「訃報」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 訃報とは

2018-04-05

日高晤郎氏の訃報に対する感情

あの人に対する好き嫌いとかじゃなくて、

道外に出た元道民にとっては故郷市町村廃合でなくなるとか、母校が廃校になるとか、

そういったとき感情がすごく強くなったような感じ。

私が住んでいた北海道が、そうでない北海道に向かって大股でジャンプしたような...そんな感じ。

2018-03-15

改竄スティーブン・ホーキング

改竄」と書かれていると、どうしても「かいそ」と読んでしまう。殺鼠剤や窮鼠猫を噛む等の表現をなまじ知っているから、鼠は「そ」と読むという頭になってしまっているのだ。鼠を含む漢字から「そ」と読むんじゃね?的な発想になるのだ。他社の記事で「改ざん」という表記を見てはじめて、ああそうだ「かいざん」だと気付く。でもこの次の機会にはまた間違えるのだろう。少なくとも、「改竄」と書く機会などないのだから

間違えて読むのは漢字だけにとどまらない。昨日スティーブン・ホーキング訃報が流れた。海外ソースをあたっていると「Stephen Hawking」とある。「Stephen」をスティーブンと読むのは明らかだ。でも俺はついつい「ステッペン」と読んでしまう。となるとステッペンウルフが頭をよぎって仕方ないのだ。ボーントゥービーワイルドだ。

ステッペンウルフ、今調べたらSteppenwolfじゃないか全然違うのにStephenをステッペンと読むなんてな。雑な思い付きに引きずられる頭はなんとかならないものか。

2018-03-14

ホーキング博士死去

高校博士の著書に出会って物理学科へ。

自分は才能の欠片もなく研究の道へは行けなかったが、人生に大きな影響を与えてくれた。

訃報に接し、仕事中ながら涙が止まらない。

冥福を祈りたい。

黙祷

2018-03-09

眠れないか祖母の話をしたい

祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。

自分が嬉しかたことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)

祖母手料理ほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供から外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。

祖母刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんリュックポシェット額縁に入った布の作品すべてが祖母刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなもの祖母刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。

私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話祖父母のお誕生日敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。

祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。

祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。

祖母記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。

祖母ものを食べることができなくなった。この頃になると祖母祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくらしかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。

そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。

通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。

棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAX手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。

祖母に送る最後手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。

おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。

あと、おばあちゃん刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。

一周忌仕事で行けないような孫でごめんね。おばあちゃんいつまでも大好きだよ。

2018-03-02

anond:20180301221023

かつて続編や名前を聞かなくなったエロラノベ作家をふと検索したら、投稿サイトの片隅で訃報を見つけたことを思い出した…

2018-02-26

anond:20180226062543

大正まれの大祖母最近逝ってしまって新聞訃報出したんだけど、

印刷所が対応出来なかったのか名前が旧かなじゃなかった。

あのぐにゃぐにゃした文字、なかなか見る機会がないかがっかりした。

2018-02-22

anond:20180222213736

なるほど。ありがとう

ちらほらカード引いてもらうことが好きなんだけど、対面だとどうしてもその人自身との相性がものを言うような気がして、その点増田さんはフラットな感じがして興味深いです。


とある人に働きかけるかどうか迷っていて、完全な自己満足で終わると分かっていてもきちんとレスポンスをくれる相手なだけにどうしようかと考えてしまっています

それ以外にもやらなければいけないことは山積みなのでそれが一段落してからのほうがいいのか、それとも思いついたのだからひとまず働きかけてみるかどちらが良さそうですか?

