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はてなキーワード: 若草物語とは

2023-08-11

バービー』の監督グレタ・ガーウィグって『ストーリー・オブ・マイライフ』の監督だったのか…

自分子供の頃に読んだ『若草物語』の続編で、『若草物語』では次女ジョーといい雰囲気だったお隣さんのローリー破局し、ローリーは四女エイミーと結婚するという展開だったので

NTRやんけー!と絶望に陥った映画の。

あれってほんと『若草問題』ではおてんばで頭の良い女の子のジョンと内向的で優しい男の子ローリーという、旧来のジェンダー感の逆をいく先進的で魅力的なカップルだったのに

しかもそれだけならまだしも、ジョーの方は父親ほども年の離れた年上の大学教授結婚し、良かったね跳ねっ返りのお転婆娘も良き妻の座に収まったよ!ってオチ

キモキモキモキモキモすぎるうぅぅ~!!

なにがフェミニズムだよマジふざけんな!宣伝詐欺にも程がある!と映画館で叫びたくなったやつ!

ローリー役のティモシー・シャラメが美しいイケメンで、尚更ジョーとの恋を期待して見に行ったらこんな仕打ちを受けるなんて。

主人公を同世代イケメン破局させて父親のようなジジイ押し付けて家庭に収めるエンディングの、一体何処が女性へのエンパワーメントなの!?

結局女の子は自立して強く生きるんじゃなくて年上の男性庇護されて籠の中の安寧を享受するのが幸せだっていう

時代的な反フェミニズムメッセージを感じる映画だった

……まぁそれは原作小説自体がそういうストーリーなんだけど、敢えてそういう作品原作とした映画監督を引き受けるって時点で

この監督フェミニズムや反家父長制への信念が表面的なおためごかしだってのが感じ取れる

ストーリー・オブ・マイライフ』はtwitterかどこかで、同時期に公開されてた『ハリエット』と比較され、

白人女の子が恋や職業選択に悩む時、黒人女の子は命や尊厳危険に脅かされていると語られていたのが印象に残っている

この監督はまさにその時感じたのと何一つ変わっていないホワイトフェミニストなんだと思う

2022-12-07

Choo Choo TRAINコラボしませんか!

若草物語なんてのもいいですね!

希望者はボンドのご用意をお願いします!

すぱっぷすっと景気よくいきましょう!

