はてなキーワード: 懺悔とは
よく、「友人が何でもかんでも決めてあげないといけないから疲れる」みたいな愚痴を見る。
私の友人にもいた。食べ物とか、購入する物の色とか、遊びに行く場所とか、「どこでもいいよ」「増田ちゃんの食べたいものでいいよ」って言う子がいた。
私はどちらかというと、あれしたい!これしたい!がはっきりしているタイプ。何食べたい?って言われたらその時食べたいものがすんなり出てくるし、出かける時は行きたい場所も明確だ。オタクなのでコラボカフェとかその手のグッズ屋とか、行きたい場所は山のように出てくる。
だからその友人とは相性が良かった。私があれしたいこれしたいって言っても、友人は付き合ってくれる。それが凄く有難かった。
だけど、色んな所で「任せきりの友人ってウザイよね」みたいな意見を見るせいか、何となく自分の中でその友人を自分より下だと思う節があった。
この子は何でも決めてあげなくちゃダメだとか、主体性がないなぁとか。なんか友人というより、同い年なのに後輩とか子供みたいに思っていた。
その辺は、割と態度にも出ていたと思う。「ほんと決められないよね」って本人に言った時もある。それを言われても本人は「決められないから増田ちゃんと遊ぶと楽〜」と言っていたので、持ちつ持たれつだななんて思っていた。
そんな関係が2年ほど続いた。関係が変わったのは、彼女がやたら他の友人と遊んだことをSNSにアップするようになってからだった。私の興味のないジャンルのカフェのメニューとか、映える場所で友達と仲良さそうに撮った写真がよくアップされるようになった。
私は「この子あんなに決められないのに他の友達と遊んで大丈夫なのかな」とか思っていた。
そのうち段々と友人はツイッターの更新をしなくなった。まぁ忙しいのかな、と思っていたけれど、誘うと普通に遊ぶこともあるしそんなものかと思っていた。そうこうしていると、徐々に誘っても仕事が忙しいとかプライベートの用事があるとか理由をつけて断られる事が増え、数ヶ月もすると彼女からの連絡はなくなり、遊ばなくなった。
ある時、インスタを見ていると、友人らしきアカウントを見かけた。あれ、と思って見るとバッグや服装で彼女だと分かった。忙しいと言っていた割に、頻繁に更新されていた。私が誘った時に仕事があると断った日に、他の友人と遊んでいる投稿もあった。
私はその時、めちゃくちゃ腹が立った。上でも言ったように、私は彼女を下に見ていた。
だからそうやって嘘をつかれていたのが、酷い言い方をすれば「飼い犬に手を噛まれた」ような気持ちだった。
だけどその時の私は怒りそのままに、自分が文句を言うのは当然だと彼女にLINEした。内容はまぁ酷くて、人のこと無視して遊んでいい身分だとか、嘘ついてどういう神経なのか、決めてもらわないと何も出来ない幼稚で迷惑な人間のくせにとか、そんなことを沢山ネチネチと書いた。
全部知ってるから、と言えば彼女の事だからすぐに謝ってくる。だけど絶対許さない、くらいの気持ちでいた。
ところが、彼女から返ってきた返事は私の想像していたものとは違った。
「だって増田ちゃん、私が友達と遊ぶから無理って言うと機嫌悪くなるじゃん。ツイッターでもエアリプで文句言うし。だったら仕事って言うのが一番だよね。あと、あんなに世話になったのに人のこと無視して他の人と遊んでって言うけど、別に世話になったつもりはないよ。増田ちゃんの言う通りにしないと機嫌悪くなるから合わせてたんだよ。私は人に合わせても平気だから」
合わせて平気だから、という言葉にがんと頭を殴られたような気がした。
「私だって行きたいとこあるよ。気になるジャンルはとりあえずやってみたいし、推しのいるコラボカフェとか行きたい。でもそういうのさ、増田ちゃんて自分が気に入ったものじゃないとすごい下げた発言するじゃん。何が面白いのかわかんないとか、興味わかないとか、私の推しの見た目が好きじゃないとかさ。私が好きなものとか、好きになりそうって楽しみなものとか、なんでも悪く言うじゃん。何で私が何か好きになるのに増田ちゃんの顔色うかがわなきゃいけないの?私の好きなものとか推しとか、否定されなきゃいけないの? 私は増田ちゃんの推しも行きたいとこも否定したことないのに。そんなのの積み重ねされて、遊びたいと思う?」
めちゃくちゃショックだった。仲良くしてたつもりなのに!って怒りと勢いで彼女をブロックした。
数日は怒っていた。まだブロックされていないようなツイッターで文句もたくさん書いた。
