はてなキーワード: もやもやとは
初めて人を好きになった.あと数年で30にもなると言うのに,初めて.
今までそういう機会に恵まれなかった.
と言うよりは,自分から作ろうとしなかったし,そういう機会を自分から避けてもいた.
たまたま,縁あってその人とはよく遊ぶ事があり,仕事の事,人生の事,恋愛の事などほかの友達に話さないようなことも話した.
その人のおかげでいろんな人と知り合う事も出来たし,私の友達も紹介する事ができた.
なんていうか,本当に友達の輪が広がって行く事を日々感じる事ができ,すごく楽しかった.
何度か一緒に旅行をしたりし(もちろん二人ではないが),その人の人柄を改めて見て、やっぱり好きなんだなぁと再認識した。
先日,やはり旅行に行った時の帰り道,二人になる事があったので,「好きです」と言ってみた.
相手は,私がそういう気持ちを持っている事に驚いていた.
返事は,後日頂くと言う事になった.
今はちょうどそのご返事待ちと言う状態である.
さて,タイトルの通り,「好きです」と言ってみたのですが,
この言葉,思ったより攻撃力が高く,思ったより影響範囲が大きい.
皆で仲が良かったところが,私の言葉によって,関係が変わりつつある(様に感じている).
普段,気さくに話しかけていたのに,流石にそういう感じにもならず,
何となくお互いで距離を置いている.
返事をもらうのは遅くなってもいいと言っているので,しばらく返事は来ない.
相手に対して,強い気持ちをぶつけるので,結果がYesであれNoであれ,二人の関係が変わる事は認識していたし,変化してしまう覚悟も決めていた。
ところが,友達関係まで影響が及ぶとはあまり考えていなかった。(なんでだろう。)
今考えると当たり前なんだけど,そこへの影響はかなり大きい.
色々事情があって,相手から返事をもらえるのはかなり遅くなると思う.
ただ,返事をもらっていないこの状況で,これだけ状況が変わる事を考えると,
うまく行くか,うまく行かないか分からないけど,いずれにせよ元の通り遊んだりできたらいいなって本気で思う.
ただ単に失いたくないんだなぁ….失ってしまうなら言わなければ…とかそういう感情なんだろう.
選んでもらえるならこれほど嬉しい事は無い.
どっちにしても,ちゃんと結果を受け入れる覚悟,周りの環境が変わってしまうかもしれないと言う覚悟をもっと固めようと思った.
しっかし、返事もらえるまでもやもやしてるのはつらいなぁ…wwwww
まあ、人気を競ってもしょうがないでしょう。
他の要素も必要です。
これから先は本気の勝負だ。みんなマジでいくぞ。これが成功したら我々は今まで折り合いをつけることの出来なかった機会達との対話とコミュニケーション、そして、
本当の自由とやすらかさと便利とこの豊かな時代の空気を享受三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店
赤いもやもやする線がついているな。警告文だ。ここから先は我々も対処を始める三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店三店さく
また赤いもやもやした線がついているな。別ま警告だ。まだやった方が良いと。機会も心へのあご彼があるからな。
アイ・アム・レジェンド この町から抜け出すには魔法使いを雇うしかない。それが彼だ。
受け容れる器が出来るためには時間かかるかも三点三点三店三転参天…遠い遠い空の星アンドロメダ盛運の天の光り…かもしれない三点三点三店三転参天…三点三点さん
書いてすっきりしたので仕事に戻れます。こんなことでもやもやした気持ちになって自分の時間がもったいないです。
お察しします。
もうちっと何でこんなことになったかを付け加えると、
①町山智浩氏が日本にいないため、対面のコミュニケーションで埋め合わせられる理解がない。
②twitterは論争向きでない。用意に誤解を生むし、話しあう項目をごく限らないといけない。そこですれ違いが起こると全く理解に達しない。
書いてすっきりしたので仕事に戻れます。こんなことでもやもやした気持ちになって自分の時間がもったいないです。
お察しします。
もうちっと何でこんなことになったかを付け加えると、
①町山智浩氏が日本にいないため、対面のコミュニケーションで埋め合わせられる理解がない。
②twitterは論争向きでない。用意に誤解を生むし、話しあう項目をごく限らないといけない。そこですれ違いが起こると全く理解に達しない。
>>書いてすっきりしたので仕事に戻れます。こんなことでもやもやした気持ちになって自分の時間がもったいないです。
お察しします。
もうちっと何でこんなことになったかを付け加えると、
①町山智浩氏が日本にいないため、対面のコミュニケーションで埋め合わせられる理解がない。
②twitterは論争向きでない。用意に誤解を生むし、話しあう項目をごく限らないといけない。そこですれ違いが起こると全く理解に達しない。
町山さんが気の毒なので、彼の考えを勝手な想像で解説してみます。
・ TBSは上杉さんの親でも何でもない。TBSが上杉さんの平野氏に対する発言によって訴訟リスクを負うことを避けたいと思うこと、そのために上杉さんの降板を申し出ることについて、町山さんは変だと思わない。(だから、町山さんや江川さんはこの件で訴訟リスクの話を出しています。「TBSは公共の電波をつかう放送局であるから町山さんの考えは誤りだ」と思う人もいるでしょうし、そういう異なる意見の人(たとえば常岡さん)がいることを変だとは町山さんは思っていないと思います。)
・ 「町山が言ったことは事実誤認だから訂正しろ」というなら事実誤認であることを明らかな形できちんと説明してほしい。(具体的には「上杉さんの取材を受けた誰かが平野さんが公金をネコババしたといったのか教えてほしい。」そのような発言をした人がだれかは町山さんは聞いていませんので、取材源の秘匿うんぬんは関係ありません。また、町山さんはいまのところはそのような発言の存在の証拠を出せとはいっていません。単に質問に答えてほしいといっています。)
・ もし明らかな事実誤認があれば町山さんは謝罪の上発言を訂正する。(仮にその資料が町山さんの目に触れようのない会員専用有料メルマガであっても。)
私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。
…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。
あまり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw
私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。
ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。
彼は、自分の境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)
なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。
ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSのアバターを女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。
そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。
それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。
けれどおかしくなってきたのはそのあとです。
ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。
彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメールを携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。
そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。
はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手に事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。
そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。
そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードのメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。
その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……
管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。
けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。
メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールがアドレス変更されて通じなくなっていたのです。
加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。
しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」
そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。
大体1か月くらいたったころですかね。
それも、恐ろしく普通の感じで。
「ちょっと忙しかったから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」
と番号付のメールが来ました。
ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからぬブラックリスト入り、突然のサークル脱退。
それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグのメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。
バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間でコロコロと内容の変わるメッセージやコメントがずらずらとならんだのです。
私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークルの世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。
そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。
「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分は存在する価値がないため、今日中に自殺します」
いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。
でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。
ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。
「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」
――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。
たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説を盗作扱いされ、世界観を馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。
その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。
でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。
何時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。
「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」
とのこと。
古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。
でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)
しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。
あと、
「謝ったら許してやっていい」
あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。
「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」
それらがあまりにばかばかしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、
「もうお互いのことは忘れよう」
とか
みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。
ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。
そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。
来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。
きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。
逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分の存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。
何かあると自殺をほのめかす。
自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。
などなど。
でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています。
なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。
彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。
ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)
そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。
これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターのアカウントないから。
具体的にはこういうの。
基本的には自分は乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、
そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。
kyamonohashiというひと?のツイート、
手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。
手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論教信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。
現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。
だから叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。
「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆
恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、
誰も助けてくれないのならば自分で自分を助けてやるしかないじゃないか。
っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。
うぜえだろうなあ。
「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。
一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。
えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴなフレーズじゃございませんか。
そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性が生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。
言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。
何なのかな。何なのでしょうかねこのテニスボールをネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。
ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?
