はてなキーワード: 状況設定とは
札幌かどっかに家族旅行中で、もうすぐ隕石が落ちますとアナウンスがあった。
どうしようもない。いきなりすぎる。
状況設定としては、リゾート用のコテージで、客が300人くらいは泊まれる施設だろうか。
外はまだ夏なので雪もないがやや涼しい。
母(60近い)、父(50近い)、俺(アラサー)、弟(1個下)。
おばあちゃん(母方)
おば(母の妹)
というメンバー。
父は、自己中なので、すぐにどこかに行った。
車はそのままなので、体一つで、どっか行ったんだろう。
俺と母に厳しい顔で、ウンウンってうなづいて、どっか行った。
一人で死ぬ気なのかなーって思った。
あるいは、家族仲が微妙なので、父はここにいるべきじゃないと父自身が判断して、そういうやさしさで消えたのかもなって思った。
どうやら、周りの家族でも、最後に子供と遊ぼうと湖に行くらしいのがちらほら居る。
湖には、小さい子供向けにサッカーボールやフリスビーなどがおいてあり、そこそこ遊べる。
弟が何しに行くのかわからない。
おとなしくて優しい奴だし、絵をかくのも好きだから、湖を見たり絵を描くんだろうか?
弟を見送ったあと。どうするか。
母と、おばあちゃんと、おばちゃんは、たぶんコテージの部屋に帰るだろう。
そう思ったが、俺はどうするか。
俺は、弟を追いかけることにした。
弟が自転車で湖に向かうのが見えた。
車で行こうかと思ったけど。俺も自転車にした。
湖では、子供たちがボール遊びをしており、それを眺める家族が何組かいた。
俺は実は、弟と仲がよくない。あったらすぐけんかする。それは俺の性格が悪いし俺が人生に鬱屈してるのをぶつけてるわけだけど。
はっきりいって、弟も俺が嫌いなはずである。
ふと、叔母の子供2人の状況が気になる。叔母とその2人の子供は仲がよくない。
叔母が完全にADHDで家をごみ屋敷にしてしまうからなんだけど。
母はどうだろう。母も、俺と弟が大好きだから、俺が行ったら喜ぶかなと思う。
俺は、コテージに帰る。
意外なことに、母、叔母、おばあちゃんはそれぞれ別の部屋に居た。チャイムを押したら、1部屋ずつ、一人ずつでてくる。
部屋で、4人でお茶を飲むことになる。
『the world is mine』というマンガでも世界の終末が書かれるんだが、そこでのキャラの1人が、家族5人で抱き合って死ぬ場面がかかれる。
その風景を思い出す。
俺は、その場で土下座して、泣きながら、「今までお世話になりました。とても幸せな人生でした。皆さまの深い愛情のおかげです」と言った。
っと、おばあちゃんが、全員に1万円札を渡した。
おばあちゃん 「少ないけど、地獄の沙汰も金次第っていうし、ね。」
そうなんだ。
俺たち一家は金持ちなんだけど、基地外ばっかりで、家族としてはぎくしゃくしていた。
最後、金でつながるってのもあるなあと思った。
気持ちとしては、老後にもなか食いながらお茶してる気分で、家族のつながりを感じていた。
このへんで夢から覚めた。
ほー人類滅亡とは、夢の自分が消えて、本当の自分が始まることでしたかー。
って感じ。
今書きながら泣いてる。
そもそもが、かなりの振れ幅のある表現を、一つに収斂させて示すことが、記号だ。
普段余り意識することはないが、夜空に浮かぶお月様を「月」という字形で表現することが、記号化だ。
「こういう描き方をすれば、こういう意味を持つ/こういう表現をしようとしている」という共通基盤整備が、記号化と言える。
つまり「白血病の薄幸の美少女」というのは、ドラマヒロインの記号と言える。
ホラー映画に出てくる「キャンプ場でセックスするカップル」も惨殺対象者の記号だ。
おそ松さんでは、キャラクターの記号化と、シチュエーションの記号化が、とても巧みだと感じる。
イヤミやハタ坊等、そもそもおそ松くんのキャラクターは、ガッシリと記号化されている。
例えば「3本出っ歯」「おフランス帰り」「ザンス」等を外さなければ、まあイヤミに見える。
名前もそもそもが「イヤミ」だし、どうキャラクターを崩そうと、イヤミ以外の何者にもならない。