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2021-08-24

若草物語』、続編ではジョーローリーがくっつかないって今更知ってショックで

しかローリーエイミーと結婚してジョーはぽっと出のおっさん結婚するなんてめちゃくちゃショックで

昔の自分はその事を本当に知らなかったのか?と思って図書館で読んでみたら、やっぱりその事はあとがきにも書いてなかった…

『続』の方は見当たらなかったな

しかジョーローリーカップルって今見てもいいよな…最後の方のやり取りとか一生一緒にいるって言ってるようなものなのに

この二人がくっつかないの本当にショック

2021-08-13

時代アメリカ女性を描いた映画って事で『ストーリー・オブ・マイライフわたし若草物語』と『ハリエット』が比べられているのを見たけれど

うん、実話加算を置いておいてもこりゃ断然『ハリエット』の方がいいわ。

若草物語の方は所詮金銭的に恵まれお嬢様の贅沢にしか思えん…子供の頃は好きだったんだけどな…ていうかジョーローリーがくっつかなかったのを知ってめちゃくちゃショック

若草物語』、子供の頃に読んでいたけれど途中までしか読んでなかったらしい

ジョーローリー結婚しなかったって今更知ってショックを受ける

その上ジョーは続編で知り合った三十代後半の教授結婚するとかーうげええ

何だかなー、『あしながおじさん』もそうだけど、凄く年上のジジイとくっつく事が少女にとって成長とか自立みたいな書き方、正直気持ち悪いんだけど。

まああしながおじさん場合最初から伏線が引かれていたと言えばそうだしまだ納得するけれど

若草物語の方は気持ち悪いわーー

2021-06-19

anond:20210619185659

エヴァとかff7とか90年代流行ったコンテンツ再放送とかリメイクでずっと繰り返し続けてる。なんか日本の衰退と重なってると思わなくもない。

アメリカのが衰退してそう


アメリカ2019年映画年間興行収入ランキングコンテンツ(またはキャラクター)のデビュー

  1. アベンジャーズ/エンドゲーム1963年
  2. ライオン・キング1994年
  3. トイ・ストーリー4(1995年
  4. アナと雪の女王2(2013年アンデルセン童話雪の女王』 1844年)
  5. キャプテン・マーベル1940年
  6. スター・ウォーズ/スカイウォーカー夜明け(1977年
  7. スパイダーマン:ファー・フロムホーム1962年
  8. アラジン1992年、『アラジン魔法のランプ』 成立時期不明
  9. ジョーカー1940年
  10. IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。(1990年

アメリカ2020年映画年間興行収入ランキングコンテンツ(またはキャラクター)のデビュー

  1. バッドボーイズ フォーライフ1995年
  2. 1917 命をかけた伝令(2019年
  3. ソニック・ザ・ムービー1991年
  4. ジュマンジ/ネクストレベル1995年
  5. スター・ウォーズ/スカイウォーカー夜明け(1977年
  6. ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY(1992年
  7. ドクタードリトル1920年
  8. ストーリー・オブ・マイライフ/わたし若草物語1868年
  9. 透明人間1897年
  10. 野性の呼び声(1903年

2020-11-10

小学生女児が抱えてた本

散歩してたら、向こうから小学生女児が歩いてくるんです。

ちょっと大きめの、黄緑色の本を抱えて。

あれは「若草物語」あたりかなあと目星を付けたんですね。

図書館で借りたんだなあ、と思って。

で、すれ違うときに目に入ったタイトルは「徒然草」だったのね。

草だけはあってたw

2020-09-27

anond:20200926192302

若草物語OP

視聴者からクレーム殺到して差し替えられたって言ってる奴まだいるんだwww

普通に契約期間満了だから変わったんでしょ

2019-07-20

体罰って欧米制度だな

カトリックの話が好きだから、今カトリックアイルランド人小説読んでるんだけど、バンバン子供に鞭打つ。質問が多くてうざかったとか、聖書の〇〇を覚えていなかった、とか、カルトみたいな理由子供を時には血が出るまで鞭で叩きのめす。

少年時代エピソードを綴ったエッセイの中で、イギリスカトリック系の寄宿学校で、上級生のトーストを焦がすと先輩から鞭で叩かれる、っていうも話も昔読んだ。たしか若草物語末っ子も授業中にプラム食って鞭で叩かれてたな。大きな森の小さな家でも、鞭描写あった気がする。(後者2つは体罰よくないねって話だったけど)

カトリック絡みの話は好きだけど、カトリック自体は嫌い。貧乏で、田舎暮らしで、村社会で、神が全て!みたいな世界に住んでるんだなあと。子供を鞭で叩くとか頭おかしすぎるし、その上神父少年掘ってるんだからもう完全に邪教じゃん。

日本稚児制度とかあったけど、それよりよりよっぽど陰惨で歴史が長い。日本体罰がなかったわけじゃないだろうが、教育機関で平然とまかり通るような体罰描写を読んだことがない。想像つくのは、稽古での可愛がりと座禅組んでるときの棒ぐらいだけど、それも「修行」であって「教育」ではないし。「学校」で「授業中」鞭使うとか、ありえない。

中国体罰文化イメージないけど、子供尊重する文化儒教のおかげなんだろうか。目上尊重イメージしかないけど。

それとも白人さんが体罰大好きだっただけで、アジアン黒人が正常ってだけだろうか。

2019-05-27

anond:20190527111118

横だが、少女漫画の話じゃねえの?

