はてなキーワード: 関東とは
視聴率がリアルタイムで見られるのが面白いから、暇があったらちょいちょい眺めてた。
なお、俺が住んでるのは関西なので、基本的には関西の視聴率を基準に語るから、そこんとこはよろしく。
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・全局の視聴率を合算すると、関東より関西の方が数%程度は視聴率が高い。
・現状のテレビで最強コンテンツはニュース番組。NHKニュースは視聴率が安定して高いし、報道ステーションは10%越えが当たり前のバケモノ番組だった。
・ゴールデンタイムは全局を合計すれば、35~40%くらいはあり、なんだかんだでテレビを見る人はまだまだ多い。
・俺の好きな「水曜日のダウンタウン」は思いの外低かった(5~6%くらい)。報道ステーションはもちろんFNS歌謡祭にも負けてる。今週はテーマがつまらんかったからか、特番のFNS歌謡祭が強かったからか。
・大阪ほんわかテレビなど、関西ローカル番組は関西ではかなり強い。
・テレ東系は基本的に視聴率がメチャクチャ低い。ただし「なんでも鑑定団」だけはテレ東系としては高い。
・サザエさんは10%を切るか切らないかくらいのレベルの視聴率となっており、時間によっては「真相報道バンキシャ」に負けてるときもある。
・ドラマの再放送は視聴率が低い。昼間はワイドショーばっかりになったのも、まあそうなるかって感じではある。
床と窓際からの冷気が身体を芯から冷やすため、暖房や厚着をしなければ過ごせない
一方で4年ほど住んでいた北海道では真冬でも半袖で快適に過ごせた
もちろん北海道は室内をガンガン暖める仕様故ではあるけど、それでも関東の室内は北海道より寒さが際立つ作りだと思う
殆どは窓と窓枠だという
今のアパートは軽量鉄骨、いわゆるプレハブ構造、だけど底冷えはあまりしない
昔からの1枚ガラスとアルミサッシは遮熱性能が殆ど無いから、冬は冷蔵庫と変わらなくなる
その点、ペアガラスや樹脂サッシは熱を通しづらく結露もしたことがない
それがない玄関のドアは結露をしやすいという対称データも得られた
ではペアガラスだけでもいいかというと、そんなことはない気がする
だだっ広い家だが入った瞬間から底冷えをした
スリッパを使わないと言うことでソックスで移動したが、足を常に動かしたくなるほど冷え冷えな家だった
そして天窓を付けたが為に2階まで吹き抜けている構造が断熱効果を阻害している
細部までこだわっている物件だからとても気に入ったけど、冬に凍死しかねないなら買う価値はないと思ってる
たぶん日本では、特に関東以南では、戸建ては夏暑くて冬寒いというが普通なんだろう
あんな良い家なのに、今まで住んでいた人はどれほどつらい思いをしていたんだろう
TVAL now(ティーバル ナウ) - テレビ番組リアルタイム視聴率
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今のうちにキャプなりスクショなり取っといてくれればいいんだけど、Adoの出番が21時からで2曲歌って歌い終わったのが21時8分ごろ。ここが関東の番組視聴率のピークで11.7%だった。関西でも中部でも最高視聴率はAdoの出番の終了になっている。この数字は、この日のすべてのテレビ放送の中で最高視聴率でもある。
Adoの次のアーティストは固定ファンが多いSnowManであり、ファンの流入で更に視聴率が上がってもおかしくなかったが、数字は下がっている。これは、少なくない視聴者が、Ado目当てにテレビのチャンネルを合わせ、Adoが終わったら番組から離れたことを意味する。Adoすごすぎ。
去年の名字ランキング(参照元:https://news.mynavi.jp/article/20220331-2308405/)で5本の指に入るくらいには平凡な名字である
上の資料によると全国およそ132万6千人。日本の人口を1億2500万人とすると大体100人に1人くらいは田中がいる(はず)
今まで生きてきて田中さん(仮)に出会ったことがないって人はそういないんじゃないかな~と思う。まだ10年くらいしか生きてないようなこどもだったらいるかもしれんが
が、増田こと田中(俺)は一度も同姓の人に出くわしたことが無い。御年30。何故なのか
限界集落の過疎村生まれってわけではない。都内じゃないというか関東ですらないが地方都市とは呼んでいいくらいのそこそこ大きな街育ちである
小学校は1学年4クラス、中学は6クラス、高校は10クラスあった。大学は県外の田舎F欄大学なのでさておき。職場(県外)も全従業員50人くらいの小企業だがさておき。
一度たりとも田中という名字の人に会ったことが無い。この前帰省した時同窓会名簿確認したので間違いない。田中、一人もいない(俺はいる)(兄弟親戚はノーカウント)(同窓会名簿で数年遡ればそりゃ数人はいるが会ったこともないのでノーカン)。
ふと思いつくといつまでも気になってしまうもので、コンビニとかレストランに入った時とかに店員さんの名札を確認するようになったんだが、未だに出会えていない。何故なのか
名字は結構地域性があるとは言うが、「田中」だぞ?!全国トップランカーの名字だぞ?!そんな頑張って探さないと見つからないような名字じゃないだろ?!と思うんですがどう
録画したアニメを観てたのだが、間の悪いことに放送中に津波警報が出てしまい、津波情報の図表で画面が隠れて視聴の邪魔になった
せっかくデータ放送があるのだからそれを使えばいいじゃないかっていつも思う
まあデータ放送に対応してないテレビで視聴している人達にも発信するためにこうしているという話も聞いたことがあるのであまり強いことは言えない
しかし、そこまで強い使命感があるならCMに入った途端に緊急情報の表示を消すなよという気もしてくる
で、テレビでJアラートが発令されましたってテロップが出たのだが、なんとCM中もテロップが出たままだったのだ!
