はてなキーワード: NETFliXとは
視聴確定
・慎重勇者 2話まで見た 期待3
・ぼく勉 慣れてきた 期待5
・Dr.STONE 期待5
見るのかなコレ
・アズルレーン 1話まで見た 期待2 艦これは1話もみてない
・俺を好きなのはお前だけかよ 1話まで見た 期待2
耐久
見なきゃなーめんどくさいなー
・食戟のソーマ 好きなんどけど前期が途中で止まってるんだ 期待4
・PSYCHO-PASS 1期1話しか見てない 見なきゃ
・ノー・ガンズ・ライフ
・厨病激発ボーイ ※確認済
・魔入りました 入間くん
所感:
たぶん「私、能力は平均値でって言ったよね!」が個人的トップになる気がする
今月はクソ忙しすぎて全然チェックできてない
____
「のうきん」はかなりアニオリらしいね
原作厨がややキレてる
個人的には面白いけど流石に原作有りにパロネタ突っ込むのはいかがかと思う(原作もパロあるらしいからどこがアニオリなのか判断できないが)
(てか寒いパロでも無いと薄味すぎる気も)
前半の話素っ飛んでるのは漫画構成に合わせてるんじゃない?回想すると思う。
何かえんどろ〜!難民救済しそう
無限の住人 2話まで見た 思ったよりは頑張ってたけど、セリフカットしすぎ
こっちは俺が原作厨になってる 見るけど
けものみち 2話でこのすば臭が出てきて良い感じ
何系なんだろと思ったが、割と異世界でちゃんと?生計立てるタイプの話かな
ゲームだとよくあるよね
シグレが大人しいから可愛い、アクア枠と思いきや主人公の方がネジ外れてるからツッコミ役になってる気が
司書、原作勢とアニメ勢から別の理由で評判良くないけど個人的には高評価
皆厳しくね?
ニコ動のコメントで「これ原作長いよね」「NHKでやれ」「初期は主人公クズ」とかあって系統把握できたのがよかった
ぼく勉
1期はラブコメだと思ってイラついて見てたけど、違うこれはギャグだ
PV見たがオレンジか、オレンジ趣味が偏ってない?宝石の国はハマったけど
Netflix入らなきゃなーと思うんだけど自分向きじゃないのばっかで入りづらい
ノー・ガンズ・ライフ
___
俺を好きなのはお前だけかよ 2話からかなり面白くなってきた
こういうの見ると真面目に、KADOKAWA財閥は解体されるべきなんじゃないかね。
それが嫌なら全体的に変革しないと、今は良くてもTVアニメから次の表現媒体に移行できなくなるとか、グローバリズムの更なる推進なんかが起きるとガチで完全に老害化するんじゃないかと思う……
まだ今はIPを保持してれば良い時代だろうけど、もう10年も技術とノウハウの蓄積が溜まれば、同人アニメが商業レベルに追いつくなりVRアバターが普通の時代になったり等、キャラを民間で自給自足できるようになり、その内どこかでIP自体の価値が急減するラインが生じると自分は思ってる。
そうなると日本のPC業界(旧)大手みたく業績悪化で、良くてコンテンツ系部門の形骸化や売却なり消滅、ただの出版専門社に逆戻り。復活が事実上困難になる。
そうでなくとも翻訳技術の発達で大まかにでもニュアンスや文脈レベルの自動翻訳が可能になれば、海外資本が映画だけでなく日本アニメにも攻勢をかけれるようになり、他国発祥のアニメが日本でもリアルタイムで視聴できる時代が来る。
今でもNetflixがオリジナルアニメを作ってるが、そういうのがどこかしこで作られては即座に日本語で観れるわけだ。そうなると日本の先進的ないし独自の要素がiPhoneみたく、バージョンアップされ普遍化させられる事になる可能性が高い。
けもフレ的な大人気アニメが海外で受けた要素を分析され、絵的にも高クオリティ化し、それがPPAPと同等以上に全世界の常識と化すわけだ。
動画サイトに目を付けてカドカワを作ったみたく外部から取り込み続ければ時代に付いていくのは可能だが、どちらにせよイニシアチブを取るのは難しくなるだろう。
どれだけ資本を投じようが、内部統制も粗末でクリエーターの価値を見誤るようでは今以上の成長は望めない。内外の害悪に無駄金を吸われるとか論外。
下手すると今後も似たような問題を繰り返し、コンテンツ業界の害悪として歴史に名を刻む事となりかねないし、そうなると日本の政界や経済界全体からも下位に見られるかもしれんな……既に見られてるかもだが。少なくとも自浄作用が働いて全体的なヒト/モノの質が高まらない限り、政治も経済も経営も頭打ちになりやすい。腐り続ける木が今以上に大きくなる事はない。
何にせよ、そうなると新しい企業に今の座を取って奪われるわけだ。すぐではなくとも。
Netflixで配信され始めたから見て見たんだけど、……どうなのかなぁ、そんな絶賛する程?
