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2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

2012-03-03

東京出張した際、兼ねてから足を運んでみようと思ったハッテン場の○○に行ってみた。人数が多い分

派手に盛り上がっていて、あっちこっちの暗がりからよがり声が丸聞こえだ。その中でも一番大きい声を

出している男をちょっと見てみたらスゲエ!短髪マッチョの「いかにも」な雄臭い野郎が、股広げて

ブッ太い拳をケツマンコにガンガンぶち込まれてチンポビンビンにオッ勃ててヨガリ泣いてる!

こんな雄野郎がフィストされてんのか?!この体は相当鍛えているだろうし、顔も男臭いから

普通にしてても十分もてるんじゃないのか?近づいてよく見ると、ケツも前もツルツルに剃り上げられている。

チンコはそこそこでかくて、根元にコックリング三重に仕込んであって、それで締められているもんだから

萎えようにも萎えられないし、いきたくてもいけないって仕組みだ。しばらくそつのチンコごいた

乳首責めたりして遊んでいたら、奥の方に人がどんどん吸い込まれていくのが見えた。何だろうと思って

行ってみると、こっちの方がもっとスゲエ!色黒短髪でコイツはマッチョと言うよりSG系で、筋肉の上に

だぶつかない程度の脂肪が乗ってて、すごいジューシーな感じがたまんないんだけど、とにかくそいつが

つん這いになってて、そのケツマンコに数人の男達が代わる代わる拳ブチ込んでいる!タチの男達も

みんなガタイいから、腕だって結構太いし、拳もでかい。そんなのを何度も何本も受け入れてるから

ウケのケツマンコは完全にビロビロのガバガバになっているのに、それでもみんな拳でガンガン責めている。

そのうち、その中の一人で本当に馬並みのデカマラ野郎が、ギンギンにオッ勃てたモノでそいつをバコバコに

犯しだした。中の粘膜がめくれ上がってビロビロのケツマンコに超デカマラが猛烈な勢いでピストン運動

しているのはスゲエ迫力だ。俺はあまりの激しさに少し見入ってしまった。しばらくファックされていると、

ウケがよがり声と言うよりは泣き声を上げだした。床に水がはねる音がしてあれっと思ったら、

ションベン漏らしながら射精してた。白目むいちゃって、あれは完全にイッちゃってたよな。この日俺は

フィストもしないで普通に二発ケツ掘って帰った。俺は見てただけだけど、何だかとにかくすごかったよ。

2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204102821

これもまた童貞こじらせてると言うか、非モテ非コミュ特有だよなー

ろくにコミュニケーションとってなさそうなのに、なぜか俺のこと振り向いてくれる、俺のチンポでヨガってくれるとかどこかで思ってる

ほんとキモい

コミュニケーションすら取れないのはDQNにも劣るんだよ

2011-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20110920125900

なんか鏡に向かって『お前は誰だ?』って言い続けると気が狂うって都市伝説想像してると思うけどそれとは違うんで心配しないでいいw

瞑想とかヨガっていうのは自分の体験だとか自己同一性を変容させることだから、もちろん絶対に危険性がないとか、安全とは言えない。

世の中には様々な瞑想法があって例えば激しい呼吸法とか精神の裏側を覗き込むことを目的にするとかマリファナやりながら音楽聞いて瞑想とかはそのリスクが高いと思う。

ここではないどこかへを求めてたヒッピー瞑想との親和性を考えるとわかりやすい。トリップにはバッドトリップが付き物。

でも、この瞑想法はそういう激しいやり方じゃなく、メジャー瞑想法でいわゆる宗教的じゃなくて科学的で安全でそれでいて効果があると実体験として思う。

瞑想にはパーリ語でサマタ(高い次元での集中)とヴィパッサナー(洞察、観察)っていう二つのやり方があるけど、

一人でやると危ないのは前者。もちろん、前者にもちゃんとしたやり方はあるんだけど、後者は「あっち側」に行くのを目的にしていない。

というより、その対極で、妄想に気づけってやり方だから安全だと99.99%言える。

何か認知療法に近いものがあるのではないかなと個人的に思ったら、こういうのがあった。http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%C7%A7%C3%CE%CE%C5%CB%A1Tips%204

瞑想」っていう言葉ほとんどの日本人は知っているけど、禅の影響で空だとか「心を無にする」だとかい漠然とした理解で

その正しいやり方を理解している人はほとんどいないのがもったいない

もちろん心配なら俺みたいに自己流じゃなくて、しっかりした指導者の元でやるのがおすすめ

2011-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20110617103052

ジムに入会すればたいてい複数のヨガレッスンあるし男もやってるよ

ヨガやってみたい

うちの高層マンションにもヨガ教室が入ったけど、女性向けっぽい。

男性でも参加できるガチっぽいヨガ教室、都内にないかなぁ。

目標は腕を伸ばしたり火を噴いたりすること。

2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。

二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590

で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。

でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。

社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか

ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。


ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。

まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。

じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。

とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。

それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。

まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。

ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

2011-01-17

30代独身美容販売員クリシュナムルティを知っていた

まず最初に確認しておきたいのは、瞑想というのは些細なことから誤解を生みやすいものゆえ、日常や世間でおおっぴらに扱われるべきではなくて、

個人でやりたい人が勝手にやるものだということだ。だからコスメショップにおいてひっそり評価されるべき文化単語である

クリシュナムルティ」という単語が発せられたこと自体、非常に気まずいものだったことは言うまでもない。

.

