はてなキーワード: 屠殺とは
そういえば、高級スポーツカー乗り回してパトカーに追われて暴走して人轢き殺したジャンキー女って何だったんだろうな
市営住宅の母子家庭?で裕福とは言えない家庭だったみたいだけど、成績は優秀な方で、明治大学の法学部に折角受かったのに大学デビューを間違えたんだろうか
司法試験を目指すわけでもなく、大学時代からヤクにハマって、住んでる市営住宅でも近所と揉め事や警察沙汰起こしたり、
流石の自分もああいう何のメリットもないことをやる人間の気持ちがまったく理解できない
ネクロフィリアとか特殊な性癖でなくても死体をバラバラにすることは普通にある
旦那のDVに耐えかねて殺してしまったセレブ妻も遺体をなんとか隠そうと思ったが、旅行のスーツケースに旦那が入らなかったため遺体をバラしていた
キモいとかグロいとかそれ以前に、屠殺なども同じだが、バラすというのは非常に体力、労力、精神力を消耗する作業だ
座間の犯人が自慢気に、人間の死体はバラすと臭いので食えないと言っていたが、それは他の動物でも同じではないだろうか
週刊誌の記者との面会から感じる、彼のその自慢気な態度が個人的にはどことなく気に入らないのだが、
最近は流石に変わってきているだろうが、被差別部落と呼ばれるような人や在日朝鮮人が普通の仕事に就けないため屠殺をしていたのはそういうことを含んでいる
座間の犯人は筋トレが趣味だと言っていたが、かなりの体力バカではあるのだろう
どんな殺人犯であれ、猟奇的連続殺人犯であれ、死体の分解にはかなりの体力を消耗するはずである
つまり、その体力消耗というコストと、当然警察に逮捕される社会的ダメージを受けるなどのリスクと、リターンとしての金銭などが釣り合う必要がある
そうでなければ犯罪に手を染めようという気にならない
シャブもギッハブの陰謀とか言ってる歌手から考えると自分にはメリットがないように思える
ヤクの売人は基本的に自分の売り物であるヤクはやらないものである
商売の基本であろう
ネットフリックスにあった中国料理紹介番組を見ていたら、解体された生の牛肉がビクッと動くカットがあった。
いや、理屈としては新鮮なイカの刺身が動いてスゴいですねっていうのとまったく同じなんだが、赤い生肉だとこうもキモく見えるものなのだな。
「生肉 動く」で検索かけたらおなじく中国でちょっと前に「買った肉がビクビク動いてる」つって騒ぎになったことがあるらしく、それをみるに中国の人からしてみてもわりとキモいことくさい。
肉、たぶん俺は切断処理してるというか、生きてる牛とか豚と肉をあんまり繋げて考えたくないと内心思ってる感じはある。
屠殺場で全工程をしかと見せられた後にさあ食えつって肉出されたらけっこう嫌だろうな。
生肉が動いてると、たぶんそういう生き物感に思いを馳せてしまうからダメなんだろう。
勝手な話だ。
昨晩の夕飯はボンゴレ・ロッソであった。アサリとトマトソースのパスタ。
アサリは真空パック(※)のやつを買ってくる。加熱も冷凍もまだなので、アサリは生きている。
サラダボウルに水、塩を加えて海水に近い環境を作り、砂や不純物を吐かせるためにアサリをざらざら投入。
しばらく放っておくと、ココハドコダ? と言う感じで、にゅう、と2本の角(入水管と出水管)が出てくる。指でつっつくと、ヒエーと言いながら引っ込む。放置しておけば、モウダイジョウブカ? とそろそろ出てくる。
可愛い。半日ほどそうやって余分な内容物を吐かせるうちに情が湧いてくる。
でも食っちゃう。にんにくとアンチョビ、唐辛子、トマトソースで作ったソースを塩とコンソメで整えて全アサリを鍋に送り込む。ジェノサイドだ。
アサリには脳がないらしい。そうすると、じゃあアサリには感情がないのか?
