はてなキーワード: はなちゃんとは
最近夢中になってる推しキャラはゲームのキャラクターなんだが、マイナーとかいうレベルじゃない。
そのゲーム自体、知ってる人がめちゃくちゃ少ない超絶マイナーゲームだ。それもそのはず。子供向けのパソコンゲームで、しかも2004年という大昔にサービスが終了している。ツイッターもスマホもyoutubeもなかった大昔だ。
しかもしかも、キャラクターの声優が示されていない。「声の出演」を見て名前をググる。ヒットしない名前がある。一部のキャラは特定できたが、肝心の推しキャラの声優が特定できない。推しの声優がわからない。こんなことってある?可愛くて愛しい声なのに。
誕生日なども設定されておらず、数少ないグッズもとうに売られていない。何もできない。
キャラデザの人の名前をググる。とうに亡くなっていた。推しを生み出してくれた感謝を伝えることもできない。
二次創作をしてみる。楽しい漫画やイラストを描いてみる。推しのエロ絵を描いてみる。同人誌を出したいと思う。それでも、反響はない。当然だ。誰も知らないのだから。ゲームを知ってる数少ない人も、推しを推していない。きっと、世界で自分だけの推しキャラだ。
とうに消えたHPの魚拓を漁る。キャラクター人気投票があって、推しキャラは一位だったり二位だったりした。推しキャラへの愛を伝えるコメントの数々。イラストコーナーも推しのイラストは多く、大人気だった。推しキャラと遊ぶ自分の絵を描いた夢女予備軍もいた。子供達を集めたゲームイベントもあった。それなのに、今は誰も知らない。あとかたもない。みんなどこへ行った。大人になってるのは確かだ。
この時代に行きたい。行って投稿したい。投稿コーナーでやり取りしたい。
誰とも語り合えない。誰も自分の発信を見てくれない。反響がない。寂しい。流行り物に乗れないのは昔からだが、こんなに寂しいジャンルもない。ジャンルとすら呼べないかも。沈みそうな離れ小島で今日も自給自足で推しの絵を描く。
幼児向けだから、推しキャラは人の姿すらしていない。擬人化キャラだ。
ところで、動物の擬人化はケモとか獣人とかいうが、植物の擬人化はなんていうんだろうね。
https://web.archive.org/web/20000930054120/http://www.justnet.ne.jp/momonga/play/chara/chara.htm
犬が好きだ。
動物は全般好きだが、特に好きなのは犬だ。ロングコートチワワも好きだしスムースチワワも好きで、子供の頃はロングコートチワワのはなちゃんと一緒に生活させていただいていた。俺は犬より立場が低かったのではなちゃんには見下されていたが、気まぐれに俺を踏んでくれるはなちゃんの冷んやりとした小さな肉球がただただ愛しかった。
今は仕事と金の関係で犬と生活させていただくことは諦めているが、たまに無性に犬が恋しくなる。ので、そういう時は保護犬カフェで犬欲を満たしている。おやつの課金をすると犬にまみれることが出来るので、メンタルが死にそうになったときは保護犬カフェでおやつ課金することをオススメする。
そんな俺の楽しみの一つに、散歩中の犬とのエンカウントがある。勿論散歩中の犬と犬に連れられる人間に自ら声をかけたりなんてしない。散歩を楽しむ犬の邪魔をしたくないし、犬に連れられている人間に俺の相手をさせるのは迷惑だと思っているからだ。偶然エンカウントできた散歩中の犬を生暖かく見守る、それだけでいい。チャッチャッと小さな足音を立てて歩く犬の姿は何とも尊く、揺れる尻尾はこの上なく愛おしい。楽しそうに人間を連れて歩く犬、渋々と人間に付き合い歩く犬、俺という個を認識して吠えてくれる犬、同じ犬は一匹といないので出会いは正に一期一会。
低賃金労働を終えてヘロヘロになりながら家に帰る途中、気が付くと俺の前を神々しいほどに真っ白なポメラニアンが歩いていた。ふわふわとした綿毛のような愛くるしいフォルムに、貴族のような気高さすら感じる堂々とした存在がそこにあった。完成された美とはこのことを言うのだろうか。