申し遅れたが俺は特別瞑想と深い関わりのない20代男性であり、ひょんなことから珍しくもコスメショップと関係を持ったのだが

そこの30代独身美容販売員オフビジネスで話している時に「クリシュナムルティ」という単語が出て椅子から転げそうなほど驚いた次第である

.

まず女性瞑想に興味があること自体がなかなか無い。セレブ主婦、有閑マダムが暇にかまけてやったりする可能性はあることはある。

ヨガ教室なんかでね。まあ可能性は非常に低いけど。それからスピリチュアルに傾倒した女性が興味を示すことも無いとは言えない。

まあまず無いけど。他にスイーツ女性雑誌の「キレイになる」特集記事見てやる可能性もゼロとは言えないがゼロに近い。

あとは宗教をやっていたら瞑想らしきものをさせられることはあるかもしれない。人口的にこれが一番多いのかも知れない。

.

さらに30代という年齢層も絶妙と言わざるをえない。20代以下は論外として、まさか30代という若さでそういうややこしい世界

もつれこむなんて。事情はよく分からないが、よっぽど災難続きの波瀾万丈の人生で計り知れない苦労をしたんだろうと思ったり

せざるをえない。しかもその人は30代前半っぽい。39歳とかの人生の後半戦に差し掛かった人間なら分からなくもないけど。

.

瞑想というと30代独身美容販売員なんかがやるものじゃなくて、人生の折り返し地点を過ぎた男性自分を見つめ直すために行われる

のが通例だろう。そうでもなければ、触れてはいけないもののように扱われるか、あるいは親しい相手の場合は「ええっなんでえ?」と

瞑想をやっている動機・目的を厳しく問い詰められることは必定である

かくいう俺も20代なのでそういうふうに問い詰められたことは二度三度じゃなかったし、もう完全に宗教か何かの怪しいことをやっている

と思われている次第である。いや俺は瞑想はお試しでしかやってなくて単に知識として興味あるだけなんだけどと弁解しても無駄である

.

誤解しないで貰いたいのは俺も瞑想に多少興味はあるが、瞑想というのは流行になったりブームになったりしないものから

瞑想という文化」らしい文化が無く、だから人々がどう瞑想と関わっているのかは普通からいものである宗教団体にでも入らない限りは。

俺もそうだった。分かっているつもりで分かっていないらしい。それを今回のことで激しく実感した

.