最近身の回りでも芸能界でも訃報に目がいきがちなので、いつどうなるかわからないなと思っています

つい数日前、親族葬儀に参列した。

火葬場で別のブースから泣き叫ぶ声が上がっていた。

と思ったら、姻戚が突如泣き崩れ立ち上がれなくなりご焼香に車椅子が持ってこられた。

小さい子が、それまで少しぐずっていたのにその直後から冷静になっていた。

待つ間の精進落としでは何事も無かったかのように過ごしていた。

自分も近しい人が亡くなったらああやって泣き崩れはしなくとも、泣いたりするのだろうか。

割と近しい親族葬儀では、親族間で問題が起きたりしているので、亡くなったことへ弔いの気持ちはあるけれど、行事としては何なんだろうなと思ってしまう。

あと、内外の人柄のちがいについては、気配だけを垣間見るに過ぎないが色々あるんだなと感じた。


そして俳優の急な訃報

直接の知り合いではないにせよ、残念な気持ち

これが特別ファンだったり知り合いで華々しく活躍されていた方だとしたら、どうなってしまうんだろう。


などを思いながら自分は早めに死ぬ準備をしている。

2018-02-18

anond:20180218000204

昔々、あるところに「ぴーとばーんず」という綺麗なお兄さんがいました。

「でっどおらあらいぶ」というバンドVoさんでした。

お歌を歌って大人気。恋人さんはドラマー(すてぃーぶ)でした。

去年?訃報でびっくりして。彼の写真をみたら、私の知っている「ぴーとばーんず」さんではありませんでした。

「せいけいでしっぱいした」とえいごのにゅーすで読みました。

来日あんなに綺麗だったのにあれ以上どこをいじれば……。という結果にびっくりです。

美への執着心、そして老い(まだそんなにご高齢ではなかったはず)それどどうやっておりあいをつけてゆくか。

良かれと思ってどんどんエスカレートしてしまったのでしょうか?

綺麗な人が、なぜかそうでなくなってしまうという悲劇

天然ならそんな心配もありません。

普通に老いしわがでても、整形を失敗してしまうよりずっといいと思いました。

おわり。

昨日誕生日だった。

たまたまチケットが取れたのでイベントに行った。

イベントは良かったけど、虚しさばっかりでぼんやりしてた。

訃報からはじまった1日で、体調もあまりよくなく、平日のうちに来るはずだった連絡も来ず、書類に書く年齢だけが増えた。

己の無能さ加減に嫌気がさす。

2018-02-10

anond:20180210011325

ところが、その猫たちが次々「狂い死に」しているという噂が流れた。

奇妙な踊りを踊ったり、海に飛び込んで死んでしまうという…

昭和30年代の初めの頃のことだ。それが、訃報の届いたばかりの高名な作家にして詩人の原点だった。

2017-12-14

https://anond.hatelabo.jp/20171213093328

feita懐かしい!(ブコメから

そうか。見ないと思ったら、逝ったのか……。

嫌いな人間だったが、訃報を聞くとそこまで憎んではいなかったんだなと気が付いた。

瞑想の人の訃報だったら、たぶん本当なる嬉しみの深さを感じると思う。

ユーザーに過ぎないのに、株式会社はてなすら嫌いになるレベルで鬱陶しい。

ご冥福をお祈りします

2017-12-10

お世話になった施設施設長さんが亡くなられたらしいと聞いた。施設、というのは、私にとっては児童養護施設である

私は養子で、生まれてすぐ施設に預けられ幼稚園児のとき養親のもとに引き取られた。施設では主に児童指導員のお世話になっており施設長と特別何かした思い出があるわけではない。けれどとても穏やかそうで優しそうな施設長が施設長としていてくれただけで安心感があって、養子縁組後に施設を訪れて施設長の顔を見たときに、私には言葉表現し得ないような嬉しさを感じた。私はたくさんの子どもたちの中で施設長の話を聞いたりするだけだったが、少しだけ、父親に抱くような尊敬を持っていたのかもしれない。

私は現在18歳で、学校に通っていれば高校3年生だ。中学校不登校になったり受かった公立高校をすぐにやめたり、挙句高認を受けて合格したうえ大学に進学したいと考えている甘っちょろい受験生である

今回施設長の訃報を聞いて、当時幼稚園児の私の朧げな記憶から同級生のことを思い出した。

生活を共にしていた同い年の子どもたちの中で、里子にも養子にも行けなかった子どもは、当然ながら存在する。彼らも私と同じように18歳になっており、そしてこういった児童養護施設では原則として18歳までしかいられない。