進撃も鋼も少年漫画だろ。

外国風少女漫画つったらベルばらとかポーの一族(未読)とかそんなんやろ。

個人的には、あれが流行れたのは、欧米少女向け児童文学のお陰だと思う。

小公女若草物語、足長おじさん、ワイルダーシリーズ、まあちょっとベルばらら辺とは時代が離れるけど、ぼんやりとした西洋生活に対するイメージと憧れがあったから成り立ったんやろ。

確か日本少女文化について論じてるおっさんの本あったけど、海外には日本ほど少女文化ないらしいで。という意味日本独自少女漫画文化は特異過ぎて他所では受け入れ難いんちゃう

2018-11-08

うるせ~~~!! 知らね~~~!!

はてなー小中学生の頃、教室図書室の隅っこで本を読んでいた根暗野郎が多いので(私もそうである)、

子ども読書関係の話に首を突っ込みがちだが

今の現場常識については一切知らないし想像もできないのだなあと思ったので書いてみる


児童書萌え絵化論争について、いまさらだけど現役学校司書視点で考えてみた

https://nahdaan.hatenablog.com/entry/2018/11/06/210002


この記事内に

同じ「不思議の国のアリス」でも岩波少年文庫版はほぼ借りられないが、

可愛らしい今時の挿絵が入った角川版は人気、という話が書かれているが

これについて「意外」とか「知らなかった!」というリアクションが多いことに驚きだ

小学校休み時間図書室に足を運ぶような層は内容も装丁重厚ハードカバー小説

岩波少年文庫を意欲的に読みまくっている子ばかり、と思っている人が多いのだろう

(私も司書をする前はそのようなイメージを持っていた気もするがもう覚えていない)


休み時間に借りられる本は主に絵本、他には迷路クイズの本、昆虫図鑑、お弁当作りの本、動物の飼い方が書かれた本なども人気で、

文庫本ハードカバー小説を借りる子はほんの一部だ

熱心に図書室に通っているが9類(物語)の本をほとんど借りたことがない子も多い

中には「オレ今年は○冊借りたもんねー!」と貸し出し冊数を自慢したい一心で通い詰め

全然読んでねぇけど返すわwww」と堂々と未読返却宣言をする子もいる


また、本を借りる時間休み時間だけではない

授業時間中途半端に余ってしまって、担任先生

「よしっみんな今から図書室に行ってこい!最低1人1冊は借りてこいよ!」

と指示を出して図書室にやってくるというパターンがある

自発的に借りるのでなく、人に言われて借りに行くのである

大喜びで図書室に駆け込んでくる子もいれば、読書とかダリィわ……と意気消沈で来る子もいる

小学生学力は本当にピンキリなので

例えば同じ小学6年生でも

「ボクはお小遣いで買った東野圭吾小説を読むので……。小学校児童書はあまり惹かれません」

という子から漢字なんか読めない!小説の字小さすぎ!話が難しい!」と

その辺にあった『ねないこだれだ』を適当に借りて行く子までさまざまだ

去年、高学年に宮沢賢治短編からコメディ色が強い作品を紹介したらかなり食いついてくれたが、一番リアクションの大きかった子は文庫本を手に取って開いた際に字の小ささに驚愕して「よくわかんない」と本棚に戻してしまった

の子が借りてくれたが力及ばず無念であった


ジャケ買いならぬジャケ借りをする子もいる

ジャケ借りされがちな本と言えば、表紙がキラキラしているが中身には綺麗な挿絵ふりがな等がほとんどないデルトラクエストがその代表格だ

読めないなんて決めつけるなぁ!!子どもを見くびるんじゃない!!と思う人もいるだろうが事実なのでしょうがない


上学年になっても「つづく」を「つずく」と書き間違える、「~を」と書くべきところが「~お」になる、「ちゃ」「ちゅ」「ちょ」の区別がつかない、何なら自分名前も書き間違える


