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はてなキーワード: 献体とは

2023-09-10

受け入れられない価値観の相違①

オカルト迷信を重視する】

これは俺自身科学的根拠のないことへの拒否感が人より高いのかもしれないけど、

合理性よりオカルトを優先されるとすごく納得がいかない。

具体的に言うと、

行事の日取りにおいて「仏滅」を嫌がって「大安」とかにしたがる(だいたい、費用が高くなる!)

・方角が悪いとかの理由家具などを利便性無視した配置にしたがる

これらはパートナーケンカになった一例のうち、俺のほうが正しいよな?と未だに思っている事例。

ただ、以下のような例は俺の方が極端なことを言ってるなと思ったので反省している。

・安いなら事故物件でもいい(物理的な問題がなければ)。気にするほうが無意味

自分が死んだら葬式やらないでほしいし臓器は全部提供してなんなら献体してほしい。

 

仏滅だの風水だのは未だにそんなもんに振り回されるのが我慢ならない。

方違えとか言って遠回りしていた平安貴族から何も進歩してないじゃんと思ってしまう。

額の多寡の違いだけで本質的統一教会霊感商法と変わらんのでは?と言ったら一緒にするなとキレられた。

別れるまではいかんが、後々まで尾を引きそうな価値観の相違。

2023-08-25

anond:20230825053626

ガチサイエンティストは嫌でも娑婆世間リアル相手に苦労を重ねているはず

養老センセイの「本人と直近遺族に承諾いただいてたか献体処置したら直後に遅れて来た別の遺族から『こんなに酷い仕打ちをされたのは御維新以来だ!』と張り手された」というエピソードって講演会でのテッパンネタなんかなぁやっぱり

2022-11-24

anond:20221124072849

方法が何であれ、ちゃんとした遺書を書いてわかりやす場所に置いておくことは大事だと思う

事件性はありませんよって言ってあげるの大事

もし資産があるのなら、相続周りちゃんとしておいたほうが受け継ぐ人が困らない

あと献体登録をしておくと死後世の中の役に立つことができる

2022-11-03

死んだら献体しようと思ってる

献体とは、死後の体を解剖実習用などの素材として利用してもらうことである

自分人生学問にあり、学問によって救われたと感じていて、死に場所学問の場たる大学がいいと常々思っていた。東工大の使われていない建物遺体が見つかったというニュースを見たときは、なんて羨ましいんだと思った。

しか大学迷惑はかけたくない。そこで献体である。なんと献体すると、学問世界文字通り身を投じてから死ぬことができる(すでに死んでるけど)。解剖後の遺体大学で焼かれるのも最高(これは大学によって違いそうだが)。さすがに骨は保管してもらえないが、普通に葬儀場でしんみり焼かれるよりよほどいい。家族に、火葬場でボタン押す役割を背負わせるの嫌だなーって思ってたしさ。あれしんどいじゃん心理的に。死刑ボタンにしんどい。

自分には二人の子がいるが、死んだ父親が晴れ晴れしい気持ちで(死んでるけど)大学に向かい骨になって帰ってくるのは悪くないのではないかと思うんだよな

2022-01-03

自分の生きた証の残すためにノート日記を書いている。

俺は36歳の障碍者雇用で働く低賃金労働者だ。

当然、友達恋人もいないので、自分が死んだ後は何も残らないだろうし、それでせいせいすると思っている。

しかし、それと同時に自分が死んだ後に何も残らないというのはなんともつまらない話だなという矛盾した感情もある。

なので、おととしのコロナ禍という歴史的出来事もあったので、2020年からノート日記を書く事にした。今の時代は紙に個人的記録を書く事がほぼないので、後世になってから今の時代個人的記録はかなり希少な存在になるのではと思っている。だからノート日記を書く事は後世の歴史家にとって多少は有難い事になるのではないか。(ブログなどのデジタル媒体はいつまでサービスが続くかわからないので)

ある種、自分人生献体として使われたらいいかなと考えている。よく死んだ後に自分日記が見られるのが恥ずかしいとあるが、死んだら恥ずかしいと思う存在が無くなるのだから、あまり意味のない考えだと思ってる。

内容は自分日記としての記録、印象に残った誰かが喋っていた事、Twitterなどのネットで気になった文章画像、行った店や光景などの画像なんかを記載していったりしている。いずれ酒井伴四郎日記みたいに歴史家や好事家の酒の肴にでもなればいいんじゃないだろうか。

そんなこんなで、2年ほど日記を書き続けているが、最大の関門が自分の死後どうやって第三者に引き渡すかだ。

東京手帳図書室という施設があるので、自分終活間近に20年くらい公開禁止と伝えて(50年公開禁止と伝えて引き渡したりしてるみたい)譲渡するのが、現状一番理想ではあるが、この施設がそんな先まで存在しているかどうかはわからない。

まぁ将来的に契約したら自分の死後に色々と作業をしてくれるサービスが出来るのかもしれない。

なんにしても、自分が書いた日記がいつまで存在するかはわからない。明日ダメになるかもしれないし、10年後ダメになるかもしれないし、100年後にダメになるかもしれない。

100年後にまで残っていたら史料的にはけっこう面白いものになりそうだから、運よくその時まで残っていて欲しいものだ。仮に100年後に残っていたとしてもそもそも人類はいるのか、いたとしてもこんな史料を読み込むくらいにゆりある社会なのかもわからんが。

いずれにしても後世までに残る可能性は0ではないので、続けられる限り日記は書いていくつもりだ。

2021-08-01

anond:20210801155036

わかんないよ。これでも医学部生だけど、献体を解剖させていただいた身だけど、本当に「脳の報酬系」というものがあったのかわかんないよ。それでも、なんら化学物質があって、脳の一部が痩せると、性格気質が変化するという事実から「脳の報酬系」という言葉で、覚醒剤パチンコ中毒説明できるので、先人たちの言葉を俺も使っているだけです。

2021-07-18

愚痴

フォローしてる人に現役医大生がいたけど解剖とかの話を面白おかしく語るのが嫌になってしまったし 体ってもっと大切に扱われてるのかと思ってたのでショック

自分勝手医者というものを美化しすぎていたのが悪いんだけど、ブラックジャック献体の解剖でわいわいガヤガヤしてる医大生の描写って現実だったんだなぁ

2021-07-11

ワクチンが怖くないのか?と言われれば怖いけれど興味が恐怖を凌駕

ワクチン推奨派は自身正義だと思っているかワクチン忌避派を悪だと思い込むみたいなことを言ってる人が居るけれど、別に俺はそんなんじゃないなと。
完全に俺の知的欲求興味本位ワクチン摂取しようと考えているのね。

まり俺は万が一にワクチンによって死に至る可能性へ対しては恐怖を感じるのだけれど、それ以上にワクチンメカニズム副反応へ物凄く興味津々でワクワクしちまってるのよ。
惜しむべきはワクチンで死んでしまった後の献体提供で検死解剖の結果を知れないことだな。これは死んだという事実よりも残念感が強い。

こんな俺のワクチンへの印象をワクチン忌避派や陰謀論を信じるような人たちからすると「善悪とは違う意味真逆」な存在として俺は彼らの目に映ってるんじゃないかなと思わなくもない。

科学へ強い興味を持ち、自身の肉体すら実験材料と考え、死んだとしても献体提供を望んでおり、検死結果を知れないのが残念、そう心から純粋に思い、そう主張する俺は彼らからすると精神異常者か化物みたいなもんだろう。
しろワクチン忌避する人たちからすりゃ、俺はワクチン推進派よりも忌避派と比較して鏡合わせの存在と言えるかも知れない。

忌避派が持つ何らかの陰謀とか不自然だとかそういう疑念論理ではなく、俺が持ってるのは「単なる興味本位」という論理だ。

もし、俺が書いたこエントリ不快を得たり、驚愕したり、頭大丈夫か?って感じつつ、前々からワクチン忌避をして居るのであれば、キミはワクチン推進派からその様に思われてると自覚したほうが良いぞ。キミはワクチン推進派が不快を得たり、驚愕したり、頭大丈夫か?って思われてるんだ。

俺のような存在が居るから政府ワクチン推進派が調子付くって側面はあると思うし、キミたちはお前の興味に巻き込むなって考えるかも知れないけど、そっくりそのまま返すぜ。お前の忌避感に俺を巻き込むなよ。
俺が死んだらデータは得られるのでワクチン研究はより発展するんだから儲けもんだろ?

死んでしまったら霊体の確証とか取ってみたいな。
ラップ現象とかあるしモールス信号ワンチャン意思疎通できるかも知れないし。
夢広がるなオイw

2021-07-08

献体

あくまで生体反応が亡くなったあとね。

お前のお楽しみじゃないから。

2021-07-06

コロナワクチンを打ちたい消極的理由

早く死にたい死にたいからこそコロナワクチンを打ちたい。

死にたい、とふとした瞬間よく思う。

アクティブ希死念慮ではない。ロープ練炭を買うこともなければ、富士樹海東尋坊に行くこともない。時々発症するパッシブ希死念慮だ。

人生配信終了ボタンがあるなら押してみたい、定食屋で今だけ死が無料サービスならちょっと選んでみたい。それなりの頻度で「あー死にてえな……」と思う程度の、ファッション死にたがりでしかない。