大学に進学するにも、就職するにも、携帯契約するにも、何をするにも不便だ。お金も、学歴も、保証人も、何もない。遠い大学に受かれば下宿するのだろうという程度で不安になっていた自分がこれ以上ないほど情けなく思えてきた。なにせ私には、養親の稼いだお金と、学費の高い私立でも大学に進めと言ってくれる環境と、養親保護保証がある。たった1人で、10代で本当に自立して生活しなければならない彼らと比べられるわけがない。

私は自分のことが嫌いだから、もしあのとき養親が選んだのが私でなくて彼らのうちの誰かだったらよかったのに、と未だに何度でも思う。

仲の良かった彼や彼女はいま、どんな選択をしようとしているのだろう。私よりもひどく現実的であまりにも地に足がつきすぎた選択をせざるを得ないのだろうか。実際に彼らに何かを聞いたりしたわけではないから、あくまで私がそんな状況だったらという想像に過ぎないが……、当時は皆同じような境遇だったはずなのに、養親というたった一つの違いだけでこんなにも進路というものへの意欲、というか、進路を死活的に捉えるようになる、のだなと思った。

2017-12-09

胎界主でよくわからないこと

2017-12-06

好きになったら推さなきゃだめだ

超特急を好きになって1年ちょっと

最近、同じ事務所私立恵比寿中学が気になっている。

今までは名前を目にする程度で、全然どんな人たちなのかも知らなかった。

から今年頭のメンバーの突然の訃報も、推しブログでちゃんと知ったくらいだ。

エビ中を知って、気にするようになって、少しずつ遡っていくと、そこに彼女はいた。

松野莉奈ちゃん。

現メンバーで推すなら真山りかちゃんなんだけれど、とにかく過去映像で知る松野莉奈ちゃんのお顔がドンピシャに好きで、きれいで、かわいくて。

たぶん、今も元気だったら、確実にりななんを推してると思うくらいには、好きだ。

基本的に好きになったらそのタイミングが推すべきタイミングだったんだ、と考えているタイプではあるけれど、今回のこれは、どうにもやりきれない。

もっと前に好きになって、会いに行ってみたかった。

からこそ、今少しでも気になっている子は躊躇わず会いに行って、推すべきなんだなと思っている。

から、次の機会に、絶対真山さんに会いに行きたい。いや、絶対行く。

いまの推しにも、たくさん会いに行こう

そう心に誓った夜でした。

2017-12-04

胎界主でよくわからないこと

2017-12-03

もう実在人物訃報は聞きたくない

ああ早く他の人より先に死ななくては

2017-11-06

やなことそっとミュートするために

数日前、母の友人が亡くなった。

それからずっと母は落ち込んでいてため息ばかりついているし、友人との思い出を繰り返し繰り返し私に話す。死ぬって突然なんだね、明日は我が身だね、明日生きてる保証なんてないんだねと。

私はずっとそう思ってる。物心ついた時から

人は大きな死の枠の中で生きているんだってずっと思ってる。今さら言われても、と思ってしまう。

その母の友人は私もよく知っている人で、お世話になった人だ。訃報を聞いて驚いた。けれど、母に同情したり元気付けようとか思えない。

暗い雰囲気ガンガンに出す母のいる家に帰りたくないとさえ思ってしまう。家に帰るのがこんなにも憂鬱になるとは思わなかった。落ち込む母を励ませない私って、おかしいのだろうか。例えば自分親友が死んでしまった時は、私も母のようになるのだろうか。まだ遺体を見てないからこう思うのだろうか。最近はそんなことばかり考えている。

それから、母は頭がキャパオーバーになった時にそれを消化する方法を多分知らない。私はこうやって文字にすることで自分を保とうとするのだけれど、どうも母は私に話すことでしか保てないらしい。どうか、一人だけで完結する方法とか、インターネットの波にぶちまける方法とかを知ってほしい。

とにかく、しんどい。母の落ち込みを背負うのはしんどすぎる。明日は家に帰りたくないけど、今の状況で母を一人にするだなんて薄情だなとも思う。けど、一人になった方がいいんじゃないかとも思う。どうすればいいかからない。不謹慎かもしれないけど、私は今無性にパーティーを催したいくらいの気持ちだ。