(「1本出っ歯」「オカッパ」「頭に日本国旗」「ダジョー」のハタ坊にしても、同様である)
これはとても二次創作向きだと言える。
上手でも下手でも、そのキャラクターに見える。
つまり、外見を簡単に描き分け出来る良く似たキャラクター群というのは、強い。
戦隊モノが「ちびっ子に描きやすく造型されている」のと同じ理由で、この記号化は成功しているといえる。
シチュエーションとは状況設定のことで、例えば「壁ドン」がある。
動作ではなく「壁ドン」という記号によって、状況設定を表現している。
(わかりにくければ、少女漫画において結婚式エンドがハッピーエンドの表現、で理解して問題ない)
キャラクターに焦点を合わせると、シチュエーションとは、キャラクターとその他との関係性だ。
「キリッと格好つけるが、無視される」までで、キャラクターのシチュエーションの記号化と言える。
戦隊物で例えれば、「レッドは天然熱血」「ブルーはクールな二枚目」「ピンクは可愛い」などが、性格の記号化。
「ブラックは孤高の一匹狼ゆえにレッドとウマがあわないが仲間思いで、ホワイトと破局後も幸せを祝福できる男」が、シチュエーションの記号化だ。
読んで解るだろうが、判りやすいシチュエーションは関係性を限定するので、ハッキリしたキャラクターほど動かしにくいという難しさがある。
そうすると、関係性毎に切り離されているキャラクターというのは、強い。
基本的にすべてのキャラクターが「他の兄弟に対して」の「状況設定の記号」になっている。
(これに、一松はカラ松の絡みに耐えられないとか、チョロ松は女性が絡むとポンコツ、みたいな個別の関係性が付く)
全てを劇中の言動で見せなければならないという条件がつく中で、この状況設定の記号化に成功しているのは、見事だ。
テトリスブロックの様に記号化が巧みなら、ブロックを積み上げて自分だけの形にするのは、容易で面白い。
その記号の形が想像力を刺激するなら、「こういう絡みでこういうネタを」と組み上げる作業(妄想)がはかどる。
(腐女子による二次創作が想像し難いなら、一本アニメの脚本を書くことを想像してみれば良い。脚本の書きやすさだ)
作品の「要素」が巧みなら、それを組み上げる作業は、それ自体が楽しい時間になる。
記号化の巧みさは、直接には「お話の作りやすさ」に繋がるだけで、腐女子人気とイコールではない。
もちろん、そのシチュエーションが想像力を刺激するなら、人気には繋がるが、それだけではない。
嫌悪感を抱かせるものが画面に現れないということは、とても重要だ。
ポップンミュージックを思い出すような、パステル調でカラフルな画面。
競馬のパック酒やもつ煮込みを画面に描きながら、あくまでもサラッとした爽やかな絵面。
声優の演技や声質も、無理をして取り繕ったものではなく、心地良い声がテンポよく流れていく。
握手する相手の爪の間に垢が溜まっているのが見えるような汚らわしさとは無縁の、清涼感ある下品さ。
テレビから流れるのは、安定感のある箱庭の中でワチャワチャと可愛く動きまわるニートな六つ子の日常だ。
一定ラインのクオリティがあり、愛でるのに不足のない可愛らしさがあり、聞いて心地良い声優が演技をする。
つまり、腐女子に愛されやすい外面をしていると言っていいと思う。
清潔感のある画面で、観て不快でなく愛されやすい外面を持っていることが、視聴の安心に繋がり
劇中に描かれるやり取りが、ブロック化された関係性を持っていることが、創作性を刺激し
可愛らしい男の子達が、ワチャワチャと絡み続ける群像劇は、腐女子を熱狂させる。
これを狙いつつギャグとして作品にしているので、恐ろしいほど練り込まれたアニメだと思う。
見ていない人に説明すると、おそ松さんとは、TIGER&BUNNYと忍たま乱太郎を掛けて、ゆるゆりと銀魂の逆数で累乗して声優を足した感じだ。
声優は腐女子の入口なだけでなく、作品の品質を支え続ける土台になっていると思う。
また、創作活動は『飢え』だというが、それも少し足りない気がする。
