はてなキーワード: 日本人学校とは
なにせ、今回の汚染水問題で「中国人が日本人学校に石を投げつけた」っていう、完全無欠の中国人によるヘイトクライム事件ですら「最初から大した排斥行動は起きていない」「中国は大人の国」とか擁護し、それに星をつけるなどして同調しまくるサヨクがいる。
(他の国の左翼なら、「中国人すべてを敵視てはいけない。しかしヘイトクライムは処罰せよ」と言うだろうが、ニッポンサヨクは「中国は大したことをしていない」と、加害者を擁護し、事件を矮小化してしまうのである)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742078134558720047/comment/xlc
日本社会を良くするためには、加害者の擁護を優先することを是とするニッポン・サヨクを攻撃し、改心させる必要がある。さあ、君も協力してくれ。
ちなみに、これは一般のサヨクだけでなく、彼らが支持する政治家も似たようなもんだということは追記しておく。
2010年の漁船衝突事件で、サヨク政権は、司法を蔑ろにして、中国人漁民を罪に問うことなく強制送還した。その理由は「APEC首脳会議に胡錦涛が来なくなる」というものだったことが判明している。
モリカケ問題も徹底追求すべきだと思った。安倍射殺で有耶無耶になっているが、今でもそう思っている。
トリチウムもWHOの飲料水基準を大幅に下回っている。トリチウム以外の放射性核種も、最近の調査で35%が安全基準値を下回っており、それから排出して行く。処理途上の汚染水がおよそ65%あるが、それらはALPSで再処理を続け、安全基準を下回ってから放出すると説明されている。
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/oceanrelease/
これを「汚染水放出」などと呼び大騒ぎするのはさすがに無明すぎるのではないか?
まして、中国の日本人学校に投石、投卵などの嫌がらせがあったことについて「日本が汚染水を放出したのが悪い」みたいな論調を見ると、全く支持できない。
北朝鮮のミサイル発射実験を理由に朝鮮学校に嫌がらせをする奴はクズだが、ミサイルよりも無害なアルプス処理水放出を理由に日本人学校に嫌がらせする奴もまたクズなのは間違いない。
同様に、北朝鮮のミサイル発射実験を理由に朝鮮学校に嫌がらせをする奴はクズだが、日本人全体がクズなのではないし、ミサイルよりも無害なアルプス処理水放出を理由に日本人学校に嫌がらせする奴や、海産物禁輸をする中国政府もまたクズだが、中国人全体がクズなのではない。にも関わらず中国人観光客や在日華人にヘイトを募らせる右の馬鹿どももまた醜悪だ。
中国のSNSと言えば断然WeChatだろう。もう完全にインフラ化しており、WeChatと身分証明書、銀行クレジット口座などの個人情報が接続されており、行政手続きからレストラン、公共交通機関、それから個人間など、あらゆる支払いがWeChat一つで完結してしまっている。故に普及率はほぼ100%なのではないだろうか。
表向きはテンセントという中国の巨大IT企業が開発、運営を行っている、となってはいるものの、ここまでの普及率や影響力を見れば国も大いに介入していると思われ、以前の行き過ぎた中国のゼロコロナ政策期間中は、政府に不利益を被るビデオなどが検閲対象となりアップロード後速攻で削除されていた。
WeChatには、Tiktokのようなショート動画共有機能(私は英語版を入れているのだが、「Channels」という機能)やLineのようなチャット機能が含まれているが、個人間でやりとりした中で送ったビデオや写真も検閲対象となり、友達から送られてきた写真が勝手に閲覧禁止となってしまったことに私の知り合いの中国人大学生が驚きをもって私に伝えてきた。
どんな写真だったかというと、中国のとある大学構内の壁に大きくペンキで「私たちは自由が欲しい」といった内容のメッセージが書かれたものだったそうだ。
