はてなキーワード: 長所とは
http://anond.hatelabo.jp/20110625205639
彼が付き合ってきた人をみると「きれいな人」とか「猫のようにとらえどころがない」っていうのが気になる。
論理や約束事の通じない相手や相手の気遣いが当然と思っている傲慢な人だったのかもしれない。
あなたの長所の学歴と料理は自分が努力したものとして胸を張るべきもの。
学歴は分かり易いバロメーターだけど、料理を食べてくれる時点で嫌な人のカテゴリに入っていない。
あと、料理って軽視されがちだけど、人によって味の常識は違うし、
家庭料理なら同時並行の作業や冷蔵庫の在庫管理も入ってくるから尚のこと素晴らしいと思う。
それでも心配ならば、
ドラマ版じゃない鈴木おさむ「ブスの瞳に恋してる」と大島美幸「ブスの瞳が恋されて」をお勧めする。
何が自分にとって一番大切なのかを追及するということが分かる。
文末になるけど
・まずは、褒める。
・興味を持って、質問する。
・嘘をつくときは、相手が気持ち良くなる嘘をつく。
・ハッタリを利かせるためには、自分に対する自信も必要。
・ロジカル一辺倒だけは、人間はなかなか動かない。人の情感的な部分をくすぐること。
・相手と別れるときのタイミングは、会話が一番盛り上がったときが良い。相手があなたに、また会いたくなる。
・アイデアをもらったり、人を紹介されたりした場合は、対価(お金、情報)で感謝の心を示すこと。
・ひたすら話を聞くことが、年上の人に可愛がられる秘訣。否定や意見は望んではいない。
・ちょっとした小さな愛でも、誰かの1日を少しだけ幸せにしてあげることができるもの。
・自分には何の取り柄もない、人から愛される要素なんてない…と思っている人ほど、優しくされるのに弱い。
・その人に対する評価は、かなり早い段階で決まる。最初の1,2ヶ月が勝負。
・他人の価値観というのは、基本的に変えることはできない。
・もし、説得したいのであれば、相手の価値観に配慮して相手の土壌で口説くこと。
・人から押しつけられた意見より、自分で思いついた意見のほうを大切にするもの。つまり、結論は相手に出させるようにしよう。
・相手が怒ったときには、口を挟んではいけない。全部聞き終ったあとで、相手が望んでいることを聞こう。
・相手に重要感をもたせることが、つまらない論争を避ける秘訣。
・自分にとって相手がかけがえのない存在だ、ということを上手く悟らせよう。
・コミュニケーションが好きな人ほど、自分と同じ意見の人を常に探しているもの。
・愚痴をこぼす人には、「でも、その中で頑張っているね」と褒めてあげよう。
・自分が悪いと思ったら、すぐに謝ろう。
・陰口は、あなたの評価を下げる。
・ありがとう、という気持ちを行動や態度で表そう。
さよなライオン!
追記:こっちも書きました。
行動力を身につけるためのコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622220732
http://anond.hatelabo.jp/20110622100140
「草はやす生活」
一生懸命頑張っているのに、モノが売れない人は戦略やマーケティングが間違っている。
以下、アフィリエイトに限らず、オンライン上でモノを売ることや、Webサービスの運営などに当てはまると思います。
読みやすくするため、箇条書きで記します。1つでも役に立つのがあれば、これ幸いです。
・相手の「知性」と同時に「感情」に訴えかけること。つまり、欲望やコンプレックスを狙う。
・「自分はどんな人生を歩むべきか?」「このままで納得できるのか?」といったことを考えさせる。
・「傍観者」では感情を揺さぶりにくい。「参加者」になってもらうことで、記憶に残る。
・上から目線は、相手が離れる。共感や応援のほうが、相手の心に届く。
・人は見聞した情報で商品を買う…というよりは、その情報を元に頭の中で使い道を想像してから買う。
・お客様のコメントは、その商品の良し悪しが具体的にイメージできるため、次に商品を買う人の参考になる。
・お客様が欲しくなる演出を心がけよう。例えば、その商品開発の背景、安心感、お得感。
・人は、自分と似たような人と同じものを買っておけば安心、という心理がある。
・それゆえ「この商品も同時に買われています」「このページを読んだ人は、こちらの記事も読んでいます」などが、有効に。
・「自分だけのモノ」という、愛着を持ってもらえる商品を考える。
・健康食品が高額なのは、高い方が効果がある、という意識を植え付けさせる役割をはたしている。