思い返してみりゃあの東日本大震災のときだって、関東のテレビ局は関東のテレビ局なのにCMに入るたびに震災情報を表示するL字画面をこまめに消してたんだよ
例えば京都の人は嫌味っぽいとか、九州男児は男尊女卑だとか、いわゆる県民性ってやつを今まで全く信じていなかった。強いて言うなら血液型性格診断とか星占いくらいの信憑性だと思っていた。そんな群馬生まれ埼玉育ちが転勤で大阪に住むことになったんだが、県民性が""真実(マジ)""だということを日々実感するはめになった。悪い意味で。
大阪人はすごくケチでせっかち。お金にすっごくうるさくて、1円でも多く1秒でも早く得をしたいという気持ちが強い。強すぎる。まぁこの低賃金物価高の世の中なので気持ちはよく分かるし、お金についてきちんと考えているのはむしろ良いことであるとすら思う。しかし、大阪人の「とにかく早くして!自分を先にして!」という文句に付き合わされるこっちの身にもなって欲しい。お前を相手にしている時間で片付くんだが?と言いたいところをぐっと堪えて、「最短でもこれくらいかかるんですよ」「順番に取り掛かるのでお待ちください」と案内する。以前勤めていた関東の方のお客様であれば、不満そうな人や納得がいかない人もいるにしろ「そうですか…でもなるべく早いとありがたいです」くらいで引いてくれる。
一方の大阪人。「順番なのは分かったけど俺の分は急いでくれるやろ?」「それは分かったけどとにかく自分を優先して欲しいっていうてんの!」…「分かった」とは、一体…。多分「急いで欲しい」と同じくらい、「本当はダメなことなのに自分の交渉によって相手が譲歩した」っていう達成感が欲しいんだろうなって感じもする。これって値切り文化の影響なの?出来る範囲で「じゃあこうしましょう」と提案をすると(例え急ぎ度に変わりがなくても)ものすごく満足気でご機嫌になる(なお、こちらが断ると礼も言わずガチャ切りされる)。結果はどうでもいいんかい!言うこと聞いて欲しいだけなのかい!と内心つっこんでしまう。
まぁ上記はただの仕事の愚痴なのでそんなの全国どこも一緒とか嫌ならやめろとか切り捨てていただいて構わないが、個人的に1番嫌なのはケチもせっかちも恥ずかしがるどころか「自分はケチでせっかちやで!だって大阪人やからな!!」くらいの感覚で逆に誇らしげにしているところかな。「とにかく何でも言ってみて聞いてくれたらラッキー!」くらいの感覚でごちゃごちゃ言ってくるんだろうけど、周りの人間は大阪人のケチとせっかちに付き合うためにいるわけじゃないよって教えてあげて欲しい。
特定の属性をここまでdisったので叩き返される覚悟はある。しかし、ほんの少しでも思うところがある大阪人は、明日からちょっとだけ謙虚に生きて欲しい。休みの日、自分が客側の時はお店でも駅でも病院でも本当に良くしてもらってるからこそ、これ以上呆れたくない。人情の街なんでしょ、頼むよ本当に。
3年と少し前「医学部なんて入るんじゃなかった」という文章を漠然とここに投稿した。進級がかかった試験の直前だった。涙をぽろぽろ流しながら、カフェの端の方の席で書いたのを覚えている。
まだエントリは消していない。事前にそちらを一読してから読んでもらえるとよいかもしれない。
「医学部なんて入るんじゃなかった」は、バズるというほどではないけれど、ネットの隅で少しだけ話題になった。あたたかい意見も厳しい意見もたくさんいただいた。あれからいろいろなことがあった。もし自分と同じように苦しんでいる人がいるとするならば、後日談まで書かないと誠実じゃないじゃないか、と思った。マッチングや卒試にも目処がついたので、国家試験の勉強の息抜きも兼ねて、自分の現在地を記しておく。
どこから書くべきか迷っているが、過去の記事と照らし合わせて丁寧に近況を綴っていこうと思う。
まず「医学部なんて入るんじゃなかった」とかつての自分は息巻いていたが、結果的には、心境に変化が生じたというか、医学部も別に悪くないと思うようになった。医学教育の賜物かもしれないし、苦楽を共にした学友のおかげかもしれない。かつての自分の状況を考えれば、驚くべきことだと思う。