思うに、大々的には取りあげられないけど人々の間で根付いている文化というものもあるのかもしれない。

人口的には数千人に一人とか数万人に一人という物凄く少ないものかもしれないけど、目に見えない全国のネットワークのような

ものが存在しているのかもしれない。そういう人達は交流や情報源に相当苦労しているのかもしれない。

そもそもネットワーク存在すら知らずに1人ひっそりと頑張っている人もいるのかもしれない。

からといって、ブームになったら非常に痛々しいことになるのは言うまでもないが。あくまでひっそり評価されるべき。

2010-11-16

そこまで華やかな経歴がなくても、エステヨガ旅行など趣味を楽しんで充分に女性として魅力的な40代50代の女性もたくさんいます。

なんだかなー

2010-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20100606214357

俺なんか「よがる」って単語だけでヨガインドダルシム連想するから

官能小説読んでも全然感情移入できない。

お前もそういう病気にかかれ。

2010-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20100522015924

相談所にもよるかもしれないけどさぁ。

恋愛結婚ではなくそういう場所に来る以上、いわゆる「奥手」な女性存在してるはずだと思うよ。

ヨガは特に明るくないし、映画なんて喋らなくても時間が潰せるインドア派そのものの趣味だし、

だいたいの女はショッピングに男を付き合わせられないことは知ってる。

服なんて最低限の清潔感を保って、あとは相手に選んでもらえばいい。

あと、「おしゃべり好き」とプロフに書いてくるような人は

互いに会話のラリーをしたいんじゃなくて一方的に喋ってるのを聞いてもらいたい人だと思う。

話題を合わせる自信がないなら、いっそそういう人にガンガン喋らせて自分は聞き役に回ってた方が楽かも。

良い聞き手になるための相槌の打ち方だとかは適当にぐぐったらあるだろう。

合わせようだとか、ましてやリードしようなんて考えなくていいよ。

婚活はじめてから5カ月ほどたつ27男だけど、怖い。

なんつーか、向いてない。

友人がけっこう結婚しだしたのをきっかけに、今年の初めに結婚相談所のOに登録してみたけど、怖いわ。

年の割に年収高いせいか、申し込みが結構来るけど、怖い。

プロフィールによると、

みんなおしゃべりとかが好きって書いてあるのよ。

ヨガが好きだし海が好きだし活動的で明るいんだよ。

料理が得意でショッピング映画を楽しみたいらしいんだわ。

怖いわ。そんな女性怖い。

なんかさげすまれそうで怖い。

えっ、こんな年まで何やってたんですか?とか言われそう。

何やってたってあなた、俺だって必至に生きてきたんですよとか

さげすまれる前に自白しそう。怖い。

ていうか、なんかメールの返信をしたら断れる気がしない。

相手から断りが来ない限り、なんかずるずるずるずる行きそうで怖い。

絶対ふられるときは相手からだし、なんか突然音信不通になられそう。

駆け引きとか無理。なに?かけひきとか。全部文字通り直球でうけとるわ。

手玉に取られそう。手のひらで踊り踊らされそう。怖い。

そもそも会うための服がないし、なにしたらいいかわからん。怖い。

カラオケ行っても歌う曲ないし。最近芸能人の話題も知らないよ。

Googlewaveが一般公開された話とかしようか?無理だよね。

ドラマとか古畑任三郎くらいしか話せないよ。

年代のひとだとしたら、当然若い時にはやってたものとかで

懐かしトーク期待するじゃない?無理無理。

当時からそんなのに疎すぎる俺が覚えてるわけない。

えっ?そんなことも知らないの?本当にタメですか?

とかいう顔されるんだぜ。怖い。

もう無理だ。何もしないうちから無理。

2010-05-17

外国人日本経験した心理体験

1978年、私が15歳の頃だった。親が近所の大学客員教授としてアメリカに来たという日本人の子がうちの中学校で1年過ごして、それから日本に帰ったんだけど、やっぱり無性に会いたくなって、おじいさんに夏休みの間に遊びに行かせてもらえるよう頼んだらOKしてもらえた。7月の夜に日本に到着して、ヘトヘトだったけどそれ以上に凄いテンションが高かった。友達とそのお母さんに客室へと案内してもらうと、そこは畳の床で、襖で仕切られた、その家唯一の和室だった。一室だけ和室にして残りは近代的な作りにするというのは、比較豊富日本の家では一般的なのだそうだ。友達のお母さんが部屋の押し入れから布団を出した時、押し入れの中から冷たい空気が抜けていくのを感じたけど、密閉された空間なら外気に影響される事もないだろうと、その時は特に気に留めはしなかった。その日の夜はぐっすり眠れた。

次の日の夜、目が覚めていた私は電気スイッチが消える音や二回の寝室の扉が閉まる音といった、夜が更けていく音を布団の中で耳にしていた。明日はどんな楽しい冒険が待ってるんだろうとワクワクしていると、微かに笑い声が聞こえてきた。きっと隣の家で集まりがあるんだろうと思ったけど、笑い声はどんどん大きく、そして近くなっていく。そしてやがて笑い声は・・・何というか、狂気じみたものになり、徐々に音量を上げつつ耳のすぐ側まで近づいてきた。起き上がって二回の友達の所へ逃げようと思った。目は完全に冷めていた。でも、筋肉一つ動かす事ができなかった。ここで私は子供の頃、日本へ発つまで受けていたヨガのレッスンの事を思い出した。きっと本能的に思い出せたんだろう。ヨガインストラクターは、その名前を口にするだけで負のエネルギーを浄化するという、東インド聖人マナの事を教えてくれた。もう何だろうがやってみようと思い、その聖人名前を言おうとした。しかし、言葉すら発する事ができなかった。恐怖は身を硬直させると私の本能が告げ、この恐怖の中とにかくリラックスしようと、夜の星空の中を浮遊する自分の姿を必死にイメージした。すると、やがて嵐のように乱れた私の周囲に落ち着きが戻り、今度こそ聖人名前を言おうと口を動かした。声に出す事は出来なかったけど、私の唇は微かに「ラマナ」という言葉を紡いだ。すると、あの耳に響く邪悪な笑い声はピタリと止まった。まるでスイッチを切ったかのように。体を動かすことが出来るようになった私は、二回の友達の所へ駆け込もうと思ったけど、何故かもう安全だと感じ、わざわざ起こすまいとそのまま眠りに落ちた。

翌日、友達の友達が私の歓迎会と称したお茶会に来てくれた。昨日起こった事を話すと、それは「カナシバリ」というものだと教えてくれた。霊体等が休んでいる人間にそうやっていたずらをするそうで、日本ではよくある事なのだそうだ。その他にも、子供が寝ている間に頭の向きと足の向きを変えるオバケの話など、日本幽霊の事を色々と話てくれて、私の経験も夢ではなく私が実際に起きていたという事を、特に抵抗もなく怖がりもせず信じてくれた。私の説明からして、あれは何か妖怪の類だと言い、あの笑い声を聞いたら誰だってそう思うだろうと思った。あの笑い声が、前の夜に寒気を発したあの押し入れの方角から近づいてきた事には後から気付いた。