「あーあれはこういうことなのね」がたくさんあったからってそんな面白いのかなぁ?
・「ハードル上げすぎ」について
ハードルが高くたって面白い映画はたくさんある。普通に名作・傑作と呼ばれる映画は概ね大体そう。
映画をぼーっと見てる側にとっては何それ?でしかない。撮るのが大変なことはわかるし、この映画の肝でもあるが、面白さとは関係ない。
もし仮に何の失敗もなくスムーズに長回しワンカットが撮れてたら(※実際は仕込まれた失敗なわけだが)実につまらない映画でもあるのだから、面白さとは無関係である。
観る方にとっては、制作費100億円だろうと100万円だろうと関係ない。莫大な予算でつまらないものもあるし低予算でも面白いものがあることは知ってる。だからそんなの関係ない。
やっぱりそうなんだーと思っただけ。だけど、事前情報がほぼない状態で見ると面白かったんだろうなとは思わなくもない。最近それで面白いなと思ったのは米アカデミー賞脚本賞を取っている『ゲット・アウト』。間違ってサムネクリックしてしまったんだけど、そのまま見てたらめっちゃ面白かった。映画ジャンルすら知らずに、脚本賞すら知らなかったからかな。まーそういうこともあるんだろうね。
20年間生きてきて、好きなことはないし、得意なことも忘れた。
小さい頃は親にも先生にも「周りを幸せにする子だ」って言われて、「じゃあ自分は?」って思ってた。
①国はどこを選んだ方がいいか
周りは「毎年家族で<高級リゾート地の名前>に行きます」とか「バイト代で韓国行ってきた」とかやってるのに。
自分は?少ないバイト代を貯金してまで行こうとした?行ってないよね。行く気もないよね。疲れるし。
だから他の人の「ここの国がいいよ」っていうのを聞きたい。この前はてブで上がってたフィリピンについての記事は滅茶苦茶面白かった。
日本ドラマより海外ドラマが好きで、受験生なのに、Netflixでブレイキングバッドとそのスピンオフを繰り返し見てた。
でも、「今日は日本語吹き替え&英語字幕で~」とかその逆とか。英語で聞いて理解しようとはしなかったね。
その甲斐あってかリスニングだけはほぼ満点取れるようになったけど(TOEICとかじゃなくて)長文読解とかが駄目駄目だったね。
馬鹿じゃないの?
③結論
比較的少ないコストと楽に海外移住できたらいいな~と思ってます。
馬鹿ですね。
攻撃するつもりは全くないので誤解してほしくないけれど、単に暇を持て余してしまい、余計なことを思いつき過ぎているだけのように読めた。
とりあえずNetflixに加入するとか、何かしてみては?
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。
『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたとき、マジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネな意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。
『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノが監督した作品が、ドラマの1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。
なんてことをメモしていたら、タランティーノに子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二に子供が生まれたり、タランティーノに子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。
といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。
というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプなフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい。
書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたとき、ある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノがドラマシリーズを制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノが劇場用長編映画をデジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。
タランティーノがつくるNetflixのドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言が最近あった。自身の監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダ、アルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストーリーについての妄想を語っていた。
①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合のストーリーになるだろう。
②ビルはいかにして巨悪となったか。エステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔的人物のオリジンを描く物語。
③ハンス・ランダはナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件を解決してゆく物語。
④アルド・レインは戦後どうなったか。教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。
なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分の作品世界を相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノ・バース」だ。もちろんタランティーノの世界がMCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストーリーはすでにコミック化されていることだし、劇場用映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセント・ヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。
で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。
話を元に戻そう。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画、タイトルからしてこの有り様なものだから、映画監督クエンティン・タランティーノのいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスターや予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神(タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からはほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。
タランティーノは、過去の映画や音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分の映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかにタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングなものとして消費された文化の「エキサイティングな感覚」自体をそのまま現在に再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノの映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』からは郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端。
「俗悪コンテンツの温床」って、褒め言葉です。そういうの大好きだから。
『全裸監督』絡みでポリコレ界隈から「どうしちゃったのNetflix?」みたいな反応があるのにびっくりするわけですよ。
『ブラック・ミラー』や『13の理由』みたいな、これまで評判のよかったNetflix発オリジナルコンテンツも、相当ドギツい内容だったけどなあ。『ブラック・ミラー』なんかは特に、上手いことエクスキューズはつけているものの、ポリコレ的にスレスレのところを攻めたりもしてる。ファーストエピソードからして獣姦ネタだったりするわけで。
日本の作品にしても、『DEVILMAN crybaby』があったじゃないですか。
エロ・グロ・バイオレンスを中心にした、金のかかった俗悪コンテンツのたまり場。それが私に見えるNetflixの風景なので、「どうしちゃったの?」って、どうかしてるのはアンタの目と耳だよとしか思えない。