その美しいポメラニアンが、俺という卑しい存在を認識してくれた。時折俺に視線をくれながら前に進む。俺はその後を付いていく(家の方向が同じだった)。「そこの人間よ、犬が好きなんだろう?」「犬好きだろう?撫でたいだろう?構いたいだろう?」とでも言わんばかりに振り返ってくれるポメラニアンに俺はもうメロメロだった。何て愛らしさだ。これはもう──ファンサだ。
俺という存在を認識し、目線をくれた名も知らぬポメラニアンよ。あなたという存在に俺の疲れ切った精神がどれだけ救われたか、あなたは知らないだろう。きっとあなたに出会うために、あなたの姿を見るために、俺は今日仕事に行って帰ってきたのだ。
ポメラニアンは俺の家の前を通り過ぎていった。俺はそのまま声もかけずに家に帰ったが、そのポメラニアンのことが今でも忘れられない。
花という犬の散歩をしていて逃げられた。
と追いかけたら、遠く、日に焼けた農作業帰りのおじさんにまとわりついてる。
花ちゃんは私の飼い犬ではなく時給制か現物支給の散歩係をしているだけの関係だが逃がすと厄介。
追いついたら、おじさんはビニールハウスの横の休憩所で畑を見ながら休憩していた。
花どこ。
と思ったら、ビニールハウスの横の長細い穴に顔を突っ込んで下半身をふりふりしてる。
「はなーーー!」
汚れたらいやん。
おじさんは笑ってこの犬可愛いねー気に入ったよ、と言ってる。
まじかよ。犬って穴に全身入るのか!!出てこい!出てこいはなーーーー!!!
って騒いでたら花が出てきた。花が二匹も出てきた。
は?は?は?花が増えた?と思う程よく似てる。
おじさん笑ってる。
あ、違う!首輪が違う!花の首輪はダサい名前アルファベットがついてる。
「この犬はおじさんの?」
って聞いたら、そう、って。
おじさんの犬が穴にもぐるのを見て花もついていったというのが真相らしい。
初対面なはずなのに花のコミュ力すげえなあ!!知らない犬と二人きりでなにしてたんだよ!!
って説教しようとしたら目が覚めた。
全部私の頭の中に住んでいる。
5歳の娘がプリキュアに夢中になっているように5歳の私はどれみちゃんに夢中になっていた。
数ヶ月前からプライムビデオでおジャ魔女どれみシリーズの配信が始まった。懐かさしさもあり、ひとりリビングで見ていたら、いつの間にか娘も一緒に見てくれるようになった。今では自分から、ママ、一緒にどれみちゃん見ようと誘ってくれる。
娘を膝の上に乗せ、どれみちゃんを見ながら話す「ねぇ、ママはどの子が1番好き?わたしはおんぷちゃんとはなちゃん!」「ママもおんぷちゃん大好き!!かわいいよねーー」「保育所でもどれみちゃん見てる子いるよ!今日傘使ってどれみちゃんごっこしたの!」「えー傘をほうき代わりにしたの?楽しそう!!」
なんだか変な感じだ。5歳の私に、あんた20年後にも同じようにどれみちゃん見ながら自分の娘とどれみちゃん談義してるよ、と言ったらビックリするだろな
娘も娘の娘とプリキュア談義するんだろうか
くーちゃんのお世話をすると決めたときに、ひとつ、自分に誓ったことがあります。
それは、このねこちゃんのことは、何があっても一生傷つけない、悲しい思いをさせないということです。
ねこは、生きて20年。僕はその頃42歳で、だからまず、自分が死の想念から卒業しなくてはと思いました。
お酒をやめたり、書物に耽溺悪酔いしたり、キャバクラ通いや、いかがわしい界隈を帰り道に散歩することも、やめました。やめたというより、船橋駅のシャポー口までくると、駆け出して一刻も早く、くーちゃんに会いたい。
外から窓辺を見上げると、くーちゃんが内側から見ていることが多くなりました。僕よりも、どこかもっと遠くを見ている感じのする眼差しです。そのくーちゃんが、僕に気づくと「はっ」として目を合わせてくれる。
そんなときにふと、下僕が思い出すのは、カズオ・イシグロ「日の名残り」のことです。そうして、階段を上がりながら追いかけてくるやわらかい視線に、何かに仕えることのできる喜び、生の充足と、その拠りどころを噛み締め、確かめます。
「ふにゃふにゃ」
ドアを開けるとくーちゃんが足元に歩み寄り、爪を研いで、甘えてきます。