何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。
なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。
いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金と選挙権は厳しい。
ツイッターもミクシーもフェイスブックもやってない真性ぼっちのワープア、しかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。
正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル。
でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。
どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。
追記:
さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。
昨日もやもやして眠れなかったけど考え抜いて分かった
私たち人間が日々誰かをdisり、disられ忘れ去られた過去の淘汰され弱者の存在の上に幸せがある
「一番の仕返しは幸せになること」という言葉は自分の中だけでそう思うならともかく
他人にそれを言った時点で
「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」という言葉と同質の
自分の今まで他人に行ってきた過去の仕打ちを棚に上げておきながら、他人にモラルを求める
恥を知らない言葉だと気づいた
あの人がクラスでいじめられていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
あの人がパラハラを受ける的になっていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
あの人が殴られていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
そうやって過去に誰かが代わりに犠牲になってくれたからこそ、幸せは壊されなかった
過去そして現在の弱者の犠牲の積み重ねの上に私たちの幸せは成り立っている
己の恥を知りつつそれでも「一番の仕返しは幸せになること」と言うのと
ただRTされた言葉が何となく良さげだから何も考えず、今まで他人に行ってきた過去の仕打ちを棚に上げて
「一番の仕返しは幸せになること」と笑顔で言うのではまったく違うし、言われる側にもそれは見透かされるだろう
無意識に他人にモラルを押し付けて優越感を感じたくてそう言ってる人と、励ましたいけど自分の頭で考えた言葉が無くて
http://diamond.jp/articles/-/15351
記事の内容と直接リンクしないけどこの記事読んでもやもやしたので。
自己PRを学生のセールスとし、企業が顧客であると位置づけるのはなんか違うような気がするんだ・・・。
いや、そうは言っても売り込みは必要だろ、とかセールスの一つもできないでどうするとか言うのはよくわかってて
別にセールスであるという一面を否定しようというわけじゃないんだけど。うまく言えない。
なんというか、採用側が消費者のような態度なのってどうなんやろ・・・。かといって恋愛や結婚に例えるのも嫌いだし。
いやまあ、そういう会社はどうせ潰れるだろうから気にしなくてもいいかもしれないのだけれど、
まず系列の会社を全部潰した後にようやく血を流し始めるため、「結果」を持って「やっぱりこのやり方ではダメなんだ」と気づいたときには遅い、らしい。
となると、今の時点で潰れてないから大丈夫、ということはなくて、自分の目で見てダメな会社は大企業であればあるほどダメなんだろうな。
故に、勉強以外については親に理解されなくて当たり前だ,くらいに考えていたほうがいい。
「親に自分のことを理解してもらいたい」という希望は、日本に限って言えば、子供は持たないほうがいい。そうしないと、辛い。
うちの親は収入面では中流の上の方だったと思うけれど、いろんな意味で教育は中流どまんなかって感じだったかな。
いざ勉強シーズンが始まると、どんだけ抵抗しても「勉強のために」という理由だけでやめさせられた。
その時から分かってはイタけれど、親は社会的に認知されたもの以外の価値を認識すること自体ができない。
これ自体を責めてみたところで意味が無い。親はそういう時代に生まれてきたのだから。
「子供にいろいろ習い事させるのは良い親」という社会的な尺度があったからだろう。
ところが、習い事に関しては、小学校高学年くらいからそういう社会的な尺度が消失する。
こうした分野で子供が成功したり、社会的に評価されることは稀である。
そう考えると、別に習い事をさせていても誰も褒めてくれないし、そのための負担は小さくないので続けるメリットが親にはない。
親自身も元から対して情熱を注いでいない。勉強の妨げになるのであればあっさりと切り捨てられる。
いや、実際には勉強の妨げになっていなくても、「自分がそう感じた」というだけで辞める理由になるのだ。
少なくとも、私は、姉が無条件でピアノをやめさせられたことに危機感を感じ、
折につけて「ピアノやってても勉強も頑張れるよ」とアピールをしていたがその時が来たらあっさりとやめさせられた。
最初から最後まで、そこに子供の都合は存在しない。交渉の余地すら無い。
(子供過ぎて、勉強も頑張る、程度しか交渉の手段を知らなかったということもあるが、外をまきこまない限りおそらく無理だっただろう。
そして外を巻き込んだら、多分親に恥をかかせたという罰で殴る蹴るの暴行を受けていたと思う。そうでなくてもよく殴られたしね)
子供は圧倒的な才能や成果を示さない限り、そこで潰される。
そして、これ自体も悪いことではないと思う。
実際、才能がないのに、変にしがみついていても、あんまりいいこと無い。
はやめに見切りをつけて、そのぶん自分にとってたのしいことややりたいことに力を向けるのはむしろ好ましいとさえ言えるかもしれない。
(まぁこれにしても、子供にそういう話をした上で判断させるべきところだとは思うのだが・・・難しいか)
よろしく無いのは、全部親の都合で、親が勝手に決めたことであり、親のわがままにすぎないのに、
なぜか親自身がそれを認識していないか、認めようとしないことである。
親は子供に何の説明もしない。謝罪とまではいわずとも、メカニズムを説明すべきなのにそうしない。
結果として、子供は「自分の意志でやりたいことを選べない」ということを学習する。
「がんばろうががんばるまいが、親が認めなければ自分の大切な物は維持できない」と学んでしまう。
高校生ぐらいのときにこういう仕打ちを受けたなら、まぁ自力救済の道を探っていただろうが
無力な小学生時代にこれをやられると、自分の無力をしみじみと受け入れるしか無い。
しかも、当時は今この記事で書いてるように、明確に親から受けた抑圧を言語化して把握できたわけではない。
無意識に刷り込まれるようにして教訓を植えつけられるので、抵抗しようもない。
むしろ、当時を振り返ると、1ヶ月ほど落ち込んだ後
「親は自分の為を思って勉強に集中させてくれたんだ」「私にピアノは無用だったのだ」と本気で思い込んでいたような記憶がある。
つまり「親の言ってることは自分のためであり、絶対的に正しい」という刷り込みが成立していたということになる。
実際小学校4年でピアノをやめさせられた後は、2年間ひたすら勉強ばかりしていた。
そんでちゃんと進学校に入って、それはそれで誇らしい気持ちになった。親には心から感謝したと思う。
実際にこの辺りまでは、親の言うことは間違いというわけじゃないのだ。ただ私の心を全く無視してるというだけであり、実際この当時の私は自分で考えて自分で決めるということがあまりできる子ではなかった。親が決めてくれたことに従うほうが楽だったし、必要だったと思う。
ただ、中学校に入ると、もうこれは露骨に問題にすれ違いが生じる。
私のような知恵遅れでも、このころになると自分の意思でいろいろ考えるようになる。
でも、まぁ上のような感じで、自分の意思でヤリたいと思ってもやれないという思い込みがあるから
もやもやしつつも勉強以外のことはあんまりできなかった。勉強か、漫画か、小説か、そんくらい。
親のほうでも、もう社会的に認められている価値尺度が勉強くらいしかない。
親はいつだって「社会的には親はどんな感じか」ってことだけ気を使っていて、一度も自分の頭を使って考えたことがない。
子供が何を望んでいるかに興味を持ち、それにどう答えるか、という形で考える訓練をしたことがない。
私が何の部活に入っているかも、私にはどういう友だちがいるのかも、
結局高校卒業するまで全然知らなかったくらいだから本当に我が子には全く興味がなかったのだと思う。
(ちなみにバスケ部な)
そういえば、友達は小学校4年の時に親に強制的に絶交させられてから作ったことがない。
中学2年の時にU君という友達がひとりいたけれど、遊びに行ったことも家に招いたこともなかったので
その内に、Uくんも、もっと親密に付き合ってくれる奴のグループに行ってしまった。
