はてなキーワード: 期待値とは
最初に言っておくけど、婚活をやった結果、俺には結婚は無理だと理解した。自分のことを客観的に理解できた。モテない容姿なのもあるけど性格にも難があった。今は悠々自適の独身だし、恋人もなし。結婚資金と思って貯めた金は全部自分のために使ってる。
ちなみに婚活してたのはコロナ禍前。俺は30代半ばだった。地方の話な。市外にも県外にもお見合いに行った。
お見合いは初めてだったのでどんなもんかわかってなかった。相手の女性は今は無職で働いてないと言った。俺は親も共働きだし、結婚してる兄弟も共働きだし、当時の年収は500万円くらいだったので当然共働きが前提だった。次はどんな仕事したいの?みたいなことを聞いたと思う。俺自身も仕事が趣味みたいなとこあったので仕事の話題は避けられなかった。結果、会社の採用面接みたいになっていたと思う。相手の容姿に不満はなかったのでこっちはオーケーしたけどお見送りされた。まだこの時は、反省を活かして次に繋げようと前向きだったと思う。
■なぜか怒ってた女性
お見合い場所に考えていたカフェが休みだったので街を歩きながら他のお店を探した。相手のお見合い写真は盛り盛りで実際会ってみるとかなり違う顔だった。
結局、チェーン店のカフェに入って自己紹介から始めるがもうこの時点で相手が怒っているのが伝わってくる。最初に店選びでつまづいたせいかどうかわからんが、明らかに次が無さそうだったのですぐに解散。なんでこの女性が記憶に残っているかというと、実は毎日通勤の道ですれ違っていた女性だったからだ。後日気付いた。今でもたまに見かけるけど結婚は出来て無さそう。
■隠しごとする女性
初めてお見合いからデートに発展できた女性。お見合いは何十人と会ったけどデートまでできたのは3人だった。
この女性とは一カ月くらいメールのやりとりをして、一度デートして、二回目のデートの後にお断りされた。二回目のデートでなぜか俺と駅の外で解散しようとしてたのが引っかかっていた。俺は駅の改札まで見送りたかったし、夜だったので外で別れて女性一人帰らせるのもおかしいだろと思っていた。お断りされてから、相談所の担当に、女性は複数人と同時に交際をしてる場合もあるのでと仄めかされて、女性が他の男を選んだのだと悟った。つまり、あの日は俺と会ったあとに他の男とも約束があったので駅の改札を抜けたくなかったのだ。言えよと思ったけど、隠しごとする女は嫌いだったので諦めがついた。
明らかにアスペさんで、自分の理想の結婚について長々と語る語る。なんでこの人は初対面の俺にこんな話をするだろうと考えて思い至った。この女性は俺に対して、いかに俺が女性の理想と違うか、自分と俺が釣り合わないかを語っているのだと。
それで俺がつい失礼なことを言ってしまい、女性は泣き出してしまった。でもそれだって俺なんかにプライドを傷つけられたと思って泣いているのだとわかる。ハンカチを渡しても火に油を注ぎそうだったので、泣きやむまで無言。
市外までお見合いに行った女性。駅で待ち合わせだったのだが、十分ほど経っても現れず、俺も初めての駅だったので不安になって相談所に電話しようかと思っていると走ってやってきた。お昼休みに仕事を抜けてきたらしく、お見合いは駅の和食屋でそばを食うことに。仕事の愚痴の話を聞かされる。
今まで俺の方からお見送りにしたことはほとんど無かったのだがこの女性はお見送りにしたところ、相談所の担当から相手はオーケーにしてたのになんでお見送りにしたんだとお叱りを受ける。思えばそこまでダメでもなかった。俺でも選んでくれるような希少な女性を俺の方から断ってしまったという、未だに自分の判断に後悔があって忘れられない。
これも市外までお見合いに行った女性。会話がうまくて好印象だったが、当然のごとくお断りされる。
その後、相談所の担当から、カフェの店員に対して冷たい人だと思ったと相手が言っていたと注意を受ける。
