はてなキーワード: 敗戦国とは
日米貿易交渉の今後の見通しについて外務省交渉担当者から再レク。ネットで不安の声があったニ次創作、同人誌の危機や著作権の完全非親告罪化などありません。USTR22の知的財産権項目はバイオ医薬品データや物品の名称権等がその想定内容。著作権関連はTPP 12の段階で日米の議論は既に済んでいます。 pic.twitter.com/endJrZkbkP— 山田太郎 ⋈3日目南フ10a(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2019年12月5日
本日、日本のトレンドにもなりました #二次創作禁止。
外務省に直接ヒアリングをしました。
動画で解説しましたので、是非ご覧ください。
《Law35》日米貿易協定!二次創作禁止になるのか⁉️ https://t.co/soJKScGDSI pic.twitter.com/C12kbimFgR— 山田太郎 ⋈3日目南フ10a(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2019年12月5日
どうも同人屋の人達は二次創作禁止ばかり注目していたみたいだけど、これもしそうであれば、それこそ今話題のダウンロード違法化やリーチサイトに関してもやばかったんだよね。
大真面目に著作権トロールが大暴れして、欧米や欧州みたいな状況になりかねなかったから。
まともにネットが使えなくなる。
擁護している人達も今も二次創作禁止だとか言っていてなんだかなと言う感じだったけど。(もしあれが事実ならば、意味合いが変わってしまうので。)
この点で山田太郎議員が確認したのはありがたいし、本当に当選してくれてよかったと思う。
山田太郎議員の動画を見る限り著作権関連はTPPの時に終わっているので一先ず安心して良さそうだけど、問題はコメでも言われている様に国民保険の方だよなと思う。
原則これ非公開だし、こっちの状況が判らないのも不味い。
そもそも国民保険に関しては経団連も潰そうとしていたり、国内外問わず敵が多いんだよね。
知っていても何もできないけどさ。
>無論、当時は国際法や条約が次々と変化し、その時々においての「正義」や「合法」が存在していた訳で、過去において合法だったから日本の戦争も合法であるとの理屈は成り立たない。
>厳密にその辺りを議論しだすと、歴史学者でも無い限り、あるいは歴史学者であっても、結論の出ない話になりそうだが、私が問題にしたいのはそこではない。
>問題は、当時の戦争が仮に当時の価値観や法律に照らして「正義」「合法」であったとしても、敗戦国は支配地域の割譲・放棄や、賠償の責任を負わされたであろうということだ。
>無論、当時の戦争が当時の価値観に照らして「悪」「不法」なものであっても、支配地域を取り上げられ、賠償を負わされる。
>どちらであっても結論は変わらない。
>負けた時点で結末は決まっている。
「何が正しいか」ではなく「何が得か」を優先するということだ。
それらを絡めて「何が正しいのか」は時代によって変化するという、陳腐化したテーマを持ち出してみたい。
……では本題へ。
東京裁判における「人道に対する罪」や「平和に対する罪」が事後法であるとの議論は有名なところだが、これはすなわち、先の大戦が人々の価値観の転換期であったことの現れであると考えられる。
世界の大国は、それまで人類が滅亡しかねないような戦争を経験したことがなかった。
だから、それまでのように軽い気持ちで開いた戦端が、どこまでもどこまでも拡大し泥沼となっていったとき、本気でビビったのだ。
もちろん、それまでも「戦争は良くない」という倫理は存在しただろうし、戦争を抑止する法的な取り決めだって存在していた。
けれど、いざ大戦が終わったとき、それまでの考え方では甘かったと世界中の人が痛感した。
もっと強力な抑止力が必要だという風に、世界の価値観が変化した。
だから、事後法まがいとの批判を覚悟の上で持ち出した「人道に対する罪」や「平和に対する罪」の適用を、大多数の人々が許容した。
つまり世界の価値観が変化を迎えた時代には、それまでの「正義」「合法」「筋」「論理性」は事後的にであっても「悪」「不法」「別の筋」「別の論理性」へと置き換えて断罪することが可能なのだ。
「何が正しいのか」は時代によって変化する。
植民地支配も同様だ。
少なくとも古代史の時代においては、植民地どころか他国の占領や奴隷支配も公然と行われ、それを禁止する国際規範なども今のようには存在していなかった。
それが、時代の下るにつれて白からグレー、グレーから黒へと徐々に変わっていった。
先の大戦は「侵略戦争」であったとされているが、少し歴史を遡れば、それは数多の大国が公然と実施してきた行為の焼き直しに過ぎない。
無論、当時は国際法や条約が次々と変化し、その時々においての「正義」や「合法」が存在していた訳で、過去において合法だったから日本の戦争も合法であるとの理屈は成り立たない。
厳密にその辺りを議論しだすと、歴史学者でも無い限り、あるいは歴史学者であっても、結論の出ない話になりそうだが、私が問題にしたいのはそこではない。
問題は、当時の戦争が仮に当時の価値観や法律に照らして「正義」「合法」であったとしても、敗戦国は支配地域の割譲・放棄や、賠償の責任を負わされたであろうということだ。
無論、当時の戦争が当時の価値観に照らして「悪」「不法」なものであっても、支配地域を取り上げられ、賠償を負わされる。
どちらであっても結論は変わらない。
負けた時点で結末は決まっている。
でも、なぜそんな暴挙が許されるのか?
価値観が変化する時代においては、事後的に過去の行為を現在の価値観で断罪することがまかり通るからだ。
価値観が変化する時代において、「今」の正しさは「将来」の正当性を担保しない。
さて、ここまで「価値観が変化する時代」という言葉を使ってきた。
これは一体、どういう時代か?
ひとことで言ってしまえば、私はこれを「世界の過半の利害に関わる危機が訪れた時代」だと考えている。
世界の一部が利害を争い、あるいは危機に瀕しているとき、その係争を、あるいは問題解決手段の正当性を判断する裁判官は「世界の残り大多数」が務める。
「世界の残り大多数」は第三者として、「既存の価値観」というルールブックをもとに、正当性をジャッジする。
しかし、世界の大多数が危機に巻き込まれたとき、そして、既存の価値観によるジャッジが世界の多数派にとって不利益となるとき、価値観は一瞬のうちに反転し得る。
民意で作るルールブックは、民意によって書き換えることができる。
では、価値観の変化は再び起こるのだろうか?
かつて、普通に行われていた侵略と植民地支配が今では「悪」と考えられているように、現代においても価値観の変化は起こり得るだろう。
昨今、日韓関係に限ることなく、世界の至るところで直接的な軍事力を用いない「係争」が激化しているように思われる。
現代の価値観において、これは「不法行為」とは考えられていない。
WTO等の貿易に関する各種の協定は存在するものの、関税や非関税障壁による駆け引きを全面的に「悪」と断じる倫理観は、世界の過半には決して浸透していない。
しかし、今後はどうだろう。
「経済戦争」がどこまでも激化し、明確な「勝利者」と「敗北者」が現れたとき、「勝利者」の側は「敗北者」に対して、経済戦争の戦争責任を事後的に訴追するような事態が訪れるのではないだろうか。
世界の過半を巻き込んだ「経済戦争」が勃発したならば、世界の価値観はきっと「経済戦争」そのものを断罪する方向にシフトする。
そんなものは、価値観が変化したならば、事後的に結論を書き換えることがいくらでもできてしまう。
この前提に立ったとき、昨今の日韓関係に関わる日本のスタンスに、私は一抹の不安を覚えずにはいられない。
だが、これらの正当性は、あくまでも「現在」の世界の価値観における正当性だ。
価値観が変化する時代が訪れた場合、それらの正当性は容易に逆転して「不当」であると断罪される危険がある。
未来の価値観によって遡及的に裁かれ、事後法によって賠償請求されるおそれがある。
価値観が変化する時代が訪れた場合、明らかに日本の不利益となる事態が訪れかねない。
日韓の係争は、利害の絡まない大多数の第三者によって、既存の価値観のもとにジャッジされるだろう。
日本は、どこまでも正当性を示す証拠を積み重ねていけば、それで良い。
変化後の価値観の世界において「多数派」の側に立つという意味だ。
だから、多数派になっておけば、事後法で裁かれる心配をする必要はない。
痛み分けと言ってもいい。
この場合、価値観が変化した後、再び関係が悪化すれば、事後的に問題を蒸し返される危険性が存在するから、将来に渡って永続的に友好関係を保ち続けるのがベターとなる。
もとより妄想だと言ってある。
どこぞの議員が「不適切な」発言をしたとかで盛り上がったらしいけど。
戦争に勝った国が使用を禁止している、敗戦国が使っていた言葉はけしからん…
戦前日本が『敵国語』とか言って言葉狩りしていた時代と何がちがうんだ?
「あえて使う行為は危ない思想の人間がやることだから」とかそういうのはいいよ。
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侵略(植民地化)を正当化しようとしたっていう「事実」も戦勝国が一方的に決めつけたものじゃないの?
戦前日本が植民地化した国はそもそもどこの国の植民地だったかな。
宗主国/植民地になるか、搾取する/される側になるかしか選べなくて日本はする側になった。そして負けた。
個人的には元増田の意見に賛成でどうせくだらない理由に違いないとは思うけど、それでも敢えて想像すると、南朝鮮人は自分たちを戦勝国と位置づけたいからなんじゃないかとか思う。
南北朝鮮は李氏朝鮮の腐敗が原因で国内政治が停滞し、国防など夢のまた夢だったため日本に保護を求めて日韓併合が実現したわけで、選挙権も被選挙権もあり、政治的代表者も居た。
そのまま太平洋戦争に突入したわけで、好き好んで日本に入れてもらった彼らは、戦争被害者ではないし、石原慎太郎なんかが発言して有名になった「第三国人」に他ならない。
だけど、日本が戦争に負けたことで彼らは掌返しをして、「われわれは武力制圧をされた被害者です」というスタンスをとり、抗日運動継続の結果太平洋戦争で独立を勝ち取ったんだという形に歴史を修正したいんだよね。
だから、戦争犯罪人たるA級戦犯は「自分たちを戦争被害者にした犯罪者」として叩かなきゃならないし、それを神として祀るなどというのは認められないと火病らないと納まらないんだろうね。
方針としては間違っていないんだけど、あまりにも拙速が過ぎると思う。
もうちょっとロビー活動と言うか、国際的に理由を広めてからやるべきだった。
アメリカから調停申し込まれるってことは第三者から見たらちょっとやりすぎなんだろうし、
周囲への説明が足りてないせいで暴走しているように捉えられてしまう。
自分たちだけが認識している正しさなんか何の理由にもならないし、正しさを内に秘めるのはクリーンでかっこいいように見えるが、不必要で害にしかならない。
もはやみんな当事者じゃないが、この国は敗戦国というレッテルを剥がせないのだからそれ相応に気を使うべきだ。
流行ってた時期に支配層に食い込んだ度合いで力の強弱に違いがあるくらいかな。
20世紀にリベラリズム、というか人権とか民主主義が流行った背景には、やっぱり、それをやったら社会が豊かになるという考えがあった。
まず王政がクソなことが多かったし、憲法を持って民主主義をやっている国がバンバン戦争に勝ちだしていた。実は日本がそのモデル国で、明治維新の成功と日露戦争の勝利は大いに世界に影響を与えた。
第二次大戦後の冷戦期も、敗戦国が負けたのはファシストだったからということになったし、ソ連社会主義とアメリカ自由民主主義がどっちが開明的で豊かになるかを争っていた。
翻って、今よ。
リベラリズムは俺らを別に豊かにしなかった。リベラルを掲げて政治家になったやつで、国を豊かにしたやつはいない。いや、リベラルが悪いんじゃなかったんだろうが、少なくとも豊かさを増して貧乏を減らす力はリベラリズムにはなかった。
社会福祉は、社会全体の豊かさを増すための理想ではなく、社会の貧しさを押し付けあうための理屈になってしまった。
グローバリズムが人々を豊かにしない、ということが明らかになったあたりがまた決定的だったな。ネットで対話が加速すれば炎上ばっかだし、人助けで難民入れた国には社会不安が増えた。
何が言いたいかというと、我々はたしかに態度が悪いリベラリズムに背を向けるけど、そもそもリベラリズムが流行らなくなってマトモな人間が背を向けたせいで、信者には攻撃的な奴らが多くなっている。