多分、自分がもうちょっと勇気を出して親に何か訴えれば事態は変わったのかもしれないが、
結局そのまま6年間過ごして、まぁそれなりにいいところの大学に受かったので、東京に逃げた。
欝で寝込んでるなう。コミュ力ゼロの私には、東京で友だちを作ることもできなかった。
多分もうチョットしたら冷静になれて自分の側にも問題があって、過去を嘆いてもしょうがないから
今からでも努力して何とかすべきって思えるようになるんだろうけれど、どうしても今の時点では親を恨む気持ちが強すぎて動けない。
相手は以前よく(というかしょっちゅう)行っていた居酒屋の店長だった。その店の閉店後、別のチェーン店の店長をやっていて、私もちょくちょく行っていたのだけれど、最近あまり行っていなかったのでイベントか何かのお誘いなのかと思ったら、違った。
総額は、会社に言わせると600万円程度、本人の意識では400万円程度らしい。それにしたってこの人がこの店の店長やってたのなんてせいぜい3年くらいのはずで、毎月毎月10万以上ちょろまかすというのはちょっとひどすぎる。電話でちょっと話して、「結局金を貸してほしいということか」と聞いたらそうだと言うのだけれど、さすがにこれは無理だ。お断りした。
被害者であるところのチェーン店の会社は、今のところ刑事告訴をするつもりはないらしい。それにしたって返済しなけりゃ訴えられるかもしれないし、悪いことをしたのだから刑務所入るのは仕方がないにしてもそれで返済しなくてよくなるわけでもない。当人の経歴を考えると、そう簡単に返せる額とも思えない。
それなりによく知っている人の人生が、今まさに、「詰み」に近い状態になろうとしているわけなのですが。
だからといってこの事情で、ぽんとお金を出して助ける気にもなれず(実のところ出して出せない額ではないのですが)。傍観するしかないのかなあ、と思うと、いろいろもやもやしています。
ちょっとぐぐって調べたところによると、この程度の額なら、返済の目処が立っていてそれが被害者にも認められていれば、告訴されても実刑はつかないことが多いようです。でも、刑務所入れば借金がチャラになるならともかく、実際はそうでないので、どう転んでも救いがないよなあ。
でも、はがないのほうがウマい。明らかにこっちのほうが技術がないと書けない。
はがないのメンバーは、「濃い」故に集団からはじき出されてる側の存在で、
自分を規定してくれる「外側」を必要としない。だから好きなだけ閉じこもれる。
マクロって言うほどのもんでもないけれど、スクールカーストを無視しても存在できる。
人付き合いは煩わしい、でも何者にも成れない、一人では生存できない、だから学校の柵にとらわれている、そんな中高生の憧れる身近な理想像だ。彼らは生存戦略が不要な強者なのだ。(友達いないと「いろいろと鬱陶しい」あたりの言及が、必死度の違いを露骨にしめしている)
友達を欲すること「さえ」ろくにできない。抑圧強すぎ。でもすげーよくわかるぞその気持ち。
なんでこれ夜空が主人公じゃないんだろうと思うくらいにぼっちものの主人公に最適だ。
この作品で本質的にぼっちなのも、部活を作ったのも、最も切実なのも夜空だけであって、
私は夜空にすごく共感するんだけれどぼっちの奴らがこれ読んで、夜空に嫌悪感を感じてるって構図がすごい皮肉になってる。
お前ら他人に対しては常人と同じ程度の想像力しかないんだなー、と苦笑したくなる。
いや、そこが売れてる理由なんだと思う。ホント。
むしろ、他人からみたら自分は嫌悪するべき存在だという自覚はあるだろう。
というか、自分自身、自分のことをこれでいいとは思ってないだろう。
本当の自分はこんなんじゃないんだ-という思いがまぁ小鷹やら星奈への擬似的な共感に繋がる。
星奈は特にアイドル要素を多く兼ね備えており、自分をごまかすには最適な感情移入対象だろう。
最終的には、夜空の嫌な部分を受け入れられない限り、読者はこの作品から卒業できないんだけどな。
ちなみに一番好きなキャラは理科さんです。というか理科と小鳩以外好きじゃない。
俺ガイルは直球だ。
ぼっちってのは基本的に「濃い」のではなく「薄い」。
故にキモい。何考えてんのか分からない。これが基本。こっちが多数派。
その本来のぼっちと、はがない型の「個性強すぎるゆえに集団から排除される」型のぼっちを並立させ、
間に普通の人間を挟むことで、ぼっちが「全体の中でどこにいるのか」が分かるようになっている。
マクロというほどもないが、学校という小さな社会を描くことさえ拒否するはがないとは違う。
というか、はがないは「特殊なぼっち」のなかに「普通のぼっち」を混ぜるという構図が不自然というかもう悪趣味すぎて、「君に届け」と同じくらい気持ち悪い。