ジャケ借りをするのは主にそういった子たちだ

文字の読み書きは苦手だけどキラキラした本が引き出しに入っていて嬉しいから借りる

拾ったBB弾を持って帰るのと同じようなノリで本を借りて行く

決めつけではなく事実として読んでいないのだ


高学年が絵本を借りたり、ジャケ借りをしたり……、それが良いとか悪いとかいう話ではない

私立中学を出て有名大学を卒業した知的はてなー諸君にはとうてい理解できないであろうが国語が苦手な子(国語が苦手だが図書室に通う子)はあなたたちが考えているよりずっと多い、という話である


ついでに言うが図書室は静かで落ち着いた環境ではない


静かじゃない、と言っても

黒髪ロングの可憐女の子たちが

若草物語』や『モモ』や『赤毛のアン』を手に取り


ますみさん、この本とってもおすすめですわよ。今度読んでみて」


「まあ!増田先輩のおすすめする本なら間違いはないですわ。とっても楽しみです!」


「うふふ、楽しみにしていてちょうだい。あらますみさん、リボンが乱れていてよ」


などとひそひそと囁いて読書について語らう声が微かに聞こえる程度だろうとお考えかもしれないが

実際はこうである


「ああ”あ”あ”~~~~!!ウォーリーいたああ”あ”あ”ーーーーーー!!」


「ギョピイイイイイイーーーーー!!ぎゃばばばばばーーーーー!!きええええええーーーーーー!!!!」


辞書まんこって載ってるかなあっ!?見てみようぜえっ!まんこっ!wまんこっ!w」


「イイイイエエエエエエイ斉藤さんゲエエエエエム!!サエ!!から!!はじ!!まる!!リズ!!ムに!!合わ!!せて!!(バン!!バン!!バン!!バン!!)」


ウォーリー発見したことを大声で報告したり

図書館を鬼ごっこかくれんぼの中継地点にしたり

既に成人女性くらいの身長に成長した高学年の男子が数人集まってニタニタ辞書や保健体育関係の本をめくりごく普通に会話する時と同じ声量で「おっぱい」「まんこ」「オナニー」を連呼したり

机をどこかの部族のようにガンガンバンバン手のひらで叩きながら遊び始めたり……

(一応注意されたらその時は止めはする)(でも数日後にまたやる)


そんなの、めちゃくちゃに荒れている一部の学校だけ!と思うかもしれないが

他の学校司書の話を聞いていると別に普通、というかまだマシな方である


そういえば記事ブコメ司書より担任立場がずっと上であることについて触れている人がいたがそらそうだろうと

非正規であれば手取りは10万程度で学校での立場底辺

雑用だってする

春にはジャージ長靴を履いてプール掃除の手伝いをしたり参観日には受付に立って保護者対応をしたり遠足の引率について行ったりするのだ



まとめ

・数十年前から姿を変えていない古い本を借りる子はいない

小学校図書室は活字中毒オタクの巣ではない

司書先生はいつでも穏やかで優しいわけではない


夢が壊されたってなんだ。それより先に壊れているものがあるのではないだろうか

2018-05-21

anond:20180519214814

色々考えてたけど、連想の末に辿りついたナンジョー先生ジョー若草物語のジョオだと知って全部吹っ飛んだ

調べる機会をくれてサンキュー増田

2017-12-11

anond:20171211141205

government of the people,(人民政府)の説明が by the people,(人民による)なだけちゃうの?。

若草物語?のアニメ見た時に、それに続く文章の方が重要なようだ、と感じたような気はする。

改めて調べると shall not perish from the earth. 「地上から滅ぼされてはならない」だね。

南北戦争勝利する事の意義を民衆に訴えた言葉です。

2017-11-15

anond:20171115002317

砂糖黍の艶やかな皮をむいて、あの白い中身をしゃぶる甘味快味を、私は終生忘れないだろう。

――豊島与志雄「「自然」」

誰も誰も、食うためには、品も威も下げると思え。さまでにして、手に入れる餌食だ。突くとなれば会釈はない。骨までしゃぶるわ。

――泉鏡花紅玉

この飴細工と糝粉細工とが江戸時代形見といったような大道商人であったが、キャラメルドロップをしゃぶる現代の子ども達からだんだんに見捨てられて、東京市のまん中からは昔の姿を消して行くらしく、場末の町などで折りおりに見かける飴売りにも若い人は殆ど無い。