そんな中に現れた死のチャンス。これを逃す訳にはいかないのであるコロナワクチン接種後に亡くなられた事例が約350件。国内で1回目のワクチン接種を終えた人数は7/5時点で約3255万人。ざっくり計算しても0.001%くらい。交通事故に遭う確率よりは断然低いらしい。しか宝くじの1等よりは当たる。

これはチャンスなのだ。当たれば死ねる。もし死んだのなら、ワクチンの発展の為に献体にでも回してほしい。当たらなければ「0.001%が当たるわけないよな」なんて言い訳しながら生きる。「あー死にてえな……」とぼんやり思う事も、これまでとなんら変わらない。

チャンスがあるならやるだけやる。それ以上の理由もない。チャンスだからこそ、コロナワクチンを打ちたい。2回きっちりと。そうしてまた、「死ねなかったなあ、死にてえなあ」と思いながら生きてゆくのだろう。

2020-04-22

anond:20200422134738

あのさ、解剖実習って2~3人の学生が一体の献体を解剖するのよ

でも学生同士集まることがそもそもできないって話

1人1体?そんなに献体ないです

バーチャル解剖ですませろって?

すっかりゲーム感覚だなおまえ

人の命をなんだとおもってるんだ

2020-01-09

7から10に移行がめんどい

データを探し出した外付けHDDコピーした。

パスワードマネージャー様にまかせようとしたが、それって結局全部打ちなおしかよ。

Edge様はできるようだが、スマホはあっても7にはEdgeないな。

めんどうすぎて期日までに終わらなさそう。

ふて寝かLANケーブル(さっき繋いだらコピーが遅くて判明した遺物、カテ5 10m)で吊りそう。

もし増田死体発見できたら埼玉医大献体希望していたと伝えてくれ。何科かは名前から逆引き可能だ。

なおこの日記自動的消滅しないので、上記が実行されたと仮定した場合他の増田が故人の希望があるからと削除できるのか検証してほしい。

あ、10HDD初期化したら使っていいけど7のマシンはどこかの先輩と同じく風呂場に沈めて電源入れてくれ。

2019-04-12

anond:20190412213536

ま、おまえより働くから週末もなにもないけどなw

クソジャンキーははやく献体登録しとけよ、後世のジャンキーどもから感謝されるかもしれんぞw

2019-01-26

追悼、玄海師範

昨日、幼少の頃からお世話になっていた女性が静かに逝った。

大腸ガン。87歳だった。

戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。

タイトル玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである生前彼女のことを玄海師範あだ名していたわけではない。彼女訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。

若い頃の彼女写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。

言葉説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的ドライで、自立した凛とした女性であった。

私の実家家族を保っていたのは彼女存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。

私には長兄としての立場理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。

けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女みえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。

1人で彼女の家に行くと帰り際によく言われる言葉がある。

「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」

おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。

年末彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。

「そろそろ帰りなさい。もうこないで」

わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。

彼女出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。

さようならありがとうございました。もういかない。

2018-10-02

臓器移植献体となるためだけに赤ん坊をつくる

のって儲かりそう

2018-08-13

自殺するんだけど科学的な研究に役立てられないだろうか

例えば今から決行当日までの脳波を計って自殺を選ぶまでの脳の働きを解き明かす、とかなんかそういうやつ。

文系から知らんけど。 

献体は考えてるけど他にもなんか「自殺(予定)者」そのもの科学的客体化に自分を役立たせる手だてはないものだろうか。

2018-01-05

死ぬ方法探してる

今日献体について少し調べた

基本死んでること前提だから献体のために死なせてくれるわけじゃないことがわかった

でも海外とあるかもしれないなあ

引き続き調べてみる

2017-08-04

変性性脊髄症(DM)になったコーギーと私の備忘録

うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。

後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院先生にもよくそ存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。

というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。

最初獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギー飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。

ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。

とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMのものであった。

まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。

またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。

もともと排泄はすべて散歩ときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつコーギー例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギー場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。

また、病気になる前からも誰かが家にいるとき基本的ケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしま心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。

脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。

本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。

ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気うまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。

そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDM可能性が非常に互いが、この病気脊髄病気から生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしかからないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。

私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。

だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人意思を省いた周りの勝手エゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。

それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。

車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。

車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まりプラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞バラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。

同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。

受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。

私が高校卒業実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。

息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DM基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。

学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギー最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。

翌日の朝にDMコーギー献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学動物病院獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。

そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMコーギー大学付属動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。

献体提供後、検査をした後にはペット葬儀社で個別火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。

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