・売上を伸ばすためには、「新規の開拓」「リピーター作り」「購入単価を上げる」こと。それぞれの検証が必要。
・単一商品で売るよりも、パッケージ化したほうが利益は伸びる。
・高い商品を購入した直後の人は、関連商品のついで買いにおいて「そんなに高くないかも」と感じて購入しやすい。
・携帯は、常時接続のメディア。モバイルでの売り上げを甘くみないようにしよう。
・人は良いコミュニティに入りたがる。そういう空気を創り出すために必要なのは、濃く狭く伝えること。
・クックパッドのPR企画など、広告ですらすんなり読者が入っていける魅力がある。
・人は得したことを、ついつい話したくなるもの。
・消費者に目を留めてもらうには、子供・動物・女性などの要素が使いやすい。
・限定品は、売れやすい。
・美容や健康関連のキャッチコピーは、モノを売る上での参考になる。
・人は、「高いから買わない」「安くないから買わない」というよりは、情報や商品の氾濫から正しい価値が分からないから買わない。
・それゆえ信頼できる、他人のオススメを信じたりする。
・マクドナルドは、セット販売で選択肢のパターン化をしている。例:ハンバーガー、サイドメニュー、ドリンク
・ユーザーというのは、たくさんのメッセージを受け止められない。
・そのサービス、多角化しすぎていませんか?
・選択肢が多すぎると、結果的に人は迷って買わない。
・選択肢に迷った時は、ランキングに流れたりする。最初から、ランキング志向の方もいる。
・同時に、同じ表現なら短いほうが読まれる。
・数値の羅列よりは、表のほうが理解できる。
・難しすぎるのは、つまらない。
・簡略化されていない情報は、読み手にとって理解しづらい。
・擬音語、擬声語、擬態語は、分かりにくい表現を分かりやすい表現に変える効果がある。
・分かりにくい説明には、例え話を用いることで、理解度が高まる。
・世の中では、小学生や中学生でも理解できるような、お手軽なHow toが求められている。
・レベルというのは、落とせば落とすほど、マーケットが広がる。
・長い説明が必要なサービスは、そもそも求められていない。
・信頼関係のない人にモノを買ってもらうのは、非常に難しい。
・人は、何回か同じ人に接する(ブログを読む、Twitterで会話するなど)内に、信用するようになる。
・一度でも買ってくれた人は、その次の購入の敷居が、一気に低くなる。
・有名ブランドが、単価の低いハンカチやキーホルダーなどの小物を出しているのは、最初のキッカケになるから。
・ネットショップなどは、いきなりオープンさせるよりは、モニターを募り改善点を見つけておく。
・ある記事や広告を読んでその商品が欲しくなったら、なぜ自分は欲しくなったのかを考えてみる。
・ライバルの店舗ではなく、自分の店舗を選んでもらうために何ができるか、は常に考えること。
・ライバルの長所を真似することは、ライバルが持っていた長所を奪うことにもつながる。
・儲かるというイメージがないのなら、そのイメージが湧くまで引き出しを増やす必要がある。
・例えば、売れているネットショップの研究をしよう。流行や季節を考えてみよう。
・逆に、自分ならどういうショップだと躊躇するか、を考えてみよう。
http://tsurumitext.seesaa.net/article/130055536.html
以上です。
追記:こっちも書きました。
人たらしになるコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551
行動力を身につけるためのコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622220732
「草はやす生活」
私の父は、妻を専業主婦にして一馬力で中流家庭を維持できるほどには稼ぐし、
倹約家で、唯一の趣味はヤフオクでの小遣い稼ぎという地味で真面目な人間である。
父は高圧的でモラハラ思考で、うつ病の母を毎日「養ってやってるのに毎日寝ている」と責める。
別に母は毎日寝てるわけではなくて家事もしているが、汚れている所、家事の至らない所をわざわざ見付け出して責める。
またニュースで報道される事件について、たとえ女性が殺害等の被害者であっても、いかなるケースでも「女が悪い」といったコメントをせずにおれない。
女性側に少しの非もありようがない通り魔事件等だと、苦し紛れに「女が生意気に外なんか出歩くからだ」と言い捨てる。
車を運転すれば、すれ違う車の女性ドライバーに対して「チッ!女か」「女は車を運転するな!」と怒鳴る。
「女は事故でも起こして思い知ればいい」と言って、威圧的に幅寄せや追い上げをしようとする。