でもしばらくして、自分のことを少しずつ振り返ってみると、確かに私は彼女の好きなものを平気で下げていたな、と思った。新しいソシャゲが出て気になってるキャラがいるという彼女に「そのキャラの何処がいいの?」とか、「ゲームつまんなさそう」とか。彼女が行きたいって言ってた映え系カフェに、「見た目だけで味無さそう」とか。
思えば、最初のころは彼女はあれが食べたいとかあそこに行きたいとか言ってた気がする。でも、私が結局はわがままを通していた。
私にわがままを言われて、好きなものや好きになりかけのものを貶され続けて、彼女はそれでも笑ってくれていたんだ。
やっとそれに気付いた時、ツイッターもLINEも彼女のアカウントはなくなっていた。見つけたインスタのアカウントには鍵がかかっていた。
完全に連絡する手段がなくなり、謝ることもできなくなった。
友人を子供みたいとか思っていたけれど、本当に子供なのは自分だった。自分の好きなものを否定されたら誰だってムカつくなんて分かっているのに、どうして私は平気で友人にそれを繰り返していたのだろう。それはもう、友人を無意識に下に見ていたからなんだけど。そんなことに今更気付いた自分に腹が立つ。
後悔してもどうしようもない。そして自分こそ、そうやって合わせてくれる彼女との関係に慣れきって、他の友人と遊ぶとひどく疲れたり苛立ったりするようになっていた。もし彼女がそれを見越してギリギリまで私の好きにさせていたなら、本当に良い復讐だと思う。
反省しているし、友人として大好きだったから謝れるなら謝りたい。でも、彼女とはもう連絡が取れない。
この前、ツイッターの共通フォロワーが友人と遊んだらしく、彼女のハンネを久しぶりにツイッター(今はもうXか)で見かけたので懺悔カキコ
anond:20231022002946 こいつとか
普通の人なら法律的にアウトになりそうだなって発言や行動を躊躇せずにやっちゃう
そういう奴らが木村花さんを殺す程の言葉を投げつけるし、hagex氏を殺したりする。
それは党派に限らず湧いてくるし、こういう異常者をもって集団を語るのはなんか違うと思うんだよね。
なぜ琴葉茜の版権元のエーアイ社は暇空茜に何も行動を取れないのか関係者として説明します|ポルッタ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/pol_tta/n/n8c9b0185b757
小川たまかの暇アノン懺悔録の記事から、暇アノンと言うワードを使った似た記事が連投され
そこにははてサ村の限界左翼だけでなく、普段見かけない人達が暇叩きの攻撃的なコメントを残している。
論調もだいたい同じだ。
論調が似ているだけならともかく文体まで似ているのは不思議だけど。
一つ二つはともかく焼き直しの焼き直しみたいな増田にもこれまた焼き直しみたいなトラバやブコメがつく流れは
ある種の党派性の動きを感じない事も無いんだけど、ただの偶然なのだろう。
ラン◯ーズあたりで数千円で募集されている様な業務的、システマチックな大量生産(の様に見えるが実際は少人数で回している)
の様にも見えるがただの偶然で増田がそういう流れである、という事にしておこう。
多分来月ぐらいには飽きてるか契約期間が終わって流れは収まると思うけど。
一部の逆張りは残るかも知れないがアウトライン踏まない様に気をつけてね。
数年前に鬱病による失職で食い詰めていた時にそういった仕事をした事がある身としては、マジで進歩してないなぁ…という感想がため息と共に出てくる。
こんな事にお金かけるぐらいなら、もっと別のやり方考えろと思うが、非効率だからこそ肉体労働出来ない貧困層向けの仕事があるという現実もあり、一概に駄目とは言えない。
それにしても、別に左翼やフェミニストだけに限った話でも無いんだけど、「正しい」と世間から言われる、思われる様に(どんな手を使ってでも)「する」、したがる人達は減らないんだなって事。
普通に考えればそもそも文句言われない様に正当な手法で真面目にやれば、変な小細工の手間かけたり嘘ついたり他者を攻撃したりする必要無いんじゃないかと思うんだけど
自分は好き勝手やりたいけど他人に好き勝手思われるのは絶対に嫌な人種は少なくないのかも知れない。特に思想が偏った人達には。
権力で使えるコネを駆使した中傷やレッテル貼りだろうが個人情報握っての脅迫をしてでも「正しい」と思われる様にする人達を見ていると
暇の様な、口も態度の死ぬほど悪いけど、あくまでも「正しい」手段(リーガル)を用いる手法は、従来の左翼らとは正反対の
「正しい」と言われる様に「やる」人達かもしれない。
リア凸や扇動すれば逮捕一択だけどあくまでも裁判で決着着けようとする手法はまあ目障りなんだろうな。
だからこそリーガルハラスメントだの住民訴訟の濫用だの、ちょっと訳分からない事を言い出す。