私は親類に中国人がいるので、連絡を取り合うためにWeChatを入れているだけのライトユーザーなのだが、「Channels」に流れている動画を暇なときに適当に見たりしていた。
「Channels」には3つの画面(下記)に分かれており、左右にスワイプすることで切り替えられる。
それで今回、3つ目の「ランダム表示」が突然削除されてしまったことに気づいた。
私が一番よく閲覧したいたのがこのランダム表示動画だったのだが、アルゴリズム的にはたぶん下記のような感じ。
私は中国にかつて長く住んでいたことがあり、中国語もそれなりにできるので、動画に表示されるテロップなどを見て内容は理解できるのだが、日本ディスり動画は概して人気コンテンツと化し、コメント数が1万超えの動画はザラであった。
例えばどんな動画があったのかというと、
参考:
https://news.biglobe.ne.jp/international/0517/rec_230517_9581809912.html
原発処理水について公平な立場で解説する中国人の動画もあるのだが、好意的なコメントが寄せられてはいるものの、コメント数は100いかないくらい。
もちろん、楽しい動画やニュース動画なども出てくるのだが、こういった日本ディスり動画が挟まってくると気分はやっぱりよくはないものの、しかし、今現在の一般的な中国人の日本に対する考え方、偏見も含めて学ぶ機会というものは私にとっては貴重であった。
恐らく今回の台風の被害があまりにも酷く政府の対応に不満を持つ人々の動画が拡散するのを恐れ、削除するに至ったか、あるいは日本に関するもの以外にも、地域差別や偏見を助長する動画が多く、それを考慮しての削除だったのかと勝手に思っている。
海外で通っていた日本人学校の学芸会で、中学部が毎年演じていて、強く心に残っている。
日本人学校とは言え、1年で全員が入れ替わるわけではないから、キャストも被っているし、去年も見た内容なのに、なぜか毎年強く惹き付けられた。
自分も当然、中学生になったらあの芝居を演るんだと、どんな演出にしようか、どの役を演ろうかと、悩んでいたが、あっさり帰国が決まり、結局一度も演じることはなかった。
私の魂も、迷い、傷付き、絶望することを知りながら、それでも産まれてくることを、生きること選んだのだと。
生きることを、産まれることを選んだ「産まれて間もなく捨てられる未来」の魂の泣き声が、一度聴こえなくなったあと、助けられたのか再度聴こえだしたシーンが一番印象に残っている。
絶望的な人生を知らされた魂たちが、「それでも精いっぱい生きる」と宣言する。
私もそうやって、産まれおちて、生き延びることを決意したのだ。
全ての役を演じてみたい。ひとり芝居ではなく、誰かと作り上げる舞台の、かけあいの中で、全ての役を。
昔、日本人学校に通ってた際の、当時の親世代の態度や行為がトラウマ化してる。
小金持ち主婦達による夫の経歴マウント合戦。子供から慕われてた教師は、話し方に品がないという理由でクラス担任から追い出された。なおイケメン先生は親から大人気。子供の喧嘩を奪って当人そっちのけ。あと慶應出身とかいって親同士がつるんでるのも鼻についた。
一方で、夫が銀行家とか両親共に経営してますみたいなハイクラス層は、世間コミュニティを作らず人間社会の模範みたいな余裕をかましてた。その子供もまたしかり。用意された文化資本が端から違う。
社会の分断が良くないみたいに言われることもあるけど、分断されてお互い見えない方が個人は幸せなんじゃないかと思うようになった子供時代。寂しすぎ。
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。セミリンガルという概念がある事も初めて知った。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
