はてなキーワード: フィーバーとは
http://anond.hatelabo.jp/20140303161611
↑この増田は自分が綴った事をそのまま知人や友人に「普通の話」としてする事が出来るのだろうか。
いや、出来ないよね。
出来たら、付き合い減るか、嫌がらせ受けるだけだと思う。
自分が恵まれている事を知らずに、素で書いたんだとしたら、相当の世間知らずと思われ。
どうせなら、自分が如何にラッキーであるかをフィーバーよろしくはっちゃけたら良かったのに。
今現在、私も結婚生活に向けて新生活に必要な家具家電を買い揃えているところだけど、
でも、結婚相手にはそれが親からの援助である事は絶対に言うつもりは無い。
言ったら、気を遣わせる事になるだろうから。
実際、私が家具家電のお金を出した事を結婚相手が自分の親に伝えたら、慌てて高級な生活必需品を結婚相手の親が買いに行ったそうだ。
まったく盛り上がっていないようですが調べたのでまとめておきます。
(現在は削除済み)
@sally_ism
『羽生結弦くんは碇シンジ君のプラグスーツ着て残酷な天使のテーゼで踊ったら世界が涙するから絶対やったほうがいい』っていうツイートに激しく同意したのでとりあえず画像つくりました。渚カヲルくんの画像しかなかったごめん。でも、あの、やばい…!
緒方恵美 @3/8・9_Live!
@Megumi_Ogata
Σ(゜ロ゜;)違和感ナサスギ RT @sally_ism 『羽生結弦くんは碇シンジ君のプラグスーツ着て残酷な天使のテーゼで踊ったら世界が涙するから絶対やったほうがいい』っていうツイートに激しく同意したのでとりあえず画像つくりました。 http://twitter.com/sally_ism/status/431821531224621057/photo/1pic.twitter.com/QQyj0ESa9S
まとめにも着火。
【中の人も納得】フィギュアスケート選手・羽生結弦さんが碇シンジに似てると話題にwwwwwww : はちま起稿
【画像】羽生結弦くん、碇シンジに似てると話題 中の人も絶賛しててワロタwwwwwwww
男子フィギュアの羽生くんがエヴァンゲリヲンのプラグスーツが似合いすぎると話題 | 男子ハック
@sally_ism
さっきの羽生結弦×プラグスーツ画像、なんか足らないなーとおもったら、インターフェイスヘッドセットつけるの忘れてた!くやしい!でも無くてもかわいいのでよし! https://pic.twitter.com/QYOFG7uBSu
posted at 03:46:09
(↑削除済み)
@sally_ism
さっき自分で羽生くんプラグスーツコラ画像つくったけど、地味に蒼穹のファフナーのシナジェティックスーツも着てほしい。露出高くて申し訳ないけどあれかっこいいから好き。
@sally_ism
森ミャン丸
@morino_kage
@sally_ism @pinkjyoudai RTよりしつれいします
元画像の方の加工許可は取ったのでしょうか?ご本人の呟きを見るとそうではないらしいですが…
顔を挿げ替えても本人や周囲の方々には分かりますよ?
確認の為教えて下さい
元画像がこちら
est
@est_ll
@sally_ism
わーすいません思った以上に広まっててご迷惑をおかけしてしまいました!該当のツイートは消しました。海外サイトでの拾い画だったので出典がわからなかったんですが、元画像の方は日本の方だったんですね。ごめんなさい。今日はバイトなので、後日改めて対応いたします。
最初↑のツイートだけ見て、おっ無断転載案件か?「ワシがつくった」連呼しといて?(ゲス顔)と思って調べ始めたら予想外の展開。
加工済みの画像が「拾い画」なんじゃなくて、首をすげかえた元のコスプレ画像が「拾い画」だったと。
レイヤー本人(est氏)ではなく森ミャン丸という第三者?が激おこで、さりーちゃんにぶっこんだ結果→削除という流れだった模様。
まあ突っ込もうと思えば、首から上の羽生選手の写真だってどこから持ってきたの?カメラマンの許可は取ってるの?と言えるわけで…
