はてなキーワード: 私服とは
百均すのこやウォールステッカー、木目調シールを使ってゴテゴテに飾り立ててるださい素人DIYが狂おしいほど好きだ。あの、余白のない感じ。掃除がし辛そうな感じ。子供が思春期になったらちょっと恥ずかしくなってくる感じ。
ナチュラルインテリア、男前インテリア、塩系インテリア好きの主婦のインスタグラムほど癒されるものはない。もう俺くらいになると、冷蔵庫を木目調シールでデコってるを見ると、あっ当たりだと思うね。(クローゼットの中を晒して収納について細かく書いてるやつや掃除道具を自慢げに公開してる奴らはどういう神経してるのかよく分からない。)
生活感溢れる創意工夫、精一杯の本人の頭の中だけに存在するオシャレが、なんだか野球部の私服みたいな奇妙なチグハグ感を絶妙に醸し出してる。見てるとゾクゾクするんだけど止められない。仕事で疲れてると無性に見たくなる。もう一種の癒し。
個人ブログやインスタでドヤ顔でKDD(クソださいDIY)をアップしてるところにコメントすると、参考になれば嬉しいです!とか言ってきた日には小躍りよ。
私なんてファッションのことわからないし、知り合いの女性の私服なんて、スウェットやジャージ上下でも楽しい時間過ごせればいいんだけど、多分好きで着飾ってるしそれをどうこういってもしょうがない。
恋愛にせよファッションにせよ人間関係にせよ奥ふすぎてみんな誰に向かってかはしらないけどハードル上げて苦しんでるなあとは思う。
彼らって、アイドルだのが自分が着たい服を自分で選んでるわけないだろ、って話が分からないくらい常識がないんだろうか?
ネット上のおいしそうな話には、とりあえず突っ込む性質なもので、
ここ数年の
というムーブメントにも、乗っかってみた。
この手の謳い文句は、間違いではないのだが、
一昔前の「※ただしイケメンに限る」のように、
プライベートを切り売りして作った成果物か、過去の実績がないといけない。
(そして、人に見せれるような成果物を作るのも、仕事で実績を作るのも、とてもとても大変。)
完全にポテンシャルで雇えるほど余裕があるところは、まだまだ少ない。
そもそもソフトウェアの開発は、構造的に新人お断り気質になるものなのだ、と思う。
凡人の寄せ集めより少数の優秀な開発者だ。
だとすると、
おいしい労働条件という人参をぶら下げ、世の若人を出口の見えない死地に誘うアフィリブロガーは、罪深い存在なのだろうか。
今思うのは、それも必要悪だということだ。
優秀な人間を排出するには、多数の人間をふるいにかけるしかない。
新卒を大量に雇う大企業が、社内の出世レースでふるいにかけていくように、
Web系では、業界全体で生き残りレースを行いふるいにかけているのだ。
アフィリエイトブログの軽いノリで友人にペラペラ話していた自分が恥ずかしい。
お姉さんの前だと「やだー」とか「ごめんなさい…」とか、「だってー」とか子供口調になってしまう
さらにお姉さんが、「ちゃんとしなきゃだめだよ!」とか「わがままいわないの!」とか「いーよー!」とかニコニコしながら言ってくるから辛い
二人で会話してると、ねーちゃんに怒られてるみたいです
先輩は優しいなあ、こんなやつも相手してくれて
そのうち、ぎゅーってしてくれないかな、癒やしてほしい
あー、なんか最近、彼女冷たいけど、お姉さんは優しいから救われる
ストレス溜ったら、お姉さんに相談してる、というかずっと愚痴ってる
「いっつもがまんしてるんでしょ?ためちゃだめだよー」とか言ってくるとか優しすぎる
なんか、まえに「お姉さんが心配してたよ、最近増田くん元気ないって」とか他のお姉さんに言われるし、何なんだろう、俺なんかどうでもいいのに
今まで付き合ったの全部年上だし
どうせイケメンとか、男らしさとかないから、駄目なところさらけ出して、怒られるぐらいがすき
あー、彼女変えようかなあ
あ、お姉さんは今の関係でいたい、嫌われたくない
キズナアイの問題のときも「乳袋」の話があって、乳袋肯定派のオタクには同意できねぇな…って思ってたんだけど、
及川雫、十時愛梨、すーぱーそに子、グラブルのドラフ族・・・etc、源流を辿ればボンボンのロボットポンコッツの女性キャラから巨乳好きになったのは間違いない。
(また、貧乳が嫌いなわけではない。貧乳は貧乳で巨乳につかれたときはいいと思う。結局は摂取の比率の話なのだ。)
だからといって乳袋だけは許容できない。むしろ、乳袋こそ巨乳の持ち味を殺す最悪の服装だと断言できる。
まず、一つ。服はそのキャラを飾るをとてもとても大切な要素である。これは譲れない。個人的に巨乳キャラは裸ではなく服装を着用しているからこそ映えるのである。
例えば、十時愛梨の私服は、まさに十時愛梨のものである。専用衣装でもないのに、あの組み合わせが十時愛梨を語る上で外せない。
話がそれたが、巨乳キャラの服とは一体どのようなものだろうか。
巨乳キャラの服装で一番大切な要素は「ぱっつんぱっつんである」ということだ。どのキャラも大きさを強調するかのように胸部に2つのテント…いや、山だ、山があらわれる。
この山が示しているものはなにか。それは「この服装に拘束された巨乳がいかに巨大なのかを物語る」事である。
言ってしまえば、この乳袋ではない「山」は、強さの証明なのである。
例をあげると、格闘漫画で強者が動物と戦う時、動物は必ず拘束されてでてくる。例えば、檻だったり、首輪だったり、全身の自由を奪うようなベルトを付けられたり。この拘束が多く、暴れまわってる獣ほど強いということを表すのである。獰猛な虎と紹介された虎が首輪一本で闘技場に出てくるよりも、頑丈な檻に入れられて中で暴れまわって今にも檻を壊して出てくるんじゃ…って雰囲気を漂わせたほうが強い虎なのである。
山というのはこの拘束なのである。大きいゆえに服に拘束されて力を拘束によって抑えられた状態。これが山なのである。
逆に乳袋はどうだ。
拘束されていない。まるで大人しい、入るところに入ってストレスなく育てられた動物園の虎だ。下手したら乳袋という存在自体が動物園の「虎(はなまるくん ♂ 2歳 甘えん坊でとってもやんちゃ!好物はりんご)」という看板である。
つまり、乳袋に収まった巨乳には力だとか、獰猛さだとか、凶悪さ、暴力、圧、そういったものを一切感じない。
むしろ、優しさとか、柔らかさとか、そういうのばかりが先行して、へなちょこである。