「正しい」立ち位置はあくまでも自分達、左翼だのリベラルだのフェミだのの側にしか無い、という事にしておきたいのだろう。
その様を見て、サイレントマジョリティがどう思うかなんて考えてない所が、強気で独善的な選民思想過ぎて逆に素敵ですね。
https://anond.hatelabo.jp/20231022144246
はてブは「自分の意見をいう」人たちではなく「勝ち馬に乗る」というゲームをやってるカスと、イデオロギーですでに結論が決まってる基地外しかおらんからな
Colaboの方が優勢であればColabo様全て正しいってしたり顔で言うやつが声がデカくなる。
Colaboが不利な時はColaboアンチの人間が暇空様意見寄りのやつがしたりがおでコメントする。
今は暇アノン懺悔録あたりからColabo寄りの人が射精・ア◯メしそうな勢いで気持ちよくなってるだけ。
思考能力がゼロを突き抜けてマイナスみたいな連中しか残ってない。
はてブや増田は「今どっちのほうが空気として強いのか」を判断する材料にしかならず
何が正しいのかを考える際には最も参考にしてはいけないコミュニティベスト3に入る
thongirl はてなのゴールポストが動いてるのを観察するだけで「ああ、会計問題は片付いたんだな」と知ることができるので、はてな民のゴールポスト神輿は大切にしてほしい
カプリチョーザみたいなID名の人はそのあたりがわかってないから最後まで取り残されてさらしものになった。はてな向いてないよ。
タイトルの通りだ。本人には伝わらないがここで懺悔をさせてくれ。
トランス男性の知人は複数いるが、オカズにした彼はホルモン治療もしていない精神科から診断受けたばかりで身体は完全に女なわけだが。
今日、個室ビデオでイメージビデオを見ながら抜いてたんだが、あの手のビデオはモデルの股間を強調するような描写が多い。
そのチンポのない様子を強調しているのを見て、そのトランス男性の知人もモデルと同じ股間をしている事や立ちションが出来ない事を想像してしまった。
それに自分がしてるようにイメージビデオやAVを見て彼が抜くとき、女性器をいじってるというのを想像してしまった。
どうしてそんな事考えたか分からないが、次に顔を合わせるのが気まずい。
すまなかった。
ちょっと追ってなかったのですが暇空って負けた?
僕の認識だと
なんだけど、間違ってる?
不正会計についてはガチガチ争ってる最中と思ってたので、この記事→【暇アノン懺悔録】「暇アノンの姫」だった40代男性(1)とかそのブコメで暇空が負け確みたいな論調強めなのに、えっ?えっ?てなってる
暇空の、不正会計を都に問い糺す住民訴訟って判決はまだにしろ(裁判もまだだよね?)、形勢が99%暇空不利、みたいな状況なん?
ホントに分かってないんで、誰か教えてください
補足するけど、今回の暇空らが誹謗中傷で訴えられた件は暇空らが不利なのだろうとは思ってますが、上記のライターの記事やブコメでは不正会計はなかったで確定、て感じなので
20年前にジャニ同人やってた元腐女子ジャニオタとしては心の痛い日々でございます。
当時からジャニーによる性被害の話は噂されてたけど、今よりも報道規制が強くて売れ売れジャニタレの恋愛報道は御法度だったので恋愛報道に慣れていない者にとっては女性と恋愛されるくらいならジャニーさんに可愛がってもらった方が安心する~的な意思は当時のジャニ腐女子では多かったと思う。そういう本もあったし身内でもその思考は強かった。
(これは腐女子独自の思考で純粋にファンやってた人は違うと思うけど)
ただやっぱそれは妄想の上であり二次創作の上だからこそ興奮するものであってリアルで被害に直面するとそんなこと言ってられないしそういう妄想をしていた過去が申し訳なさ過ぎて泡吹いて倒れそうになる。大変申し訳ない。
J禁ってまだ通じるんかな?
ジャニオタも腐女子も男性を性的消費しているのだから男性の性被害への批判やや同棲愛への賛同は誰よりも強くするべきだと思う。なんちゃって理解ほ当事者の感情を煽るものは無い。
「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」みたいな定義だっけ?
だとすると俺が読んだことがある純文学は「アルジャーノンに花束を」と「虎よ虎よ」だけかなあ。
え?じゃあ純文学ってなんだ?
恋愛ドラマや戦争映画でサブテーマに人種差別が入ってきてるような感じ?
純喫茶は「純」=「酒の力に頼らずソフドリと飯と雰囲気だけで勝負してますよ」って意味だっけ?
じゃあ純文学も「純」=「内容に頼らずに文学性だけで勝負してますよ」じゃないとアウトなんか?