この経験から、たとえ邪悪存在が近くにいても平常心を保つ事は大事な事である事を学んだ。その後に格闘技を学ぶ際に教えられた事も更にそれを裏付けた。かつてチベット僧侶がこのような事を言っていたのを覚えている。「怒っている時に攻撃してはいけない。外してしまうかもしれないからだ」

http://www.yourghoststories.com/ghost-stories-categories.php?category=10&page=1

2010-04-27

生活に支障が出るくらいアナニーが気持ち良過ぎて困る

新年度が始まって何か新しいことをしてみたくなってアナニーに入門してみた。

アナニーっていうのは、アナルオナニーのことなんだけど、日本ではアナル=変態みたいな印象だが、海外では立派な性感帯として認識されていて、アナニーオナニーひとつジャンルって感じ。

アナニー入門からはまるまで

まぁそんなことはどうでもよくて、とりあえずネットで知らべながら、アナルグッズを何個か買ってみたのね。

あ、ちなみに増田男性です。

  1. ピンクローター & ローション 1500円くらい
  2. アナルバイブ 1000円
  3. 電動エネマグラ 5000円

上は買った順番。

アナルに指を入れてみようとすると、ローションが重要ってことはよく分かる。なので、最初はローターとローションを買った。

ローターがアナルに入る感触は新鮮で、ちょっとだけ気持ち良かったが、慣れてくるとアナルには小さ過ぎてすぐに飽きた。

次にアナルバイブを買ってみたんだが、これはそれなりに太くて慣れてくると出し入れが結構気持ちいい。

だが、アナニーには誰もが憧れるドライオーガズム山というイキの最高峰があるんだが、その頂には登ることが出来なかった。

そこで、ちょっと値は張るが、ドライ山登頂の確率を一番上げてくれるというエネマグラというアイテムを購入することにしたんだ。

電動を得らんだのは、バイブがあった方がエロそうという理由だが、これは後で話すが大正解だった。

で、1ヶ月弱ほどかけて何度かアタックした結果、ドライ山の頂上に到達することが出き、今では毎日アナニー状態になってしまったんだけど、今日はその気持ち良さと悩みを聞いて欲しい。

アナニーのイキは終わりがない

コツを見つけてからは、それはもうすぐにイキ状態に到達できるようになったんだけど、このイキがすごい!(別冊宝島)。

どんな感じかと言うと、AV女優がバイブでヨガりまくって「あん! あん! ぁっ! っ! んっ! んんっ!」ってずっと言い続けて、最終的に「あぁああああ!!イクー!! イクー!!アー……(沈黙)」っていうシーンがあるが、まさにアレ状態なんだ。

電動エネマグラのバイブが動いている間はずっと自然に腰が振らされる。で、女性のような「あっ!ぁんっ!んっ!んん!」って高い声が自然に出てしまう。で、ずっと何とも言えない気持ちの良い状態が続くんだ。

射精の気持ち良さを一度味わったのに、もう2度としたくないと思う男性ゼロに近いのと同じで、アナニーでこのドライを味わってしまうともう止められない。

ただ、大きな問題がひとつある。

それは、射精と違って、いつまで経っても賢者タイムが訪れないということなんです。

賢者タイムが訪れないということは、オナニーを覚えたサルが死ぬまでオナニーをし続けるという伝説とほんと同じで、サルのようにいつまでもアナニーをし続けてしまう。

えびせんはやめられないかもしれないが、いずれ消滅する。アナニーの気持ち良さは消滅しない。

どうやって止めるかというと、とてつもなく強い精神力を持ってもう止め! という誓いを立てるか、体力の限界が訪れるかしかない。

でも、アナニーを止めるのは好きな女性の裸を目の前にして、初セックスしないのと同じレベルかそれ以上のスルー力が必要で、これがかなり厳しい。

結局、一度アナニーをはじめると気付くといつも3時間以上続けてしまい、寝不足最近は本当に生活に支障が出てきて困っています。

なので、最近アナニーをはじめる時間を繰り上げて、9時くらいからスタートするようにすることで、0時に終われるようにして何とか生活リズムを保っている。

今も時間もったいないんでアナニーしながら増田にかいてるんだけど、ほんと気持ち良くて困る。

みんなアナニーをはじめてたら、昨日はアナニーが気持ち良すぎてあまり寝れませんでしたっていう人が続出して、絶対アナニー欠勤とかいうのも常識化するはず。

というわけで、これを読んだ増田明日からアナニーしよろ。男と男の約束だぜ!