『飢え』とは、「もっとここを掘り下げて欲しいのに!」「これだけじゃ足りない!」という渇きだと思うが、
おそ松さんの場合は、「あえて描かないスキマ」というよりも、「創作しやすい記号化」が巧みなのだと思う。
『ファンからいいように解釈できる行間がたっぷりととられていること』というところが、非常に重要なのだと思う。
第一話のネタのように外見をしっかり描いてしまえば、想像の余地が無い。つるんとした記号化されたキャラクターならタップリある。
その上で、キャラクター同士の絡みを想像力で補い続けなくても、不遇なカラ松のような記号化されたシチュエーションをそっと差し出してくる。
エンディングテーマも含めて、相当練りに練ってぶつけてきている気がする。
(第一話が「掴み」ではなく振り切った「媚び」であって、その揺り戻しが2話以降からあざとさを消している気がする)
ガンダムSeedっていう作品に出て来るZAFTっていう軍事組織がもうものすごく大好きで、彼らにはお笑いのセンスがあるんだよ。
もちろん軍隊としては全然評価できない集団なんだけど、コントやらせると相当な実力がある。
まずね。彼らは建前上義勇兵なので、階級が存在しない。上下関係が存在しない(いや、もちろん現実には存在するわけだが建前としてはない)。
そんなんで組織動くのか? っていうと「俺たちエリートだから末端兵士にいたるまで現在状況の認識が出来ている。現在状況の認識が出来ればおのずと最善解(それぞれの立ち位置でやらなきゃいけないこと)はわかるので、指揮系統がなくても連携行動がとれる」っていう理屈なのね。もう、才能あるとしか言えない。
現実には連携バラバラで独立部隊がかってこいてて右往左往してるんだけどね。
「なんでおまえがここにー!?」とか。海辺で。やっぱセンスあるよな。
少子化で人材不足にあえいでいる作品世界では個人の能力を上げる(そのための遺伝子改良までしてる)個人尊重主義がいきつくとこまでいってて、エリートさまがあふれかえっているのだ。
この状況設定がもうブラックコント作品としての完成度を示していると思うんだけど、なぜかSeedの評判は悪いのだよなあ。
そのZAFTさんなんですが、まあ、ロボットアニメなので、軍事組織だってロボに乗って戦うわけですよ。
んでもって、そのロボには脱出装置がついてないのね。なんでかっていうと「ZAFTの義勇兵はエリートだから撃墜されないし、撃墜されないから脱出装置は必要ない」ってはなしなんすけど、もうこことかたまらない。それで爆発して「うわあああああ!?」とかいってるの。宇宙で。ぼーん。やっぱりセンスある。
ところで日本政府がマイナンバー制に関して「強力なファイヤーウォールを備えているために情報漏えいは存在しない」っていってます。
日本、日本軍、日本国民への攻撃とアメリカがみなした(みなしてくれたら)場合、アメリカは敵に先制攻撃を加える(加えてくれる)場合がある。先制攻撃というとぎょっとするかもしれないが、敵の攻撃に対して先制攻撃が絶対に許されないとそれは不法な攻撃を認めることと同義になる場合がある。例えばミサイル防衛が機能しない状況下で敵がミサイル発射準備をしている場合とかね。日本の法律で先制攻撃はかなり無理があるので、日本のために米軍にやってもらうことになる。その場合、敵の反撃に対して自衛隊が米軍を見殺しにしたら同盟はなりたたない。
たとえば自衛隊と米軍が一緒に行動してる。自衛隊が右側米軍が左側にいる。敵は左側だけ攻撃しすぐに逃げる。米軍は反撃するが自衛隊はなにもできない。
こんな状況現実にあるわけないだろ。
ハメ手にも、将棋の発展に貢献するものとそうでないものがあるわけで、
「こう指した先のここに落とし穴がある」
ということを共有できるようなハメ手は、それを知っている人の間では二度と指されなくなるという意味で
今回のは、「角を取るまでの手順」というのはコンピュータ将棋以外では出てこない上に、
もしAWAKEが定跡ファイルの中から居飛車ではなく振り飛車を採用していたとしたら