やなことそっとミュートするために。

2017-10-30

葬式の知見を共有する

今年の1月に父親が死んだんだが、まあこういうことは共有しといたほうが良いかと思うのでこうだったら良かったとか、これは良かったということを書く。

死ぬのは突然

病気になって弱ってたりとか入院したりとか言うことはあるが、それでもやっぱり死ぬのは突然だ。電話で死んだときかされると思っていたほうがいい。特に延命治療希望しない場合は死んでから連絡がある(一応病院死ぬ前に連絡はくれるが間に合わない

墓は生前に買っておいたほうが良い

突然死だと用意できないが、高齢になってきたら元気でも用意しておいたほうが良いと思う。まず永代供養墓地が常に売り出されているとは限らない(売出し時期がある)。あと墓のデザインもある。どこに名入れ(?)をしてもらうかとかもあるし、そもそも石を加工するので時間必要だし、当然お金もかかる。死んでから用意するとバタバタすぎるし金がバンバン飛んでわけがからなくなるので、まぁ先に余裕を持ってやっておいたほうが良いだろうと思った。先祖の墓に入るってんならいいんだけどさ。

死ぬ前に法要とかやってもらう寺はきめて、信徒になっておいたほうが安上がり

寺にもよるとは思うのだが、うちの頼んだ寺だと先に信徒になっておくと色々と格安でやってくれる。檀家になると色々かかるので、あらかじめ市営などの墓地に墓を用意しておいて信徒になるのが楽だ。あと死んですぐはホントバタバタするのでここに連絡すれば大丈夫ってのがわかってると心理的に楽である。余談だがお坊さんからきいたところによると、遺族に頼まれてお墓にいったら、この墓うちの信徒のじゃねぇな…ってなって管理してる寺に引き継ぐことがあるらしい。いまや檀家とかよくわからなくなってることもあるので、生前にその辺りははっきりさせておいたほうが良さそうだ。

葬儀をたのむ葬儀社はあらかじめ話を通しておいたほうが良い

会員になっとくと割引があったりする。まああと変なところから来られても困るので、死んだらすぐに「うちは○○に頼むことにしてるので」っていうとすぐに連絡が取れて楽。葬儀社はエキスパートなので、まずは呼んでなにをするか聞くのがよいし楽(とはいえうちはすぐに全員があれこれぐぐって必要手続きリスト化し、いついつまでになにをして、そのときになにが必要かを洗い出した。相手人間で抜けがあるかもしれないので一応自分たちでもスケジュールは組むべき)。ある程度年をとったらそこら辺の手配はしておいてほしい。

遺影は予め用意しておいたほうが良い

合成で作ってくれたりするんだが、出来があまりよろしくないのである程度年を取ったら元気なうちに写真は撮っておいたほうが良い。プリンタで引き伸ばした質の悪い写真になるので、大きなサイズも用意しておくとなお良い。

相続関係書類生命保険等の証書は一つのところにまとめて整理しておく

うちは地味に時間があるときにやっといてくれたので家探しせずにすんだが、まとめてないと大変だ。あっても一個ずつ確認して連絡とって手続きをしなければならないので非常に大変。忘れがちなのが家の火災保険名義変更や、公共料金名義変更(これがまたガス・水道電気で違うのでややこしい。固定電話もかなり面倒)なども煩雑なので、できれば生前にできるもの名義変更しておいてほしいし携帯は解約しておいてほしい。いきてる間にやったら楽なものも少なくないので。

密葬はいっても一応各所に連絡をしたほうが良い

うちは密葬で、ということにしていたのだが、葬儀社に一応連絡だけは入れておいたほうが良いと言われたのでそうした。そうしてよかったと思う。別に死んだ人間のためというわけではなく、「人の死を軽くあつかった」というふうに思われたくない人間のほうが世の中には多いので、伝えておかないと家に線香あげに来る人があとをたたない。葬式後は相続関係で家を開けることが少なくないのでバラバラに来られると困るのだ。町内会所属していた場合などは町内会会長に連絡を入れ、「故人の希望で…」といって最低限以外はお断りするのが角がたたないし、相手も納得する。会社関係厚生年金などの手続きですぐに訃報が伝わるので、会社の方から連絡があるが、その時はおなじく「故人の希望で…」と最低限以外はお断りするとよい。

