はてなキーワード: 破産者とは
ちなみに政府自身が「インターネット官報」としてPDF化して、破産者情報も含めて掲載してる
そも破産者情報をまとめる行為が個人情報保護法違反になるという理屈が
「破産者情報は官報に掲載されるが、第三者に提供する場合に必要な本人の同意を得ておらず、個人情報保護法違反に当たると判断した」
なんだけど、「第三者に提供」がキモでね、破産者情報まとめ者から不特定多数に提供するのを「第三者に提供」つってんのよ。
けど官報に掲載された時点で国民全体にすでに提供されていて、さらに官報は永久的に国民に公開され続けるものなので、
官報の内容をインターネットに掲載することは単に「媒体が変わっただけ」とみるほうが自然なんだよね。
個人情報保護委員会の命令も、今回の判決も、「破産者という弱者を守る」「世間で話題になってるから対処しないと」という結論ありきの事情判決で、論理建てには相当無理があると思うよ。
官報のうち破産者情報のみ抜き出して掲載してた行為が個人情報保護法違反なので止めるべしという判決が出てたけど、
官報毎号を個人が勝手にテキストデータ化してネットに掲載したらどうなるんだろ。
(著作物ではないので著作権法違反にならないのは確定してる。)
官報てほんらいは国民に広く知らしめるべき内容で、むしろ国民すべてが読んで知っておかなければならないとされている内容。
例えば、民事裁判で訴えられた人の所在が不明の場合、訴状を送れないので代わりに官報と裁判所前の掲示板(全裁判所でなく一か所だけ)に「○○さん、あなた裁判起こされてるよ」て公告が乗って、そのまま出廷・反論せず完全敗訴となって、あとから本人が「官報なんて読むわけないだろ。俺は訴状を受け取ってないし、訴えられてたことすら知らないんだから、欠席裁判の判決は無効だ」と主張しても、官報はすべての国民が目を通し知っておくべき内容とされてるので、無効の主張は通らない。
新しい法律ができた時も官報に掲載される。新法で禁止される行為を誰かがやって摘発されたとき「新しい法律ができてこれが禁止されてるなんて知らなかった」と言い訳しても、やっぱり官報の内容は国民が知っておくべきなので、警察にも裁判所にも言い訳は通らない。
法の不知はこれを許さず。なぜなら官報に乗せたのだから国民全員が知ってないとおかしい、と。
もちろん現に官報を毎号読んで内容すべて把握してる人なんて日本全国におそらく一人もいない。
国家が行った大事な決定は官報で公示するって制度が、大昔にできて拡充されてないのでそうなってるだけで、それをインターネットに掲載してアクセスを向上させることは、むしろ国民の知る権利・自己防衛権から好ましいことなんだよね。
破産者情報だって同様で、お互い権利と義務を完全に有する成人同士が「お金借ります、いつまでに返します」「ならお金貸します」と自由意志に基づいて同意した賃借契約を、
借りた側の事情で国家権力が一方的に反故にして貸した側の権利(返してもらう権利、将来手にするはずだった財産)を無にするのだから、広く知らしめるべき内容なんだよね。
で、今回の判決は破産者情報のみ抜き出してたこと、削除するのに手間賃以上の手数料を取ってたことから、明らかに破産者という弱者に対して悪意があるだろうってことで事情を組んだ判決だと思うけど、
官報全体を機械的にテキスト化して掲載した場合、これは国民の国家権力に対する自己防衛権の一助だ、と主張したら、そこに破産者情報が含まれてたとしても同じ判決にはならないような気がするんだよな。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
拡充してない
医療崩壊は大量の中等症・重症の患者によって起きているのであって軽症者は入院もできてない(軽症者は軽症のまま終わるわけではなく、軽症者の中から悪化する人が出る)
国民とメディアの求めに応じて、可能な限り強力な都市封鎖を長期間、国民が満足するまで実行して経済的に殺し、失業者を量産して
国民とメディアの求めに応じて、大量に支援をバラまいて後世に財政負担を背負わせ、のちの大増税の理由を作り、破産者を生み出して
この状況で愚民やマスゴミに呆れずに辛抱強く正しいと考える事をやって状況を可能な限りコントロールしようとしてる政府は立派やね
コントロールできてません
愚民だのなんだのと言ってる馬鹿はさっさと中国でもロシアでも北朝鮮でもトルコでもいいから独裁国家に言って楽しく暮らしてくれ
どっかのソシャゲの運営が闇プログラマー名乗ってたが本家はそんな生ヌルいもんじゃねーのを改めてお伝えしたい。闇プログラマーはネットの暗部で今も蠢いているぞ。
・ハイスクール・フリートの偽公式サイトを制作、Whoisで「株式会社KADOKAWA」を名乗って怒られ
・劇場版ソードアート・オンラインに併せて偽公式Twitter垢と偽公式サイトを作って怒られ
・結月ゆかりオフィシャルを騙り他人のボカロ曲を勝手に商用配信(11ヶ月ぶり4度目)して怒られ
・Appleの偽公式サイトと関係者騙りアカウントを作って怒られ
2年前に東京に引っ越してからも日中いつも遊んでて、こいつどうやって生活費処理してんの?と疑問に思いながらヲチしてたら今年突然破産。話題の破産者サイトに特徴ある見慣れた本名がバーンwwwwwww大草原wwwwwwwwwwwこれで「破産したらクレカ使えない」→「ドメインやレンサバ代コンビニにわざわざ現金払いに行くの面倒」→「騙りも止める」かなと思うだろ?それが破産後も新しいドメイン取って騙り続けてんの。マジでネジぶっ飛んでる。
そんな闇プログラマーの最新トレンドはVTuber活動()だ。もちろん他人のデータをパクる事しか出来ないし考えない。
・モーションキャプチャで踊ったという触れ込みの動画は配布モーションをインポートしたただのMMD動画
・iPhoneで雑にトラッキングさせるだけでコメント一切拾わないクソつまんねえ放送
モデルやモーションの規約違反やウソについて指摘されると無言でサムネやYouTubeを削除して証拠隠滅(魚拓あるので掘ってみるといい)した上、逆ギレしてストーカー行為を受けていると主張し始めた。イナイレの時もそうやって逆ギレしてたの覚えているよ……。
もちろんSNSで「事務所の法務部に相談します」「あの有名人は知り合い」「中央区に引っ越す」「MacProフルスペックで買った」「Apple関係者匂わせ」「バンナム関係者匂わせ」など矛盾だらけのウソを並べるのも欠かさない。一覧で見るとより味わい深い。
http://archive.is/https://twitter.com/v_mikage/*
http://archive.is/https://imastodon.net/@Oshika_961pro*
http://archive.is/https://twitter.com/mafuyu_munetani*
モデルの規約違反の指摘あたりでいつもは垢消し逃亡するんだが、リスナーとVでは他のVからの扱いが違う(これはこれで闇)のと、VTuberバブルでフォロアーが稼ぎやすいからかまだ鍵も掛けず逃亡もしないようだ。今ならあの伝説の闇プログラマーと直接話ができるぞ!(失笑)
闇プログラマーとしてネットでブレイクしてから10年。そろそろ肉親が病院に連れて行かないと駄目なレベルだと思っておりますが如何でしょう。現場からは以上です。