どうなんだろう、と思っているうちにソースに埋没したアサリは絶命。口を開いたら良い頃合いで、茹だったパスタを混ぜる。
今回のボンゴレ・ロッソは非常にうまくできて、すさまじく美味かった。旨味成分はコンソメしか使っていないが、アサリという海産の滋味がしとどに出まくっていた。
アサリを煮殺すぐらいでこのザマなので、俺には脊椎動物の屠殺とか絶対できない。でも食う。美味いからだ。今回使ったコンソメにも豚のエキスは使用されている。
屠畜場の職員は偉い。畜産業も偉い。大切な、ありがたい仕事だ。
「偉い」と外野から軽率に言われるのも、「俺なら絶対できないことを…」という含まれたニュアンスがかえって不愉快にさせるのかもしれないが、とにかくありがたい。ありがとう、と思いながら生き物を食ってる(今晩はカレー)。
ブコメを見て思い出したんですが、この日使ったのはプラスチックトレイをビニールでパックしたもので、「真空パック」ではありませんでした。
なんとなく真空パックと言いたかったのでこう書いてしまったのだと思います。すんませんでした。ピチッと真空されてシールされた場合、中のアサリはたぶん死んでるのではないかと思います。
10年くらい前に「TV見ない」とかいうと、顔真っ赤にして怒り出しす人多かった。本当は必要がないことを本能が理解しているものの、自分の生活の一部となりアイデンティティになっているので、否定されると自分が攻撃されていると勘違いして激怒するのがその特徴です。
「Googleとかなくても調べ物できる」
なんて発言があるとして。この言葉にはほとんどの人は「へーそういう人も居るかもね。おれは使うけど」
「スマホは必須だろ!どうやってYoutubeもGoogleもない生活をするんだ!そんな原始人みたいな生活をするだなんてお前はよっぽどの貧乏人で暇が有り余ってるんだなwwwwww」
とかいうキレ方する奴見たこともないし、ちょっとこんなテンションの人が出てくるの想像しづらいです。
まぁPCけなしたら怒る人は若干いそうだけど
ところが次の斜陽テクノロジーとかに使うとブチ切れる人は出てくるのでは
零細企業や業界によってはFAXがデファクトスタンダードなの知らないの?
ペット飼わないの?ペットのかご抱えて動物病院まで歩いていくのwwwww
じゃあ勝手に草だけ食ってろ
かわいそうに本当に美味しいお肉を食べたことが無いんだ
このての怒ってる人って自分がなんで怒ってるのか理解できてない感じする
そこが悲しいよね
でもあれだけ虐待が起こっても「じゃあ前科があるかどうか確認してある奴には取らせないようにしましょう」みたいにシッター界隈で言われてるような話にはなんないわけじゃん
結局問題が起こった後から大騒ぎするだけで、それを抑止しようという具体的な話はいっこうに出てきやしない
女子供との違いはここ
だいたい、ああやって障碍者やらホームレスやらが殺されてやたら怒ってる連中というのはね、障碍者やホームレスが自分の観測範囲に入ってきたことに対して怒っているだけなんだよ
要は豚の屠殺と一緒で、最終的な結果自体はフツーに肯定していて「私の目に触れないところで、私の目に触れない間に、人知れずくたばってほしかった」だけ
見たくなかった存在がニュースの形を取って自分の目に入ってきたことに対してキレてるだけであって、本当の怒りは殺人犯とは全く別のところにある
屠殺したことがある人ならわかると思うんだけど、大型の哺乳類ってマジでヤバい量の内臓が詰まってるのね。
なので、腹筋が弱い女性や腹筋が弱まる中年になるとおなかがポッコリしてくるのは普通なのよ。脂肪がついてるとかじゃなくて、単に内臓がせり出してきてる。ガリガリなのにおなかポッコリしてる人がいるけど基本はそれが原因。
なのでおなかをへこませたかったら腹筋運動をするのがいいっていうのは間違ってないわけ。これは脂肪を燃焼させるというダイエットとはまた違う方向性の話で、腹筋という壁を作ることで内臓が外にせり出してくるのを防ぐことができる。その結果、普段まったく運動しない人は「腹部の引き締め効果」をてきめんに感じるはず。
ちなみに腹筋運動で消費できるカロリーはキツく感じる割にはゴミみたいなものなので腹筋運動いっぱいしても体重はそんなに落ちない。もちろん、まったくやらないよりもやったほうが脂肪燃焼の効果はあるけど、脂肪を燃やしたいならスクワットとかウォーキングとかもっといい方法はいくらでもある。
おなかの引き締め効果だけなら普通の上体起こしに加えてサイドベントも取り入れるとなお効率的。最初はおもりがなくても腹斜筋を意識するだけで十分効果があるし、物足りなくなってきたらペットボトルに水を入れて代用することも可能。
腹筋運動が有効なのはあくまで「内臓せり出し系のポッコリおなか」であって「内臓と腹の周りについた脂肪の除去」ではないことは押さえておくべき。