私は都内の高校に通っている高校3年生です。正直大学受験がしんどすぎて死にそうです。私は日本人学校の帰国子女なのでAO入試で大学を受験しようと考えているのですが、いかんせん難しい!!ただただ学校の勉強をして、ちょこっと課外活動をしてきた人間が、急にAO入試で問題意識や高校生活でどんな取り組みをしたかを問われる。えっっこれ普段からいろんな活動できる金持ち有利すぎない!?私の脳みそがピーマンすぎるのか、学校生活を過ごしている中で社会問題について色々思うことはあるけど取り組んだりはしてない。そもそも授業は事実ベースだから問題を発見してもどういう活動をしろとか教えてくれない。
AOの塾に通ってるけどまじみんなレベル高すぎる。本当に高校生か??どんな素晴らしい先生に出会えたらそうなれるんだろうと心底羨ましくなる。多分AO入試も成績関係なく熱意を見るよ!!っていうのが売りだけど、結局はお金を持って塾に行ける人が勝つと思う。所詮金かこの世の中。受験に課金した者が勝つのね。でもAOで入った人って考えしっかりしてそうだから大学に入ってから戦力にはなりそう。大学からしたらばんばんざいだね。
てかAOやってたら普通にMARCHも難しい。てか一般でも絶対難しい。なんで日本MARCHばかにされてんの??十分すごいと思う。てか日本の56%しか大学行かないんだから私も大学行きたくない。けど周りはみんないってるし、いかないと給料も良くないからできるかぎり高い大学にいきたい…。なんかもう社会の大学に行く=すばらしい・当たり前みたいなところ嫌すぎる。てか学歴社会がむり。文明今のままで縄文時代もどりません??
駄々っ子みたいになってるけど、AO入試の対策普通の学校でもやってほしい。ていうかもっと学生にタメになること教えてくれ。嫌いな人との関わり方とか。
なんだろうか。
今ではどうなっているかわからないけど、私が通っていた当時は、日本から赴任してくる先生の任期は3,4年と決まっていたし、学校に通う生徒児童も、親の仕事の都合で、やはり3,4年長くても5年ぐらいで日本へ帰国する人が多かった。
その日本人学校は小中一貫校だったが、自分が中学卒業する時には、私が入学した時のことを知る人もいなければ、校舎が変わったことを知っている先生も生徒もいなかった。
私はいつも迎える側であり、見送る側だった。
3,4年、短い人だと半年
毎年新しい子がくるということも無く、学年で生徒が2人だけだったりすることもある。
そんな環境で育った私は『トモダチ』ってものがよくわからない。
そのシステムがよくわかってなかった頃は、「日本に帰ったら手紙送るね!」「また日本で会おうね!」「離れても友達だからね!」なんていって空港で涙し見送って、手紙のやり取りも何通かしたものだったけど…
小学校卒業の前には、もう「トモダチってもんは3,4年の期間限定もの」と思うようになってた。
そんな事を内心思っていたからか、群れから逸脱してしまって、ごく少人数なのにも関わらず、いぢめ的なものを受けたりもした。
(そもそも企業関係者の子供ではないし、全員が純日本人の中で1人ハーフだった。って事もあったからなのか)
20歳をむかえて、私も日本に住むことになり、細ーーーく繋がっていた何人かと数年に渡って何回か集まって同窓会のような事をしたりもしたけど、小中学生の時の思い出なんか、高校、大学の思い出に勝るわけもなく。次第にその会も開かれなくなり、今では連絡先も知らない。
SNSの登場で、繋がった人もいるけど…
別にやり取りするわけでもないし、いいねがくるわけでもない。(私からもしないし)
正直なところ「この人らはなんで友達申請してきんだ???薄ら寒いな。」と思ったりしてしまってる。
かといって、友達申請受けないのもどうかと思うし、外すのもどうなんだ?って思うから、顔本は放置だ。
親や人に言わせると、友達だったんだから私が積極的に絡みに行けばいい。と言う。
ふむ。では、友達だったんだから向こうから絡みに来たっていいのでは?