2010-03-18

胸元の開いた服

誰か、胸元がすっきり開いた服を探している人のためのメモ

胸が大きくてももたつかないし、顔のを大きさをカバーしてくれるの、いいよね。

ギャル服はけっこうセクシー路線で胸元が開いている

シンプルでおしゃれ路線を探すのは難しい

スクエアネックで検索するとブランドに関わらずいい開き具合の服が見つかる

ヨーロッパっぽい色使いのすっきり胸元が空いた服はないだろうか

2010-03-08

脳の扉を開く行為

昨日の夜、ドライに挑戦してみた。

アリノトワタリのちょっと奥にある、男の体にあるオンナノコを開発する行為だ。

ゆっくりと快楽をほじくり出す行為は、女性の膣を開発するのに似ている。指先に感じるコリコリした感じが、女性のGスポット近くにある、あのコリコリした部分を想起させる。

ちょっと気持ちいい、程度のものだ。でも、ちゃんと開発すれば、この世のものとは思えないような快楽が待っているはず。

しばらくいじる。ちょっと気持ちいい感じが、波が来ては去っていくような微妙な感じが繰り返し、繰り返し。

そうだ。妄想してみよう。

オンナノコは頭で発情する。

アソコを一生懸命自分の指でかき回してるオンナノコになったつもりで、かき回すように触る。

えっちの時を思い出す。指マンでイく女の子って、腰をどう動かしてたっけ。足の位置は?腰は?そうだ、足はちょっと閉じ気味で、腰は浮き気味だった。

真似すると、一気に快楽が襲ってくる。

あ、これはイく。

あ、あ、あ……

でも、イかなかった。快楽がギューっとあがったと思ったら、ぷっつりと無くなった。

しばらく、体を休める。

ちょっと体を動かそうとして、動かないことに気が付いた。体中にしびれた感じが残っている。

ひょっとして、イったのかな。

トローっとした感じがする。射精したときみたいな、強烈な快楽は無いし、山っぽいものは無かった。

そして、その夜は、眠れなかった。

体は疲れている。実際、体は眠って、頭だけ起きてるような感じだった。どうにもこうにもスッキリしなくて、トイレに行ったのが3時頃。

この感じは、以前にも感じた事がある。

初めての乱交パーティに参加した時の事だ。

今思うと、アレは乱交パーティじゃなかった。輪姦パーティだ。たくさんの男が、輪姦希望女の子を廻すパーティ。事前の会話タイムで参加理由を聞いてみると、たくさんの男性下半身に囲まれただけで頭が真っ白になって、あとはイキまくって記憶が消える、と言っていた。こんな可愛い子がなぁ、と思った。

あの夜、僕は初めてアブノーマルなセックスを体験した。ケモノみたいになった。ケモノみたいになる事を望まれた夜だった。そして、その夜、僕は眠れなかった。12時にパーティは終わったが、5時の始発電車に乗るまで一睡も出来なかった。

その体験の後、あらゆる事が変わった。絵の腕が劇的に向上した。セックスの腕もえらく向上した。ただ、前のように、きめ細かい作業が出来なくなった。細かいことをしているつもりでも、出来なくなっていた。何となく、これはレベルアップではなく、クラスチェンジなのだと感じた。

昨日の夜のドライオーガニズムにも、似たような事を感じた。

自分の脳のどこかに穴が開いたような感じ。トレパネーションって多分こんな感じだ。実際、今日は今までと違うような感じがした。仕事中にサラサラ落書きしてみたら、えらく上手く描ける。

今夜もドライを試してみたいけど、昨日の夜は結果的に夜更かししていたので、早く寝た方がいいかも知れない。

---

ちなみに、この感覚は、麻薬をやった時にも感じるらしい。

自分自身はやったことは無いしどこに行けばやれるのかさえ知らないが、中島らも小説やら、知人の大麻体験(そいつはインドの小さな村でやったと言っていた)なんかを聞くと、同じような感覚を体験したというのだ。

頭のどこか、今まで開いていない部分が開くというものだ。

---

僕は麻薬を使わず、今まで2回、同じような体験をした。

ただ、輪姦パーティ出ようが、ドライやろうが、他の人が同じ感覚になるかどうかは保障できない。

僕は青年時代はヨガだの瞑想だのをしまくって、自分の中の感覚やら気やらオーラやらの感覚が他の人より敏感に繊細に感じられるし、同じような趣味の人に独自の訓練を教わり、自分の中の感覚をだいぶ開発していた。

そういった技術あってこその境地だと思う。

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実はワケあって書けないが、この「頭に穴が開くような感覚」はもう一度味わっている。

これで計3回となる。

別に違法な事ではない。

ただ、この経験は他のと違い「よくある話」じゃないので、個人が特定される危険があるので伏せただけだ。

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これは結局、何の役にも立ってない。どころか、繊細なことが出来なくなったのは仕事に悪影響が出ている。