下僕は「ただいま」といって、水を換え、ドライとウエットの2皿のご飯を用意し、くーちゃんが食べるのを離れて見守ります。
申し遅れました。僕は、これまで、くーちゃんに5つ、辛い思いをさせました。
どのひとつをとっても、万死に当たるでしょう。それなのに、くーちゃんは毎晩、僕の毛布に潜り込んできてくれます。
「かわいいさん」「すきすきー」「にゃーん」を、1日に100回、あるいはそれ以上、4年半のあいだ、続けてきました。くーちゃんは、ときに、僕にとっては神の化身と見紛う、何か特別な雰囲気を身にまとった存在と感じられるほどになりました。
はなちゃんは、シャーシャーねこちゃんだ。一緒に暮らしてもらってからもうやがて満5年になる。2015年2月21日に家にきてくれた。ねこの日と、僕が大好きな、亡くなった男の子が2ちゃんねるに降臨した間の日を選んだ。
いちども、(ただの、ではなく)ほぼ、いちども、触れていない。指先で、2、3度ちょいちょいした覚えがある。その瞬間にはなちゃんは総毛立ち身をすくめ、僕が身を引くといくつかの怯えた眼差しと姿勢の段階を経て、同じ住まいの僕からいちばん遠いところへと隠れていった。
はなちゃんは、人が嫌いなのである。10代の頃は歩く尖ったナイフと、20代では人形ヒトガタをしたハリネズミ、30代では「まだ衰えないか」と陰に陽に呼ばれた僕は、だからはなちゃんのことがある意味わかる。いや、わからない。ねこのことは人にはわからない。
はなちゃんは、美人なのである。写真を見せたい。しかしここは増田なので見せられない。実に残念だ。
そのはなちゃんは、僕がくーちゃんのことを抱いてなでなでしたあと優しくリリースすると、自分のほうに歩んで挨拶にきたくーちゃんのことを、丁寧に毛づくろいする。
「はなちゃんは、いいお姉さんだなあ」と、しばらくの間は思っていた。
どうやらそれは勘違いらしかった(いいお姉さんであることは、それはもう、間違いない)。毛づくろいの間、はなちゃんは僕から目をそらそうとしない。はなちゃんは、僕のことが嫌いで、むしろくーちゃんから下僕の匂いを消そうとしている可能性が高い。
はなちゃんは「だいすきなくーにゃん😺」「はな姫のくーちゃん😺」と思っていることだろう。くーちゃんは、はなちゃんにあやされるとき、いつも「ふにゃふにゃ😺」と満足そうな顔を浮かべる。
おれの負けである。
それでもいいのである。10月下旬を迎え、部屋に3箇所(どこでも一番好きなところでリラックスできるようにと)仕掛けた「ほかほかのわな」、人間界でいうホットカーペット(小型)の上で、はなちゃんが落ち着いているのを離れた場所から見ることがある。はなちゃんは、小さいころの外暮らしでずいぶん辛い思いをしてきたに違いない。はなちゃんはもうそろそろ「自分が雨に濡れる」感覚を忘れてくれただろうか。
おれのはなちゃん😺
うちには、はなちゃん、くーちゃん、みーちゃんという3人のねこがいる。私は彼女たちの下僕である。
初めは、はなちゃんが家にやってきた。はなちゃんは「シャーシャー」ねこであり、撫でるところか、触れさせてもくれない。
触れるばかりか、近寄ることさえできない。
寂しくないといったら強がりになる。精神的に、私はそんなに強くない。
そこで、くーちゃんをお迎えした。くーちゃんのかわいさといったらない。
筆舌に尽くしがたいので、語らずに私は漱石「こころ」の先生のように、ただその美しさを祈って手紙を書き、届いたころにはこの世にいない作法を選ぶ。
みーちゃんはとにかく、独占欲が強い。そして構ってちゃんである。態度だけならまだいいが、手(すなわち柔らかくて少し痛い爪)が出る。
いまも私の足元に香箱を構えて、たまにふくらはぎやひざの表裏に「むー」と喉を鳴らしながら爪を立てる。
私がしばしみーちゃんの尾てい部分をリズミカルに「とんとん」してあげると、収ま…らない。もっとやってくれとせがまれる。
かわいい。
それでも、家に来てくれて初めのころからすると、ずいぶん落ち着いたように思う。