俺ガイルが自然というわけではないけれど、まぁ共感できるのはこっちだ。どうしても。
俺ガイルの面白さだが、メインの主人公については「あるある大百科」でしかない。少なくとも私にとっては。作家ならではの端的な表現で自分が感じてたもやもやが言語化されてすっきりするってのはあるけれど、新鮮味は少ない。どっちかというと、「ぼっち」から、一般人を観察して、どう感じるかって描写部分が面白い。いや、それよりも「片方からのぼっち」が「もう片方のぼっち」に感じる感情の描写が興味深い。
無職の人間が、ノマドバンザイ、フリーランス最高っていってるやつに投げかける視線。共感と嫉妬、諦めと憧れが混じったような複雑な感情、これは経験がない部分なので素直に楽しい。
いわゆる「女叩き」に合うのも覚悟の上で、どうにもまとまらないもやもやを増田に吐き出したいと思う。
最近Facebookで中学・高校時代の友人たちとの旧交がみるみるうちに復活しつつある。
田舎なので同級生のほとんどは大学進学と同時に都会に出て行き、そのままそこで暮らしている。
残っている友人たちは、地方公務員になったとか、あるいは親の仕事を継いだとか、そういう人たちだ。
わたしは少し前にうつ病を患い、真っ当な社会生活を営めるようになるまでに相当の時間を要した。
今も万全ではなく、回復過程にいる。
最近ようやく、休みの日に外を出歩いて気分転換できるだけの気力と体力を取り戻したところだ。
それに伴い、地元に残っている旧い友達、あるいは社会人になってから新しくできた友達と、週末に食事をしたりしている。
その延長線上で、男からセックスを求められることの多さに、本当に辟易している。
真正面から攻められたこともあるし、「あわよくば」的に滑稽なまでに必死な姿を見せつけられて悲しくなったこともある。
食事をおごられてるわけでもなく、好色をアピールしているわけでもなく、ただ、他愛のない話をしているだけのはずだ。
わたしのことが好きなのか、という意味の探りを入れると、彼らはすっと身を引く。
つまり、わたしは彼らにとって「セックスできるかもしれない女」のひとりでしかなかったということで、その事実に大変に傷つく。
男女の友情とか固く信じているわけではないが、もう少し、「セックスするかさもなくば他人」みたいな両極に振れずにすむような、余裕のある付き合いはできないものなのか、と思う。
先日、弟の結婚式で上京した。
せっかくの機会なので東京在住の友人たちとも久々に会ったのだが、彼らはそのような下品ながっつき方はしておらず、それでいて楽しく和やかな時間を過ごすことができた。
これが普通だろうに、地元組は、どうしてこれができないのだろうか、と思う。
旧い友人を、風俗の代わりにしかできないような、そんな人生楽しいか?
と、人生観すら否定したくなる。
そのくらい、わたしはわたしにセックスを求めたがる男友達を嫌悪している。
学生時代に性に奔放だったとかそういうわけでもない。
友達は男女ともにたくさんいたが、彼氏がいる時期は少なかった。
誰か教えてほしい。
彼らは、なんでこんなに下品な大人になってしまったの?
もう、レズになりそう。
冗談抜きで。
住んでる場所によって根本的な人間性がさほど違うとは思ってない。
言われている通り、表現の仕方が違うだけのことだと思う。
でもその違いってわりと大事だ。
奥底で思ってるぶんには別にいいんだよ。そういうもんだと思うからさ。
というわけで、男がせっくすせっくす!な生き物なのはもちろん知ってるさ。
ただ大人になったらもうちょっと節度を持って行動しましょうね、って話なんだけど、自分の友人に意外とそれができない人が多いって事実に落胆してる。
同じ頻度で会う男友達がことごとくこんなんばっかりで、あれれ~?この人たち前からこんなんだったっけ???と当惑しておるわけです。
人の心や考えは複雑怪奇で理解不能、形を捉えること自体が無意味のような気もしますし、
どこかの誰かが同じようなことを何度も書いてるかも知れませんが、自分が経験したことを
私と彼女。その間にあった出来事と、それを通して私が気付いたこと。
付き合い自体は、どこにでもあるような普通の付き合い。
ただ、ことあるごとに文句を言われるのが気になってた。
不思議なのが、その文句の内容が私は身に覚えのない、むしろ彼女のほうが当てはまるような内容ばかりで、
メールやチャットのログを読み返しても、記憶をたどっても9割がたそのようなもの。
何度となく「それは君の方じゃない?」とツッコミを入れようとしたが、喧嘩になるので辞めておいた。