繊細じゃなくても出来るような仕事術を身に付けるには、いい経験だったけど。

2010-03-07

解消する暇もない忙しい人のための実践的ストレス解消法

ストレスを解消する方法、ストレスを大きくしない方法】

http://d.hatena.ne.jp/kiyo560808/20100304/1267724839

上記の記事を読んでもストレス解消にはなるまい。

僕は仕事残業が増えてストレスがたまり、不健康になりかけた事がある。

体調管理仕事のうちなので工夫しながら何とか最後までやりきった。

その経験から最終的に自分なりのストレス解消のスタイルが出来上がり、むしろ体調が良くなった。

簡単で誰でもできて忙しくても毎日やれる方法なのでやってみてほしい。

できればやってみた効果のほども教えてほしい。

やる事は3つ。

ストレッチをする。

プロテインを飲む。

自分の好きな自己啓発書の好きな文に目を通す。

こんだけ。

もっと具体的に説明すると。

①「ヨガベーシックス ~ストレス解消編~」というDVDを見ながらストレッチ。全部やると1時間以上かかるので首と肩のセクションだけやる。時間があったら全部やる。

これやって寝るだけで翌日体の軽さが全然違う。

できるだけ毎日やった方がいいけど、首と肩だけでも30分くらいかかるので本当に体が重い時とかにやる感じでもよし。

ヨガ最高。

②就寝のできるだけ1時間上前に「ザバスアクアホエイプロテイン100アセロラ」を、プロテインシェイカーによく冷やした水300mlを入れた後に、付属のサジで2杯入れ、激しくシェイクして飲む。

③今の自分を強くする、救ってくれるような文を読む。

僕の場合は「ビル・ゲイツ人生における11の法則」だった。

会社で怒られた日とかに何度も読み返して立ち直った。

こんな感じ。

疲れている人頑張れ。

2010-01-10

○☓行動チェック表 「習慣化」するためには毎日記録する

http://anond.hatelabo.jp/20100110001906

コメントを受けて。僕も物事を習慣化するのは難しいと思ってましたが、面白いように習慣化できる方法がありました。

それは、毎日一日の終わりにチェックをすること。

日記というより日誌のような感じで、ひたすら○か☓(あるいは△)で記録し続けるだけ。

今日蒔いた種

お金を使うときに「ありがとう」と言う ○

いただきます」「ごちそうさま」 ○

本を読んだ ○(「7つの習慣」)

腹筋25回・背筋25回・ヨガ5分 ☓

体重 52キロ

体脂肪率 20%

みたいな感じで、毎日記録してます。去年の2月から続けてるので、もうすぐ1年です。

完璧にできる日は実はそれほど多くはないのですが、それよりもできたことに意識が向いて、気がつけばいくつかのことが習慣化できていました。

たとえすべての項目ができていない日も、寝る前か翌朝にチェックすることだけは絶対に続ける。

これだけ守れば、だんだん楽しくなってくるから不思議です。

だまされたと思って始めてよかったです。

僕が真似した方法は、「フランクリンの13徳」で紹介されているチェック表が元です。よかったらググってみてください。

これ自体は難易度高いですが、やりがいはあります。何十年もかけてやるものだと思って、取り組んでいます。

2009-12-13

セイテキコウフン

 恋人ができると身体の形がかわるからすぐにわかると、そう友人に言われたのはほんとうだと、最近になってわかるようになった。

 もともとやせていたはずなのにウェストが細くなり、ちょっときつかったはずのレギンスにすこしだけ余裕ができる。ゆびがすこしだけ柔らかくなり、身体の関節がすこしだけやわらくなる。

 いつも三日坊主の、思い出したようなヨガをたくさん思い出すようになったわけではないし、朝に走るのを週1回から週2回に増やしたわけでもないし、食事の量がこれといって減ったわけではないのに。

 それでもベルトの穴はふたつ内側になる。

 やせているやせていると言われつづけて、えっ? わたしそんなにやせてないよ? と締まらないウェストを見て思っていたのだけど、恋人ができたわたしのウェストをみてやはりと思う。やはり、無駄なものがついていたのだねぇ。

 恋人とは電話だけの関係で、毎日のようにきっかりと一時間だけ話す。男性恐怖症のわたしをみて、こわがる必要はないよとやさしくいって、どうしたらこわくないだろう、電話なら大丈夫かなと、わたしのキャリアにすんなりと変えた。

 それからのわたしの午後八時はバイトや見たいテレビがないときの日課になっていて、彼が職場から帰ってきて、食事をして、トイレに行って、コーヒーを入れて、メールをチェックして、緊急性が高い問題が起こってないことを確認してから、それから電話代の心配がいらない時間までがふたりの時間になる。

 だからきっかり一時間

 まるで講義みたいだというと、彼はむかしの恋人の話をし、恋人というのはちょっとでもゆだんしていると5時間でも6時間でも平気で長電話をするので、それぐらいがちょうどいいし、家賃並みの電話代に怯えるのはけっこうつらいものだよという。なにも話をしないで、もうねた? いまなに読んでるの? とかそんな会話しかしていないのに、電話を切ることができなくなってしまうのだという。