それを私たちはなだめて止めさせる。しかし、父一人で運転している時はそのような乱暴行為をはたらいているに違いない。
娘である私も免許を持って運転しているのだが、娘も同じ女であるという考えには至らないらしく、私は攻撃されない。
職場には総合職の女性同僚がいるそうだが、彼女について「女が男と一緒に働くなんて。あんなもん早く辞めればいいのに」とぼやく。
娘である私も、父とは別の企業で総合職として働いているのだが、娘も同じ女であるという考えには至らない。
自分が成人して父以外の男性と触れ合う機会を得て、普通の男性は女性に対して理不尽な嫌悪をぶつけたりしないということを知ってからというもの
父がいかに恋人あるいは夫として不適な人物であったかを初めて認識して、ぞっとする。
母がなぜ父と離婚せずに夫婦が続いているのかといえば、ずばり父の経済力のためである。これしか父の長所はない。この家に愛はない。
母のような女が、夫をATM扱いしている、と非難されることもあるだろうが
父のような男が、妻どころか女一般をストレス発散のサンドバッグ扱いしている以上は、似合いの夫婦である。
父よ、長生きしてください。
定年まで。
自分が気に入ってるところは、褒めてもらいたくないのかね?
がんばって痩せても、素敵な髪型にしても、ネイルや化粧が決まっても。
それらは、「本人が努力した結果だと類推可能だから」褒めてもよし?
ほとんどの人には、長所と呼べるものがあって、でもそれを誇示できないから、さりげなく褒めて欲しい物なんだ。
そこに敏感な人は、他人から好かれるね。当然。
で、全員がそうなれと。
NTのように、他人の心理状態を看破して、的確に褒めてよいところを見出して、褒めろと。
胸や顔を褒めて欲しい人もいるだろうが、そうでない人もいる、それを的確に随時判断しろと。
すごいね。
なんでメタンハイグレードって間違えるんだろうね、と思ってぐぐったら検索結果がハイドレートと同じだった。Google気を利かしすぎw
ところで地熱発電だが、10年前のNEDOのまとめではだいたいこんな感じだった(http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g102271j.pdf)。この手の資料は、長所を思い切りいっぱい書いて短所はちょっとしか触れないのが普通(そうじゃないと予算がつかない)だから、この書き方はかなり異例。つまりごまかしきれるレベルじゃない弱点がいっぱいあるってことで、高温岩体発電が実用化しないと状況は変わらないだろう。が、ほぼ同時期にベンチプラントを作った石炭ガス化複合発電が次は実用機という話になっているのに、高温岩体発電は全然進行していないことから考えて状況はかなり厳しい。旧資環研の高温岩体グループもかなりやさぐれているようだ。http://www.aist.go.jp/NIRE/publica/news-2000/2000-09-2.htmを書いた人も今じゃ産総研のメタンハイドレート研究センター所属だし。
このまとめは、突っ込みどころはタイトルをはじめとしていろいろあるけど、新エネルギー関連の技術的問題点についてはわりと妥当だと思うよ。コストの試算は水物だから、あまり信用しない方がいいけど。
「そうは言っても気になるものはしょうがない」
「アレが存在することが、現在の我々と何らかの関係があることだけは確か…だから調査を行うことの何がいけないの?」
そう別に興味がないわけではない。ただ既に機械と体をなした祈り手たちの熾烈な抵抗を遮ってまで行うことなのだろうか。彼らはたとえ血と肉を失っても、魂に導かれるがままに働いている。何のために?分からない、でも意志がないなどと誰が言えようか?現にこうして逡巡する我々自体も行動という面で見れば彼らと違わないのだから。時折、烈火のごとく攻勢を見せたかと思えば、何かに迷い、口をつぐんだように無抵抗であることも珍しくない。
「調べること自体に反対はしない」と頼りなさげにつぶやく。
「でも、彼らの考え方にだって理由はあるんじゃないんのか?」
そうだ、確かに「考え方」といったカビの生えた概念は相応しくない。
とはいえ、結局、古い認識のままにいるこの自分と、彼らの間に何らかの親近感を見出してしまう。いつまでたってもこの仕事には慣れない。
明日は先遣隊が帰ってくる。彼らの報告待ちながら、この暗いフロアにいるのは奇妙な気分だ。
それにしても彼女の割り切り方はやはり人以上の何かの由縁なのだろうか。それとも彼女の方がより良く理解をしているのか。あの肉無き存在たちを。
