はてなキーワード: QOLとは
気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。
私は30代で乳がんにかかってしまい、現在は休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。
がん治療中の身としては、正直逝去のニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビやスマホで見たくなくても目に入ってしまう。
ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。
きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。
詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである。
そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。
病院でちゃんと治療をすることが必要だ」といったコメントが散見された。
私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、
がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的な感想になるのかもしれない。
ただ、がんを患う身となってから勉強・体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。
がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍が局所にしかみられないステージ0~3のケースにおいては、
がんを根治することを目的に病院は手術や抗がん剤、放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。
ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。
寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。
患者としては、ステージ0~3の場合は抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。
私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。
最近はいい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、
白血球の数が大分減り細菌・ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。
抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。
薬によっては手足がしびれてペンや包丁を持ったりすることができなくなる。
肝臓や腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。
私が使っている抗がん剤の副作用は上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。
また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。
「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるものの病院に行き、
我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ちは理解できる。
副作用自体が仕事や価値観として耐えられないこともあるだろうし、
頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。
ステージ4は、がんの腫瘍が局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。
このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命とQOL向上を目的とした治療方針をとる。
現代医学の限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。
樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。
自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合は代替医療をやってみる選択肢を否定できないな、と思うようになった。
病院で治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、
患者として副作用てんこもりの抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。
ステージ4の場合は原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。
治らないとわかっている延命治療にお金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。
こんな風に代替医療を選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。
もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、
それを提供するクリニックや団体自体は問題だと思うが、患者の判断が問題といった物言いはできない。
代替医療を選択したいと思う気持ちをフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。
がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院の外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。
医者や看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくまで自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。
代替医療に科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。
だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから。
がんが発覚してから、ステージ4まで進行したら、と考えない日はない。
自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。
もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。
そんな時、「あなたの選択肢はおかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。
今日は私にちょっとお時間をいただいて、男性を見分けるポイントについてお話できたらと思います。
私は若い時分から恋愛相談に乗るのが好きで、数えきれないほどのアベックの成立をお手伝いしてまいりました。
今では珍しくなった、人の恋愛にお節介を焼く、お見合いおばさんです。
そんな私が結婚して幸せになれる男性を見分けるのにお薦めしているのが、エアコンのフィルターチェックです。
エアコンのフィルターをきちんと掃除している男性にハズレはありません。
エアコンのフィルターの掃除は、ほんの10分もあればできて、冷暖房効率を著しく上げます。
その分、電気代も安く済みますし、部屋で快適に過ごすことができます。
室温が適切でないことによるストレスは、QOLに直結する大きな問題です。
電気代も月に1000円から2000円も安くすむことがあります。
月に1000円と言っても、年で1万円から2万円です。
数か月に1回、ほんの10分の掃除で、これだけの効果があるわけです。
それだけに、こういった細かい所をきちんとしている男性は、アタリである場合がほとんどです。
エアコンのフィルターは部屋の掃除と違って、一見して見えないのがポイントです。
見栄や世間体ではなく、生活の上で重要な所にきちんと焦点を当てることができる人だということです。
こういった人と結婚すれば、日ごろの生活の中でかゆい所に手の届く、温かいサポートのある家庭を育むことができるでしょう。
チェックの仕方としては、エアコンをつけてしばらくたってから、さりげなく
と言って中を見るのがいいでしょう。
それでフィルターがきちんと掃除されているようなら、彼はアタリです。
埃がつまっているようなら、一度は掃除してあげましょう。
単純にフィルターを掃除する利点を知らなかっただけかもしれません。
そして、フィルターの掃除の利点を説いて、数か月後にまたチェックします。
その時にフィルター掃除の習慣がついているようなら、大丈夫です。
最悪なのは、自分で掃除もせず、掃除してあげたのに礼も言わない男性です。
「母親に結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。
まずは予想をはるかに超えて、多くの方から温かいコメントをいただいたことに感謝したい。
こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。
「お金のことなど気にすることはない」という趣旨のコメントを多くいただいた。
本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、
本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。
ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、
どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。
その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。
「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨のコメントも散見された。
それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。
一度線を引いたら、その線の位置がだんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。
母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、
逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。