落ち着いたは落ち着いたのだが、私を独占しようとする気持ちが、しっかりと、前面に出てきたこともまた確かだ。
前には、「自分はくーちゃんの次」という意識(?)も見られた。いまは同格か、それ以上のポジションだと自分では思っているだろう。
実に愛おしい。
自分は割と分け隔てなくアニメを消費するタイプのオタクだが、このスロウスタートというコンテンツには完全にハマってしまった。
最終回を見た直後の湧き上がる感情とお酒の勢いを借りて以下にスロウスタートの個人的ツボポイントを列挙していく。
なぜそこから、という疑問は置いといて欲しい。
とにかくこのスロウスタートというアニメ、全体的にぬるぬる動く。
このぬるぬる感が非常に見てて心地よいのだ。
特に第2話でヘロヘロのぷらんぷらんになるはなちゃんの動きはGIFにして100回見た。
本題に戻ろう。
このぬるぬる動くスロウスタートにおいて、その恩恵を最も強く受けているのはやはり狂言回しとして画面中を四方八方動き回るたまてちゃんであろう。
あまりにも彼女の一挙手一投足が良すぎて、たまに目をそらしたり一時停止したりしていた。
京塚志温(CV.M・A・O)ちゃんのおっぱいが、、、デカい、、、、あまりにもデカすぎる。
第一話冒頭でこの二つの巨峰が揺れるシーンを見た瞬間に脳内で電撃が走り、その後の記憶があまり無い。
圧倒的な存在感は最終話までその威厳を誇示し続け、見る私全ての脳裏にその光景を焼き付けて止まなかった。
最終話で志温ちゃんが制服を着るシーンがあるが、やはりブラウスを着ていてもその揺らぐことのない存在感には感服した。
「おっぱいはいくらデカくても良い」と彼のアドルフ・ヒトラーも言い残しているが、やはり大きなおっぱいには胸を打たれてしまう。
胸だけに。
OPのサビの途中ではなちゃんがホットケーキにポフっと挟まれるシーンがある。
非常に良い。
参考URL:https://gifmagazine.net/post_images/1326877
何が良いのかと言われると非常に答えづらいが、あえて言うのであれば、この何とも言えない表情をしたSDはなちゃんが、なぜか上から降ってきたホットケーキにぽふっと挟まれる、というシュールな絵面が心の琴線に触れたのかもしれない。
ここまで書いてだいぶ精神が安定してきたので終了とする。
えーこちゃんと先生のラブイチャシーンの良さや第8話で突如出現して私の脳みそに電撃を走らせた超巨乳セーラー服・高橋さん(CV.水瀬いのり)など、他にも山ほど推せるポイントがあるので、ぜひ未視聴の方は一度スロウスタートを全編通しで見て欲しい。
平日朝の子供向け情報番組「おはスタ」の司会を実に19年間も勤めた山ちゃんこと山寺宏一さんが番組を卒業されました。
おはスタメンバーが総出演した最終回は所々に涙があり、現場で山寺さんがどんなに慕われていたのか視聴者にも存分に伝わって来ました。
一部ニュースサイトでも紹介されましたが、番組最後の山寺さんの挨拶が本当に本当に素晴らしかったので全文を書き起こしてみました。
一部聞き取れない部分がありましたがご了承下さい。いやー、久しぶりにテレビを見て(録画ですが)泣きました。
ロバート山本さん「それでは、おはスタを見てくれている小学生たち、そして元小学生たちにメッセージをお願いします!」
卒業発表してから色んな人がメッセージくれたり、こうやってゲストが沢山来てくれたり、
今日も本当にたくさんの方々が来てくれて本当に心から感謝しています。
ここには来れないけれど、テレビの前で応援してくれた人が沢山います。本当にありがとう。
19年前、本当はこの司会の話断ろうと思いました。
声優の仕事しかしたことのない僕に出来るわけない。皆に受け入れてもらえるわけない、
でもやらないで後悔するよりチャレンジして失敗した方がいいと思って、やって本当によかったです。
はじめて二ヶ月たたない頃に、野球少年に会ったら(オーハーのポーズ)をやってくれて、
「もしかしておはスタ見てる?山ちゃんだよ!」って聞いたら駆け寄ってくれて
「見てるよ!山ちゃん応援してるよ!」って言ってくれて、バイバーイ明日も見てね!
