ろし、ひとつ大きな溜息をつく。男はちらりと視線を傾け、右斜め上に開いた、力いっぱい飛び上がって壁を蹴り、ようやくその縁を掴めそうな小さな通路を見上げた。
ここしかなのだろう。もう、今のおれの力量で挑むことができる道はここしかないのだろう。
思いながらも、そんな通路でさえ、縁を掴んだ後、全身全霊の力で持って体を持ち上げ転がり込めるかどうかの瀬戸際なのであった。置かれた状況の散々たる有様に少なからず失望し、男はつうっとその視線を更に右に、地続きのまま緩やかに傾斜して伸びるひとつの道に顔を向けた。
この壁を越えることを諦める。あるいは諦めなければならない。その選択肢を選んだ先に待っているのは、右側に伸びた茨の道である。男の背丈以上に伸びた刺々しい生垣を掻き分け、何とか進む事のできる、痛みの道。
男はその道を歩くことが嫌だった。元来より痛いことが嫌だったし、一体全体茨がどこまで続いているのかも分らないのである。行く末は蛇行し、このまま上り坂が続くのか、それとも下ってしまうのか、あるいは再び壁が現れるのか、一切が阻まれた様子からは予測はまったく付かなかった。
不可能な理想に挑戦するのか、行き先の見えない未来に賭けるのか。目を閉じしばらく考えた後、男はゆっくりと左側に伸びる細い道の先を見つめた。
もう一つだけ残された選択肢。十三階段を上ったところに、ぶらんとひとつの影が揺れている。
ぶんぶんと頭を振って、男はその選択を振り払った。絶対に、あのような姿にはなりたくない。その心理の背景には、ついこの前まで隣を歩いていた同胞の末路への嫌悪と、並々ならぬ恐怖とが並列して存在していたのだった。
「おれはどうすればいいのだろう」
そう呟いてみたところで、誰も答えれくれるものはいない。どこか遠くから男を嘲うかのような哀れむような声が聞こえ、壁の向こう側あるいはその上から充実感に満ちた談笑が聞こえるばかりなのである。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
いつからこんなことになってしまったのだろう。
悲しくなった男は、ふと背後を振り返ってみた。幻想を抱きながら歩き続けた長い道のりが、始まりが見えないくらい遠くまで伸びている。分かれ道があり、上り坂や下り坂があり、行き止まりも、落とし穴もあった道だった。
けれど、ここまで来てしまう前、例えば五キロメートルも前の時点から見たとき、現在目の前にある壁はもっと小さく、簡単に跨げてしまいそうな柵に見えていた。
もっと前、例えば十キロメートルも前から見たときには、現在目の前にある壁のほかに、もっと多くの壁が遠くにぽつりぽつりと存在していた。
そしてもっともっと前のこと、二十キロメートルも前から見た世界は、まったくもって平らかな地平をどこまでも広げていて、男はどこへ進む事も、どんな景色を見ることも可能であるはずだった。
「どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」
口にし、男はどうにもならない一歩を、今日も前に進めていく。
今日先輩が「torrentならつかまらないよw(キリッ」などと発言していた。
おいおい…。
勿論反論はしたけれど聞いていなかった。
「torrentだからつかまらない?」
そんなことは無いだろ。Winnnyだから…とかPDだから…とかの問題じゃなくて。
ただでさえも昨今9割非正規ユーザー、1割正規ユーザーと言われているし唯でさえも狭い業界で10年生き残れるか生き残らないかの瀬戸際でメーカーだって手間もかかるし、儲からないのにしぶしぶアクチを導入しているぐらいなのに。
自分はアクチには賛成である。
でも正規ユーザーも打撃は受けるし、メーカーが今後つぶれたら…とか、メーカーが儲からないとか、サポートが大変だとか、問題は山積みだと思うんだよな。
ほぼ打撃を受けるのが“ユーザー”でなくてメーカーというのが悲しいと思う。
Googleでも、「ゲーム名 torrent」とかで出るのなんとかならないのかな。
torrentというソフトとシステムについては賛成なんだけど。
分割してDLするのも厳しいものがあると思うようなパッチ(SummerDaysとか)みたいなのを共有してDLするのは全然問題ないと思うし、LinuxのOSをDLするときとか。
いきなり上司に呼ばれて。
「ア○エベラジュースっていう凄く良い製品があるんだけど・・・」
いきなり始まった製品の紹介。
あれは卑怯だ。
曰く「天然の何たらかんたらを使ってて、とてもいいもので、自分の家族もこれで病気が治った・・・医者なんていらない」云々。
こっちは入社したての下っ端、相手はこっちを好きなように出来る立場。
「いいものなんだ、マルチではないんだ、無理に押し付けようって魂胆はないんだ、断ってもいいんだよ? よく誤解されるけど、マルチじゃないし」
という風に上司はおっしゃいますが、断ったら絶対に今後の影響がでるだろうが! チクショウ!