 たしかに、午後九時がくるのはわたしにとってあまりうれしいことでないし、できることならずっとつながっていたいのだけど、どのみち無料電話を掛けることができるのは午後九時までだし、どんなにあまいたべものも、ずっと食べ続けていると麻痺してきてしまうものだと、そう思って我慢することにしている。恋人曰く、実際のところ恋愛でいちばんたいせつな時間は、お互いを想って餓える時間なのだとか、ほんとうかどうかは知らないけれど。

 わたしがその餓えを実感したのは、身体の形が変わり始めてからだ。

 ずっとなぜだろうと思っていたのだけど、それがセイテキコウフンのせいだと気付いて、まっかになるのが顔だけでなく、それがくびすじを降りて、両腕を通って指先まで紅くなり、胸や背中を走って、細くなったウエストを下って、ももから足の指先まで、はずかしさに染まる気がした。

 色気づいているのだって誰かに気付かれるのではないかと思うと、恥ずかしくなる。

 はっきりと男性を受け入れるカタチに自分の身体が変わっていくのに愕然とする。

 電話で話す恋人に、男を感じているのだと思うと申し訳なくなる。

 あなたが好きなのはそんなところじゃないのに。

 でも、男であるあなたも好き。

 こんなことになってしまったのは、わたしが彼に興味本位で聞いたからだ。

 男の人って、結局、女の子と寝たいだけなのでしょって。

 彼は困ったようにことばをとぎり、電話の向こうでなにかを悩んでいた。話そうか話すまいか悩んだ末に、前の恋人の話をはじめる。とても正確になにがどうなり、どうなっていくのか、それを正確に話したのは、彼が自分の気持ちをはっきりと伝えたかったからだと思う。彼は伝えたかったのだろうと思う、火遊びをはじめて、お互いがお互いに溺れるようになるとろくな事がないよ、ということを。

 まるで失楽園のような恋愛を、わたしとしたいわけではない、ということを。

 彼はいまでも、前の恋人を溺れさせてしまったことを悔いていて、わたしとまた同じことになるのを極度にこわがっている。だからわたしが男性恐怖症で、電話しかできないことに、思いのほか満足しているようで、それでも、このまま一生電話のままであることも怖がっていて、その両側を振り子のように揺れつづけている。

 それでも、彼の話はわたしにセイテキコウフンがどのようなものかを教えてしまい、ときどき朝目ざめると、ベッドの中でとうとつにそれにおそわれる。

 隣に恋人が寝息を立てていて、わたしがおでこをなでるとねぼけまなこでわたしの背中に腕をまわし、ぎゅうと抱きしめられる。そんな妄想にとらわれて、その激しいセイテキコウフンのあらしに一時間も二時間も土日はおそわれる。

 彼がとてもいとおしくなって、その腕にぎゅうと包み込まれて、彼の胸の中に沈んでいく。わたしも彼の背中に腕をまわして、彼を包み込む。そうやって心臓をどきどきさせて、あらしに吹き荒らされているうちに身体のカタチが変わっていくことに気付く。

 色気づいているんだ、わたし。

2009-12-01

私と私の体の内側は別の生き物みたいだなーと思った。

この間セックスした相手は

「すご、内側動いてる。こういうこと、できるの?」

って言ってて、

その次にセックスした相手は

「吸い付いてくる…」

とつぶやいてひたすら腰を動かしてきた。

ウォーキングとかヨガとかストレッチとか、

インナーマッスル鍛える系の運動してる成果が

まさかこんなところで出てくるとは思わなんだ。

叶恭子お姉様意識してコントロールできるらしいが

まだその領域に到達するには遠そうだ。

(それができるようになったら楽しそうだなぁ)

2009-11-05

三十路デビュー男子結婚にあぶれたアラサー女子がこの先生きのこるには

高学歴一流企業勤務理系男子の逆襲。すごくいいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20091105104436

 

それまでは、受験研究仕事での弱肉強食世界で戦って来たやつが、遅ればせながら

恋愛弱肉強食世界にも足を踏み入れただけの話だから。

自分の持つ市場価値に気づいてしまったからには、かつて若さだけを武器恋愛市場

ブイブイ言わせてたアラサー女どもを手玉に取って遊びまくって欲しい。

 

 

ただ、恋愛初心者の男にも落としやすいからと言って、経験が少ない恋愛弱者で30近くの

女の子(かつての自分に似た女の子)ばかりをターゲットにするのは辞めてあげて欲しい。

それはたちが悪い同族嫌悪だ。

経験が少ない子と遊びたいなら、いくらでも挽回の効く20代前半の若い子にしてあげてくれ。

多少恋愛スキルが付いてからになるだろうが、若い子と遊ぶのは気軽で楽しいぞ!