その時点で得意ではない振り飛車を指さなくてはならなかったというところで、
「勝ちの結果」を得る以外に何の貢献もないもの。
この件に関するはてブとかの意見を見ていると「勝負事は勝ち負けこそ全て」みたいなのが結構あるけど
大相撲で八百長が話題になった時、「将棋はそれとは全く無縁」っていうことをファンの中で誰も疑わなかったけど
八百長に対する監視とかのルールが全くない中でそれを疑わせるような空気すら作らせていないというのは、
よく冗談として言われる「将棋星人との対決で負けたら人類滅亡」というシチュエーションなら
結果以外は求める必要はないわけだけど、これ、そんなご大層なもんじゃないのは明らかなわけで。
だからこそ、「結果以外は必要ない」というシチュエーションにプロ棋士を追い込んでしまった
「結果だけを求める」という手を使うのが興行の世界で認められるのは、それが「弱者の戦術」と
広く認められているときだと思うけど、だとしたら「まともにやっては勝ち目はない」という構図を
明らかにしたうえで、この方法を取るべきだったんだよね。
午後三時あたりになると見かける参拝者層。
中年男と、派手な女という組み合わせ。この組み合わせだけはこの時間帯に来る事が多い。
参拝者自体が少なくなる時間帯だけに余計に目立つのだが、当初はなぜこの組み合わせが多いのか理解できなかった。
不倫にしては人目を忍ぶ風でもなければ雰囲気に纏う後ろめたさもなく、あっけらかんとした軽さとノリはまるで若者のよう。厚い化粧。高いコート。
しばらく相当な人数を観察し続けた結果、ようやくこいつらは「同伴出勤前」なのだという事に気付いた。
で。こういう水商売風の女と中年男という組み合わせはまず神社来てもおみくじ引いて年甲斐もなくはしゃいだり境内フラついて帰るだけでこの時間帯に祈願なんて頼みに来ないのだが、珍しく祈願申し込みに来る事があった。
おや珍しい、どういう風の吹き回しだ、出勤時間は大丈夫なのかね、と思いつつ受付。
中年男「御祈願をお願いしたいのですが」
神主様「(違うんかい)では家内安全でよろしいですか。それではご住所とお名前を」
中年男「〇〇市〇〇、〇〇…」
派手女「……。」
派手女「…はい」
中年男「せっかくだしね」
派手女「……。」
神主様「(? 何でこいつ変な集中してんの?)」
派手女「……〇〇市〇〇、〇〇番地〇〇〇」
何だっけ、どこぞの寺社に残されてる数百年前の祈願受付記録から前田利家父子あたりの生年がわかりましたみたいな話があったけど。
水商売女の住所やら名前やら割るのに、同伴持ちかけて、神社に誘って、祈願受けるよう話を運んで、とこういう手を使う奴もいるんだねえ。
おお俗世こわいこわい。
追記:
うわホッテントリ入りかよ。書いてて確かに、クズで下衆でゴミな増田どもが喜びそうな話だなとは思ったけど。
とはいえ、ここで貼らないとこの事態で一つも得する事がないわけだし、一応貼っとくかね。
http://d.hatena.ne.jp/oramuda/
糞ブコメ返し:
sukekyo 一応は、神様に対するお願いごとだから、ウソの住所氏名をいうのもバチがあたるようで抵抗があるって心理をついた上手い方法だね。
A:一夜限りの夢を提供するお仕事のプロに対して、神様の前で嘘はつけないだろうと考えるその浅慮さを考えると、とても上手い方法とは言えないだろう。ドラマとかの見過ぎじゃね?
kaerudayo ネタ 人生 日本 よいしょっと お役立ち
A:ネタじゃねーよゴミ野郎。ネタならわざわざ匿名の場選んで書く必要ないわカスが
sds-page 店の住所でも書いときゃええやろ
A:それが一番スマートだろうな。で、男に気付かれて「それ店の所在地じゃん!」って突っ込まれたとしても「あの店はもう、私の家のようなものだから」みたいなイイ話を語り始める事によって切り返すのが、水商売の中の水商売だろうな。
anondwriter http://reisaiburoga-noakusesukojikinihakyouryokusinai で戦ってらした方?