つまるところ
トモダチと呼べる人とはどんな人かもわからずいる。
仕事でこの春からイギリスに住み始めた。8歳の娘は家の近くの公立校に転入した。日本人学校も補習校もない地域なので。
噂に聞いてたけど、小学校は全体的にゆるくていい加減。でも彼女にはそれが合ったようで、まだ英語もわかっていない様子なのに、友達がたくさんできてなにやらずいぶん楽しんでいる。日本では引っ込み思案で新しいことには慎重だし、何にでも消極的に取り組むように見えた。失敗すること、間違えることをとても嫌っていて、失敗するくらいなら初めからやりたくないとよく泣いていた。
それがイギリスでは、英語もわからないのに二泊三日の林間学校に参加して思いっきり楽しみ、また行きたいと言う。先日は地区の運動会的なイベントがあって(練習は前々日に一回あっただけ)、そこでも参加した種目で入賞。おお、やる気に満ちている。
聞くと、イギリスの学校はゆるくていい加減なのがいいそうだ。いい加減に取り組む子もいるし、頑張る子もいるけど、人それぞれ。基本的にいい加減なので、失敗しても咎められないし、わからないことばかりだけどみんな助けてくれると。
確かにこちらの子供達は優しい。転校初日、英語もわからないし泣いてるかもとドキドキしながら迎えに行ったら、クラスの子供たちが私の周りに寄ってきて、「今日、とてもがんばってたよ」「She was brilliant today!」と声をかけてくれた。みんな褒め上手。きっと先生や親御さんたちにもいつもそうやって褒められているんだね。(娘は泣いてもいず、先生にケーキもらった!ケーキ甘すぎて美味しくない!と話していた。その日は誰かのお誕生日だったらしい。)
日本の小学校では、運動会や学芸会は数ヶ月前からクラス全体で練習して当日を迎える。練習していれば失敗も少ないし自信もつくのかもしれないけれど、当日失敗した時のダメージも大きい。練習は失敗しないことが目的だから。失敗は恥ずかしい。周りの子にも迷惑をかける。うちの子はそういうのが嫌だったのかもしれない。
社会人になってからめっきり字を書く機会が減ってしまったから忘れていたんだけど、子供の頃私は糸偏が綺麗に書けなかった。
仕事上なにかを書くときはアルファベットなことが多くて、丁寧に字を書くことなんて滅多にないから忘れていた。さっき珍しく部署内の人への書き置きを書いていて思い出した。
小学生の頃、フランスの日本人学校に通っていた時期があった。駐在年数の長い子が多い学年で、みんな少し日本語がおかしかった。いろんな地域の方言や、英語、仏語、独語の単語が滅茶苦茶に混ざったニホンゴで会話していた。珍しく出入り(転入や帰国)の少ない学年だったこともあって、とにかく言語への頓着が薄かったんだと思う。
「書き」に関しても同じで、綺麗に文字を書こうという意識が、少なくとも私にはあまりなかった。高学年になれば「日本にいた頃習字教室に通っていました」というような子がひとりふたりいたんだろうけど、残念ながら低学年のクラスには母国でスキルを蓄積している子はいなかった。両親がこどもちゃれんじと青い鳥文庫を根気強く与えてくれなかったらどうなっていたんだろうと思うとゾッとする…高かっただろうにありがとう。まだ英語の和訳みたいな文章書いちゃうけど、なんとかなってるよ。
小2の春だったかな、そんな学年に日本から転校生がやってきた。訛りのない標準語を話す、おっとりした女の子だった。口数の少ないおとなしい子だったけど、私たちにとって彼女は台風みたいな革命児だった。