すぐに通夜ができるわけではない

当然だが祭儀場には限りがあるので、死んだ日の夜に通夜ができるわけではない。まず場所を押さえ、いろいろとプランを決めてから準備に入るので、最短でも二日か三日はかかるようだ。そもそも死んでから三日は焼いちゃいけないしな。ドタバタはするが死ぬほど忙しいわけではないので安心しよう。会社は少なくとも七日は休んだほうが良い。通夜までの間に喪服とか必要ものは買いにいけるので大丈夫だ。あと通夜までの間に実印を持っていない法定相続人実印を作ろう。三文判でも実印にできるけど、名字漢字が珍しいひととか三文判でも作るのに時間がかかるからね。

葬儀社はだいたいなんでもやってくれる

病院からもらう死亡診断書さえもらっておけば、焼くまでの手続きは全部葬儀社がやってくれるし、香典返しの手配とかもやってくれる(プランはいくつかあるが)。納骨までの仏壇レンタルしてくれる。任せるのが楽だし、楽のためにお金を出したほうがいい。ただでなくても疲れるのに諸手続きをやったらたぶんぶっ倒れる。

葬儀プランはそれほど高いものにしなくても良いと思うが、お花と食事は奮発しても良いと思う

まず花があるとかなり華やかになるので安いプランでもあらが目立たないし、遺族の気が紛れる。ちゃんと葬儀をしたという実感もえられる。祭壇をシンプルなやつにしてても花があると豪華にみえるのもよい。献花を申し出られた場合はお返しがちょっと大変だが一応受けておいたほうが良いと思う(華やかになるから

食事は生きている人間のためのものなのであんまり食が進まないかもしれないがある程度のものを頼んだほうが良い。ただでなくてもしんどいので、食事くらい良いものにしないときが滅入りすぎるし、まずい食事は後々尾を引く。とくに通夜のあとの食事ちょっといいものにしたほうがよい。

エンバーメントはやっておいたほうがいい

死後、遺体も生き物なので体が腐っていくわけだが、エンバーメント処置をすることでそこそこきれいに保つことができる。夏場は腐りやすいのでやったほうがいい。うちは冬だったのでやらなかったが、やはり目はどんどん落ち窪んでいくし肌の質感とかも悪くなっていくので微妙に辛いものがある。ただまあそうやって変わっていくことで受け入れられるものもあると思うので、大丈夫だと思うならやらなくてもいいのかも。

お金は一応用意しておいたほうが良いが、葬儀中に使うことはあまりない。クレジットカードの引き落とし日にだけは注意

お金がいりようになるということはよく聞くので連絡を受けて向かうまでの間にさっと引き出せる口座に百万くらい移動しておいたが特に使わなかった。うちは死ぬ死ぬ詐欺がながかったので口座の名義変更とかお金の移動とかある程度済ませていたのであんまり混乱がなかったが、まぁでも何かと入りようなので焦らないためにも近親者はすぐに大金を引き出せるようにしておいたほうが良いだろう。葬儀とか病院クレジットカードで払えるのだが、引き落とし口座が死亡者の名義だったりすると、引き落とし日に口座が使えなくなっている可能性があるので要注意だ。そのあたりは生前によくよく確認しておくべき。

男手を用意しよう

うちは女ばっかりの家なので男手がなく、出棺のときに困った。葬儀社がだいたいやってくれるのだが、あれ、ただでなくても重いからね。男手はあったほうがよい。

冬場の葬儀の時は、マフラー名前を書いておこう

コートは人によって違うのでわかるのだが、マフラーほとんど全く見分けがつかないので、混乱を避けるために名前を書いておいたほうがいい。

あと結構場所の移動があるので、それぞれに係をきめておいたほうがよい。運転係、お金関係の係、葬儀場の係、部屋を出る時に最後確認をする係(うちでは自衛隊係とよぶ)、食べ物を用意する係、などなど。