A:戦う?(笑) 昔、大手に噛み付けばいいとでも考えたのか、アクセス乞食の零細ブロガーから糞ブコメやIDコールを連発されたので、迷惑行為をやめるように諭したり自分が相手にしている事がどんな事か教えてあげたりした事はあったけど、戦った事なんてないなあ(笑)人違いじゃね?
anigoka 水商売だったら嘘住所とか候補として暗記してそうだけど もしかして実住所への躊躇と嘘住所の脳内検索が妙な間の正体かw
A:どうだか。相対した私の印象では、女は本当の住所を口にしたように感じたけど、でもこの状況下では十中八九嘘つくのが普通だろうしな。
toru-nakata 市役所に提出する書類ですら、年齢は鯖を読むのが、普通だ。それが世間というものである。
A:この人は一体何を言っているのですか?
mrmt ライフハック
A:このエントリを読んでこういう感想が出てくるあたりが増田の増田たる所以であり、そして、このようなブコメをつけていくスタイルこそクールだとか思っているあたりが糞ブックマーカーの糞たる所以だよな。
maturi 全部嘘だったんだぜ(斎藤某
A:残念ながら実話。女の住所の真偽までは知らんが。
nibo_shi 前置き読まずにいきなり会話から読んだけど意味分かったわ。余計な前書きいらんかったね
A:前置きや状況設定書かずにいきなり会話だけ書くと「~かもしれない」「~かもしれない」って可能性を指摘するバカが大勢湧くんだわ。
エントリ執筆者のことを少しも考えもせずにただ書き散らす、実に浅慮極まりないお前のクソみたいなブコメなんていらんかったね
death6coin ↓信心深いと神様の前で嘘つけない。神様の前で嘘をついたなら、それはそれで責められそう
A:確かに水商売はかなり験をかつぐ方だが、そもそも本当に信心深いような人間は水商売なんてやらないだろうよ。
A:それをさせない為に、「男だけ住所と名前を言う、と見せかけておいていきなり女にも尋ねさせる」という不意打ちをしたんじゃね?
A:お前現国の成績悪かっただろ
老人や子供、場合によっては女性も含まれるけど、彼らは(少なくとも身体能力的に)弱者だから大事にしようってお話なんだと理解している。
弱者に優しくできる社会は素晴らしいと思う。豊かな社会とはいかに多様な弱者に対して手助けできているかで計ってもいいんじゃないかと思うぐらい。
自分が飢え死にしてでも弱者のために食料を残すという人もいるとは思うので、瞬間的な余裕の有無は問題ではなくて、社会的な成熟に伴って醸成される精神的な余裕か。
しかし、戦争や大規模災害などの非常事態に、その精神的な余裕を発揮していていいのか疑問に感じることがある。
老人、子供、女性を助けるということはつまり20代から50代ぐらいの男性が犠牲になるべきだということになるわけだ。一日や二日ぐらい配給の食料を我慢して弱者に割り当てるぐらいは我慢しよう。しかし核シェルターの定員がいっぱいの時に弱者を中に入れ、成人男性を見殺しにするようなシチュエーションがあったとして、それは本当に正しいのだろうか?
だんだん面倒くさくなってきたので細かい言い回しなんかは端折るが、戦争や災害の被害から立ち直るには労働力が必要だ。すでに教育を受け終えて労働力としてアブラの乗っている人間を犠牲にすることが合理的だとは思えない。老人については言うまでもないので省略。
子供は未来の担い手だとしても、すでに教育されていていろんな意味での仕事のやり方に習熟している世代よりも優遇すべきなのだろうか。
成人男性がクズばかりだから、もしかしたらマトモに成長するかもしれない子供に賭ける!とかって話なら理解できるけど、そうではないですよね。
(個々人のスキル差は無視して)社会的なコストで判断するならば優先順位は 成人男性・女性 > 子供(それも年長の子供から優先) > 老人 ってことにならないだろうか。
別に差別したくて言っているわけでもないし、自分がこういう切羽詰まった状況に陥ったこともないので妄想で書いているのだけど、この辺についてみんながどう思っているのか気になったので書いてみた。
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追記