彼女は私たちに「日本」をたくさん持ち込んでくれた。まず、たまごっち。誰かの誕生日パーティーの席で耳慣れない電子音にざわつく私たちの前で、彼女は恥ずかしそうに「ごめん、私のたまごっち…」とポシェットから小さなおもちゃを取り出した。衝撃だった。彼女がそれを操作するのを、みんなで息を潜めて凝視した。平城京でスマホをいじったらあんな感じの視線を浴びると思う。彼女もまさか同い年の子供がたまごっちを知らないとは思いもしなかったみたいで、徐々に衝撃から解放された同級生たちから質問攻めにされて目を丸くしていた。その日から彼女のたまごっちは学年中(2クラス35人くらいだったかな)の関心の的で、毎朝進化したか、おやじっちは来たか、何か変わったことはなかったかと聞かれていた。私は彼女と同じ通学バスだったので、朝家まで迎えに行くついでに、玄関で見せてもらっていた。いま思うとまじでうざいな。
次に衝撃的だったのが、あたしンち。海外で生活する子供にとって、日本の漫画はとてつもなく貴重だった。小説は日本語の発達を懸念した親に買ってもらえるけど、漫画はなかなか入手できなかった。誕生日や、一時帰国中に買ってもらった子はヒーローだった。数少ない母国の娯楽なので、家にある漫画は片っ端から共有した。ガッシュ、コロッケ、NANA、GALS!、犬夜叉、コナン、ボーボボ、神風怪盗ジャンヌ、ケシカスくん、フルバ、ナルト、もうとにかくなんでも読んだ。
でも所詮小学生、不条理ギャグ漫画とマセた少女漫画とファンタジーバトル漫画しかなかった私たちのラインナップに、彼女のお母様が好きだという「あたしンち」が加わった。
ただの日常漫画だけど、それが私たちには衝撃だった。なんせ、知らないのだ、日常を。スーパーのタイムセールも、放課後の買い食いも、制服も給食も、私たちにとっては未知の世界の常識だった。おしゃれな少女漫画じゃ描写されない日常ネタは最高のエンターテイメントだった。ディスカバリーチャンネルでも見てるみたいだった。
レモン石鹸、ミックスベジタブル、二枚組のトイレットペーパーなんて概念は完全にあたしンちから学んだ。お子さんを連れて海外赴任されるご予定のある親御さんは、日常系漫画やアニメにすぐアクセスできる環境を整えておくといいと思う。本当にどんな教科書よりためになった。
最後、本筋からだいぶ逸れちゃったけどこれが一番書きたかったことで、彼女は硬筆の書写がとても上手だった。小学校入学前から教室に通っていたらしい。
先述の通り「綺麗な文字」という概念がすっぽ抜けてた子供だったので、彼女の漢字練習帳はあまりにも衝撃だった。で、「組」だったか「紙」だったか忘れたけど、びっしり並んだ完璧な糸偏を見たときに彼女への憧れがMAXになった。大人みたいな字を、同い年の子が書けるんだ!すごい!かっこいい!私も書きたい!それと同時に、もしかして日本を離れている私は母国の子供に比べて知識や技能に遅れを取っているんじゃないかと不安にもなった。その日家に帰って最初に両親にその目標を伝えて、大喜びの2人に日本スーパーで小さな漢字ドリルを買ってもらった。糸偏だけじゃなく、苦手だった「女」も「海」も「方」も「子」もたくさん練習した。
日本語を書くことに抵抗がなくなったのはあれがきっかけだったと思う。周りの同級生も彼女の綺麗な書き文字やオーソドックスな標準語に感化されて、国語学習に意欲的になった。本当に、彼女は私たちに大きな革命を起こしてくれたんだ。
他にもナルミヤの子供服とかプロフィールシートとか、転校生ちゃんが私たちに教えてくれたものはたくさんあったんだけど、どれもあの日本人学校っていう特殊なコミュニティにいた私たちには衝撃だった。これが生まれたのが全部自分の母国なんだって思うとゾクゾクした。いつか帰るのが堪らなく楽しみになった。そんな8歳の思い出である。
………なんてことを、久しぶりにペンで丁寧に文字を書きながら走馬灯のように思い出していた。細田さん、締切日変更の連絡がありました。お席にお戻り次第メールボックスをご確認ください。
たくさんの反応をいただいて驚きました。訥々と昔語りをしてしまって今更ながら恥ずかしいです。目を留めてくださってありがとうございました。
以下、だらだらと長い蛇足になります。まとめるのが下手でごめんなさい。
・日本人学校について