道を歩いていると、車に轢かれたり人に踏まれたりして虫が潰れて死んでいるのをよく見かける。
そういうのを見ると、たぶんみんな「うわあ」と感じると思う。
俺も思う。
俺の「うわあ」だが、おそらく他の人より5倍くらい大きい気がする。5うわあだ。出社途中に見てしまったりすると、歩いている間中、頭の中がそのことで重苦しい感じでいっぱいになる。
死ぬこと自体はしかたがないが、別にそんな死に方じゃなくてもいい。
そういうわけで、まだ生きているやつは誰かに踏まれる前に俺が拾って植込みとか土の上とかに放りこまれることになる。
自己満足だ。死ぬなら俺の見てないとこで死んでくれ、ということでしかない。とにかく拾って放る。
カナブンも拾うしセミも拾う。カマキリも羽のもげた蝶も拾う。カエルも拾う(虫じゃないけど)。デカい芋虫とかはさすがに無理。
夏になると多いのはミミズで、ミミズはマジで悲惨だ。地中が暑いから表に出てきてら、逃げ込んだはずのアスファルトの方がはるかに高温で焼かれてしまう。
のたくるたびに、まるで「えっ…」と混乱しているように見える。「えっ、おかしいな。熱っ。えっ、おかしいな」という感じ。直接は触れないので木の枝とかに引っ掛けて土の上にどかす。
セミの幼虫とかもたまに死んでいる。抜け殻としてよく見かける透明なやつじゃなくて、羽化するために土から出てきた中身が黒く詰まってるやつだ。
何年も地中にいて、成虫になるために出てきたら潰されて死ぬのか、と思う。
実際のところ、何かの本で読んだが、昆虫には感覚はあっても俺たちのような「心」はないらしい。
だから、体が致命的に潰されても、別に怖かったり悲しかったりはしないのかもしれない。
セミの幼虫が羽化を目の前にして死ぬのだって、人間の目線でそれを大事なステップとして強調してしまうだけで、セミ自身は何も考えていないだろう。何もかも、人間の感傷に過ぎないんだろうな、と思いながら、俺は路上でウロウロしているコフキコガネとかをつまんで土の上に投げてる。
俺は30過ぎで子供がいない。だから、このまま持たない可能性も割とあるが、別に持たないと決心してるわけでもないので、いつかできるかもしれない。
外で小さい子供を見かけるとき、たまに、このぐらいの息子や娘がいたらどういう感じかな、と妄想してみる。
そいつは俺の周りをチョロチョロしながら、路上のありとあらゆるものに興味を示す。生きている虫とか木の実とかなんかの枝とか。その中には、潰れて死んだ虫もあるだろう。
そいつが俺に何か聞いてくるのが怖い。「なんでこの虫は死んでるの?」
なんでって、誰かに踏まれたからだよ。生き物はそうやって死ぬこともあるんだよ。
とは言えない。妄想に妄想を重ねてしまうが、その質問の奥に、もっと手に負えないものが潜んでいることへの恐怖がある。
「僕/私もいつかこうやって死ぬかもしれないの?」「こうやって死ぬかもしれないのに、僕/私は生まれたの?」
路上で潰れて死ぬ虫を見て感傷的になる前に、この世の色んな場所で、「暴力」によって生き物が抗うこともできず死んでいる。
食用の家畜とか、紛争地帯での殺人とか(この二つを同列で扱っているわけではない。念のため)。
「なんで動物は殺して食べてもいいの?」「なんで○○(適当な地名)では人と人が殺し合っているの?」
かなり困るが、そこには答えるためのフォーマットもある。
要は人間が生きていくために根本的に抱えている利己性、ということだと思っている。そんな答えの中に屠殺される家畜への感謝とか、諸外国の歴史とかを織り込めば、一応回答にはなる(正しいかどうかは別として)。
でも、この虫みたいに、いつか何の理由もなく暴力にさらされて死ぬかもしれないのに、お父さんは僕/私を生んだのか、という質問には答えがない。
なんかの宗教に入ってればよかったなあ。困るなあ、と思いながら、子供もいないのに、肩を落としながら今日は散歩をしていた。別にそれでも、俺はぜってえ子供持たねえ、とならないのはいい加減というか、少し恐ろしい話な気もするんだな。
東京都北区議会の補選で、水着のかわりにアベノマスクを乳首部分につけた女性候補のポスターが話題になっている。
共産党の前衆議院議員さんをはじめとした意識の高い方々が批判し、なかにはこういうポスターが貼れないように法規制を求める方もいらっしゃる。
では、現状では大きさを除けば完全にフリーダムな選挙ポスターに規制を導入して件のおっぱいポスターを取り締まれるようにするとして、あなたは以下のような事例にはどう対処すべきだと思うか?
どれを禁止し、どれを許すべきか。その基準をどのように明文化するべきか。
(俺は全部自由で、当然件のおっぱいポスターも取り締まられるべきじゃない派。民主主義体制の下では、選挙ポスターでこそ最大限の自由が発揮されるべきだと思うので。不真面目なポスターを掲示するやつに対しては投票で懲罰を与えるべき)