全然心当たりがないし、俺が気づかず何かやらかしてたとしても、お見合いの時にはあんなににこやかに話していたのに裏ではそんな風に俺を見ていたのかと考えてしまってダメになった。これはこの女性だけじゃなくて他の女性もそうで、お見合いでは普通に話していたのに見送りになることが続いていて、このあたりで俺の女性不信はピークになっていた。
これまでのお見合いの回数とお見合いからデートまで進めた割合と、さらにその先の真剣交際には誰とも進められてない事実から、今後の可能な試行回数と期待値を出して、成婚までにかかるであろう相談所の費用を計算し、俺は無駄なことを続けていると結論づけた。
無理して結婚しても、心の底では信用できない相手とずっと生活を共にするのは俺には無理だった。
婚活は三年くらいやってたと思う。相談所を退会した時は肩の荷が降りた気持ちだった。でも未だに、結婚できなかった、社会不適合だったという事実からは目を背けたくなるし、誰かが結婚したと聞いたら嫉妬の炎に身を焼かれる。何か間違って結婚の機会が舞い込んだら喜んで受けるだろう。だけど俺には無理だったんだよ。きっとこれからも無理だ。俺はこの結婚というシステムがある前提で作られた社会を呪って生きる。
めちゃくちゃきつい。ひたすらにきつい。
もともと24時間制のジムに通っていたのだが、3回ほどやめた。
自分でメニューを考えながらやっていくと言うのは、ハードルが高いと言うのを痛感した。
情報を仕入れすぎてメニューが、自分の肉体が耐えられる負荷を超えてしまい、回復が追いつかず、体がだるくなってやめてしまうというのが3回起きた。
高校生の頃と違って、肉体の成長が自分の期待値を超えてこないということなんだろう。
というわけで足元は集団式のレッスンに通っている。
これもレッスンが終わった後は階段で足がガクガクになる程追い込まれている。
しばらく続けていれば、体力もついてくるのだろうか。
そもそも続けられるかも怪しいところがあるが。
じゃあ筋力トレーニングなんかしなければいいじゃないかという意見もあるかもしれない。
両親がペットボトルの蓋を開けようとして肉離れを起こしたことが印象的でね。
やっぱり、適度な運動をしておかないと、肉体の衰えと言うのは、想像を絶するのだと感じた。
まとめると、
・肉体の衰えのリスクを肌で感じて、運動の必要性を痛感している。
・筋肉や体力の成長を感じられる位の運動をしていきたいが、楽しさ・疲労・時間・誘惑などが邪魔をしてなかなか続かない
ということだ。
無理して東大入ってなんとか卒業したはいいけど、正直コミュ力ゼロで就活に失敗し契約社員年収300万からの社会人スタート。2-5年に1度転職して4社目、10年がんばってやっと年収500万。
「結果をベースに転職してキャリア&年収アップ」というライフプランに先が見えなくなった。
転職市場って基本的に「能力」と「前職の実績」を踏まえてキャリアを上昇させていくものだと思ってる。前職でめっちゃ売り上げ出したから次の転職先で係長or課長クラスになる、みたいなね。
が、自分にはその「売上を出す能力」がなさそうだとわかりつつある。
局所的なスキルには自信があるよ。たとえば法務チェック不要なくらいに契約書読みこむ、みたいなね。でも法学部卒じゃないし法務でもないのでスキルセットのプラスにはならない。
で、思ったのよ。もしかして自分は「民間市場でガツガツ働いても年収1000万を超えることはできない」のでは?
20代の頃はそういう夢をみてたよ。大手会社に就活したりね(文系なら出版社、経済系なら外資系コンサル、理系なら今で言うGAFAを想像してみてほしい)。
でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。ここでその話はおしまい。
ここまでは別に自虐ではないので、自虐風自慢のつもりはない。なぜなら公務員に転職したからだ。今どき退職金1500万もらえる身分への転職は万々歳よ。これまでの10年で退職金0だからね。そういう意味ではただの自慢である。
友人らは現状で既に自分と同じくらいの退職金もらえることが決まってる上、30歳で年収1000万越えとか割といる。はぁー私が30年勤めて取得する予定の金額を3-4年で稼げるんですねぇー!