ソーシャルにネットワークされちまっている昨今、どんなところから弾が飛んでくるかわからないもんですね。
こちらからは以上です。
est
@est_ll
軽巡駆逐軽空母だけのクリアって、絶対不可能とは言わないけど、完全に運頼みというか、文字通り万に一つくらいの成功確率なので、膨大な出撃回数が必要になると思うけど。
それはもうフィーバーするまで回すパチンコとやってることは殆ど変わらないし、いくら1回の出撃あたりの資材消費が少なく済むとしても、クリアまでに資源が尽きてしまう可能性すらある。
つまり一発クリアないし数回の出撃でクリアできれば坊主丸儲けなんだけど、そんな奇跡的なケースはまず起きっこない以上、ほぼ確実に脳筋編成で挑戦するよりもトータルでは遥かに高くつくと。
まあ、何にこだわってゲームをプレイするかは自由だけど、そこまでして1回あたりの出撃コストが少なく済む艦隊編成だけを重視するというのは、ちょっと理解に苦しむ。
まどマギの暁美ほむらが色々と拘り過ぎたあまり、正常な判断力を失ったパターンというか、それに近い何かを感じてしまうというか。
逆に、何でもかんでもちゃっかりこなしちゃって、いつもいい加減だけど結果オーライで行くというのも微妙ではあるけど。
あと正規空母狙いなら艦隊レベルを上げてから空母レシピ回して開発するのも手。
絶食のような無茶なダイエットに挑戦しては、失敗を続けていると、だんだんと
太りやすい体質になってしまうという話はわりと有名だが、それに関してふと思ったこと。
太りやすい体質になるということは、自動車に例えると、燃費が良い体になるって
ことに似ていて、ほんのちょっとの食事でも体が残さずエネルギーに替えて、使わない分は
捨てずにしっかりと脂肪にかえて、蓄える体になるってことだ。
その燃費性能の向上に、肉体的な上限はないんだろうか。
自動車でいえば、リッター何キロ走りますよという性能を追求し続けて、どんどん効率良い
性能になっていくけど、いつか、ガソリンに関しては、これ以上はもう伸びませんという
つまり、ダイエットに失敗してはリバウンドを繰り返し続けて、どんどん太りやすい体質に
進化(?)していったとして、その先に、性能のカンストみたいなことは、訪れないのだろうか。
RPGでいえば、レベル99まで上がってしまって、これ以上はいくら経験をつんでも、レベルは
あがりませんよ・・・みたいな。
ダイエットに失敗し続けた人は、もうこれ以上はリバウンド性能は上がりませんから
あとは気にせず好きなだけいろんなダイエットに挑戦して、失敗し放題ですみたいな、
俺と似てるやつがいる。
授業はFランなので楽勝。
3年次までにほぼ全ての単位を取り終えて、4年次はゼミへ2回しか顔を出さなかったが無事卒業。
まったく就活しなかったが、バイト先の常連客から卒業年の1月に
客「お前、就職はどうした?」
俺「決まってないです。」
客「うちの会社に来るか?」
ってなかんじで、就職決定。
友人たちが結婚し始めて、さすがにやばいな~と感じボチボチと就活。
ネットで社員募集していたベンチャー会社に応募したら、即採用。
が、スキルのないワンマン社長の放漫経営ブラック企業だった(爆)
ここも、何年か努めて給料減らす話が出た時点で、ハイサヨウナラ!
上司がそれまでの顧客を持って独立すると言うので、そちらに転職。
が、2人会社がうまくいくわけもなく、元上司も言いづらそうだったので俺から辞めることを伝えて退職。
そのまま、しばらくブラブラと放浪の旅などしながらフリーター生活を満喫。
なんかいろいろあって、当時つきあっていた人との間で結婚する事になって、あわてて就活。(注:孕んだわけではない)
またしても、ネットの転職サイトで見つけた会社へ応募したら、面接だけで何故か採用。
1年後、結婚。
そうこうして、3年後妊娠。
またしてもネットで探していたら、会社と連携していた公的機関でその当時の業務で中途採用を募集しているのをハヶ━m9( ゚д゚)っ━ン!!