チョット調べたら「こころ」や「よだかの星」も純文学らしいね。
でもどっちも「"潔癖症的な自己憐憫&自己否定"vs"自己満足的な懺悔&自己破壊"のタッグマッチ」がメインテーマであって、文学としての表現力はそれを盛り上げるための裏方業務って感じじゃね?
裏方凄いなーって所で盛り上がるときがあるのは分かるよ。
サマフェスのスピーカーの仕組みがバズるとか、競馬の名実況で思い出トークが始まるとか、でもそれってやっぱりサブジャンル的な楽しみ方だと思うんだよなあ。
それとも「SF」や「歴史小説」や「架空戦記」みたいに単なる舞台設定の一種なのか?
いやそもそもの考え方が違う気がしてきた。
小説って作品のジャンルを何によって定義するのかが他のコンテンツよりも自由すぎるんだな。
あとテレビゲームの「アクションアドベンチャー」とか「MMOFPSRPG」みたいな合体型のジャンル表現が発達してない。
分類する人間が漠然と一番濃度の高い要素で定義してるだけなんだな。
そうなると「純文学」って言われる作品の傾向がなんか見えてきたわ。
「他にメインジャンルになれるような要素が強いものがなく、かつ純文学のカラーが強い」って場合に「純文学」の棚に分類されていくってことなんじゃねえか?
「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」であることは「純文学」の必要条件でしかなく、「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」だったら全部「純文学」になるわけじゃない。
逆に「純文学」と呼ばれている作品はすべて「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」であるってことか。
すげー地味なオチだな。
しかしアレだな、こうなると「純文学」ってジャンルに区分されるってのは「それ以外の要素が特定のジャンルに含まれるには弱いね」を意味しているってことだな。
「恋愛小説」や「ライトノベル」っていうジャンルに区分けされるのと「純文学」ジャンルに入れられるのどっちが作者的に満足が行くのだろうかってのは永遠の謎だなあ。
「アルジャーノンに花束を」にしたって文章によって主人公の知能状態を表現しているのは凄いんだが、それを通して描かれる差別問題、知性の絶対性に対する問題定義の方もちゃんと読み込んでやらんとアカンやろとは思うんよな。
絵画の世界だと手段そのものが目的になっていることは結構あると思うが、文学の世界でそうなってる作品ってあんま多くなさそうなんだよな。
結局求めているのは自分が切り取りたい世界観に合わせたより適切なレンズやフィルターであって、それが凄いねって褒められたとして作者的には「いやそれを通して見せたかったものの方の感想言えよ」なのかも知れねえなあ。
これは彼の了承の上で書いている。
恋人は、お世辞にも売れっ子とは言えないデビュー数年目、20代の漫画家だ。売れていない理由は、基本的に絵がマズいから、とにかく遅筆だからだと思うんだが(実際、ネット評価はそれなりに高い)、ド素人であるわたしから見ても、恋人の頭はおかしい(いい意味で)。
さて、ここからが懺悔の内容なのだが、恋人のストレス発散の方法は、増田に書き込むことだったようだ。
それ自身は何ら悪いことではないと思うのだが、よくよく話を聞いてみると、どうも年齢・性別・職業を偽り、さも当事者の独白のような書き込みをしたというのだ。別にそれも珍しいことじゃないんじゃない、と返すと「俺の書いた創作を本当のこととして受け止めて真剣にトラバをしてくれたり、ブコメをしてくれる人が増えて申し訳ない」と言うのである。
増田の履歴を見せてもらったら、正直ぶったまげた。30エントリぐらいだったと思うが、ほとんどがはてブ100オーバー。300、500、1000なんていうのも散見される。恋人らしいエントリといえば弱者男性論とジャンプ論ぐらい。その他のエントリは見事にサラリーマンであり、主婦であり、教師であったりした。かなり話題になって論争を引き起こしたエントリもある。相当ゆるいはてなあであるわたしですらもブクマしたエントリがボコボコ出てきて目の前の画面を信じることが出来なかった。
恋人は漫画を描くように架空の人物を想定し、その悩み、喜び、経験、持論を文章にするのだと言う。好戦的なタイトルをつけ偽悪的に振る舞い分断を煽る。正直に言うと、決して誉められたストレス発散法ではないと思うが、わたしは恋人の表現者としての業を見せつけられ戦慄した。
恋人は画力の低さ、遅筆ゆえに、自ら発想したアイデアを漫画というメディアでは表現しきれない。頭の中に生まれてしまった誰かの人生を、感情を、常に内にかかえて爆発しそうになっているのだ。その苦しさを増田という場で吐き出している。この文章を信じるも信じないも、恋人を叩くもスルーするも読む人次第だと思うが、少なくともわたしには彼を諌める言葉は出てこなかった。