当然、友達も恋人もいないので、自分が死んだ後は何も残らないだろうし、それでせいせいすると思っている。
しかし、それと同時に自分が死んだ後に何も残らないというのはなんともつまらない話だなという矛盾した感情もある。
なので、おととしのコロナ禍という歴史的出来事もあったので、2020年からノートに日記を書く事にした。今の時代は紙に個人的記録を書く事がほぼないので、後世になってから今の時代の個人的記録はかなり希少な存在になるのではと思っている。だからノートに日記を書く事は後世の歴史家にとって多少は有難い事になるのではないか。(ブログなどのデジタル媒体はいつまでサービスが続くかわからないので)
ある種、自分の人生を献体として使われたらいいかなと考えている。よく死んだ後に自分の日記が見られるのが恥ずかしいとあるが、死んだら恥ずかしいと思う存在が無くなるのだから、あまり意味のない考えだと思ってる。
内容は自分の日記としての記録、印象に残った誰かが喋っていた事、Twitterなどのネットで気になった文章や画像、行った店や光景などの画像なんかを記載していったりしている。いずれ酒井伴四郎の日記みたいに歴史家や好事家の酒の肴にでもなればいいんじゃないだろうか。
そんなこんなで、2年ほど日記を書き続けているが、最大の関門が自分の死後どうやって第三者に引き渡すかだ。
東京に手帳類図書室という施設があるので、自分の終活間近に20年くらい公開禁止と伝えて(50年公開禁止と伝えて引き渡したりしてるみたい)譲渡するのが、現状一番理想ではあるが、この施設がそんな先まで存在しているかどうかはわからない。
まぁ将来的に契約したら自分の死後に色々と作業をしてくれるサービスが出来るのかもしれない。
なんにしても、自分が書いた日記がいつまで存在するかはわからない。明日ダメになるかもしれないし、10年後ダメになるかもしれないし、100年後にダメになるかもしれない。
100年後にまで残っていたら史料的にはけっこう面白いものになりそうだから、運よくその時まで残っていて欲しいものだ。仮に100年後に残っていたとしてもそもそも人類はいるのか、いたとしてもこんな史料を読み込むくらいにゆとりある社会なのかもわからんが。
中途半端な昔の手記だと価値を認められずに粗末にされそうよね 定期的に分冊して地中深く埋めるか?
障がい者雇用でも独身で働いてるならそれなりに貯金もできてるだろう それ使って自費出版してISBNコードを取得して国会図書館に納本しなさいな
同人誌も国会図書館に寄贈できるみたいだし、よさそう
公務員:あらあら、仏さんこの日記大事にしてたみたいねぇ 公:じゃけん、お棺に入れてあげましょうねぇ・・・ ノート:ボォォォォォォォォ 完 ま、実際はごみ屋敷のゴミその468...
いうて非正規の日記に価値なんてないし焼かれて終わりだよ 大層なこと考えずに暇つぶしでいいんだよ暇つぶしで
タイトルだけ見て俺の人生みたいなやつ?と思ったら違った
うちのじいちゃん、わりと珍しい病気のせいか、毎日体温や尿量までエクセルグラフにして詳しく書き残してるけど、 実の子供や孫でも見ててつまらないし、たぶん医者でも見ても何の...