即応募したら、運良く採用。
採用の年に無事子どもも生まれて、しかも、年収が約2倍にまで跳ね上がり、遅れたフィーバー状態←バカ
で、今に至る、と。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
おっさんだけどニコニコ超会議にいってきた。面白かったんだけど反面、なんかとっても置いてけぼりにされたさみしさにとらわれてる。どんなコミュニティもやっぱり人と人とのつながりなんだなと、ぼっちのおっさんは思ったわけで。
もともとニコニコ初期からのメンバー。往年のネタをウルトラマーン!とかを会場で聴いちゃうとうれしくなるそんなおっさん。プレミアム会員ですしなんとなくニコニコを支えてきたよって意味のない自負を持ってる老害です。
お仕事は個人作業が多くてチームワークあんまりな環境で、深夜の帰宅繰り返しながら社内引きこもりに育つ。さいわいにも妻と子にも恵まれるも帰宅も遅く、土日も仕事な時期が長かったためか家族の枠の中で引きこもる。地元のコミュニティにも属してなく、誰かと会話できるような趣味もやらずに今に至ってる。そんな社会的になんとなく、ぼっちのおっさん。
ニコニコに飛びついたのは、時間と場所を超えてつながれるとこに目を輝かせたから。おんなじMADをみて、その時に思ったツッコミやよろこびなんかを(ホントはずっと遠くのずっと昔なんたろうけど)共有できて、ああ、おもしろねぇ!なぁみんな( ゚д゚ )!ってたぶんドヤ顔で楽しんでたんだと思う。
そんな気持ちでリアルの場所にニコニコ動画をほぼ再現するというニコニコ超会議へ。そこで思ったのが冒頭の置いてけぼり感。ああ、俺ってぼっちだったんだなという思いをさらに強くしたり。
だってさ、どのコンテンツだって、なんだかんだいって誰かと作ってるものだよなって。ひとりで最初は作りはじめたのかもだけど、そこからなんだかんだでつながってこの場にきてる。すげえと思いつつ、ああ、俺ってなんにもやってないなという思いに。そしてそれをリアルで楽しんでる、ニコニコしてるふたり連れや三人、四人連れなどなど、誰かといっしょに楽しんでるのも目の当たりにしてもうね。
MAD流行りだした頃になんでもっとハマって作る側にいかなかったんだろ。ミクがでてきた頃になんでボカロ買わなかったんだろ。演奏してみた流行りだした頃になんでギターを実家から取り寄せなかったんだろ。踊ってみた流行りだした頃になんでおっさんでもナイトフィーバーって踊ってみなかったんだろ。こんなに大きくなったニコニコに後悔の念も抱いたり。
とはいえそこで飛びこむ勇気も、もっと拡大してくコミュ力もない自分には、コンテンツを楽しむぐらいしかないわけ。それもさびしくぼっちでね、と、さらに凹んで。
ああ、おっさんから、じいさんにジョブチェンジしても、必要になってくのは結局はコミュ力なのかもなって。ちゃんと育ててかないとダメだって。ネットがあればコミュ力なくても大丈夫なわけないじゃんね。それを時と場所を超えて加速させてくれるのがネットの力なんだろなって、なんだかまとまらない思いのままニコニコしてます。
実家よりも若干西の地(といっても車で一時間弱)に就職した。そしたら会社全体が秋になると祭りフィーバーでびっくりした。「○○さんいらっしゃいますかー」って電話したら、「○○さんとこ今週いっぱい祭りやから出勤してないよ」とか普通にある。というか祭りの時期になると人員が激減することを会社が既に計算に入れてたりする。最も集中する時期など小さな部署は無人だったりする。「祭りやから休みます」が余裕で通る世界。むしろ「祭りやねんから休め」「祭りのが大事やろ…常考」な世界。
う、うちの町内も祭りはあったけど、小学生以下の子供のための秋祭りであって、きちんとした神事ではなかったから……えっと…、素敵な話だ!
何かね、祭りの期間中に祭りの格好してると、ただで電車に乗れるらしい。「祭りが一年で最も輝く時」らしい。同期はフィーバーしすぎて靭帯を切ったか傷つけたかしたらしい。でも酔ってたせいで明け方酔いが覚めるまで激痛に気づかなかったらしい。名誉の勲章、らしい……西の方だと学校の先生と生徒が祭りの場でばったり、お互い持ってるのは酒、てことが頻繁にあるらしい。でも先生は職務を忘れて酒を飲ますらしい(祭りの間は一人前。「そういうもの!」らしい)。
すごいね。県内でも西と東で全然違う。
「いや、僕は大学生から」
「いやもう私はバリバリ……」
「まさか中学から?!」
「いや、小学……」
「ちょっwwwwwwww早すぎwwwwwwww」
「いや当たり前だろwwww」
「やっぱテニスの王子様とか一度は通る道なの?」
「あー。通る。通るね。ていうか通った」
「通ったんだ」
「中学の時ね……まず青学の誰かにハマるじゃん。で学年があがっていくごとに違う学校のメンバーにうつってって、高校の時は氷帝にずっぽりと……」
「そうそう」
「ハマってたんすねえ」
「ハマってた。ずっぽり。で、氷帝で、かなりフィーバーして、突如テニス熱は終了した」
「なんでw」
「いや、別の作品にハマっちゃって」
「あー。まああるよね」
「で別の作品って?」
「んー。アカギとか。福本系にその後どっぷりハマって」
「いきなり濃ゆくなったなー……」
「まだその時、アカギとかアニメ化してなかったから、イマイチ知ってる人いなくて。知っててもカイジくらいで」
「あー。でそれいつごろ?」
「高校生ごろ」
「あー」