両脇に提げた得物をテーブルにそっと置き、その切れ味を確かめる。いづれにせよ、入念な準備は必要なのだ。それは良く理解している。
意志、それは果てたものとしても残りつづけるのか。だとしたら、自分の意志がその肉体の延長として存在していることも怪しいのかもしれない。
「妙に慎重なところは長所として認めよう」彼女は上司でもないクセにいつも偉そうに話す。文句はないさ、仕事は仕事だ。
できる必要は無いと思っています。。
色々な教科を学んでみて
そもそも、勉強嫌いで嫌々塾に通い、試験範囲を記憶しているような子って
ちゃんと何かを学べてるのでしょうか。
学ぶ為には学びたいと思う意志や意欲が必要なんじゃないでしょうか。
それが湧いてこないのなら、無理にできるようになる事はない。
誰かれ構わず教育をする為に、たくさんの教師が必要になり
勉強ができる必要なんてない。
もちろん、文字が読めたり、計算ができたり、生きていくうえで必要な基礎知識は
必要だと思うし、できないよりはできた方がいい。
できた方がいい、その程度だと思う。
そもそも、人には得手、不得手というものがある。
勉強が得意な子、運動が得意な子、手先が器用な子、コミュニケーションが上手な子。
学校というのは、同じような勉強をさせ、運動をさせ、工作をさせ、レクレーションをして
それぞれの子の長所を見出し、伸ばし導いてあげるべき所なのではないだろうか。
私は勉強が好きだ。誰に何を言われなくても勉強ばかりしていた。
かわりに運動が苦手だ。
付いて行くだけで精いっぱいの講義の為に
寝る間を惜しんでまた勉強漬けになる。
信念や目的も無く、好きでもないのに詰め込んできた知識を使って仕事をする毎日。
それって本当の幸せだと言えるのだろうか。
約2年くらい婚活をして、ようやく結婚できた。その間に学んだことを、自分なりに整理してみる。
この間に学んだことは、いろんなことに応用できそうなので。
これがないと何も始まらない。自分は意を決して結婚相談所に登録した。
いったん始めるまではすごい敷居が高かったけど、いったん始めると、
婚活システムの流れに乗っかって、見合いやらパーティーやらに参加していた。
いったん流れに乗ると、とても楽だった。
いろんな人と話してると、自分では気づいていない長所に気付かされる。(もちろん短所も)
自分の強みは何だろうとずっと頭をひねっていても仕方ない。
悩むのも大事な過程だが、いっそ他人と話してみたほうが手っ取り早い。
自分の場合は結婚相談所だった。まあ、これは既婚者でもいいかもしれない。
ひきこもって考えるより、専門家に話を聴くのが早い。
婚活ということで、今まで行かなかったようなお店も行ったし、
着たことがないような服も着たし、初めてのヘアースタイルにも挑戦したし、
食べたことがなかったようなものも食べた。
最初はなかなか気が進まなかったが、今までと違うことをいろいろしていくと、
それまでの自分が小さな枠の中で引き篭っていたんだなぁ、と気付かされた。
自分にとってもいい意味でのプレッシャーになるし、応援もしてくれる。
信用のおける友人たちだけに、そっと話してみるといい。
あとからよくよく考えてみると、小さなことに拘ってたなぁ、とか
そういう時は、変に昔の希望にこだわらないで、考え方をどんどん変えていけばいい。
かといって、途中で挫けていてはゴールまで辿りつけない。
失敗しても挫けないで、成功するまで続けることが大事。
「失敗は成功のもと」と昔から言うけど、たしかに得ることはとても大きい。
失敗して挫ける暇があったら、「次はどうしよう?」を考えたほうがいい。
ずっと一緒にやっていく以上、正直に伝えることが大事。
正直に伝えた結果、うまくいかない関係なら、これ以上続けないで、次に行ったほうがいい。
正直に話す、といっても「言い方」というのには気をつける。
相手の気持ちを尊重することが大事。
こういうニュースよく見るけど、なんで外国人=優秀という前提が信じ込まれているのか全く謎。
今の自分の状況をまとめる。
就職活動をするために履歴書や応募シート、面接の質問の受け答えの内容を考える。
SPIやる。
しかし、これは今の研究がはかどっている、もしくはよく理解できているときに気持ちよくできるものである。
今現在、研究が何をやっているのかわからないし、何をしていいのかわからない。
けど、なんか何もしないことに怒っているかあきれているような気がする。
果たしてどうすればいいのだろうか。
以下、解決方法についてまとめる。
4,自○する。
担当教官を変えても、この現状を打破できない自分の能力じゃどこ行っても同じじゃないのか?