で、先日別れ話になったので、最後にと、「いつ、どこで、どのようなふうに私がそうしたのか?」と詳しく問い詰めてみた。
大人げないのは承知の上で。それで返ってきた答えは
そう思ってると思ってた
だった。彼女の思い込みで文句を言われ続けてたと言うことになる。
ここで謎が解けたような気がした。
他人が「こう思ってるに違いない」と思うことは誰しもある。
3ヶ月くらい一緒にいればその人の行動パターンや思考パターンはなんとなくわかってくる。
しかし対象となる人の言動と乖離した思い込みをどうしてしてしまうのか。
「思い込む」という動作は自分が行うことであり、その中の「他人の考え」は自分の思考パターンから発生すると思う。
「私ならこう思う」となるところが「あの人はこう思ってるに違いない」とすり替わるのではないか、と。
そしてその思い込みに対して文句を言う。
これはすなわち、他人を通して見えた自分の思考や行動に対して文句を言っていることになるのではないか。
他人の存在を除けば、そこには自分に対する嫌悪感が見えてくる。
私のケースでは理由があり、上述したように考えると納得しやすくなる。
彼女の父親は、いわば気分屋で、子供の頃から苦労してきたという話を聞いてきた。
ただ、その父親の性格の悪いところの話を聞くと、彼女自身も当てはまるように思えることが多々あった。
「親子は嫌でも似る」ということなのか、嫌いな父親に自然と似てきてしまった自分に対して
おそらく彼女も心か頭のどこかでそれに気付いているんだと思う。
気付いても気付きたくない、その心のもやもやがさらなる不満へつながったのかも知れない。
もしあなたが根拠もなく「あいつはこう思ってるに違いない」と思って誰かを嫌いになってるなら
もし少しでも身に覚えがあるなら、他人ではなく、自分自身の言動を観察してみて欲しい。
どこかにそんなセリフもありましたが、そうはなって欲しくない。
自分自身を嫌っている人が自分を好きなるのは、私では到底想像もつかないほど困難だろうとは思う。
でも私は、誰しもが自分自身を好きでいて欲しいと思う。そのほうが、幸せだろうから。
いろいろ書きましたが、私自身、人様のこと言えるタチじゃないですし、
このエントリーもまた私の"思い込み"でしかないかも知れません。
ま、増田ということで。
http://anond.hatelabo.jp/20111113112405
なるほど、なんとなくもやもやしてた所がすこしすっきりした。ありがとう。
一点だけ。
他者批判の場合は概ね結論がある(というかあらゆる批判は「故に、おまえは間違っている」が結論だろ
そういえなくもないかもしれないけど、私の中ではちょっと違う。
私が言ってる結論ってのは、読み手が納得できるカタチで提示されたもの、という意味で使ってる。
他者批判のほとんどは、結論じゃなくて動機に過ぎず、それを結論と混同しているために意味が分からない文章になる
みたいなことが言いたかったのだけれど、自分でもうまく説明できない。
こういうふうに自覚してる人には文句言わないんだけれど、真顔で間違ってる人がいると思うんだ。
それは嫌がらせされるわ、と納得さぜるをえない。
え、気持ちは分かるってだけでほんとに嫌がらせはしないよね?そんな隙があるから犯罪に遭うんだよ、みたいなノリかと思うんだが↑これじゃなんか非難めいてるように思った。
断り方が悪いっていってもようするに「俺が気に入らない」だけだし、一般常識からいって増田の対応に「嫌がらせされても文句は言えない」ほどの落ち度はないと思うけどなあ。あと、中にはそれが有効な相手もいたかもしれんけど、無理難題を公言するのが常に唯一かつ最善の断り方には思えない。よほど失礼な態度をとったならともかく、告白されたら断る相手の気持ちを考え、断るとしても納得させるだけの努力を増田(もしくは告白される側)だけに一方的に強要するのはおかしいと思う。もし「俺はお前の感情など気にせず告白するが、お前は俺の感情に配慮しろ。返事の仕方が気に入らなければ嫌がらせする」って理屈なら無茶苦茶だ。言い方が気に入らないから嫌がらせされてもしょうがないとかいう思考回路って逆恨みで一片の正当性もない悪だよ。それにいちいち書いてないけど振られても嫌がらせなんかしない普通の男もいただろうし(むしろ普通はそうじゃないかな)。
まあ、いろんな人がいる中でも増田はずっと断り方も接し方も工夫して、普通ならしなくてもいい面倒をこなしてきたんだろうな。美人が嫌なら整形すればいいとかああすれば良かったのにしなかったから悪いとかそんな断り方じゃダメ嫌がらせもやむなしみたいなこと平気で言われるんだもんな、そりゃあ告白なんてしてくれるな好意なんか寄せられたくもないと思うだろうよ。