多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、
実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。
「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか。
で、「もう1日」が毎日続くのだろう。
自分の書いた増田がリツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。
そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー。抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、
現在の抗がん剤治療のリアル(副作用がないわけではないけど普通に生活は可能)が描かれている」
と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。
母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者のことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、
副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。
はっきりいって迷惑だ。
確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、
一日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。
初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人も家族も緊張はする。
どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。
薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。
だからといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手なイメージで同情されても困る。
そういう人に限って「自分が想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると
今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。
「アタシだって、病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。
確かに、今ほど抗がん剤が進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。
だが、別にがん患者がすべて、あなたの想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。
おそらく大半の現場の医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、
製薬会社だって、別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。
とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠。
(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)
早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。
(当人はもっと大変なのだろうが、自分は当人ではないので、本当のところは分からない)
普通の病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。
いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者と家族双方にストレスがたまることになろう。
しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である。
この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡の治療法!」とかに走るのだろう。
奇跡はめったに起きないから奇跡なのであって、その奇跡が自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。
先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。
ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。
ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら『健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。
母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。
ああ、この人は強いな、と思った。
60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。
これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっとも収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。
もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。
つまり、母は医療費の世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。
ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか
「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。
だが、どうやら世間は、子供の貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。
ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、
ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。
免疫抑制剤手放せなくなるびょーきになった。
なったというか、先天性のものなので前々からそうだったのだけど治療法として免疫抑制剤が効くと言われたので使うことになった。
使わなくても死なないがQOLが高くなるので使うことにした。
使ってみるとたしかに快適。使わなかった頃に戻るのは無理。
ただしこれ飲んでると妊娠ができない。
幸いなことに産まれてから一度も子供をほしいと思ったことがなかったので問題はない。
むしろ免疫抑制剤使い始めたことで親への説明がとても楽になった。
「薬飲んでるから無理なのよー、生まれつきの病気だからあんたが病気持ちで産んだのが失敗だったのよー孫諦めなー」といえるので楽。
旦那側にも「あんたの息子が欠陥人間と結婚したのが悪いのよー息子の見る目の無さを恨みなーまぁ、その程度の欠陥人間としか結婚できない息子なんだと思うよー」
というスタンスで済む。
いやー、子供をほしいと思ったことがなくて良かった。
オススメしないのはわかるけどさ
「それ禁忌」「オススメしない」で切って捨ててかかるのが医者のお仕事かね。
躁鬱にも色々タイプはあり、ラピットサイクラーなんかにゃ当然この手は使いにくいが
躁鬱の波がある程度把握可能で、かつ定量的な観測が出来る場合は
断薬・減薬が一つの選択肢になってくんのはあんただって知ってんだろ。
行き詰ってるに人間に「それ禁忌」の一言って、あんたなんのために医者やってんの?
認知行動療法や運動、生活リズムの適正化、睡眠のコントロール、カウンセリング他
色々組み合わせて、QOL上げてくってフェイズに入るしかねーじゃん。
ある程度生活落ち着いて、結果としてクスリの副作用に悩んでる躁鬱患者なんて。
そらまー、リチウムに漬けといて、他の落とす系をテキトーに与えて
漬けておけって発想はアリっちゃアリだけど、それ死なさないだけで全然生かしてないよね。
まー、死なさないってのも立派なお医者様のお仕事とは思うけど。
俺は妻と一緒に指導を受け、定期的に自分の生活を報告し、睡眠時間の管理をメインにやりながら
薬抜いたよ。結果として、QOLは大いに上がった。
まー、死ぬリスクもあるっちゃあるけどさ。躁鬱の場合、まーこれ経験的にだけど
自分自身はスピリチュアルという言葉とは無縁の、理詰め、冷静、というイメージの人間だと思っている。
初対面の人からは、「普段お書きになっている文章からは冷徹なイメージがありましたが違うんですね」と言われる。
少し親しくなると、「癒される」「ほっとする」などのソフトなイメージの言葉をいただく。実際の自分とのギャップが大きいのだが、と思いつつもそれは受け入れるようにしている。文章内での自分のほうが、素に近い。
神父様から昔、「徹底的に個人主義で行動しても、人に尽くそうと行動しても、突き詰めていくと結局似てくる」というような話を聞いて以来、自分は人に尽くす宗教家にはなれないが、徹底的に社会に最適化した行動をとれば良いのではないか、と理解して以後そのようにしている。
自分の場合医者なのだけれど、ある患者を助けるためにリソースを割くと、別の患者が不利を被るというような状況はしばしば生じる。それぞれの選択を理詰めで計算して予後やQOLなどの期待値を算出し、自分の責任の下で選択・実行していくことを繰り返すのだ。その時に恫喝には負けないとか、貴賤で判断しないとか、自分で守るべきルールは設定しており、それが他の医療従事者から見ると、「平等な人だ」とか「やさしい」などという評価につながるのかもしれない。でも自分は「平等にしよう」を判断の基準にはしていない。自分が設定したルールに沿って動いているだけだから。
うまくマネージメントをしないと患者が不利益をこうむるわけだから、医療従事者がミスを起こさぬようにシステムの整備をすることはもちろん、メンタル面やモチベーションの維持に気を遣ったり、ブランディングの真似事をして「自分たちはすごいよね」と誇りを持ってもらうように耳元で囁いてみたりもする。他の医療従事者に対する気遣いも、それが最適解だからに過ぎない。
こうして自分を見てみると、「空気を読む=最適化」を突き詰めていった結果として、「癒し系」と呼ばれる雰囲気を身に着けたように思う。ただし、最適解を得るのに障害となる利己的な行動に対しては「それはできない」「しない」と厳しく接することが多く、不満を感じている方もおられるだろう。この場を借りてお詫び申し上げます。