見えなくなるまでずーっと「山ちゃん!頑張れー!」って言ってもらったのが一ヶ月たってない時。
その時、やれるだけずっと頑張ろうって思いました。
沢山のキラキラした笑顔。「山ちゃん!オーハー!」ってやってくれる皆に本当に励まされました。
あのー、みんなの笑顔とか一生懸命に頑張ってる姿ってすごいパワーがあるんです。
何か夢中になれることを見つけて下さい。
そんな事をお手伝いするのがおはスタであり、山ちゃんの仕事だったと思っています。
みんなを笑顔にするお手伝い、少しは出来たのかな?出来てればよかったと思います。
あのー、思いやりのある人になって下さい。
双雲先生、「思いやりってなんだ?」っておはスタでポスター書いてくれたけど、
自分がされて嫌なこととか、言われて嫌なこととか、そういうことやってて絶対楽しくないもんね。
おはスタ卒業するけどこれから色んな事にまだまだチャレンジします。頑張っていきます。
いつか皆に会えると思う。
色んな所に行くから、その時は「山ちゃんおはスタ見てたよ!オーハー!」って絶対やって下さい。
皆がおじさん・おばさんになってからでも、山ちゃんに会ったら「見てたよ!4月1日みたもん!」って言って下さい。
その時一緒にオーハー!やりましょう。
そして、はなちゃんとおのちゃんが引っ張ってくれる新しいおはスタをみんな応援して下さい!
本当に今まで、ありがとうございました!
朝の6時から、明け方のテンションで「女は女であることを売りすぎた結果、女々してないライトすぎる恋愛論を語る鈍感な女と、ヤリチンの恋愛論がウケるようになった」みたいな話する僕も相当なクズだと思うけど…恋愛に関わるというかそういう話をしちゃう読んじゃう時点でクズなんだよ。人間性が
逆に言うと、女が女であることを売りすぎた結果として供給過剰なんですよ、今の時代って。AV女優だけバカみたいに増えて、男優が増えないから男優ブームみたいなのが恋愛語りの世界でも起きてて、コッテリガッツリな人よりも恋愛なんてなんとも思わないタフ(脳天気)か、男が語るものがウケるという
そういう意味で、北条かやってすごいのは、それまでこじらせてるものの代名詞だった色恋をライトすぎるぐらいライト(学歴ロンダリングしてあの星海社からでるふてぶてしさ考えたら、多分死ぬ直前まで精神が病まないであろうタフな人間がお水を面白半分に見るだけという薄さ)にしたは発明かもね
はしごたんとかゆみこさんのあの「女を消耗させてお水して、こころが病んでぶつかって…」みたいなああいうのって書籍にしにくいからなぁ〜あとおはなちゃん的な「ビッチな私が好きでもあり、おかしいとも思ってるけど…」みたいなのとか。ああいう狂人で強靭な人間の色恋体験じゃなきゃねぇ
また酷いの見つけてきましたなぁ…。今日は書きたいものが決まってるので、明日辺りに食いつきたいです。(僕が嫌いな、怒り狂いそうなたぐいのライターの書き物を見つけてきてくれたので、いい感じにカチンとくる事ができましたw
酷い記事だ。 @messy_web はおはなちゃんに連載持たせたメディアだからもっとできるところかと思った矢先にカエターノ武野みたいな人にああ言う記事を書かせるのか…。がっかりだなぁ…
そんな知識で乳袋批判の記事書いてるのかよ…。ちなみに、AVの過激プレイ系の作品だと白目剥いたアヘ顔がパッケージに載ってるものはあります。(二次元でもアヘ顔は基本的にアダルト向け作品の表現)
参考にお聞きしたいのですが、あなたの言うポルノとはなんでしょうか?露出の有無や対象年齢などある程度の枠組みを説明していただかないと感覚的に頭ごなしに罵る「バカアホマヌケ」程度の意味にしかならないと思われますが?