思うに当時の自分は、人間というものに対してずいぶんと悲観的になってしまっていた。コロナ期間が長かったことも大きい。けれどもあの記事でいただいた意見を参考にして、人間に絶望せず向き合うというか、積極的に交流を図ってみたら、自分と同じ痛みを抱いていたり、同じでなくとも大変な状況をくぐり抜けたりしている子が意外に多いことを思い知った。ノートを見せてくれたり、塞ぎ込んでいる時に一緒にスタバを買いに行ってくれたり、何だかとても優しい子が身近にたくさんいて、シンプルに驚いた。自分は一人ではなかったし、今となっては勉強部屋で毎日楽しくやっている。
再受験の同期たちの存在も大きかったかもしれない。彼らは大人の視点から自分の悩みに向き合ってくれたし、家庭環境に引くこともなかった。
振り返ってみれば「人に恵まれた」に帰着するのだけれど(友人たち、先生方、本当にありがとうございました)、歯車がひとつでもずれていたら、どうなっていたかわからない。人生は意外に上手くいくし、意外に上手くいかないこともあるし、そのハンドルを握り続けることは容易でないという気づきが、唯一の学び。
続いて、家庭について。家庭は、残念ながら崩壊した。おいおい、と思う人もいるかもしれない。熟年離婚というやつだ。ただ、養育費は卒業まで出してくれることになり、母方の家庭も長年の苦労を見透かしてか、支援をしてくれている状況だ。臨床実習が始まるころに手続きがだいたい終わった。
あれだけ絶対的なものだと信じていた権力機構が、いとも簡単にバラバラと崩れていくさまに、気持ちよさを覚えなかったかといえば嘘になる。清々したし、寂しさはない。薄情かもしれないが、しょうがない。
趣味は相変わらず楽しくやっている。とても上手くいっており、その道の友人もたくさん増えたし、努力すればするほど報われる辺り、今までの人生の苦労のお返しを、急いでもらっているようにも思われる。就職は関東なので、今よりずっといろいろなことがやりやすくなるだろう。
もう「欠陥品」と呼ばれることもない。勉強や趣味はそれなりに頑張っているし、プライベートもそこそこ楽しくやっている。健常な人間に「擬態」しているというと穿ち過ぎだろうか。
残念なことに、自己肯定感の低さは治っていない。褒められたら社交辞令と反射的に判断してしまう。けれども今の私には、それを笑顔で受け止める分別がある。
こと異性関係においては、どうも以前の良くない自分……過剰に怯えがちで人間を信頼しきれない自分がほの見えるようで、現在お付き合いさせていただいている人に、それを茶化されることもある。根本の問題は治ることはないと思う。全てのこころの問題が離婚程度で治るなら、私は今こんな文章を書いていない。離婚の事実自体に苦しめられることもある(自分も原因の一端を担っているはずなので)。
そうそう、以前のエントリをあげた時、「あなたはどこに行っても上手く行かない。あなた自身に問題がある」といった内容の言及をいただいた。それは本当にその通りだと思う。私は人より落ち込む頻度が多いし、落ち込み具合もひどいものがある。特性は一生十字架として背負っていくほかないのだ。一方で、当事者にダイレクトに当事者たる要素をぶつけることの暴力性に関しては、少しばかりの思慮が必要だと考える。
どれだけ歪んだ形でも「大学に通えたこと」には感謝している。卒業を目前にして、特にそう思う。世の中には寝食さえままならない被虐待児が多い。辛さは比較するものではないけれど。
というか、過去の自分、かなり荒んでいて驚いた。もし私と同じような子がいたら、大丈夫だよ、と肩を叩いてあげたい。世の中は思ったより悪いところじゃないし、どんなコミュニティにも気の合う人は存在する。視野を広く持って、絶望しすぎないで、どうか、家庭以外の安心できる居場所を見つけてほしい。
将来何になりたいかは、まだあまり決めていない。志望科は内科だが、精神科にも興味がある。かつての自分みたいな子供の、絶対的な味方でありたい。
何だかふわふわとした文章になってしまいましたが、以前私にいろいろと言葉をかけてくださった方々、どうもありがとうございました。
同職種の人でしたら、いつかどこかでお会いできるかもしれません。
本当に、ありがとうございました。