「男子には、チラホラいたんだけどさ。結構、クラスの中でカイジ回し読みとかしてる男子たちとかいてさ」
「話しかければよかったじゃん」
「えー、無理無理無理w突然『それカイジだよね?』とかいって割り込めと!?」
「いいじゃん」
「やだよ。そんなん『え?何この女キモっ』って思われるのがオチじゃん」
「えー。そうかなあ」
「えっ?何歳のアカギ?」
「オールてw」
「何歳のアカギもいける。いけすぎる」
「や、確かに、アカギは格好いいと思うけどw」
「で、帰宅するときとか、毎月2回、駅構内のキヨスクできんま買って」
「きんま?」
「近代麻雀。私は略して近麻(きんま)って呼んでる」
「そんなん買ってたの女子高生wwwwwwww」
「買ってたよ。制服で」
「そっちの方が勇気いるわい!キヨスクなんか店員にこれ下さいっつってお金払うだけじゃん」
「うーん(わからん…)」
「で、まっすぐ家に帰らず、夜遊びしてきたりもした」
「何?!夜遊びって」
「某駅の大型書店」
「よ……あそびか?それ」
「夜遊びだよ!閉店の8時間際までいたから」
「ハァ……健康的ですよね……」
「バカにすんなwwwwww」
「だってwwwwていうか、夕ご飯はどうしてたの?」
「駅構内の立ち食いうどん屋で食べてたよ」
「オッサンじゃんwwwwww」
「当時女子高生だっつーのコノヤロー」
「近代麻雀買って立ち食いうどんとかいくらなんでもオッサンすぎる」
「でも近代麻雀は面白いし立ち食いうどん屋は手っ取り早くうまいうどんを食えて便利だから仕方ない」
「吉牛とか一人でいってそうだなその調子じゃw」
「いやまあ普通に行ってたけど?」
「ちょwwwwwww女子高生wwww」
「なんで?」
「なんか、いいじゃん。女子高生っていう響き。女子高生って漫画も面白いけど」
「いや漫画は知らんけど。まあ、響きはいいよね」
「いいよね。それに制服があるし」
「何、制服好きなの?」
「フツー嫌がるよね制服」
「いいじゃん制服ー。せっいふく!せっいふく!」
「学ランとかは?アリ?」
「全然アリ。いける」
「制服かー」
「そういう○○クンも、セーラー服とか好きなくせに!」
「うん……まあ大好きだけど」
「ほらみたことか!ほれせっいふく!せっいふく!」
「せっいふく!せっいふく!」
幸福論って皆がまるで人間の規格は同一で、こう動かせばみんな同じ一つの「幸福」が得られるんだよ。つー、ことを語りたがっているような、胡散臭いところがある。
まあ確かにその通りだと話を進めると、今度そのみんな共有できる「幸福」という状態は何か、っていうと、単に個体差の認められない「脳」というシステムの一つの状態じゃん、となる。
さぁこれで安心だ。で、だからって、どういうときに「幸福」フィーバーが起こってたかとか、そんな類型を蒐集することが幸福論なのか。違うんじゃねえの。せっかくなんだから幸福ボタンを作ろうよ。
私は人に認められたとき幸せです。私はお金があると幸せです。こんなこと聞いてどうするんの。てか、育ちが分かってしまうじゃん。何が欲しいか、一発じゃないか。ギブミーチョコレートだよ。
じゃあボタンを作るとしてその前哨戦である幸福の定義付けがどうして出来ないか、という話なんだけど、まぁ誰もがすぐ分かる通り、幸福を定義してしまうと定義した事柄が起これば必ず幸福でなければならない。でも、美男美女で大金持ちで不老不死で王様だとしても、ほら、簡単に「でも」「幸せじゃないかもしれない」という発想が浮かぶでしょ。外界と内的な感情の距離は、今現に自分から起こっていることから切り離されて形而上学的な話になると、千里の径庭があるんだよね。これは別に幸福に限らず人文的な単語は全部そう。でも最初に脳の規格を統一していることが前提だったはずなのに、アドホックを認めてこんな例外的なことを想定し始めると、例外例外で結局脳全部個体差ありました、となって、あーあ…、というか。だから胡散臭いんだけど。
じゃあ個体となった脳が現に起こっていることからどう幸福を目指すのか、というと、教えてよほんと。
うわーん。幸せになりたいよー。
でえー、いつも思うんだけど、幸福について語ることが幸福を目指している訳じゃないのが興味深いな。
俺の幸福論でみんなを幸福にしてあげよう。というような形の論。確かに「論」なんだけど、語っているモノと重複しているつーか、出力と入力が同じところにあるというか。
え、と、ぐだぐだになりそうなんで切り上げ。
僕の場合幸せとは、運動というか、弁証法というか。お金がないー、はいお金ありますよ。これ。
人に認められないー。はい認められました。これだよね。ただこれだとふと日常を振り返って「ああ、俺って幸せだなぁ」的な感情をフォローできないけど、俺そんなの、しらねえし。体感したことねーから、わかんえーや。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000925-san-soci
こうした予想外のフィーバーぶりに地元住民からは賛否両論が。神社前で喫茶店「大酉茶屋わしのみや」を営む坂田圧巳さんは「特に問題はなく、利用者が増えて有難いこと。町でもグッズやキャラクターを出していければ」と期待、地元商工会でもブームを生かす方策が検討されているという。
(中略)
こういうのをみていると地元は案外歓迎ムードなんじゃないかと思うと共に
現状観光資源に乏しいとされる久喜市の市民の僻みがより一層感じる。
しているのですよ。
やはり解決策は久喜市を舞台にした萌えアニメ作るべきなのだろうか?