でも何かしら気にかけてくれる人、何か課題を与えてくる人のほうが自分には合っている気もする。
年上の人にどんどん話しかけて行く性格じゃないし、飲み会の案内するために教授に話しかけるのでさえ吐き気がした。
これが一番妥当じゃないかな。
就職できるかはわからないけど、今は研究のことはすっぱり頭から消して就職活動する。
しかし、就活してると周りの研究してて忙しいとか、研究バリバリやってます!的な人と差がついてる気がしてモチベーションが上がらない。
ならこっちは就活研究して就活に有利なことばかりするとかすればいいのかな。
これは就職できなかったら考えよう。
4,自○する。
だめ絶対
同期がどんどん研究してて、まったく進まない自分と比べると自分がちっぽけに思えてくる。
加えて地方大学大学院で何の役に立つかわからないなんちゃって理系。
人柄や考え方、忍耐力とかは長所として押していけるけど、そんだけだ。
これからどうしよう。
東大数学博士に学ぶ数学世界 - 「数学は方法である」をめぐる談義
http://t.hash.bz/archives/2526249.html
読んで違和感を感じたことをいくつか。
身内にばれるのがいやなので、ここで書く。
「数学」に対しては、見る立場によっていろんな見方ができる。
数学という方法を使うと世の中はうまく理解でき、予測ができる。
このあたりの問題は数学をいくら勉強しても分かるようになるわけではなく、
どちらかと言えば科学哲学の分野。
議論を始める前に、科学とは何かという基礎知識が必要だと思う。
などがある。
例えば、科学と聞いて原子爆弾や原子力発電所、パソコンやテレビ、蛍光灯などを思い浮かべる人もあると思う。
iPhoneを見て「科学ってすごい」と思ったりするかも知れない。
これは科学という言葉が製品そのものを指したり、それを作るための技術を指したりする場合。
それがなぜなのかは誰も分からない。
一時期、「科学技術」か「科学・技術」かでもめたことがあった。
今もそうなのかもしれないけれど。
科学にそれらの「技術だけ」を求めている人にとっては、「科学=技術」なのかもしれない。
いや、「科学の目的は技術ではない」と言っても良いと個人的には思う。
技術屋さんは科学を利用しているのであって科学を学んだり研究しているのではない。
いろんな意見があるかもしれないが、ここではいわゆる「理論」を作ることとしておこう。
では「理論」とは何か。
それは「現象を理解する方法」である。
その理論を使えば、どれくらいの早さで落ちるかという予測ができるようになる。
それだけではなく、「りんごと地球がひきあっていると考えれば理解しやすい」ということも分かる。
理論がなければ「りんごが地球を引っ張る」という発想は生まれにくいだろう。
そのような新しい見方ができるようになる。
繰り返すが、それは正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。
では、どうしたら自然に現象を理解できるか、ということが問題になるだろう。
それらの方法を指して科学と呼ぶこともある。
このようなことを繰り返しているうちに、理論には一つのパターンが現れていることに気がつく。
「宇宙は数学の言葉で書かれている」と言った人があるらしいが、
ここでは、証明とは何か、公理、定義、定理の違い、などについて説明する。
証明とは何だろうか?