紛らわしい書き方をしてしまってすみません。ひと学年ふたクラス、合計して35人弱でした。正確な人数は覚えていません…というか、何ヶ月かに一度は転校生の出入りがあるので常に変動的でした。日本人学校の規模としては大きい方なのではないかと思います。
これは余談なのですが、フランスの日本人学校はかなり郊外にありまして、在籍する小学1年生から中学3年生までのほぼ全員がスクールバスで通学していました。大型バスで、人数の多い地域は複数台。あんなに大きな国なのに日本人学校は一校しかなくて、かなり遠くから通っている子もいました。渋滞で遅れて3限目にやっと到着、なんてのはしょっちゅうだったように記憶しています。
これは後に両親から聞かされた話なのですが、「自分の国の学校があるんだからうちに来なくてもいいでしょう」と日本人の編入を拒否する現地校が多かったようです。生徒数が多かった理由のひとつかもしれません。
・漫画について
漫画は片道1時間以上の通学バスの中で読みました。先述の通り乗車している児童生徒の年齢幅が広いので、有象無象のジャンルが飛び交います。…飛び交うというのは言葉通りで、読了後は座席に膝立ちをして、「愛してるぜベイベ2巻読みたい人!」と叫ぶとどこかの座席から返事とともに頭がひょっこり出てきて、その子目掛けて投げる、という方法で漫画の貸し借りをしていたんです。自分のものですらない漫画を。今思うと血の気が引きます。子供とはいえ酷い扱い方…猛省です。何十人規模での読み回しに耐えた漫画は手元に戻ってくるときにはボロボロでした。高学年の男の子たちはアドバンスでパワプロやってたなあ。
私が渡仏していたのは2001年頃から2005年頃までなので、その間もしくは以前の漫画は幅広く読みました。素敵な体験でした。
・現地での生活について
日本人学校に通っていると、現地の子供と接する機会はほぼありません。現地の習い事等に通っていれば別かもしれませんが…。地元のサッカーチームや水泳クラブに入っている子もいたような気がします。フランス語の授業もありましたが、あくまで第二外国語的扱いで、あまり熱心な内容ではありませんでした。
まさしく、私のヒーロー(ヒロイン)です。近所だったこともあってとても仲良くしてもらいました。私が先にフランスを離れてしまい、年賀状のやり取り程度はしていましたが、いつの間にか疎遠になってしまいました。当時の友人たちとはSNSで繋がって十数年ぶりに再会して飲みに行ったりすることもありますが、残念ながら彼女の話は聞いたことがありません。元気にしているといいな。
・不肖、私自身のことについて
渡仏前後に別の国で生活をしましたが、それぞれ現地校へ通う機会に恵まれたので日本人学校で過ごしたのはフランスだけでした。あの日々がなければミックスベジタブルどころか起立、気をつけ、礼すら慣れない状態で帰国していたことになります。本当にありがたいことです。親からもこどもちゃれんじからも漫画からも学ぶことのできない日本独自の学校文化、たくさんありますよ…前へならえとか体操隊形に開けとか…。逆上がりや二重跳び、跳び箱なんかは日本人学校の体育でできるようになっておいて心底よかったと思います。
それなりの年齢で帰国して普通に大学まで卒業させてもらい、今はメーカーで海外営業をしています。いろんな国に住んだし、仕事で海外へ渡る機会も多いですが、私には日本が一番合っていると感じています。
・細田さんの締め切りについて
半数がそこに集中してるわけないだろ…
補習校しかない地域=補習校が成り立つ程度に日本人の子女がいるが、日本人学校は存在しない、って事だから
勿論補習校さえない地域も多いが
あと日本人学校があってもそこに入れたがらない親も多い
日本で塾通わせるほどの教育は期待出来ないし英語も覚えず、では帰国後の受験への不安が残るからね
そもそも子供が大きくなってからの海外赴任自体「子供の英語教育の為に希望した」って親も多いからね