――岡本綺堂「半七捕物帳 54 唐人飴」

梅干布などというものもあって、これは島田で作っていただきますさらし木綿に梅干汁をひたして天日に乾かし、それを小さく切っていざという時しゃぶるのだそうです。

――宮本百合子「獄中への手紙 09 一九四二年(昭和十七年)」

蛇さん、ずいぶんのろまだなあ。おいらのしりでもしゃぶるがいい。

――楠山正雄「物のいわれ」

コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱い奴の汗を舐めるのは御免である

――押川春浪本州横断 癇癪徒歩旅行

私の母なんかも、昆布をしゃぶるには人後に落ちた事がない。

――直木三十五大阪を歩く」

あんこのついた指をしゃぶるものもある。鼻の頭へ黄豆粉をつけているものもある。上唇についた黒ごまと鼻汁とを一緒になめているものもある。

――長谷川時雨「旧聞日本橋 20 西川小りん」

「今ライムがはやっているの?」「ええ、みんなライム買うわ。メグさんだって、けちだと思われたくなかったら、きっと買うわ。そして、みんな教室で机のなかにかくしておいてしゃぶるの。」

――ルイーザ・メイ・オルコット「若草物語

人間は奪い取って来た生をたしなみながらしゃぶるけれども、ほどなくその生はまた尽きて行く。

――有島武郎「生まれいずる悩み」

ね、ほら、おもちゃがほしくば、この鼻の頭をしゃぶるといいよ。

――佐々木味津三「右門捕物帖 25 卒塔婆を祭った米びつ」

しかし、かわいそうに軽業の女たち、折助は逃げ去ったが今度はいっそう怖ろしい骨までしゃぶる獣、それの襲撃と聞いて歯の根が合わなくなりました。

――中里介山大菩薩峠 09 女子小人の巻」

2017-05-26

[]美内すずえガラスの仮面」1巻

若草物語のベスの気持ちがわからない・・・えっ降板!?

ってところまで

母親が毒っぽいかと思いきや実は心配してたりとかでなんか珍しいなって思った

少年少女マンガで、普通の親が出てきて現実的なこと言ってからんでくるってのがなんかすごく新鮮だった

ただいくらなんでも煮立ったお湯を他人ぶっかけるのはやりすぎだと思います・・・

助っ人ダンス少女マンガの絵柄パロまんまの絵柄だからなんかすごく新鮮

演劇チケットじゃなくて演劇の「切符」ってセリフだったところに時代を感じた

桜なんとかさんがマヤ演劇いくけどマヤ演劇かぶりついてせっかくのデートなのにまったく意に介されてなくてズーンってなってるのがなんか身につまされるようだった

あと物価が気になる

入学金27万ってあるけど当時の価格だとだいたい60万くらいかな?

マヤがやる公園おでんうるバイト、朝8時から夕方6時までで一日1500円って・・・

当時の物価にしても4000円ないってとんだブラックだわ・・・

ついでに物価調べたら連載開始の1976年って初任給8万とかで物価だいたい1/2だけど、映画は1300円で当時基準だとかなり高いんだね

閑話休題

縦ロールのライバルかわいい・・・マヤいじめるんじゃなくてちゃんとマヤを認めて警戒してるところがなんかほっとする

正統派って感じ

エースをねらえもこんな感じだったのかな?わからんけど

ライバルに意地悪するのってなんか苦手なんだよね・・・

後でカタルシスがあるにしても気分がよくない

(浦澤直樹のhappy主人公ライバルめっちゃ意地悪されてるのすげーいやだった

縦ロールお嬢様キャラってベタだけどすごくいいなあやっぱり

いまんとこ悪人らしい悪人がいないか安心して読める

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