了承の返事をしてしまった。
「・・・はい分かりました。そこまで言うのなら飲んでみる事にします。」
そう言った時の上司のあの嬉しそうな顔! 憎たらしい!
「誰にでも勧めてるわけじゃないんだ。自分が信頼してる人にしか教えないんだ(大真面目)」
入社したての下っ端のクズを信頼してくださってありがとうございます!チクショウ!
明細から約8000円が引かれて、代わりに得体の知れないア○エベラジュースが自分の手元にあった・・・。
・・・せっかく頑張って働いたのに、それがお金じゃなくてこんな得体の知れないジュースになってしまうなんて・・・。
泣きたい気持ちをぐっと堪えた。
自棄っぱちな気分になって、どうせだからとジュースを飲んでみた。
飲みながら、社会について思う。
これが社会人になるということか。
これが会社での人との関わりってやつか。
なるほど、学生時代とは一味も二味も違うぜ。
http://anond.hatelabo.jp/20100223010649
それに比べてあなたは根性があるし、
実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。
まったくもって問題はないレベルだ。
ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。
高校までは逃げたことがなかった。
部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。
大学もそこそこいいとこに決まった。
大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。
俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。
「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、
すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。
逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、
サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが
何故か出来なくなっていた。
その夏にレストランでバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。
延々と皿を拭くだけのバイトだった。
これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。
3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。
最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。
ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて
で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。
あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。
体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。
その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。
なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。
これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。
公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、
一定期間後正社員になれる者と派遣を継続する者とに分かれて俺は後者だった。
なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。
それから数ヶ月ほど経った。
仕事を辞めてすぐは心地よい気分で満たされる。
自分は根性なしの非コミュの人間のクズで一生まともな職に就けず
彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。
仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。
日に日に会話力が落ちているのを実感する。
後輩も俺以上の収入を得ている。
高校・大学の同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。
次の仕事は辞められない。
辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。
このところは毎日だ。
ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。
死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。
簡単に辞める。
働くしかない。
このような精神状態だとネットで年収関連の話題を見ることが出来ない。
俺は年収100万円程度だ。
逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。
自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。
落ちた資格は日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、
計画性のないクズだと思っています。
落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、
どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。
年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。
ちなみに実家には帰れない。
逃げるごとに何かを失っているというか、
歳だけ食ったような。
たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、
ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書を捏造するしかない。
そしてヘタな会社に入るのも難しい。
やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。
数分に一度自殺することを考えるようになるし、
他人を殺した際のニュース映像を妄想するような日々を送ることになる。
書くことによって安定させている。
外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、
真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、
それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。
早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所で人生の安定を図ろうとする存在になる。
早く仕事を見つけないと。
とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、
結局精神も安定しません。
俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。
とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが
なかなかありませんね。
それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、
これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。
もう死ぬしかありません。
全て自業自得です。
逃げるとこうなります。
新卒の方は絶対に辞めてはいけません。
死にたくなります。
面接苦手でしたらなおさらです。
面接得意な俺ですらこのようになるのですから。
ttp://rionaoki.net/2010/01/2925
、教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう(そういう場所をもっと作れればよいとは思う)。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。
経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という(機会費用を含めた)莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。
これは教養教育の価値を否定するものではない。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来ただろう。しかも私は教育の真の社会的費用を負担していたわけではない。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。