問題を先取りした結果がオタク知識皆無な人間による乳袋批判ですか…。乳袋の議論なんか少し前にも流行ったから先取りでも何でもないですから、編集さんに頼らずに自分できっちりネタを探しましょう。
kanose ノリノリである。ブログなどがヒットした時にすぐ調子に乗ってライターにケンカ売りだす病気。昨日の野球記事で調子に乗った発言をしていた時からだれでも予測できる展開だった。
オタクがデブでブサイク名なんぞかみたいな20年近く前のイメージをまだ引きずっていられるのですか…?ちなみに、言うまでもないですが、コミケの日だからコミケ帰りの連中が紙袋を持った人が新橋から電車に乗りこんできてます。
アイドルの知識も疎そうだから言っておきますが、AKB48はクラスでも1番ではないであろうぐらいの美人の子(等身大ぐらいの子)を選んでる部分があるため、コスプレイヤーに限らず、AKB48より美人そうな子は意外と周りにいると思いますよ
kanose 岡田育の時もそうだったが、どうやら仕事で書いてるライターにはリプライやRTでちょっかいを出しても反応をされないという思い込みがあるようだ。反応されそうな相手にはエアリプするくらいのチキンのくせに。相手の顔を見て態度変えるクズ
連投しちゃってすいません。その周辺の部分を読んだら、去りますので、もうちょっとだけお付き合いくださいm(_ _)m
カエターノさん、「お金にならないやりとりはしない」と公言してたのに、俺のリプに「勉強になります」って返してくれてる。…思ったよりいい人?
kanose さっきまで強気で発言していたのに相手が反応してると知った瞬間から急に卑屈な態度を撮り始め発言も弱腰になっており雑魚臭が半端ない。相手が見えたから礼儀正しくしてるといえば聞こえはいいが実際は相手が何も言わないところだけでしか強気な発言ができない情けなさい人間。
この問題も調べてもらうと面白い話があり、オタクの間では10年代頭から「男の娘」というジャンルが流行ってます。しかし、イラストを書く人の中には女の子を書いてから「(設定上)男だ」と言い張っただけのものが多く区別がほぼないキャラも多数
これは同感。異議なし
見るところ見たし、これでおしまいでいいや。乳袋批判の記事についてのコメントだけ明日書くかも…。
kanose 相手の反応が見られた瞬間に即時に逃げの準備にはいって、強気な発言をすることもなく撤退。内弁慶にも程がある。
この人はもうガチのほうの病気だと最近感じる / “クラッシャー・ミーア猫の激闘記録” http://t.co/XgbNtwHSTO— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 8月 29
「心の病」認定きました!
はてなやめて、すぐはてなに戻ってくるお前のようなやつは、はてなの名医者xevra先生に診断してもらえ。
このツイートをジコマンコブログのおはなちゃんがふぁぼっているが、仲間のにんじんが逃走したからってしょぼい反撃しなくてもいいんだよ。おはなちゃんのTwitterは、はてなへの恨み辛みが書いてあって面白かったので、今度ツイートをまとめてやりたい。
みーあ猫しゃんはこんどはあんず先生にターゲットロックオンか。忙しいなこの人も。— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 8月 30
ちなみに10;「精神障害を罵倒用語に使ってる」んじゃなくて、精神障害だと確信して心配しているんだよ。10;10;あなたのその「被害者意識の強さ」と10;「相手の揚げ足をとることへの執着心」は10;ちょっと普通じゃないもの。10;10;みぃあ猫様へ— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 8月 30
精神科の医者でもない普通の人間が、ネットでの言動を見ただけで精神障害だと確信できる理由は? 心配っていえば許されると思っているのか? 知らない相手に「ガチのほうの病気」(精神障害)といきなり言うのが、人格非難じゃなくて何なんだ。
俺から見たら、ショッカーも「ガチのほうの病気」に見えたことがあったぞ。だから、xevra先生に診てもらえ。今なら無料のはずだ。
まぁでもみいあ先生のこと嫌いではないよ。めんどくさいけど。10;10;こういうキャラもいるところがはてならしいといえばはてならしいと思うし、言ってることがいつもおかしいってわけではないし。— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 8月 30
みぃあ猫はお前のことを嫌いだと思うよ。
こいつはなんでブロック解除してもらいたいんだ?