という嫉妬があるかというと、別にない。だって今どきの世の中で30代年収500万あれば世間の上位半分にいるわけじゃん。まあ分相応だと思ってるよ。
今思ってるのは、久しぶりに会うときの店の予算帯が絶妙にズレ始めてること。あっちが普通と思って提案してくる店が微妙に予算外、みたいなね。飲み会の店を提案されたら素で6000円だったりするわけ。ほわーっって感じよ。
収入面では別にない。そこそこ生活には満足してるし、今から年収1000万になりたいとも思ってない。身の丈にあってるわけだ。
が、友人との階級層がズレはじめてるような印象はあって、そこだけはこわい。「この先もしかして自分はこの友人を失うのではないか」という恐怖感だ。
友人との交友関係を失いたくないという恐怖だけで、自分はこの生活でいいのだろうかと思い始めてる。もっと上流階級に行くべきなのだろうか。
東大にギリギリで入った奴って世の中の上位半分に入ってれば納得するのか
「学歴に対する世間的な期待値」と全く見あわない現状に恥ずかしい思いがないわけでもないけど、その恥ずかしさは自分の人生において「わざわざ払拭するほどのプライオリティ」として存在していないんですよね。「年収1000万になったところで何したいって希望も特にないので別に今のままでいいかなー」くらいの気持ちです。「他人からどう見えるか」への興味がゼロで、自分が楽しいかどうかが人生の判断基準。
生きにくそうで大変だなぁ〜
まだ失ってないし、自分も現状無理はしてないけど、今後友情関係維持する為に無理しなきゃいけないのかなって恐怖はある。
これは嫌味でもなんでもなく本心なんだけど、このコメント書いてくれた増田が人生に満足してるなら何よりだよ。他人が幸せなのはいいことだ。
僕はガンダムSEEDおよびSEED DESTINY、仮面ライダー555の大ファンです。
今回のSEED FREEDOMとパラダイス・リゲインドの上映を楽しみに待っていました。
今回この2作品を通じて、コンテンツを楽しむコツを1つ学ぶことができたので、それについて書いてみたいと思います。
冒頭、とってもイイ感じで始まりました。楽しみに待っていた甲斐があった、この作品はどれだけ素晴らしいものになるのかと、胸を躍らせていました。
そうすると、観ているうちに「…ん?」と思うシーンが出てきます。「それができるなら、そもそも〇〇では?」「それ言い出したら、〇〇じゃん」
そんな風な感想が思い浮かび、少しモヤモヤしながら観ていました。そんな中で「これは理屈抜きでワクワクする演出だな」なんて場面も度々ありました。
そのままストーリーは進行し、やがて上映が終わりました。
僕の感想は「面白かったけど、ちょっとモヤモヤもしたな」というものでした。
冒頭から「なんじゃそら」と思うようなシーンがちょいちょい出てきます。
「まぁ仮面ライダーって、こういう少し雑だったりよく分からない演出もあるか」なんて思いつつ、そのまま観ていました。
そうするとSEED FREEDOM同様、ファンが喜ぶ「理屈抜きでワクワクする演出」もあって楽しく観ていました。
だいたい1時間くらいの映画なので、あっという間に上映が終わりました。
僕の感想は「ちょっとモヤモヤもしたけど、面白かったな」というものでした。
両者を比較すると、自分の感想はかなり似通っています。ひっくり返せば同じです。
でもSEED FREEDOMは少しネガティブ寄り、555は少しポジティブ寄りな感想・思いになりました。
なぜこのように感想の差が出たか、それは期待値の大きさによるものだということに気づきました。
SEED FREEDOMは冒頭とても良かっただけに、非常に期待値が上がってしまった感覚がありました。
一方555は、冒頭から(言い方悪いですが)萎えるようなシーンがあり、期待値がグッと下がった感覚がありました。
この期待値の位置がどこにあるかで、作品に対して抱く感情は変わるものだということを学びました。
SEED FREEDOMはストーリーの整合性など細部まで気にして、力んでしまいながら観てしまったと思います。
一方555は、冒頭から力が抜けて、細部を気にせず大らかな心を持つ余裕と共に観ることができたように思います。
細部を気にせず力を抜いて観ると、楽しめる作品は多いのではないかと思いました。
そのためには期待値が高すぎない必要があるため、できるだけ下げるということを意識すると良さそうと思いました。
なんだこれ。。。w
食事の際に家族の分まで食べてしまう「食い尽くし系」と呼ばれる人たちがいます。専門家は、“食欲の秋”を迎えたこの時期、特に注意が必要だと話します。
先日、両親と娘4人の6人家族で起きた出来事です。家族全員のためにもらった6個のケーキが、すべて父親に食べられてしまったといいます。
父親にケーキを食べられた 女子高校生(16):「1人1個って言わなくても分かるはずなのに、『自分のものだと思って全部食べちゃったんだ』みたいな。ちょっと残念みたいな、あきれたみたいな感じです。家のものを全部食べ尽くしちゃうみたいな。注意はしてないですね。逆切れされちゃうので、言えない状況です」
別の家庭では、「夫が娘の分のハンバーグも食べ尽くしてしまった」というのです。
家族3人で食べようと、妻が作った5個のハンバーグ。それが目を離した隙に、夫にすべて食べ尽くされたといいます。