父親が死亡し、母親が65歳未満の場合は遺族年金について要確認

場合によっては遺産の配分も考えたほうが良い。まぁ働けっていう話もあるんですが、何十年も専業主婦やってきた人は働けないからね…

年金受給年齢に達していない場合生活が遺族年金頼みになる。毎月(給付は二月に一回だが)いくら収入はいってそのなかで生活費税金としていくら出ていくのかを見積もっておかないと生活に困窮する場合がある。うちの場合はなぜか最初から子供が全員遺産相続放棄する前提だったのでよかったが(なんでだろうなぁまあ最初から放棄するつもりだったけど一応聞けよ)、法定通りにきちんと分けようと考えている時は、その後の援助などの計画もきちんと考えたほうが良いだろう。

http://www.izokunenkin.com/about.html

年末死ぬのはやめてほしい

確定申告バタバタになるので。年をこしてからだと準確定申告できるので四ヶ月猶予があるが、年末ギリギリに死なれると三月十五日までに確定申告をしなければならないようだ(死亡届を出した日になるのでほんとに年末ギリギリだと年越してから死んだことにできるかもしれないが)。つまりそれまでに相続を確定しないといけない。ここらへんよくわからない場合遺産相続プロに代行を頼む必要とかもでてくるので、できれば確定申告が終わるまでは頑張っていきていてほしい。

https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2022.htm

火葬まであんまり死んだ実感はわかない。というか火葬はくるので注意したい

あ、ほんとに死んだんだってなる。が、火葬場は流れ作業なのでとてもつらい。

2017-10-16

anond:20171016231852

かに

ヤフコメによくあるパターンてどんなニュースでも絶対に「嫌韓嫌中」「同性愛へのヘイト」「女性社会進出に対して少子化理由に猛反対」「ジジイ世代英雄訃報には過剰なまでに同情的」だからな。

底辺ジジイが主なユーザーなのはわかるが、それしかいないというのも不思議だ。

2017-10-06

訃報ニュースに誰?コメする奴は許すが

老人が死んだニュース年金が浮いたとか言うやつは殺すべきじ

2017-10-03

ディスクシステムの謎

子供の頃からずっと謎だった事がある。

当時のCM記憶している人がどれくらいいるのだろうか。

ディスクシステムの発売は、カセットを買えない自分には夢のような話だった。

当時数千円が当たり前だったゲームカセットに比べて、500円あれば好きなゲームに書き換えができるというのだ。

しかし、残念ながらディスクシステム本体価格がとてもじゃないが手の届くものではなかった。

目の前のカセットを取るか、それともカセット数本文を我慢してディスクシステムを買うか。

CM流れる度に、ブラウン管の前で苦悩する日々が続いていた。

問題はそのCM最後流れるサウンドロゴだ。

メロディ一つに対して何パターンかのキャッチコピーが入るのだが、そのうちの一つにいつも違和感があった。

それが、「ゆめがおくれる ディスクシステム」というコピーだ。

はじめに聞いたときは、ディスクシステムを手に入れたい一心だったために早く手に入らないと「夢が遅れる」と急かされているのだと思った。

しかし冷静に考えてみればそれは変だ。

当時のファミコンカセットはロムのメガ数の大きさを競う傾向にあった。

から「2メガをくれる」などメガ数の話と聞き間違えているかもしれないとCM流れる度に耳をそばだててみたが、そうではなかった。

結局その当時は、「夢ガ(ユメ+メガ)をくれる」という造語か、「夢顔くれる」くらいなのかなと思って解決したつもりになっていた。

それが、ここにきて突然フラッシュバックするかのように思い出された。

岩田氏の訃報ミニファミコン発売のニュースなどを聞いているうちに、自然とそのサウンドロゴを口ずさんでいたのだ。

大人になって冷静に考えてみると、はやり違和感がある。

今になって考えてみてもしっくりくる解釈が思いつかなかった。

言葉は確かに「ゆめがおくれる」だったはずだ。

そう思って「ゆめがおくれる」でも「夢がおくれる」でも検索を書けてみたがスッキリする答えは見つけることができなかった。

当時、子供たちもそのサウンドロゴ普通に口ずさんでいたが、誰ひとりとしてその意味を疑うものはいなかった。

これが日本語としてもCMキャッチコピーとしてもおかしいと感じた人はいなかったのだろうか。

当時のことを覚えている人がいたらぜひ話を聞いてみたい。

謎が解けてすっきりしたいものだが。

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