障害者支援施設で働きながら、ビョーキを罵倒用語に使うコメントにスターつけちゃうとか陰湿だねぇ。この前は「差別はダメ!」なんて記事を書いていたのに。@anzu_sato— 山田(みぃあ)ねこ (@meerkat_hatena) 2014, 8月 30
@meerkat_hatena 私は陰湿ですね。性格も悪いですし、ただ差別はダメって言うのはみんな誰しも思っていて、でもなくならないって記事だと思うんです。スターを付けたのは、罵倒というより思ったからですね。お会いしてないですし、医者ではないので、世の中には色んな方が居るな。と。— あんず (@anzu_sato) 2014, 8月 30
ここでは「私あんずはみぃあ猫の言動を見て心の病気だと思った」と言っている訳だが、これこそ偏見が根っこにある罵倒だろ。お前だって、ブログに障害者への偏見が世間に溢れていることを嘆いていたじゃないか。
.@anzu_sato 他人にはダメって記事書きながら、障害者や介護の現場に携わる方が、病気を罵倒に用いているコメントに同意しちゃうんですか?立派な名誉毀損ですが知ってます?— 山田(みぃあ)ねこ (@meerkat_hatena) 2014, 8月 30
@meerkat_hatena 勉強不足でした。すみませんでした。— あんず (@anzu_sato) 2014, 8月 30
おいおい、障害者支援施設にいる人間が「勉強不足でした」だと? 大丈夫か?
病気って言葉が罵倒用語だったことを私は知らなかった。そもそも罵倒したつもりないし。私ならだけど、生きてりゃ誰かには悪口ぐらい言われてるだろーな。って思ってて、私の悪口言ってる人にわざわざ自分から、陰湿ですよね〜なんて言いにいかないな。みんなそんな暇して生きてねぇわ。— あんず (@anzu_sato) 2014, 8月 30
やっぱり口先だけの謝罪だった。コウモリといい、はてなブログの奴らは口だけの謝罪が得意だな。
全然話まとまんないけど、なんなんだよ、差別用語って!!!!!!あ? - 感情迷子中のあんずです。
知的障害者もね、知的障がい者って記載したり、知的障碍者って記載したり、これすら私は差別じゃんって思ってるよ。言葉のいたちごっこじゃん。
どんな言葉で表記したって、きっと、差別用語って後に言われるんだと思うよ。
私が憤慨してるのはね、その差別用語のコメントをした人はね、相手のことをよく知りもしないで、まあよくもそんな言葉を相手にぶつけることができるよな~って話ですよ。
その人としゃべったの?
私もあなたのこと全く知らないけれど、じゃあ面と向かって、その人にそっくりそのままその言葉言えるの?相手の気持ち考えて生きたことあんの?
大彗星ショッカーに「その人としゃべったの?」とか言ってやれよ。
差別いけない!世間の偏見ひどい!といっているあんずが、カジュアルに相手を心の病気認定しているのは、こいつの差別いけないと言うのが建前でしかないことを教えてくれる。
したらよ、その中についたブックマークのコメントに「このネタ何度目だ」ってのがあったんだよ。俺がしるかよ!
俺は俺の思ったことを書いてんだよ!世の中ループしてんだよ。みんなおねしょしてお母さんが「もう、はなちゃん何度言ったら分かるの?」みたいなこと言われてきてるんだよ。
それが何だよ、「このネタ何度目だ」って。お前やばいんじゃねーか?
どうやばいかっつーとな。お前はずっとそのお母さんしてるわけだよ?言いたいこと分かるか?わっかんねーだろーなー!!
一言で説明してやるとお前は成長してないんだよ、ずっとお母さんなんだよ、お母さん。おばさんにもセレブママにもおばあちゃんにもなってないの、ずっと立ち止まってるの。
それってどんだけやばいことだと思ってるの? どこまで同じことの繰り返すの? 人生それで楽しいの?