(実写だと仮面ライダーシリーズをはじめとして良くあるロケ地と言うことで
大して話題にならないのですよ。つか、パストラル加須が実写版セーラームーンの
ロケで使われてたのにはびっくりだったけど)
http://anond.hatelabo.jp/20070630215340
Loituma ClockのFlashが(はてブで)話題になったのってちょうど1年前だよ。今自分の日記で調べたら去年の6月30日、まさにジャスト1年。私が反応したのはたぶん発端から2,3日遅れだったと思うけど、要は6月後半。Remixに関してはFlashと無関係に既にいろいろ作られてたんじゃないかな、タイミング的に見て。 その後も別のフィーバーがあったってことか。
ネットやってると今更感強いかも知れないけど、既出ネタが何度も何度も出てくるのでもわかるとおり、ネットには時間を止める効果もあるんだ。
ネットで違法に垂れ流すのと違って、リリースするとなるといろいろ面倒なことがあるんじゃないかな。許諾関係だって海外じゃあ大変だろ。それでもヒットするかどうかなんてわからないわけだし、芸能とか出版って仕事としては地獄だよな。
知らないひとのために
http://www.hersenscheet.com/loituma.php
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=29546
ちなみにLevanじゃなくてIevanな。
私はLoituma版よりJorma Ikävalko版が好きだ。
俺の親は、当時大人気だった高校球児の名前をそのまま拝借して付けたって言ってた。
分かる人はこれだけで分かると思うけど、荒木大輔さんのことね。
当時は新生児に「大輔」と名づける親が急増する社会現象になっちゃったらしい(荒木大輔 - Wikipedia)。
俺はそれを聞いた時「えーなんだそれ」って内心思った。
親父は野球が大好きで、まあ俺も親父の影響受けて野球大好きなんだけど、それはどうだろうって。
子供の名前ってのは姓名判断の本とかを出産のちょっと前から買い込んじゃってさ、うんうんうなりながら付けるもんだと俺は勝手に思い込んでいたのね。
別にオリジナリティに満ちた名前付けてくれってわけじゃなくて、ありふれた名前でもいい。でも、そこに「○○な子に育ちますように」っていう思いみたいなのがあまり感じられなくて、ちょっと引っかかった。
親としては本当のことをさらっと言っただけなんだろうけど、なんか気になるよなそういうの。
…あれ?Wikipedia見てたら荒木大輔フィーバーって1980年じゃん。
俺生まれたの78年。
……………親父!どういうこと!!
■追記
ブクマを頂いたので反応。
75年生まれだけど同級生が荒木大輔にちなんで名づけられてたよー
75年! 荒木大輔まだ11歳ですよ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/topics/newsx/news/20060828-OHT1T00036.htm
↑の記事によると、大ちゃんフィーバーが本格化したのはやっぱり1980年から。
新生児の命名ランキングで「大輔」が1位になったのが79年から86年の間。
リトルリーグ世界制覇ぐらいの時には、名前がある程度売れていたってことなのかな。
しかし、今で言えば「佑樹」とか「遼」とか、女子だとなんだろ?「真央」とか?
みたいな名前を自分の子供に付けるってことなんだよね。
やっぱり俺はしないだろうな…