信じられないかもしれませんが、今、こうした食事を巡る相談が増えているそうです。
食事の時に家族の分までも食べてしまう人たち。インターネット上では「食い尽くし系」と呼ばれています。街で聞いてみました。
街の人:「(兄に)食べられた後に『何で食べたんだよ』というのがしょっちゅう」「二度とおいしいものは見せないぞ。食べられる前に食べろみたいな。自分のことと、食べ物しか見ていないです」
「食い尽くし系」の人たちと家族との間に起きる摩擦。専門家は、コロナ禍をきっかけに、こうした悩みを抱えた家族からの相談が増えたと指摘します。
大阪カウンセリングセンター Bellflower代表 町田奈穂臨床心理士:「いろんなもののストレスが食べ物に向いてしまうと、トラブルになることが多い」
町田臨床心理士:「きょうは帰ったら、アレを食べるんだと楽しみに帰った時に、ものすごく期待値が高くなっている。で、それを裏切られる、食べられてしまったという時のショックは、普段よりは大きくなる」
もはや笑って済ませられない「食い尽くし系」。専門家は、意外な原因を指摘しました。
食事の際、家族の分まで食べてしまう「食い尽くし系」と呼ばれる人たち。街で話を聞いた男性は…。
街の人:「食べ過ぎちゃいます、かなり。毎日のようにあります。だから、どんどん大きくなっちゃう」
「食い尽くし系」と呼ばれる人たちは、男性・女性に限らず一定数いるとみられますが、トラブルの多くは男性のケースが目立つといいます。
一方、食い尽くしの原因については、育ってきた環境が影響していると指摘します。
町田臨床心理士:「両親から食べていいよと言われてきた。それがもう当たり前になって、家庭では自分が好きなだけ食べるんだということが習慣になっていると、大きくなって友人と食事に行ったり、家庭の中で食事を分けるとなった時に、分けるという概念すらなく食べてしまう」
この「食い尽くし系」。家族は、どう対応したら良いのでしょうか?
町田臨床心理士:「向き合い過ぎないということ。協力を促してみる。相手がこちらに向き合ってくれない、寄り添ってくれないと思ったら、距離を空ける。(一時的に)食事は完全に別にしてしまうという対策が考えられる」
このあたりがそのへんの説明なのかな
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s22/21006
現時点においてアンディ・ウォーホールの著作物の使用は部分的にフェア・ユースと見なされている、イコール、著作物の引用はアンディ・ウォーホルの思想の表現に必要だったツールであり、原著作の翻案でもないと理解した。
AI規制派のなかでそのような創作を行っていればよかったのかもしれないけど、実際には翻案権、同一性保持権の範疇で説明可能な二次創作しか行っていないと思われるので、たぶんアンディ・ウォーホルの例はあたらないのではないかという理解。
元増の意匠権というのも本人が言うとおり無理筋なんじゃないかなと思った。自分の理解だと意匠は著作物を保護するための二次的な仕組みなので、原則としてほぼ著作者と同一であることが期待値なのかなと思う。原作者と異なる二次創作者が意匠権を認められる具体例が想像できない。
18歳になったら自分が持つ能力、将来の期待値等を筆記、実技等で割り出して、その時点で見込まれる生涯年収を事前に支払う。
その後の自助努力によって自分の価値が上がった場合のみ、追加でお金が支払われる仕組みになったら、頑張る人より絶望して犯罪に走る人が多いかな?
仮に世界の経済成長が止まったとすればババを引く人は現れるかもしれないが、
オルカンは色んな企業にちょっとずつ投資するというタイプのものなので、全部の企業が同時倒産でもない限り一気にゼロになることはない。
もし経済成長が止まっただけなら、ババを引いた人は100万円投資したのがいつまでたっても100万円から増えねーわーみたいな感じになるし、
仮に経済成長率がマイナスになったとしても、100万円が95万円に減ったわーぐらいの感じになると思うから一気に0になるとかではない。
だから経済成長を続けてる間はプラスのメリットを受け続ける方が期待値は高そう。
でも、どうあがいても減るしかないことが確定するぐらいやばい状況になったら、みんなが欲しくなくなって価値が一気に下がる可能性はあるかな。
何故共感されずにモテ自慢になる(そう捉えられる)のかと言うと、
自分の体感だと男性の7~8割以上は女性から熱烈にアプローチされる経験が一生に一度たりとも無いんだわ。
なので、自分が体験した事が無い件で「共感」はまあ無理なんよな。
あと、同じく男性の殆どが恋人を作るってのはクッソクッソ苦労するんだわ。
なので、(職場であろうと)そんな状況になったら相手がよほど駄目じゃない限りは「とりあえずは付き合う」になると思うのでそりゃ「共感」ってのは難しいんだよね。
こういう現実があるので、世の中の期待値的にも女性は諦めずにアプローチするのが上手くいく可能性が高いのよな。(まあこの場合はハズレだったんだけど)
要するに貴方はその手の方(恋愛)に裕福で、世の中の男性の多くは貧乏なのよ。
なので共感されたいんだったら同じようなモテ男が多いコミュニティにすると良いと思う。そういう場なら同じようにモテ自慢と受け取られる事も含めて共感してくれると思うよ。