 

 

恋愛スキルが低く、仕事も有能ではないアラサー女子は、例えば29歳から30歳までの1年を

婚活しているつもりで棒に振ったら、一生取り返しがつかないこともある。

経験と金と肩書きが武器になり、中年からでも挽回が出来る高学歴男には想像出来ないほど、

この年齢の女子の事情は深刻だ。分単位価値暴落していく株のようなものだからだ。

恋愛スキルが低いアラサー女子は恋愛経験の少なさを逆に武器にして、早いとこ年下の童貞男子

つかまえて結婚してしまえばいい。

 

 

しかし、恋愛スキルが高い女子でも、アラサーからの自分磨きには罠がいっぱいだ。

別れた男に「いい女になって見返してやる」、ってのが有効なのは25歳くらいまでだと思う。

それ以上の年齢では、女の自分磨きはちょっとあさっての方向に向かってしまうことが多い。

英会話とかダンスとかヨガとかピラティスとか料理とかフラワーアレンジメントとかならっても、

別にモテたりしないのに。

むしろ料理にすごくこだわりがあって生活力ありすぎる男みたいに、自分大好きでマイペース

独りで生きて行けそうな女になっていくだけなのに。

 

 

逆に30を越えて、恋愛を諦めなかった(ここポイント)男は、どんどん魅力を増す確率が高い。

同世代でパパになって油断した男は急速に魅力がなくなるので、競争率も下がる。

(もちろん、一部の結婚しても恋愛を楽しめる不倫男は別次元なので対抗しない方がいい)

今、非モテでも仕事が出来る、金がある、頭がいい奴は、絶対に恋愛を諦めないで欲しい。

相手を一切選ばずに、とにかく経験を積むところからスタートした方がいい。

諦めずに努力をして、経験を積んだ奴が最後に勝つ。

 

 

若い時にいい思いをした経験豊富アラサー女子のみなさんは、そう言う男たちの精神童貞

(場合によっては肉体的にも)筆おろしにぜひ付き合ってあげて欲しい。

三十路デビューした男は、その後しばらくあなたを捨てて遊び回ると思うけど、数年後には

驚くほどのいい男になって戻って来る可能性もあるのだから。

その間、経験豊富アラサー女子は、若さ武器にしない、男を立てる付き合い方について、

徹底的に勉強をし、貞淑な妻になる修行をした方がいい。

素人美人がちやほやされるキャバクラよりも、ママがいる高級なクラブにでも行ってみっちり

目上の人の接客を勉強すればいいと思うよ。

2009-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20091002212728

洒落を百個考える。わりと大変。

あと自分がやって効いたのは

■バカ高いアーユルベーダの医者にかかる(大変効いたが金がつづかんかった)

精神科医から薬をもらう

アロマテラピーを習う

■皿洗い

ヨガ

Wii Fit

■猫の世話

掃除

料理

しかし最強は薬をもらって寝ることだ。

頭のCPUが100いってる状態だから、強制的に減らすのには寝るのが一番。

それ以上なんかやると火ィ吹くよ。

2009-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20090916153632

ガイア系がバカにされてるのってそういうのをかっこいいと思うなんて俺には理解できん、という感覚でしょう。

Agehaの「特盛りヘアスタイル」が笑われるのとかオタが2次萌えするのが理解できん、と一般人から思われるのと同じで。

スイーツ叩きは「なんでそんなのに興味を持つのか理解できない」という方向じゃなくて、内容はなんでもよくて「女が興味を持つものは価値がないもの」がまず先にありきじゃないかな。

資産管理でも健康管理のための食事内容検討だのヨガみたいなスポーツ情報だのでも社会からの評価を得るためのファッション検討でも、何でもバカにされる。個々の内容が問題にされてるわけじゃない。

スイーツ(笑)とバカにする男がライフハック記事をせっせとブクマしてることは少なくないわけで、そんなのをライフハック(笑)とバカにする声も同じぐらいあるのなら同等といっていいだろうけど、実際にはボリュームが全然違うよね。

ちなみに「男が興味を持つ趣味」に女が興味を持ったらそれは即座に「女のくせに」「女に理解できるわけがない」って否定されるんだよね。あるいはそのジャンル女性愛好者が増えたら「女の愛好者が増えたせいでそのジャンル価値が落ちた」的な言い方がされる。

「軽佻浮薄さが嫌われている」というのであれば、男の場合は「男の中でも軽佻浮薄な男は嫌われてる」、「(実態は関係なくひっくるめてそう見なして)女は軽佻浮薄だから嫌われてる」の違い。

2009-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20090707133938

となると、女なんか性欲処理という見地では不要だよなあ。

ヨガを習ってセルフフェラできるようになったほうが有意義だ!

2009-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20090617112313

愛し合う、ねぇ。

現実では「この女、演技ヨガってるんだろうな」と感じるようになるだけ。

演技してくれるならまだマシだけどな。

妄想だけで抜けるならそれが一番いいんじゃね。安上がりだし。

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