分かったらパソコンを窓から放り投げて登山サークルにでも入会しろ!
山登って朝日見たらネットとかはてなとかどうでもよくなるから、絶対!だいたいネット始める前お前何してたか思いだせんのかよ!
ネットは素晴らしい娯楽だけどそればっか見ててもしょうがねーんだぞ!!
横文字にするとなんだかカッコイイですよね。
世の中で特別な存在なのだと思っていた時期がありました。
常に新しい価値観を生み出し続け、
皆があっと驚くようなアイデアを見せ、
自分の作り出すものが凄ければ、
センスを研ぎ澄まし、
常に圧倒するような完璧な物を作り続け、
自分が納得のいく所までこだわり、
自分の力と作った物で皆を動かさねばいけないと
思っていた時期もありました。
自分はデザインだけを考え、
デザインだけに集中し、
デザイン以外の事を行うのは悪と考えていた時期もありました。
そんな考えも、今思えば非常に恥ずかしく、
もし、タイムマシンがあれば、
過去へ行き、そんな自分に酒でもオゴりつつ、
色々と、ゆっくりと話をしてあげたいと思うようになりました。
なんだかんだで、僕はプロとしてデザインでお金を貰い始めてから
6年ほど経ちました。
まだまだ視野は狭いとは思いますが、
それでも、上に書いたような事を考えていた時よりは、
よく物事が見えるようになってきたかなと思っております。
久しぶりに深夜にテレビを見ていると、
素晴らしいデザインの製品やアイデアなどが取り上げられていました。
画面の中のはなちゃんは、興味深そうに製品にコメントをしていました。
でも、僕はあまり興味を感じることは出来ませんでした。
リアルさというのが感じないというのか、なんというのか、
非常に奇妙な感じがしました。
こんなものは自分の好みもあるのかもしれないので、
偉そうなことは言えませんが…。
僕は仕事に対しての考えのひとつに、
という妙な意識を持っています。
そもそも「仕事」って何でしょうね?
僕は、仕事というのは、必要とされているものに対してサービスを行い、
その代価として報酬を頂くものだと考えております。
それは人間が相手であったり、世の中が相手であったり、環境だったり。
報酬というのも、お金であったり、スキルであったり、経験だったり。
求められている事に最大限に応えてあげる。
そんな事だと思うんですよね。
相手が何を求めているか、何に困っているのか、何を知りたいのか、
そして何を伝え、何を形にしたいのか。
この「何を伝え、何を形にしたいのか」、
という要望に対して、クライアントや、
最大限のサービスで応えてあげているんだなぁ、
と思うようになりました。
クライアントの伝えたい意図をどうやって伝えるか?
今は、デザインというのはあくまでも手段。
自分の手持ちの武器のひとつと考えるようになりました。
案件次第ではデザインをしない時もあります。
その方が妥当だなと思うからです。
でも、それで仕事がまわり、
クライアントも満足し、
お客様も喜び、
世の中がちょっとでも良くなれば、
それでいいんじゃないかと今は思っています。
そう考えると非常に気楽というか、
変なプレッシャーというのが無くなった感じがして、
非常に精神的にも肉体的も楽になり、
非常にこのあたりの意識があいまいです。
アートとビジネスの狭間を行ったり来たりするからだと思いますが。
だからと言って、日頃のデザインのセンスや力を養わない、
ということでもありません。
必要な時に期待に応えられないようでは、プロではありません。
でもこういう考えって、
飲食関連等に代表されるようなサービス業と言われるものだったり、
みんな同じ考え方だと思うんですよね。
相手に対して最大限のサービスを行い、満足をしてもらう。
満足をしてもらうには自分には何ができるのか?
演出したり、根回ししたりしてスムーズに流してあげる。
もしくは情報自体を考えてあげる。
というようなサービスを行っている気がしますね。
これもあの番組のせい…、なのかな?
この日記も10年後の自分が見たら、
きっと恥ずかしいと思うのでしょうね。
あ、最後に、コミュニケーションスキルと対人術と会話術。
それと相手に対する思いやりと愛みたいなものと義理人情。
これが仕事で何よりも大事なものだと思いますわ。