平たい言葉で言えば「間違いないと確信できる証拠」ということだろう。
例えば「彼女が浮気していた証明」など、その人は「確信」するかもしれないが、
本当にそうかどうかは究極の所分からないだろう。
そこにはいくつかの危うさがはらんでいる。
何かを証明したいのは、正しいかどうかがハッキリしないからだろう。
そこで、正しいことから「論理」を使ってそれが導ければ正しいと確信できるだろう。
では、何を持って「正しい」とすれば良いのか。
場合によっては「私が正しいと思えればそれでいい」かもしれない。
そこで、数学では「最初にこれを正しいと仮定しましょう」とする。
そしてその公理から「論理」を使って導かれたものが定理である。
時々「公理が正しければそこから導かれた定理は正しい」と言ったりするが、
厳密に言えば「公理が正しく、論理も正しければ、そこから導かれた定理は正しい」となるだろう。
しかし、そうやって考えている論理は正しいのか?という疑問も起きる。
そこで、最初に正しいとこれはしましょうというできるだけ公理を定める。
こうして、導かれた定理がどれだけ信じられるかは、
数学とはこういう形をしている。
そうすると、科学理論もそういう形をしているということである。
現象を理解するために、何か仮定を置く。
「その仮定」も「数学」もきっと正しいだろうと信じられるわけだ。
数学という学問は理論の中からそのような「仮定」「実験」「予測」を取り去ったものだ。
時々、数学者は全く役に立たないことをやっていると言われることがあるが、
それを使う人が「役に立たせる」だけのことである。
ブログの記事に戻ろう。
上で書いたような「仮定」「公理」の部分でつまづいているのだろう。
つまり普通の感覚で言えば、「数学」というものを使って理論を組み立てようとは思わない。
しかし、様々な理論に共通に現れているため、その部分を抜き出し、洗練させてきたのが数学だから、
それを使う人にとっては、数学を利用することはある意味ではとても不自然なことになってしまう。
僕の周りの数学者はこれらにとても慣れているので、
この時、僕はベクトルの使われ方、柔軟性に驚いた。
要するに、対称が何であろうとも「ベクトル」にしてしまえば後は「ベクトル」を扱う数学の世界のルールで加工することができて、
「数学は役に立たない」とか言っている人の理解もそうなのかもしれない。
科学が強力な力を持っているように、数学は科学理論の中で強力な武器である。
この重要性はもっと声を大にして叫ぶべきなのかも知れない。
確かに数学についてある程度理解していて、それを客観的に見られるだけの余裕がないと、
ふむ、これを、どうしたら伝えられるのだろうか?
しかし、いくつかの誤解もあるようだ。
公理はその内部で論理的に矛盾していなければ(たぶん)どのようなものを定めてもよく、一緒に使われない複数の公理が相互に矛盾することもふつーにあり得る。
しかし、そこから導かれた定理およびその解釈が、現実の予測に合わないのであれば意味がない。
数学そのものの正しさは誰も疑わないだろう。
ならば、もし予測に合わないのであれば、その最初の決めごとが不適切であったということになる。
ここで「なぜ」と問うことは意味がない。
逆に言えば「そうするとうまくいくことを示す」必要がある。
もう少し厳密に考えてみよう。
例えば万有引力の法則では各惑星は質量はあるが大きさはない質点と見なす。
「どうして?」と問われれば「そうするとうまく行くから」というのは一つの答えだ。
しかしもう少し言えば、
「そう仮定しないと計算が難しすぎる。そう仮定すると計算が簡単になる。
そしてその仮定した結果でもそれなりに精度の良い予測ができる。
ならば現実問題としてはそのように仮定するのは許されるのではないか。」
ということだ。
「数学」を知らないと、この「数学からの要求」があることが理解できない。
そして、その個々の必殺技はかなり用途が限定される場合が多い。
それは「科学」を学んだ人とそうでない人の違いのようなものだ。
私は小学生の時にいじめられていたけど、昔過ぎるし、当時は子どもだったし・・・
ので、もはやどうでもいい。
成人してからのいじめや嫌がらせをした人達のことは、許そうと思ったこともないし、許す必要もないと思ってる。
許す、というのは、そのことはそのこととしてお互い認めつつ、関係を再度構築することではないかな。
そういった意味では相手に長所や、何かしらの魅力を感じていることが前提。
成人してから、いじめや嫌がらせをしてきた人に対しては、人としての長所も、魅力も見いだすことができなかった。
改善しようのない部分(身長や家庭環境(相手より恵まれてると思うんだけどね・・・))について突っかかる人は理解できない。
そもそもそれが相手の自己満足だよね。相手は増田の当時と今の気持ちを理解するつもりもないし、一生理解しない/できないね。
ゴメンって言って笑顔で許せるのは範囲が決まっているよ。
相手は増田に「ごめんね」と謝ることで自己満足が達成されているのだから、増田がどうしようが勝手だと思う。
私だったら「許せないほど嫌だったんだろうなあ」と思うので、増田がひどいとか思わない。
ひどいのはいじめた方だと思うよ。