「森長可」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 森長可とは

2023-09-29

anond:20230929125531

FGO「やりました」

 

解説

FGOはぐだぐだ邪馬台国イベントをやったが

食べ物が稲とハマグリであること、食器土器人形はにわをつくってること、墓が前方後円墳であること、穀倉が返しのついた高床式……

くらいしか現地の様子がよくわかってないし

それはすべてフィーチャーしてやはり内容がうすかったので新撰組信長をぶちこんで成立させた

 

そうはいっても人気がそこそこあるイベントだったので復刻して卑弥呼の次の壱与まで実装した

クリティカル殴りがきもちいいよ

ついでになぜか織田信勝実装されたよ

 

基本的にはちゃん邪馬台国なので

はにわは巨大化してハニーと叫びながら中央めがけて侵攻してきたのを新撰組龍馬で食い止めたし、

復刻で高床式が木造100階だてになって森蘭丸脇差しに乗って空を飛んだよ 

森長可のほうが森蘭丸より実装が早いゲームは多分FGOが初めてだよ

2023-09-21

[]

可児市郷土資料館の「森氏と家康」展を拝見してきましたわ

年表が森長可誕生から始まってましたわ……

関ケ原合戦図屏風の複製を近くでじっくり見ることができましたの

関ケ原合戦前の森氏と田丸氏の領地替えの話が興味深かったですわ

西軍派の真田氏と田丸氏の領土を離しつつ、森氏を真田氏監視に据えて

犬山城石川光吉消極的に寝返らせる切欠を作ったそうです

これは単純に森氏と石川光吉を交換するよりも効果的ですわ

犬山城中山道東海道の両方に効いているお城でこれを取るのは囲碁的な発想ですわね

そのせいで岐阜城が早期に陥落したそうなので

石川光吉の動きは関ケ原合戦に大きな影響を与えたことになります

2021-12-27

anond:20211216111446

河尻みたいに征服した武田領の仕置をしているのが、河尻、毛利、森、遠山かな?

水野、団、斉藤坂井信忠に付き従っていた

武田滅亡からまだ日が経っていない(4ヶ月)んだよね・・・

尾張衆:

河尻秀隆、甲斐に据えられる

池田恒興(当時は遊撃隊あつかいか)、摂津支配

毛利長秀、伊那領を統治

塚本小大膳、?

浅井政貞、天正9年(1581年)5月24日死去?

水野忠重、二条城にいたが生還

団忠正二条城信忠と一緒に戦い討死

丹羽氏次、?変後は信雄家臣になる

美濃衆:

森長可信濃海津城領主

斎藤五郎二条城信忠と一緒に戦い討死

坂井越中守、二条城信忠と一緒に戦い討死

佐藤秀方、天正6年(1578年)には、越中戦線派遣された(月岡野の戦い)。 そのまま北陸にいた模様

遠山友忠、東濃にいた模様

2021-12-13

anond:20211213123058

滝川はないよ。神流川の戦いで負けてるから

同じ領土放棄した組なら美濃荒らし回っていた森長可の方がまだありえる。

2020-07-16

熟語戦国武将名前のように読む

自由 よりよし(三木自綱中野直由

正義 まさよし

平和 ひらかず

勝利 かつとし(神代勝利

友愛 ともちか(安東愛季

知恵 ともしげ(種子島恵時)

幸運 ゆきかず(浪岡具運)

真実 さねざね

利益 とします(前田利益

可能 よしよし(森長可、朝比奈泰能)

秀逸 ひでゆき三好長逸

政治 まさはる

宗教 むねのり

総統 ふさむね(畠山義総、大友義統

信用 のぶもち(近藤康用

職業 もとなり(小寺政職長野業正

成長 しげなが(伊達成実

常備 つねはる(金上盛備)

繁茂 しげしげ

2018-06-28

英霊兵が出るなら森長可だってでれるはずなのに土方歳三に「敗北した」ってことにされたのマジで何なの

帝都キャスター枠も同じだよ

アゲアゲのために他のキャラ犠牲にしてほしくないし、今回信長と沖田主役とはいえ不自然にあげられすぎてて気持ち悪い

龍馬と以蔵のホモを書くためだけに李書文を下げるな

ゲームをやらない奴、コハエースを読んでねえ奴ばっかり楽しんでてズルい

もう型月なんて好きになってなきゃよかった、なにもかも忘れてソシャゲを楽しむ豚になりたい

2016-10-12

[]

苗木遠山史料館でもよおされた「美濃の刀展」に行ってまいりました。

これでわたくしも刀剣お嬢鯖の仲間入りですわね。

べ、べつに秋刀魚が気になるわけではありませんわ!

常設展示では遠山の金さんの遠縁である苗木遠山氏が治めた苗木藩の歴史が紹介されています

1万石と最小サイズ大名なので財政のやりくりには苦労したようです。

東濃歴史には悪名高い森長可も関わっており、(3)6人斬りを自慢して悪趣味に名付けた歌仙兼定のレプリカも置かれていました。

美濃の刀展では近隣神社から寄託された鎌倉時代室町時代太刀が大きく扱われていました。

国や県の重要文化財である

備前国長船住近景

吉則

貞綱

三振ですわ。腰に下げるときと同じく、太刀は刃を下向きに、刀(脇差短刀も)は刃を上向きに展示していると

説明されていて感心しました。他所刀剣をみるときにも役立ちそうなトリビアですわ。

刀身58cmの脇差があって、そのあたりの定義がよくわかりません。

神社の刀は拵えを直す機会がないので目釘の穴を空けなおしたあともないですわ――と気づいた気持ちになったのですが、

他の刀も目釘の穴を空けなおしているものは少数派でしたわ。

展示されている刀の大半が個人蔵で、当館所蔵のものは一振りだけでした。

秘蔵されているものを拝見する機会をくださって感謝しますわ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん